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神様(かみ)じゃなくて紙幣(かみ)をくれ!  作者: 余白 ことの


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② 放課後の学園

 瑞穂学園の放課後は、思っていた以上に賑やかだった。


 廊下を行き交う生徒たちの中には、スポーツバッグを抱えた者もいれば、見慣れない道具の入った木箱を運ぶ者もいる。


 中庭では、白い紙を何枚も宙に浮かべた生徒が、教師に何やら注意されていた。


「あれは……?」


 桜が尋ねると、千穂はちらりと中庭を振り返った。


「ああ、術式研究会ね。あそこ、たまに変な実験してるのよ」


「この前は紙が全部燃えちゃったんだよね」


 月乃が補足する。


「大丈夫だったの?」

「うん。燃えたのは紙だけだったから」

「……だけ?」

「先生にはものすごく怒られてたけどね」


 桜は思わず苦笑した。

 瑞穂学園には、普通の学校で見かけるような部活動のほかに、契約者や術者のための活動もある。

 もっとも、生徒たちにとってはどちらも日常の一部らしい。


「そういえば、桜ちゃんは何かやってみたいことあるの?」


 月乃に尋ねられ、桜は少し考えた。


「まだ決めてないんだけど……せっかくだから、いろいろ見てみたいなって」


「それがいいと思う。うち、部活の数が多いから」

「運動部も結構あるしね。あ、でも、剣道部は初心者でも入れるわよ」


 千穂がそう言うと、月乃が小さく笑った。


「千穂ちゃん、勧誘?」

「違うわよ。選択肢の一つとして言っただけ」

「ふふ。そうなんだ」

「何よ、その笑い方」

「何でもないよ」


 千穂は少し不満そうだったが、それ以上は追及しなかった。

 やがて三人は、校舎から体育施設へ続く渡り廊下に出た。

 窓の向こうには広いグラウンドがあり、その奥にいくつもの建物が並んでいる。


「正面が第一体育館。その隣が武道館で、剣道場は一階よ」

「広いんだね」

「小学校から大学まであるからね。もちろん、全部の施設を一緒に使ってるわけじゃないけど」

「最初は覚えるの大変だったよ」


 月乃がしみじみと言う。


「月乃の場合、覚える前に変なところへ行っちゃうからでしょ」

「古い建物って、つい気になっちゃうんだよね」

「だからって、使ってない階段を上がっていかないでよ」

「ちゃんと戻ってきたよ?」

「迷子になってからね!」


 桜は二人のやり取りに笑った。


 月乃は大人しそうだけれど、興味のあるものには積極的らしい。

 千穂が何かと世話を焼く理由も、少し分かった気がした。

 武道館に近づくにつれ、威勢のいい掛け声が聞こえてきた。


「そろそろ始まってるかな」


 千穂が腕時計を確かめる。


「桜ちゃん、少し見学していく? 先生に聞いてみるけど」

「いいの?」

「もちろん。今日は普通の稽古だし」

「じゃあ、お願いしてもいい?」

「任せて」


 千穂は笑って頷いた。


「月乃はどうする?」

「私は図書館に寄ってから部室に行くね。今日中に調べたいことがあるから」

「そっか。じゃあ、また明日」

「うん。桜ちゃんも、またね」

「ありがとう、月乃ちゃん」


 月乃は二人に手を振り、図書館へ続く廊下を歩いていった。


 その後ろ姿を見送ってから、千穂が武道館の扉を開ける。

「じゃ、行こっか」

     ◇

 剣道場に入ると、竹刀が打ち合う乾いた音が響いていた。

 床を踏み込む足音と、気合いの入った声。

 広い道場では、すでに何組かの生徒が稽古を始めている。


「ちょっと待っててね」

 千穂は桜を入口近くの見学スペースに案内すると、顧問の教師のところへ向かった。

 事情を説明しているらしく、教師が桜の方へ顔を向けて頷く。

 やがて戻ってきた千穂は、にっこり笑った。


「大丈夫だって。そこなら見学してていいそうよ」

「ありがとう!」

「私は着替えてくるね。帰るときは先生に一声かけてくれればいいから」

「うん。部活、頑張ってね」

「ありがと!」


 千穂は道着袋を抱え、更衣室へ向かった。

 一人になった桜は、道場の端に用意された長椅子へ腰を下ろした。

