第六話 お父様が倒れそうです
庭が森になった翌朝、お父様の顔色が過去最悪になっていた。
朝食の席でそれは明らかだった。目の下に隈がある。書類を持つ手が、昨日より少し力がない。紅茶を一口飲んで、また書類に目を落とす。その繰り返しだ。
(これは緊急アラートレベルだ)
前世でいえば、深夜の障害対応が明け方まで続いて、そのまま朝の会議に出てきた上司の顔だ。顔色が悪い。集中力が落ちている。でも休まない。
問題は、その状態を引き起こしたのがわたしだということだ。
「おとうさま」
「ん? なんだ、フィア」
「きのう、よくねむれましゅたか」
お父様がわたしを見た。少し驚いた顔だ。
「……少し考えごとがあってな」
「庭のことでしゅか」
「いや、それは別に」
「うそでしゅ」
お父様が固まった。
「……フィアは」
「あのあと、ジルとおはなしをしていましゅたよね。ふたりとも、声がちいさかったでしゅが、ながかったでしゅ」
「……聞こえていたのか」
「おへやのとびらのしたから、あかりがもれていましゅた。よるおそくまでついていましゅたので」
お父様はしばらくわたしを見てから、小さくため息をついた。
「……フィアには、敵わないな」
「ごめんなしゃい。しんぱいをかけましゅた」
「謝らなくていい」
「でも」
「フィアのせいじゃない」
お父様は書類を置いた。珍しいことだ。食事中に書類を手放すのは、今まで見たことがなかった。
「フィア、一つだけ聞いていいか」
「うん」
「昨日の庭のことは、怖くなかったか。自分でもびっくりしたか」
「びっくりはしましゅた。でも、こわくはなかったでしゅ」
「なぜ」
「お父様がきてくれましゅた。だから」
お父様が少し目を細めた。
「……そうか」
「お父様がいれば、だいじょうぶでしゅ」
しばらく沈黙があった。
お父様が立ち上がって、わたしの隣に来た。しゃがんで目線を合わせた。
「フィア、父はどんなことがあっても、お前のそばにいる。分かるか」
「うん」
「だから、怖いことがあったら必ず言うんだ」
「うん。でも」
「でも?」
「お父様のほうが、たいへんそうでしゅ」
お父様が少し笑った。今日初めての笑顔だった。
「……そうかもしれないな」
「おからだにきをつけてくだしゃい」
「ああ、そうする」
(この人の胃が持つかどうか、本気で心配だ)
午前中、庭の復旧作業が始まった。
屋敷の使用人たちが総出で、巨大化した植物を元に戻す作業をしていた。でも普通の道具では歯が立たないらしく、魔法使いが呼ばれていた。
わたしは二階の窓から作業を見た。
(被害規模の確認中)
噴水は大樹に完全に囲まれていて、見えない。庭の通路だった場所には草が生い茂っている。生垣は屋敷の屋根より高くなっていた。
(……思っていたより、だいぶ大規模だ)
魔法使いが三人がかりで植物を縮小しようとしているが、なかなか進まない様子だ。花一本を元の大きさに戻すのに、相当な魔力を使っているように見える。
(わたしが一瞬で出した魔力を、三人がかりで戻している。つまりわたしの魔力は、この三人分より多かったということだ)
前世でいえば、一台のサーバーが出したトラフィックを処理するために、三台のサーバーが必要な状態だ。
(これは確かに問題だ)
ジルが部屋に入ってきた。
「フィア様、窓から見ていらっしゃいましたか」
「うん。ごめんなしゃい、ジル」
「謝らなくて結構です」
「でも、みんながたいへんでしゅ」
「復旧は大丈夫です。少し時間がかかりますが」
「まほうつかいが、みっかかかっていましゅ」
「……よくご覧になっていますね」
「うん。あのひとたち、さんにんでも、むずかしそうでしゅ」
ジルは少し間を置いた。
「……はい、少し手こずっているようですね」
「わたしのまほうのほうが、おおきかったでしゅか」
「……量で言えば、そうなります」
「そうでしゅか」
わたしは窓の外を見た。三人の魔法使いが汗だくで作業している。
「れんしゅう、もっとがんばりましゅ」
「はい、一緒に頑張りましょう」
「おとうさまの胃のために」
ジルが少し噴き出した。
「……はい、旦那様の胃のためにも」
昼食は、いつもより静かだった。
お父様は食事の量が少ない。いつもはしっかり食べるのに、今日はパンを半分残した。
(これは胃に来ている。案件が悪化している)
前世でいえば、連日の深夜対応でご飯が食べられなくなった状態だ。体がもたない。
