第九話 初めてお屋敷の外に出ました
外に出る話が出たのは、ある朝の朝食のことだった。
お父様が珍しく、書類を持たずに食堂に来た。それだけで何かあると分かる。前世でいえば、上司が手ぶらで会議室に来たときは大抵、重要な話がある。
「フィア、今日は少し外に出てみるか」
わたしは手を止めた。
「おそとでしゅか」
「屋敷の外だ。町まで、少し歩いてみようと思う」
(……ついに外部環境へのアクセスが許可された)
今まで屋敷の庭までしか出たことがなかった。町に出るのは初めてだ。
「いいでしゅか」
「ああ。ただし条件がある」
「なんでしゅか」
「俺とジル、それからルードも一緒に行く。三人が常にそばにいる」
「うん」
「魔力の制御は、できる限り意識してくれ。人が多い場所だから」
「うん、がんばりましゅ」
「それと」
お父様が少し間を置いた。
「何があっても、俺の手を離すな」
「うん、はなしましぇん」
お父様の表情が少し和らいだ。
「……よし、行くか」
屋敷の門を出た瞬間、世界が広がった。
前世でも知っている感覚だ。狭い部屋から外に出たときの、視界が一気に開く感覚。でも今回はそれより大きい。
石畳の道。並んだ家々。色とりどりの看板。行き交う人々。荷車を引く馬。遠くに見える市場の屋根。
(……本番環境だ)
前世でいえば、テスト環境から本番環境に初めてアクセスしたときの感覚に似ていた。スケールが全然違う。
お父様の手を握った。大きい手だ。力強い。
「フィア、大丈夫か」
「うん。おおきいでしゅね、まちが」
「この辺りでは中くらいの規模の町だ」
「そうでしゅか」
ルードが左隣に来た。ジルは少し後ろについている。
四人で歩き始めた。
最初は普通だった。
石畳を歩いて、お父様が近くの店を教えてくれた。パン屋、薬草屋、雑貨屋。この辺りの人はみんなヴェルター家のことを知っているらしく、会う人会う人がお父様に挨拶をした。
(アカウントの認知度が高い。ヴェルター家は地域の有力者だ)
そして、少しずつ気づき始めた。
挨拶をしながら、みんながわたしを見ていた。
普通に見ているわけではない。
何かを確かめるように、少し遠慮がちに、でも確実に、わたしを見ていた。
「おとうさま」
「なんだ」
「みんな、わたしをみていましゅ」
お父様の手に、少し力が入った。
「……そうか。気になるか」
「うん。どうしてでしゅか」
「フィアが、珍しいからだ」
「なぜでしゅか」
「ヴェルター家の末っ子が生まれたと、みんな知っているから。でも今まであまり外に出なかったから、初めて見る人が多い」
(公式な説明だ。でも、それだけではない気がする)
人々の目が、「珍しい子を見る目」ではなく、もう少し複雑な感じがする。前世でいえば、「問題のあるシステムを扱う人間を見る目」に少し似ていた。
(何かを知っていて、見ている)
わたしはお父様の手を握りながら、観察を続けた。
市場に入った。
野菜、果物、肉、魚、布、道具。色々なものが並んでいる。前世で馴染みのあるものも、見たことのないものもある。
果物屋の前で足が止まった。
見たことのない赤い果物が並んでいた。丸くて、表面がつやつやしている。良い匂いがした。
「あれはなんでしゅか」
「ルビー果というんだ。甘くて美味しいぞ」
「たべられましゅか」
「もちろん」
お父様が一つ買ってくれた。
わたしはそれを受け取った。手に持った瞬間、温かみがある。良い匂いだ。
「たべていいでしゅか」
「ああ」
一口かじった。
甘い。果汁が溢れる。前世でも食べたことのない味だ。
(おいしい)
そう思った瞬間だった。
周りの空気が、ほんのりきらきらした。
一瞬だけ。
でも確かに、きらきらした。
(……出た)
わたしは手の中の石を思い出した。今日は石を持っていないが、代わりに胸の中で一度止めた。呼吸を入れた。
きらきらが、すっと引いた。
(……止まった)
ルードが横でわたしを見ていた。気づいていたらしい。でも何も言わなかった。
ジルも気づいていたはずだ。こちらを見ていたから。