 竹刀が打ち合う音に混じって、あちこちから威勢のいい声が聞こえてくる。


 その中に、ひときわ聞き覚えのある声があった。


「だから、そこで止まるなって!」


 優だった。


 紺色の剣道着と袴を身につけ、一年生らしい男子生徒の隣に立っている。


「打ったあとに足止めたら、次の動きが遅れるだろ。もう一回やってみ」

「はい!」


 一年生が竹刀を構え、前へ踏み込む。

 優はその動きを確かめながら頷いた。


「うん、今の方がいい。あとは肩に力入れすぎんなよ」

「でも先輩、どうしても緊張しちゃって……」

「最初はそんなもんだって。俺も昔、先生に散々言われたし」

「八坂先輩もですか?」

「そりゃそうだろ。最初からできる奴なんかいねぇよ」


 優は笑いながら、一年生の足元を指さした。


「ほら、もう一回。今度は足の運びだけ意識してみ」


 桜は少し驚いた。


 教室での優は、よく騒いで、よく笑って、時々先生に叱られている。

 けれど、今は後輩の質問に丁寧に答えながら、真剣に稽古を見ていた。

 何より、その声がとても楽しそうだった。


「……八坂くん、剣道好きなんだね」


 桜が小さく呟いたときだった。


「八坂!」


 顧問の声が飛んだ。


「はい!」


「お前、自分の稽古はどうした!」

「ちゃんとやってます!」

「見取り稽古をしろと言っただろう!」

「見てますって! めちゃくちゃ見てます!」

「そういう意味じゃない!」


 道場のあちこちから笑い声が上がった。

 優は不満そうに口を尖らせる。


「だって、見てるだけじゃつまんないんですよ!」

「怪我人が贅沢言うな!」

「もうだいぶ治ってます!」

「じゃあ右肩を上げてみろ」

「…………」

「八坂?」

「……今日はやめときます」

「最初からそうしろ!」


 桜は思わず口元を押さえた。


 どうやら、真面目なところもあるけれど、やっぱり優は優らしい。

 その後も優は、顧問の指示に従って稽古を見学したり、足さばきの練習をしたりしていた。


 時折、一年生から質問を受ければ、身振りを交えて答えている。

 右肩が痛むらしく、無理に竹刀を振ることはしなかった。


 一方、道場の反対側では、女子剣道部の稽古も始まっていた。


 着替えを終えた千穂も、真剣な表情で竹刀を構える。

 先ほどまで桜と笑いながら話していた少女とは、また違う雰囲気だった。

 相手の動きをじっと見極め、無駄のない足運びで間合いを詰める。


 そして、ほんのわずかな隙を逃さず、鋭く踏み込んだ。


「面!」


 乾いた打突音が響く。


「一本!」


 審判役の生徒が声を上げた。

 千穂はすぐに姿勢を整え、相手と向き合った。

 その姿には、普段の世話焼きな雰囲気とは違う、凛としたものがあった。


 桜はしばらく、二人の稽古を見学していた。

 優も千穂も、教室ではよく言い合いをしている。

 けれど、剣道場ではそれぞれが自分のやるべきことに集中していた。


 瑞穂学園には、まだ知らないことがたくさんある。

 そして、クラスメイトにも、まだ知らない一面があるのだろう。


 そう思うと、これからの学校生活が少し楽しみになった。



しばらくして、桜は長椅子から立ち上がった。

 見学を始めてから、ずいぶん時間が経った気がする。


 千穂はまだ稽古の途中だった。

 桜は邪魔にならないよう道場の端を通り、顧問の教師に礼を言って外へ出た。

 武道館の廊下は、道場の中とは打って変わって静かだった。


「さて……」


 せっかくなので、帰る前に図書館へ寄ってみよう。

 そう考えて歩き出したところで、背後から声がした。


「あれ、八重垣?」


 振り返ると、道場の入口から優が出てきたところだった。


「八坂くん。もう部活終わったの?」


「いや、俺だけ先に上がれって。肩治るまで無理すんなってさ」

「そっか。大丈夫?」

「大丈夫大丈夫。今日はほとんど見てただけだし」


 優はそう言って右肩を軽く回しかけ、途中で動きを止めた。


 桜は何も言わなかった。

 ただ、少しだけ首を傾げた。


「……何だよ」

「ううん?」

「何か言いたそうな顔してる」

「気のせいだよ」

「絶対嘘だろ」 


 桜がくすくす笑う。

