第十三話 譲歩か、強硬か
日本が転移してから約五ヶ月
ハルゲニア王国 王都マルグリース
「はぁ……」
本日の職務を終えたセシリア・コルネットは、自身の執務室の席に座るやいなや、目頭を抑えた。
彼女は今日も、日本人と難民問題の解決のため交渉を行なっていた。このところ週に一回は会談を行い、粘り強く交渉を続けている。
しかし日本側の態度は相変わらずだった。難民には関与しない、我々の責任ではない、と。
これほど疲れる外交交渉は、この国1000年の歴史以来、片手で数えるレベルの綱渡りだと思う。
父親から聞いたことがある、100年前の帝政カムイがこの世界に転移して来た時の状況に、非常に似ていた。
異世界からの転移を自称する、未知の高等文明との交渉。
言葉が通じるだけありがたいものだ。しかし意思疎通はできても、話が通じるとは限らないのだとセシリアは改めて自覚した。
「全く、無礼な奴らです。シエスタルを侵略しておいて、難民のことを知らぬ存ぜぬなどと……」
セシリアの右側で、静かながらも凛とした声が響いた。秘書兼メイドのマリアは、後手に纏められた茶髪の髪を解き、執務室のソファに座っていた。
彼女もだいぶ疲れているようだった。その様子を見たセシリアは組んでいた足を戻し、リボンを締め、執務室の席に座り直した。
「民衆が政治の権限を持つ、民主主義の国家だと名乗っていたわね。難民に支援ができないのは、彼らの意思を尊重するという国是によるものでしょう」
「それは、民衆に責任をなすりつけているに過ぎません。本来なら専制者が責任を取るべきです」
「日本では専制者は居ないみたいよ。民衆が選んだ代表が責任を取るみたいだけど、その権限は弱いとも取れるわね」
「あの者たちはなんでも"民意"だと言えば、責任がなくなると思ってるのですか?」
幼い頃からメイドと主人という関係を長らく続けていたマリアとの会話は、どことなく友人のような近しさで本音を曝け出すことがある。
マリアは優秀な秘書であり、メイドであり、魔導師でもある。しかしそれ故、少々政治の話で熱くなることが多い。
日本との会談の場に居合わせつつも、秘書という立場を貫いていた彼女にとって、日本という国がいかに厄介で気に入らないかを肌で感じてしまっていた。
マリア本人も、魔法が使えない科学文明に対する嫌悪感が強いのも相まって、彼女の抱く日本に対する心象の悪さは最悪だろう。
ただ、セシリアはそう思っていなかった。
「……おそらく、違うわ」
「え?」
「責任がないと思ってるんじゃない。責任を認めると都合が悪いだけよ。だからはぐらかしてるだけ」
セシリアは、日本の外交姿勢を見抜いていた。
おそらく日本には余裕がない。食料をシエスタルから調達し、輸入品として求める辺り、国内では自国民の食糧を賄えない状態なのだと予測できた。
そんな余裕のない国が、難民の面倒を見なければならなくなった時、面倒なことこの上ないだろう。
だから日本側は、責任の所在をかわしている。セシリアはそう見抜いてた。
「……彼らの件、国王陛下は何と?」
マリアは次に、国王と個別に謁見をしたセシリアに、国王の決断を問いただした。
セシリアと現国王は、血が繋がっていない分家である。しかしこの国で国王になれるのは、五つの有力な貴族の生まれの者たちだ。セシリアも、その一人に含まれている。
「引き続き交渉を進めよ、と」
「彼らがまともに取り合わないのは、今回で明らになりましたが……」
「条件が必要ね」
セシリアは、マリアが取っていた会談の記録が書かれた議事録を、改めて手元に置いて参照した。
「彼らが貿易を望んで来たのは好都合よ。そんなに負担になるようなものじゃない。なら、これをカードに揺さぶりをかけましょう」
「しかし、セシリア様──」
マリアは、一度言葉に詰まった。
彼女の思想や心情をまた表に出そうとしてしまい、踏みとどまったのだろうか。彼女は言葉を選んでこう言った。
「……セシリア様は、次期国王の選挙戦も控えております。最近は呼応して第一王子と第二王子が結託しつつあるという噂もあります。そろそろ引いても良い頃合いでは……?」
そうだ。セシリアは、日本との交渉に全霊を注げる立場ではない。彼女にも選挙が待っているのだ。
この国では数ヶ月後に次期国王を決める選挙がある。その選挙は国内全ての貴族や諸侯が、爵位に囚われない同じ重さの票を用いて、候補者から国王を選ぶのだ。
選挙王政、と呼ばれる政治制度である。
一つの王家に権力が集中せず、かと言って民衆に委ねることもない、バランスの取れた妥協点であると、ハルゲニア政府は自負している。
セシリアも、その次期国王の候補者の一人である。現在の支持率は、第一王子のシュナイダー・エル・ブランコに次いで二位である。