でも二人とも何も言わなかった。
(自分で止めたから、合格だと判断したのかもしれない)
「おいしいでしゅね」
「そうか、よかった」
お父様は知らなかったらしい。魔力が漏れたことに、気づいていなかった。
(ということは、規模が小さかった。お父様が反応しない程度に抑えられた)
これは成果だ。
市場を一通り歩いた後、広場に出た。
噴水がある広場だ。子どもたちが走り回っている。
そこで、一人の老婆に話しかけられた。
小柄な老婆で、白髪を後ろに束ねていた。目が鋭くて、わたしをじっと見てきた。
「あんたが、ヴェルターの末っ子かい」
「うん」
「ふうん。初めて見るね」
「うん」
老婆は少しの間、わたしを見てから、お父様を見た。
「大事にしなよ、旦那。この子は特別な子だから」
お父様が少し固まった。
「……どういう意味ですか」
「老婆の勘さ。悪い意味じゃないよ」
老婆はわたしにもう一度目を向けた。
「あんたは賢い子だね。自分のことが分かっている目をしている」
「そうでしゅか」
「そうだよ。大事にされなよ、この人たちに」
「うん、していただいていましゅ」
老婆は少し笑った。それから歩いて行った。
お父様がわたしを見た。
「フィア、今の老婆が何を言っていたか、分かるか」
「おとなのかんで、なにかわかったのでしゅか」
「……そうかもしれない」
「あのかた、わたしのまほうがわかりましゅか」
「分かる人間もいる。魔力に敏感な人間は、少ないがいる」
(そういう人間が他にもいる、ということか)
前世でいえば、専門知識のある人間は問題に気づきやすい。一般の人が気づかなくても、専門家には分かる。
(王家もそういう人間を持っている可能性がある)
王家の調査官が来た、という話を思い出した。
「お父様、きのうのおきゃくさまも、そういうひとでしゅか」
お父様が止まった。
「……先日の来客は、どうしてフィアが知っているんだ」
「まどからみましゅた。ぱっぱのもんしょうでしゅた」
(王家の紋章、と言いそうになったが止めた。知りすぎているのがばれると、情報が遮断される可能性がある)
「……見ていたのか」
「うん。あのひとも、まほうがわかるひとでしゅか」
お父様はわたしをしばらく見てから、静かに言った。
「……今日はここまでにしよう。帰るぞ、フィア」
「うん」
(アクセス制限。でも反応で確認が取れた。先日の来客は魔法に関係がある)
わたしはお父様の手を握り直した。
帰り道、ルードがわたしの隣を歩きながら小声で言った。
「フィア、賢すぎだぞ」
「そうでしゅか」
「父が驚いていた」
「ごめんなしゃい」
「謝らなくていい。ただ……」
ルードが少し笑った。
「もう少しだけ、気づかないふりをしてくれると、父の胃が助かる」
「……かんがえましゅ」
「頼む」
わたしはお父様の背中を見た。
少し肩が丸くなっている。考えごとをしているときの姿勢だ。
(心配をかけてしまった)
でも今日分かったことがある。
外には、わたしのことを知っている人間がいる。感じ取れる人間がいる。そして来客は、それに関係している。
(案件の全体像が、少しずつ見えてきた)
屋敷が見えてきた。
門をくぐりながら、わたしは今日の記録を頭の中でまとめた。
一、外出中、感情連動の魔力放出を一回自分で制御できた。
二、町の人々は、わたしのことをなんとなく知っている様子がある。
三、魔力に敏感な老婆に「特別な子」と言われた。
四、先日の来客への言及で、お父様の反応を確認。魔法に関係する人物と思われる。
(次の調査対象:来客の目的と、王家との関係)
屋敷に入ると、ジルが紅茶を用意して待っていた。
「お帰りなさいませ。いかがでしたか、外は」
「おおきかったでしゅ」
「そうですか」
「それと」
わたしは少し間を置いた。
「ルビーかが、おいしかったでしゅ」
ジルが穏やかに笑った。
「それはよかったです」
紅茶が温かかった。
今日は一歩、外に出た。
(本番環境へのアクセス、初日完了)
明日はもう少し、うまくやれると思う。