「お父様、たくさんたべてくだしゃい」
「……そうだな」
「たべないと、からだがよわくなりましゅ」
「フィアに言われてしまったな」
お父様はパンをもう一口食べた。
(少し食べた。改善だ)
「お父様、今日はおしごとをおやすみできましゅか」
「それは難しい」
「なぜでしゅか」
「やることがあるから」
「わたしのことでしゅか」
お父様が少し止まった。
「……色々とある。フィアのことも含めて」
「ごめんなしゃい」
「謝らなくていい、と何度言えば」
「でも、わたしがいなければ、お父様はたいへんではなかったでしゅ」
お父様が箸を置いた。正確には、この世界にはフォークだったが。
「フィア」
「うん」
「お前がいなければ、父はもっとたいへんだった」
「え」
「お前が来てくれたから、父はここまでやってこられた」
わたしは少し驚いた。
「……どういうことでしゅか」
「今はまだ、全部は話せない。でも、フィアが生まれてきてくれたことは、父にとって何より大切なことだ」
(……これは感情的な発言として処理するべきか、それとも何か情報が含まれているのか)
前世のシステム管理者としての習性で、すぐに分析しようとしてしまう。でも今は違う。
これはただ、お父様がわたしに伝えたかった言葉だ。
「うん」
わたしは短く答えた。
「ありがとうでしゅ、お父様」
「礼を言うのはこちらだ」
お父様は残っていたパンを全部食べた。
(完食。改善確認)
夕方、お兄様が帰ってきた。
学校か、訓練か、どこかに行っていたらしい。汗を拭きながら廊下を歩いてきて、わたしを見つけると足を止めた。
「フィア」
「おにいしゃま、おかえりなしゃい」
「……庭を見た」
「うん」
「お前がやったのか」
「うん。ごめんなしゃい」
お兄様はしばらく黙っていた。
「怪我はなかったか」
「なかったでしゅ」
「そうか」
また少し黙った。
「……あの庭、結構好きだった」
「え」
「元の庭が、ということだ。父が手入れしていたから」
「そうでしゅか。ごめんなしゃい」
「復旧するから問題ない。ただ」
お兄様が少し遠くを見た。
「今日、庭を見て笑った使用人がいた」
「え」
「森みたいになっていて、面白かったと言っていた」
「そうでしゅか」
「俺も、少し笑った」
(お兄様も笑っていた)
「ごめんなしゃい」
「謝らなくていい。面白かったのは本当だから」
お兄様はわたしの頭を撫でた。
「ただ、次はせめて花畑くらいで止めてくれ。森にはしないで」
「れんしゅうしましゅ」
「頼む。父の胃が持たない」
「うん。わたしも、そうおもいましゅ」
お兄様がわたしを見た。それから、少し笑った。
「……フィアは、本当によく見ているな」
「うん。みんなのこと、しんぱいでしゅ」
「俺たちも、フィアのことが心配だ。お互い様だな」
(お互い様、か)
前世では、誰かの心配をしながら、自分も心配されるという関係はあまりなかった。どちらか一方が心配する、という関係が多かった。
でもここでは、わたしも心配して、わたしも心配される。
対等だ。
(……これが、家族というものか)
前世で家族と呼べるものが薄かったわたしには、少し新鮮だった。
「おにいしゃま」
「なんだ」
「あした、いっしょにおにわにいきましゅか。ふっきゅうさぎょうを、みたいでしゅ」
「見たいのか」
「うん。じぶんがやったことでしゅので」
お兄様はしばらく考えてから、うなずいた。
「分かった。一緒に行こう」
「ありがとうでしゅ」
夕日が廊下に差し込んでいた。
庭の方から、魔法使いたちの声が聞こえた。まだ作業が続いているらしい。
(明日には終わるだろうか。お父様の胃のためにも、早く終わってほしい)
わたしはノートを取り出した。今日の記録を書く。
一、お父様の顔色、過去最悪。睡眠不足と食欲低下を確認。改善策として声かけを実施、昼食完食を確認。
二、庭の復旧作業、魔法使い三人で進行中。わたしの魔力の規模感を改めて確認。
三、お父様から「フィアがいなければもっとたいへんだった」という言葉を受領。意味はまだ不明だが、重要な発言として記録。
四、お兄様も庭を見て笑っていたことが判明。
最後に一行だけ足した。
五、この家族と一緒にいると、心配事が多いが、悪くない。
そう書いてから、少し考えて、消した。
消してから、また書いた。
今度は消さなかった。




