第十三話 一冊だけ鍵がかかっていました
屋敷の図書室に入ったのは、ある雨の日だった。
外は雨で庭に出られない。お父様は出張で王都に行っている。ルードは訓練。ジルは来客対応で忙しい。
(珍しく、監視が薄い日だ)
前世でいえば、上司も先輩もいない日に会社に来た状態だ。やれることが増える。
わたしはジルに「図書室で本を読んでいたいでしゅ」と伝えた。ジルは「用事が終わったら様子を見に行きます」と言って、了承してくれた。
図書室は屋敷の一階、廊下の奥にある。重い扉を押して入ると、天井まで届く棚に本が並んでいた。
(これは大規模なデータベースだ)
前世でいえば、会社のサーバーに全社のファイルが格納されているような状態だ。どこに何があるか、まだ全部は分からない。
まず全体を把握しよう。
わたしは棚を端から見ていった。
図書室の本は、ジャンルごとに分かれているようだった。
左側の棚は歴史書。王国の歴史、他国との関係、過去の戦争記録。
中央の棚は魔法関係。魔法の理論、魔法植物の図鑑、魔法道具の作り方。
右側の棚は家の記録らしいものが多い。ヴェルター家の系譜、農地の記録、財務の記録。
(これは重要なアーカイブだ)
わたしは棚を一通り確認しながら、気になる本を手に取って中を開いた。三歳なので、難しい字は読めない部分もある。でも絵のある本や、簡単な字で書かれた本は読める。
魔法植物の図鑑を開いた。ルーナ草の項目があった。「魔力を持つ者が触れると成長する」と書いてあった。やはりそういうことだったか。
次に、魔法の理論書を開いた。難しくて、半分くらいしか読めなかった。でも「魔力の総量は生まれた時に決まる」という一文は読めた。
(生まれた時に決まる。変えられないということだ)
わたしの魔力の量は、変えられない。制御の精度を上げることはできるが、量そのものは変えられない。
それを踏まえた上で、どうするかを考える必要がある。
右側の棚の奥まで来たとき、一冊の本が目に入った。
他の本と少し違う。
革表紙で、他の本より厚い。背表紙に文字があるが、わたしには難しい字で書かれていて読めない。
そして、金属の留め具がついていた。
鍵だ。
(アクセス制限がかかっているファイルだ)
前世でいえば、特定の権限を持つ人間しか開けないファイルに相当する。こういうものは大抵、重要な情報が入っている。
手を伸ばした。届かない。棚の中段にあって、三歳の身長では届かない。
近くにあった踏み台を引っ張ってきた。乗ると、ようやく届いた。
本を取り出した。重い。
表紙をよく見た。金属の留め具は、鍵穴がある。小さな鍵が必要だ。
(鍵はどこにあるのか)
本の中は見られないが、外側だけでも観察できる。革表紙はかなり古い。表面が少しすり切れている。でも大事にされているらしく、埃はない。定期的に手入れされている。
(これは重要な本だ。そしてこの屋敷の誰かが、定期的に手入れをしている)
わたしは本を元の場所に戻した。踏み台も戻した。
(今日のところはここまでだ)
情報収集の基本は、一度に全部取ろうとしないことだ。気づかれると、次からアクセスできなくなる。
ノートを取り出して、今日の記録を書いた。
図書室の構成。魔法植物図鑑の内容。魔力は生まれ持った量が固定。鍵のかかった本、棚の右側奥の中段、革表紙、厚い。
しばらくして、ジルが図書室に来た。
「フィア様、こちらにいらっしゃいましたか」
「うん。ほんをよんでいましゅた」
「何を読んでいたのですか」
「まほうしょくぶつのずかんでしゅ。ルーナそうがのっていましゅた」
「そうですか。勉強熱心ですね」
(ジルは棚の奥には気づいていない様子だ)
「ジル、この図書室の本は、ぜんぶよんでいいでしゅか」
「ほとんどは読んでいただいて構いません。ただ、難しいものもありますが」
「むずかしいものでもよいでしゅか」
「読む分には構いません。理解できなければ、聞いてください」
「うん。それと」
「はい」
「よめないほんもありましゅか」
ジルが少し止まった。
「……よめない、というのは」
「むずかしいじで、よめないほんでしゅ。それとも、ひらいてはいけないほんでしゅか」
ジルはわたしを見た。
「……なぜそう思うのですか」
「むかし、かいしゃのひとがいっていましゅた。にんげんがよめないものは、よめない字のものと、みてはいけないものの、ふたつがあるって」
ジルはしばらく黙っていた。
「……フィア様は、何か見つけましたか」
「うん」
「どこにあるものですか」
「みぎのたなのおく。かわのひょうし。かなぐのついたほんでしゅ」
ジルの表情が、わずかに変わった。
「……見てしまいましたか」
「みただけでしゅ。あけていましぇん。かぎがありましゅた」
「そうですか」
「あのほんは、よんではいけないでしゅか」
ジルはしばらく考えてから答えた。
「……今は、まだです」
「もうすこしおおきくなったら、でしゅか」
「はい」
「わかりましゅ。まちましゅ」
ジルが安堵したような顔をした。
「ありがとうございます、フィア様」
「うん。でも、あのほん、だいじなほんでしゅよね」
「……はい、そうです」
「おとうさまのほんでしゅか」
「……ヴェルター家の本です」
「そうでしゅか」
(ヴェルター家の本。鍵がかかっている。定期的に手入れされている。重要なアーカイブだ)
「ジル、もうひとつきいていいでしゅか」
「……なんでしょう」
「あのほんに、わたしのことがかいてありましゅか」
長い沈黙があった。
「……書いてあります」
「そうでしゅか」
「それ以上は、今は」
「わかりましゅ。ありがとうでしゅ」
わたしはノートを閉じた。
(鍵のかかった本に、わたしのことが書いてある。内容は今はまだ教えてもらえない)
でも確実に、情報は近づいてきている。
「ジル、また図書室にきていいでしゅか」
「もちろんです。ただし」
「うん」
「あの本には触れないでください」
「やくそくしましゅ」
「ありがとうございます」
二人で図書室を出た。
廊下を歩きながら、わたしは考えた。
鍵がかかった本。わたしのことが書いてある。
(いつかあの本を読む日が来る。その日のために、もっと字を勉強しよう)
そう決めた。
前世でも、アクセス権が付与された日のために、準備をしてきた。
今回も同じだ。
その日が来たとき、ちゃんと読める準備をしておく。




