第八話 ため息
庭の復旧が完了したのは、森になった翌々日のことだった。
魔法使いが三人で二日かけて、ようやく元に戻した。噴水も見えるようになった。花も適切な高さに戻った。生垣も屋根の高さに収まっている。
お父様はその報告を受けて、長いため息をついた。
わたしはその隣で、小さく頭を下げた。
「ごめんなしゃい、お父様」
「謝らなくていい、と何度も言っている」
「でも、みっかかかりましゅた」
「次からはしないようにすればいい。それだけだ」
「うん。れんしゅうしましゅ」
「ああ」
お父様はわたしの頭を撫でてから、また書類に向かった。
(顔色は昨日より少しだけ良くなっている。睡眠が取れたのかもしれない。改善を確認)
前世でも、障害が収束すると関係者の顔色が戻るのが常だった。今回の「障害」の収束は庭の復旧完了で、お父様の顔色が戻り始めた。
ただし、根本的な問題はまだ解決していない。
わたしの魔力制御だ。
その日の夕方、ジルとの練習を再開した。
魔力石を使った出力調整の練習だ。目標は「蛍の光」サイズで安定させること。
今日の課題は、感情が高ぶったときでも出力を一定に保つことだ。
「では、フィア様。今日は少し違う練習をします」
「うん」
「まず、いつも通りに石を光らせてください」
わたしは石を両手で包んだ。温かくなれ、と念じた。
石が、ふわりと光った。蛍くらいの明るさだ。
「よくできました」
「うん」
「では次に、わたしが少し驚かせます。そのときでも、同じ明るさを保てるかやってみましょう」
「わかりましゅ」
ジルが突然、手を叩いた。
パン、という大きな音がした。
石が、ぱっと明るくなった。部屋の隅まで照らした。
ジルのため息が聞こえた。一回目だ。
「……驚いてしまいましたね」
「ごめんなしゃい。おとがしましゅた」
「音に反応したわけですね。ではもう一度」
わたしはもう一度石を光らせた。蛍の明るさに戻した。
今度はジルが突然、声を上げた。
「フィア様、外に猫がいます!」
猫。
わたしは思わず窓を見た。
石が、また明るくなった。さっきより明るい。
ジルのため息が聞こえた。二回目だ。
「……猫に反応しましたね」
「ねこ、すきでしゅ」
「そうですね。では、その気持ちを持ったまま、石を小さく保てるか試してみましょう」
猫のことを考えながら、石を握った。ふわふわした猫。白くて柔らかそうな猫。一度でいいから触ってみたい猫。
石が、びかっと光った。
今日最大の明るさだった。
ジルのため息が聞こえた。三回目だ。
「……フィア様、猫への思い入れが強すぎます」
「ねこはとくべつでしゅ」
「そうですね。では猫以外で」
「うん。がんばりましゅ」
(感情トリガーの種類と強度に差がある。驚きは小、外部刺激への好奇心は中、猫は最大値。猫は特別カテゴリに分類が必要だ)
前世でもそういうことがあった。特定の処理だけ異常に負荷が高い、ということが。そういうときは、その処理だけ別の設定が必要になる。
猫に関しては、特別対応が必要かもしれない。
「では気持ちを切り替えて、もう一度最初からやってみましょう」
「うん」
今度は、何も考えないようにした。ただ石を光らせることだけを考える。
石が、蛍の明るさで光った。
「よくできました」
「うん」
「この状態を、できるだけ長く保てますか」
「やってみましゅ」
光を保ちながら、わたしは今日の練習を頭の中で整理した。
(感情が入らない状態なら、制御できる。感情が入ると、感情の強度に比例して出力が上がる。課題は、感情がある状態での制御だ)
これはシステムでいえば、通常処理は問題ないが、高負荷になると制御が難しくなる状態だ。解決策は二つある。高負荷時でも処理できるように制御システムを強化するか、高負荷になる前にリミッターをかけるか。
(魔法でいえば、感情が強くなる前に一度呼吸を入れて出力を抑えるか、感情があっても出力を一定に保てるようにするか)
「ジル」
「はい」
「かんじょうがたかぶったとき、いちどとめてから、ちいさくすることはできましゅか」