しかし、その支持率も盤石とは言い難い。貴族や諸侯の支持は、候補者本人の素質や行動によっては普通に見限られる事もある。他候補者の派閥争いも激化していた。
「功績を残せば、逆に支持率は上がるわ」
しかしセシリアは、だからこそ、と考えていた。
彼女のいう通り、日本との外交を取りまとめ、難民問題を解決するなりして功績を残せば、支持率は上がるだろう。
しかし、何事にもリスクというものが付き纏う。
「リスクが大き過ぎます。博打のようなものです」
「私は国王陛下から外交を任ぜられた立場よ。他人任せだなんてできない。もちろん、他の派閥の協力も受けないわ」
「セシリア様……」
「大丈夫よ。私が何とかしてみせる」
セシリアは自身の胸に手を当て、にっと笑ってみせた。彼女がマリアの前でないと見せない、プライベートな表情だった。
「……わかりました。私もセシリア様と最後まで行動を共にします」
「ありがと」
そうしてセシリアは、マリアという優秀な見方をつけ、夜遅くまで執務室に篭って作業を続けていた。
日本との次の会談に向け、様々な思考を巡らせる。
しかし、彼女はこの時は知らなかった。
この難民問題が、いかに根深く、そして危険な綱渡りであるのかを。
同月の中旬
ハルゲニア王国 首都マルグリース 日本大使館
国交成立に際し、ハルゲニアの首都には大使館が設置されていた。
場所は宮殿街から直線道路で繋がれた郊外の古い宮殿で、その二階を日本が大使館として使用している。
中には日本人が使う記録装置やら電信装置などが並べられ、一部が彼らの好きなように改造されている。そして今日この日も、在ハルゲニア大使となったナカムラとセシリアは向かい合って座った。
「まず、我が国は貴国によるシエスタルの占有を一時的に受け入れることにいたしました」
セシリアの言葉に、日本側の代表団は少し顔を明るくし、顔を上げた。彼女はさらに言葉を続ける。
「我が国にはこのまま貴国と通商条約を結ぶ用意があります。貴国が必要な食料は、我が国が幾分か輸出しましょう」
セシリアは、最後にその条件を伝えた。
「その代わり、シエスタルから調達する量を減らしていただきたいのです。そうすれば難民が発生する根本的な原因を減らすことができます」
日本側の表情が変わった。
セシリアとしては、かなり現実的に妥協した案ではある。
しかし未知の文明と荒事を立てるよりも、今発生している問題の現実的解決策を、彼女は求めた。
「いかがですか?」
セシリアは問いかける。
日本側は、即座に否定しなかった。むしろ少しばかり小言を耳打ちし合い、その後、ナカムラは笑顔でこう答えた。
「……その条件なら、我が国としても検討する価値があります」
──いける。
セシリアは内心、ほくそ笑んだ。
やっと話が進んだ。この数ヶ月、ハルゲニアは譲歩することができず、日本側との交渉は平行線ばかりだった。
しかしこちらが少しばかり譲歩し、相手に条件を求めることでようやく前に進んだ気がする。問題解決の、希望が見えてきた。
「我が王の想定では、食料の輸出額は500万トンほどと想定しておりますが、いかがしますか?」
「では、食料輸出量をこの水準まで増加していただけるのであれば、シエスタル南部三州の徴発率を段階的に引き下げる用意があります」
ナカムラはそう言って、ハルゲニアで使われている文字に翻訳された資料を提示してきた。
そこには、食料の輸出量として約2000万トンが要求されていた。こちらの想定の四倍以上だった。
「に、2000万……⁉︎」
「あくまで初頭の要求額です」
ナカムラは相手が譲歩したのを即座に見抜き、用意していた輸入量の条件を現在の日本の状況に合わせて提示した。
転移前の日本の食料輸入トン数から計算すれば、これでも三分の一ほどに過ぎない。
しかし、現在シエスタルから調達しているトン数と比べると六割分に相当する。それだけ他国から調達できれば、シエスタルからの輸入量を減らせるのは事実だ。
「我が国としても、いきなりこの量を提供して欲しいわけではありません。最終的な目標値です。そして我が国からも対価として、こちらは農薬や肥料を提供できます」
「つまり、長期的な取引を前提としたい、と」
「はい。なので貴国と協議している通商条約についても、こちらの条件を加味した上で修正していただけるとありがたいです」
セシリアは改めて書類の中身を見た。
要求する輸入量が羅列された一覧表の次のページには、日本からハルゲニアへと輸出される品々が記載されていた。
害虫や病気を寄せ付けず、健康被害もない農薬。理学の仕組みを用いた高性能肥料。品種改良され収穫量を増やした新しい品種の麦など。
