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【完結】離縁を切り出した夫は、まだ私の父の援助を受けられると思っていたようです【6/29完結編追加】  作者: 木風


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完結編第ニ話 その家なら、私が購入しました

その夜会は、離縁後のクラウディアが久しぶりに出た大きな社交の場だった。

父に促されて参加したものの、正直なところ、気は進まなかった。

会場には花の香と香水が混じり、音楽が絹の衣擦れの上を流れている。天井から吊るされた燭台の光は美しく、磨かれた床には人々の笑顔がいくつも映っていた。

けれど、その華やかさの中で、自分だけが少し遅れて歩いているような気がした。


離縁した女。

元夫のいる社交界へ戻ってきた女。

父の力で守られている女。


誰も口には出さないけれど、視線はわかる。

大丈夫。そう心の中で唱えながらも、手袋の内側で指先に力が入る。

そのとき、人の輪が少し割れると、聞き慣れた声が背中に落ちる。


「クラウディア」


振り返らなくても、誰かわかった。

けれど、振り返らないわけにはいかなかった。


アルノルトが立っていた。

離縁前より少し痩せたようにも見える。だが、眉間に刻まれた不機嫌そうな皺は変わらない。


「レーヴェン子爵様」


クラウディアは、そう呼んだ。

もう、夫の名で呼ぶ必要はない。


アルノルトの眉がかすかに動いた。


「君は、知っていたのか」

「何をでしょう」

「あの家のことだ。僕が住んでいた借家が、本来なら僕には借りられない物件だったと」


周囲の会話が、少しずつ細くなる。

近くにいた夫人が扇の動きを止めた。

クラウディアは、すぐには答えられなかった。


あの家……

雨の日にリネンが濡れていた家。

誕生日に氷菓を選ばされた家。

何度も自分の声を小さくした家。


「知りませんでした」

「知らない?」

「少なくとも、レーヴェン子爵様がどういう条件でお借りになったのか、私は聞かされておりません」

「君の父上の物件だったのだろう」

「父の管理する物件のひとつだったことは、ずいぶん後になって聞きました」


けれど、それがどれほど破格の条件だったのかまでは、私も知らなかった。

アルノルトが自分の手柄だと思っていた好条件さえ、実際には父の配慮だったのだ。


「なぜ言わなかった」

「聞かれませんでしたし」

「それでも、リンシェル伯爵は知っていたはずだ。離縁したからといって、突然退去を求めるなど、あまりに一方的ではないか」


周囲に、微かなざわめきが広がる。


「突然ではありません。契約満了に伴う通知だったと聞いております」

「そういう理屈を言っているのではない。僕があの家を自分で選んだ。婚約後、君と住むために」

「ええ。そうでしたね」


胸の奥が冷える。

それでも、クラウディアは背を伸ばした。


「君は冷たいな」

「そうでしょうか」

「僕は家を失ったんだぞ」

「それは、私のせいではありません」


はっきり言うと、アルノルトの顔が強張った。


「君の父上の都合で退去を求められたのだ。なら、リンシェル伯爵は代わりの住まいくらい用意するべきだったのではないか」

「なぜ、父がそこまでしなければならないのですか」

「かつては縁のあった家だろう」

「もう、縁は切れております」

「そういう理屈を言っているのではない」


会場の空気が止まった。

誰かが小さく息を呑む。

扇が閉じられる乾いた音。

遠くで楽団が奏でる弦の音だけが、ひどく場違いに明るい。


「失礼」


穏やかな声、だが、不思議とよく通る声。

振り向くと、ひとりの青年が立っていた。

淡い金髪に、青い瞳。仕立てのよい濃紺の礼装は華美ではないのに、周囲の光を静かに受け止めている。

彼が誰か、クラウディアは知っていた。


ユリウス・アスター。

アスター公爵家の次男。

きちんと挨拶を交わしたことは、まだない。


「物件を選ぶことと、その条件で借りられることは別の話です」


ユリウスは、アルノルトに向かってそう言った。


「あなたは」

「ユリウス・アスターです」

「アスター公爵家の」

「はい」


アルノルトの表情が、ほんの少し揺らいだ。

公爵家の名は、それだけで人の声を鈍らせる。


「その家なら、私が購入しました。リンシェル伯爵家から正規に」

「あなたが?なぜ、あの家を」

「使用人の寮にしようと思いまして」


使用人の寮。その言葉に、周囲の空気がまた変わった。

アルノルトの顔から血の気が引いたように見えた。


「あの家を、使用人の寮に?」

「立地がよく、部屋数もあります。通いの者たちにとっては便利でしょう。多少手を入れれば、使いやすいはずです」

「僕はまだ住んでいた」

「ですから、契約に従って退去の通知を出しました」

「離縁したとはいえ、あれは元妻の実家が所有していた家だ」

「だからこそ、なおさら住み続けられると思う方が不思議です」


ユリウスの声は荒くなかった。

責め立ててもいない。

ただ、事実をひとつずつ机の上に並べるような言い方だった。


「レーヴェン子爵が、あの賃料でお住まいだったことの方が、むしろ私には驚きでした」

「何だと」

「リンシェル伯爵は、娘君のためにずいぶん手厚くなさっていたのですね」


その一言で、アルノルトは黙った。

クラウディアは、自分の胸の中で何かが静かにほどけるのを感じた。

父がしてくれていたことを、誰かが正しく見てくれた。

それも、アルノルトが見下していたものを、淡々と価値あるものとして扱ってくれた。


「離縁した女性の父親に、代わりの住まいまで求めるのは、少々珍しいお考えかと」


珍しい。

その上品な言い方に、周囲の空気が一瞬だけ耐えきれなくなったように揺れた。

笑い声にはならない。けれど、誰もアルノルトに同情していないことだけはわかった。


アルノルトは唇を結び、クラウディアを睨むように見た。


だが、遮るように目の前に立つユリウスの前に、その視線は長く続かなかった。

苦虫をかみしめるように去っていく背中は、以前よりずっと小さく見えた。

これでも……まだアルノルトはわかってなさそうで恐ろしいですが……

ブックマーク、★★★★★、よろしくお願いします( *・ㅅ・)*_ _))ペコ

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― 新着の感想 ―
……現実にも本当に、こういう人間が居る。 自分が「タカリ」或いは「寄生虫」だという自覚を持たないヒトが。 こちらは言葉を尽くして理を語るんだけど、通じないんだ。知能が足りないのではなく、厚顔無恥だから…
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