ジルが少し驚いた顔をした。
「……どういうことですか」
「ねこをみたとき、すぐにだすのではなく、いちどとめて、それからちいさくして、だす。そういうじゅんじょはできましゅか」
ジルはしばらく考えた。
「……理論上は、できます。ただ、それには相当な練習が必要です」
「うん。れんしゅうしましゅ」
「今日からですか」
「うん」
ジルはわたしをしばらく見てから、また小さくため息をついた。今日四回目だ。
「……フィア様は、本当に頭の回転が早いですね」
「そうでしゅか」
「はい。この練習の方向性は、正しいです。ただ」
「ただ?」
「少し、驚いています。この方法を自分で考えつくのは、普通の三歳では難しいです」
「そうでしゅか」
「……フィア様には、何か前世のような、別の記憶がおありなのでしょうか」
わたしは少し止まった。
(……気づいているのか)
ジルは何かを知っている人間だ。わたしが普通の三歳ではないことも、おそらく分かっている。
「……おとなのきおくが、すこしあるきがしましゅ」
曖昧に答えた。嘘ではない。
「そうですか」
ジルは深くうなずいた。それ以上は聞かなかった。
「では、今日教えた方法を少し練習してみましょう。感情が高ぶったとき、一度止めてから出す。これは魔法の制御だけでなく、フィア様自身にとっても良い習慣になります」
「うん」
「急がなくていいです。少しずつで十分です」
「うん。でも、はやくできるようになりたいでしゅ」
「なぜですか」
「お父様のために、でしゅ」
ジルが少し目を細めた。
「お父様の胃袋のため、ですか」
「うん」
「……そうですね。旦那様のためにも、頑張りましょう」
ジルが珍しく、くすりと笑った。
練習が終わった後、わたしは窓の外を見た。
庭が元に戻っている。噴水が見える。手入れの行き届いた花が、夕日を受けている。
あそこを森にしてしまったのは、わたしだ。
でもみんなが直してくれた。怒らなかった。
(この家族は、わたしの失敗を怒らない)
前世では、失敗すると怒られた。システム障害を出すと始末書を書かされた。再発防止策を提出して、上司に謝った。
ここでは違う。
失敗しても「次からしなければいい」と言われる。「怪我がなかったからいい」と言われる。「綺麗だった」と笑ってくれる。
(……そういう環境は、前世では知らなかった)
だからこそ、ちゃんと制御できるようになりたい。
失敗をなかったことにするためではなく、みんなが心配しなくて済むように。
ジルが部屋から出ていきながら言った。
「フィア様、今日は本当によく頑張りました」
「うん。でも、ためいきが四かいでしゅた」
「……数えていたのですか」
「うん。さくじつは五かいでしゅた。きのうより一かいへりましゅた」
「……改善しています」
「うん。あしたは三かいをめざしましゅ」
ジルはドアの前で少し止まった。
「フィア様」
「うん」
「わたしのため息を減らそうとしてくださっているのですか」
「うん。ためいきは、からだによくないでしゅ」
ジルはしばらく黙った。
「……ありがとうございます、フィア様」
「うん。いっしょにがんばりましゅ」
扉が閉まった。
わたしはノートを開いた。
今日の練習記録。感情トリガーの種類と強度。驚き:小。外部刺激:中。猫:最大値(特別カテゴリ)。
最後に一行足した。
本日のジルのため息カウント:四回。前日比マイナス一回。改善中。
目標:三回。
(明日も練習しよう)
窓の外の庭が、夕闇に沈んでいた。
噴水のそばに、白い猫が一匹いた。
わたしは石を握った。
一度止めた。呼吸を入れた。
それから、そっと光らせた。
蛍の明るさだった。
(……できた)
猫が、光に気づいてこちらを見た。
わたしは窓ガラスに手を当てた。猫は少しの間こちらを見てから、興味をなくしたように歩いていった。
(猫でも、制御できた)
まだ一回だけだ。でも、できた。
数字は正直だ。ゼロだったものが、一になった。
それで今日は十分だった。