さらに次のページには、トラクターなる機械作業車や自動芝刈り機、農薬散布の飛行機械なども記載されている。
ハルゲニアでもゴーレムを用いた農業の効率化は行われているが、これらは魔導師の素質に関わらず、誰でも運用できるらしい。
さらに国内の道路整備や機械式水道インフラの整備なども行う用意がある、と書かれてる。
これらの取引は、とても魅力的な商売に思えた。
「いかがしますか?」
「……農薬と化学肥料に関しては、我が国の農地でもすぐに受け入れられます。また、食料の輸出に関しても、段階的に目標量まで輸出可能です」
その言葉に、日本側の表情が初めて明るくなった。
「では、本日は暫定合意としましょう。ありがとうございます」
「はい。こちらこそ」
ようやく話がまとまった。
セシリアはその後、日本側と暫定的な合意事項をまとめる事に成功した。国内の貴族や諸侯たちも、日本側との商売によって利益を得ることができた。
日本製の農薬を用いれば作物の病気を防げる。肥料に関しても、不衛生な堆肥を使わなくて済むので歓迎された。
また、懸念されていた農民たちの心情的な反発も、数ヶ月間それらを使用したにも関わらず、反発はなかった。
日本製の農薬や肥料を使うようになった農家も多く、次の年の収穫量は増えるかもしれない、との試算が早くも出た。
ここまでは、日本にとってもハルゲニアにとっても、事が順調に運んでいるように見えた。
だが、ここで日本側との取引に反発する勢力が、急速に台頭し始めていた。
日本が転移してから約一年
ハルゲニア王国 首都マルグリース
「日本は、獲物を肥え太らせる狼である!」
ある男が、次期国王を決める選挙の討論会にて、多数のハルゲニア貴族たちを前にそう訴えていた。
男は180cmはある背の高いスラリとした若者だが、その気迫、言葉遣い、そして気品に溢れるその美貌から、絶大な支持を得ていた。
男の名は、シュナイダー・エル・ブランコ。ハルゲニア王国第一王子、その男である。
「シエスタルも最初は日本との通商を望んでいたはずだ! しかし、その結果どうなった? 国土を奪われ、麦を奪われ、今や日本の兵が我が国境を見張っている!」
シュナイダーは高らかに拳を振り上げ、大袈裟なジェスチャーを挟み、さらに言葉を続けた。
「コルネット卿は、日本から農機を買うと言っている! 確かに短期的な利益には繋がるだろう。ではしかし! その農機を運んできた道を、十年後には日本の戦車が走ってこないと誰が保証する⁉︎」
「そうだそうだ!」
「日本人は危険だ!」
「取引をやめるべきである!」
主に都市部の諸侯たちが多く賛同した。
セシリアは討論会に出席した身として、壇上からその意見に反論した。
「ブランコ卿は我が国の農地の現状を見ていません。農地を抱える諸侯の方々から聞きました。農地では、数年おきにどこかで作物が弱る病が流行り、害虫が寄りつく。それにより農地を焼かなければならないことがある、と」
「昔からそうであろう。しかし大きな問題にはなっていない」
「今から100年前、ちょうどカムイが転移してきた時、カムイから流れた流行病が農作物に甚大な被害をもたらしたことがあります。しかし、今回は日本が転移してきたのに、そうなっていない。それはひとえに、日本の農薬を用いているからに他なりません」
「ではもし日本が農薬の提供をやめれば、我が国は甚大な飢饉に見舞われる、ということであるな?」
「それは……」
痛いところを突かれ、セシリアは一瞬言い淀む。その隙をシュナイダーは逃さなかった。
「しかもだ! 日本はシエスタルから食料を強制挑発し、シエスタルの民を困窮させ、我が国に難民として送り込んだ! これは我が国に対する重大な実害である!」
「そうだ!」
「実害だ!」
「にも関わらず、ここにいるコルネット卿は日本に対して譲歩したとしか思えない条件を提示した! これを屈辱と呼ばすして何と呼ぶか! 彼女は我が国の王として相応しくない!
「そうだそうだ!」
「売国奴め!」
「恥を知れ!」
セシリアは捲し立てられ、反論するまもなく奥歯を噛み締めた。
シュナイダーの言っていることも、一理ある。セシリアが日本に対して譲歩した条件を提示したのは、事実だからだ。
日本に対して弱腰だの何だの、都市部の諸侯達から見ればそう言わざる得ない。反対に、セシリアを支持する地方の諸侯達も反論したが、声の大きさでは叶わず消えていく。
ここにきて国王選挙が控えていたことにより、セシリアにとって不利で面倒な形で反発が起きていた。
その後、この反発と難民問題が、日本のハルゲニアの間に永遠に埋まらない深い溝を作り出す事になる。




