第七話 妹が笑うたびに困っています
フィアが生まれたとき、ルードは九歳だった。
その日のことをよく覚えている。屋敷中が慌ただしくなって、使用人が走り回って、父が書斎に籠もって出てこなかった。子どもだったルードには、何が起きているのか分からなかった。
夜になって、ジルが呼びに来た。
「ルード様、妹さんがお生まれになりました」
連れられて母の部屋に行くと、母が小さな赤ん坊を抱いていた。真っ白な肌で、目をつぶっていた。
「ルード、妹よ」
母が言った。そのときの母の顔は、今でも忘れない。
嬉しそうだったが、どこか複雑な顔だった。
赤ん坊を見たルードは、最初に一つのことを感じた。
なぜか、この子は普通じゃない。
根拠はなかった。ただ、そう感じた。
フィアが生まれた翌朝、父がルードを呼んだ。
書斎で向かい合った父の顔は、疲れていたが、真剣だった。
「ルード、フィアのことを話す」
「はい」
「この子には、特別な力がある。まだ赤ん坊だが、生まれたときからすでに魔力が外に漏れ出ている。今は微量だが、成長するにつれて増える」
「どのくらい特別なんですか」
「ヴェルター家で、これほどの魔力を持って生まれた子は、記録上は二百年前に一人だけいる」
ルードは黙って聞いた。
「その子は、国に連れ去られた」
父の声が少し低くなった。
「連れ去られた、というのは」
「王家が、魔力の強い者を囲い込もうとすることがある。表向きは保護という名目で。でも実際は、国のために使おうとする。二百年前の子も、そのようにして王宮に連れていかれた。その後、どうなったかは……記録にない」
ルードは自分の手を見た。
「だから、フィアを隠すんですか」
「そうだ。少なくとも、フィア自身が自分の力を制御できるようになるまでは。外に知れ渡ると、動かれる前に先手を打ってくる可能性がある」
「俺は、何をすればいいですか」
父はルードを見た。
「お前にも、フィアを守る手伝いをしてほしい」
「分かりました」
その日から、ルードはフィアを守ることを、自分の仕事にした。
三年が経った。
フィアが三歳になった今、ルードは十二歳だ。
毎朝フィアの魔力状態を確認する。来客があれば先回りして遠ざける。庭に出るときは付き添う。それがルードの日常になっていた。
面倒だとは思わない。
むしろ、楽しいとさえ思っている。
なぜかというと、フィアが面白いからだ。
今日も朝から面白いことが起きた。
庭の復旧作業を見ながら、フィアが隣に立っていた。
「おにいしゃま、さくじつとくらべて、ここがへりましゅたね」
三歳児が、復旧の進捗を確認している。
「……そうだな」
「このぺーすだと、あとふつかかかりましゅか」
「魔法使いたちの話では、明日中に終わるそうだ」
「そうでしゅか。よかったでしゅ」
フィアはノートに何かを書いた。
三歳児が、ノートに記録をつけている。しかも毎日欠かさず。
(この子は、本当に何者なんだ)
三歳にしては、明らかにおかしい。物事の観察が細かすぎる。言葉が早い。論理的に考える。お父様の顔色の変化に気づく。ジルのため息を数える。
魔力だけでなく、中身も普通じゃない。
「フィア、一つ聞いていいか」
「うん」
「お前は、なぜそんなに色々なことに気づくんだ」
フィアがルードを見上げた。丸い目だ。真剣な目でもある。
「……きになるので」
「何が気になるんだ」
「みんなのことが、きになりましゅ」
「なぜ」
「みんな、わたしのことをしんぱいしてくれていましゅ。だから、わたしもみんなのことをしんぱいしましゅ」
ルードは少し黙った。
(三歳が言う言葉じゃない)
「……賢いな、フィアは」
「そうでしゅか」
「ああ。怖いくらい賢い」
「こわい、でしゅか」
「良い意味でだ」
フィアは少し考えてから、また庭に目を向けた。
「おにいしゃまも、しんぱいでしゅか。わたしのこと」
「心配だ」
「なぜでしゅか」
「妹だから」
「それだけでしゅか」
ルードは少し驚いた。それだけで十分な理由だと思っていた。
「……フィアは、もっと理由がほしいのか」
「うん」
正直な答えだ。
「じゃあ、もう一つ言う。フィアが面白いからだ」
「おもしろい、でしゅか」
「毎日、予想外のことをする。飽きない」
フィアがくすくすと笑った。
その瞬間だった。
庭に残っていた花が、一斉にぱっと開いた。
朝露をまとった白い花びらが、光を受けてきらきらと輝いた。
復旧作業中の魔法使いたちが、動きを止めて花を見た。
ルードも見た。
確かに、綺麗だった。
でも同時に、魔力計測石が懐の中でほんのり光ったのを感じた。
(またフィアの魔力が漏れ出た。笑ったときに連動している)
これが問題だ。
フィアの魔力は、感情に連動して放出される。特に笑ったときと、何かを綺麗だと感じたときに顕著だ。
フィアに笑うなとは言えない。
笑うなと言えるわけがない。
でも笑うたびに魔力が漏れ出る。
「おにいしゃま、またでましゅか」
フィアが自分の手を見ながら言った。
「少しだけな。花が開いた」
「ごめんなしゃい」
「謝らなくていい。綺麗だったから」
「うん。でも、もれないようにしたいでしゅ」
「練習で制御できるようになる。ジルも言っていただろう」
「うん。でも、かんじょうのぶぶんはむずかしいでしゅ」
三歳児が「感情の部分は難しい」と言っている。
(この子はどこまで分かっているんだ)
「……ジルに相談してみろ。感情と魔力の切り離し方も、たぶん方法がある」
「うん、そうしましゅ」
「俺も、一緒に考える」
「ありがとうでしゅ、おにいしゃま」
フィアが笑った。
また花が少し開いた。
ルードは密かに深呼吸した。
夜、ルードは自分の部屋で父に手紙を書いた。
父は今日、王都に一日出かけていた。帰りが遅くなると朝に言っていた。
「父上、今日のフィアの状況を報告します。庭の復旧は順調です。フィアの魔力制御の練習は継続中ですが、感情連動の部分については引き続き課題があります。ただし、フィアは自覚があり、制御しようと努力しています。それと」
少し止まってから、続けた。
「フィアは、俺たちのことをよく見ています。心配しています。三歳なのに、父上の顔色を読んで声をかけてきます。父上の食欲が落ちていることも気づいていました。食事を完食するよう声をかけたのも、フィアです。この子は、守られるだけでなく、守ろうとしています。父上もお気をつけください。フィアに心配をかけないように、どうかご自愛を」
手紙を封じた。
窓から夜空を見た。
(フィアが生まれてきてよかった)
守る仕事は大変だ。毎日気が抜けない。でも。
(この子がいると、毎日何かが起きる)
笑うたびに花が咲く妹。記録をつける三歳児。お父様の顔色を心配する幼女。
大変だが、退屈じゃない。
ルードは窓を閉めた。
明日も、フィアの隣に立とう。
それがルードの、今のところ一番やりたいことだった。




