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飼育員・陽菜

挿絵(By みてみん)


俺が最初に陽菜を見たのは、モルモット舎の前だった。


白いシャツに飼育用のエプロン。目元には淡い茶色のまつ毛。

彼女は笑っていた。小さなモルモットを抱きかかえながら、優しく話しかけていた。


「この子、昨日より少し元気になったんですよ」


その声が耳に残った。柔らかくて、風のように心地よくて、

それでいて俺の中の何かを、ゆっくりと焼いた。


俺と陽菜は同じ飼育員だ。

けれど、彼女は特別だった。


動物にも、人にも、平等に優しい。

誰にでも笑顔を見せる。

そのくせ俺には、どこか線を引いているように見えた。

俺に対して笑顔をほとんど見せないからだ。


最初はその距離に戸惑った。

次第に苛立ちが募っていった。


なぜ俺だけに笑顔を見せない?

なぜ、他の人たちには気を許すんだ?

――そんな思考が毎日、檻の隙間から染み出すように広がっていった。


そして今日。

陽菜は閉園後の動物病舎にいた。

小屋の清掃をするために、一人で残っていた。


「お疲れさまです、陽菜さん」


俺の声に、彼女は振り返る。

「お疲れ様です」と素っ気なく言った。

その瞬間、俺は決意した。


背中に隠していた包丁が汗で重く感じる。


「最近、仕事大変じゃないですか?」


陽菜は無視して清掃を続ける

どうして、俺だけ笑顔を見せてくれない?


「ねぇ、陽菜さんってさ……なんで俺には、そんな距離を置くんですか?」


「え……?」


表情が曇る。俺は一歩、近づく。

彼女が身を引いた。

その瞬間、俺の中で何かがはっきりと壊れた。


「俺、ずっと……見てたんですよ」


吐息が震える。


「檻越しに微笑むあんたを、動物に触れるあんたを……毎日、夢に見るくらい、見てたんですよ」


「やめてください……!」


逃げようとする陽菜の腕を掴む。

その細さ。温度。香り。全てが、欲望を煽った。


「逃げないでよ。やっと触れられたんだ」


彼女の悲鳴が病舎の中で吸い込まれる。

その瞬間、包丁を振るった。

鋭く、正確に、彼女の脇腹を刺した。


ブスリ


「あ……っ……!」


右手に僅かな抵抗を感じた。

陽菜の身体がくずれる。

シャツがじわじわと赤く染まる。

倒れそうになった彼女の肩を抱き留める。

細い身体が俺の腕の中で小さく震える。


「柔らかい……」


俺は彼女の身体を仰向けにし、床に寝かせた。

痛みで眉をひそめたまま、彼女は俺を見ていた。


「なんで……」


問いかけに答えず、俺は再び刃を突き立てた。

腹に。

胸に。

そのたびに彼女の身体が跳ね、シャツが裂け、血が滲む。


でも、彼女は——美しかった。


命が抜けていくその表情すら、神聖な静けさを纏っていた。


「やっぱり、あんたは……どこまでも綺麗だ」


最後の吐息が彼女の唇を離れたとき、

動物舎は一瞬、完璧な静寂に包まれた。


俺は血まみれの手で、彼女の髪を撫でた。

その柔らかさは、生きていた頃と変わらなかった。


彼女の死に際があまりに静かで、

それはまるで、

死さえも彼女の美しさに従ったかのようだった。

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