 優は小さくため息をついた。


「……分かったよ。帰ったら休むって」

「ふふ。そうしてね」

「お前、うちの母ちゃんみたいなこと言うな」

「八坂くんのお母さん、優しい人なんだね」

「まあな。ちょっと甘やかしすぎるとこあるけど」

「そうなんだ」

「俺、もう十七歳なんだけどなぁ……」


 優が何やら遠い目をしたので、桜はまた笑ってしまった。


「八重垣はこれから帰るのか?」

「ううん。図書館を見てから帰ろうかなって」

「ああ、図書館ならこの廊下をまっすぐ行って、二つ目の角を左だな」


「ありがとう」

「迷ったら誰かに聞けよ。うちの学校、変に広いから」

「うん。八坂くんも気をつけて帰ってね」

「おう!」


 優は軽く手を振り、更衣室の方へ戻っていった。

 桜も教えてもらった廊下を歩き始めた。

 遠くから、まだ剣道部の掛け声が聞こえている。

 桜はその声を聞きながら、少しだけ笑った。


     ◇



 瑞穂学園の図書館は、桜が想像していたよりもずっと大きかった。


 独立した三階建ての建物で、一般図書から専門資料まで、幅広い蔵書を揃えている。


 自動扉を抜けると、ひんやりとした空気と、紙の匂いが桜を迎えた。


 広々とした一階には書架が整然と並び、窓際には読書用の机が置かれている。


 放課後ということもあって、参考書を広げる生徒や、友人と小声で話す生徒の姿もあった。


「……すごいなぁ」


 桜は思わず呟いた。

 転入前に聞いていた以上に、充実した施設らしい。

 これだけの本があれば、興味のあるものを探すだけでも楽しそうだった。


 どこから回ろうかと考えていると、近くの書架から聞き覚えのある声がした。


「あれ? 桜ちゃん?」

「月乃ちゃん?」


 声の方を向くと、日向月乃が数冊の本を抱えて立っていた。


「剣道部の見学、もう終わったの?」

「うん。千穂ちゃんも八坂くんも、すごく真剣だったよ」

「ふふ。二人とも剣道は好きだからね」


 月乃は嬉しそうに笑った。


「月乃ちゃん、まだ図書館にいたんだね」

「うん。探してた資料がなかなか見つからなくて。気づいたらこんな時間になっちゃった」

「そうだったんだ」

「やっと見つけたんだけど、途中で別の本も気になっちゃって……」


 月乃は少し照れくさそうに笑った。


「それで、ついつい長居しちゃった」

「ふふ。月乃ちゃんらしいね」

「えへへ。千穂ちゃんにもよく言われる」


 桜もつられて笑った。


「桜ちゃんは図書館を見に来たの?」

「そうなの。どんな本があるのか気になって」

「そっか。じゃあ、少し案内しようか?」

「いいの? 月乃ちゃん、部活は?」

「これから行くところだよ。今日は部室で使う資料を借りに来たんだ」


 月乃は抱えている本を少し持ち上げた。


「ちょうど借り終わったところだから、少しなら大丈夫」

「ありがとう。助かるよ」

「じゃあ、こっちから回ろっか」

 月乃は慣れた足取りで書架の間を歩き始めた。


     ◇


「一階は小説とか一般書が中心で、二階には専門書が多いんだ。授業で使う本もあるから、調べ物をするときは結構便利だよ」

「本当にいろいろあるんだね」

「うん。あ、こっちには外国の神話をまとめた本もあるよ」


 月乃が足を止めたのは、神話や伝承に関する書架の前だった。

 日本の神々に関する本から、海外の神話、各地に残る妖怪伝承まで、幅広い資料が並んでいる。


「月乃ちゃんは、こういう本をよく読むの?」

「うん! 特に古い記録が好きかな」


 そう答えた月乃の声が、少し弾んだ。


「同じ出来事でも、書いた人や時代によって全然違うことが書いてあるんだよ。例えば、ある神様について調べていると、地域によって性格も姿も違っていたりして」

「へえ、そうなんだ」

「そうなの! それでね、どこからその違いが生まれたのかを調べるのが面白くて。昔の人が何を考えて、どういうふうに伝えようとしたのか、想像するだけでも楽しいんだ」


 月乃はそこまで一気に話すと、はっとしたように口を閉じた。


「あっ、ごめんね。私、こういう話になると止まらなくなっちゃって……」

「ううん。面白いよ」

「本当?」

「うん。月乃ちゃんの話を聞いてると、私も読んでみたくなる」


 桜がそう答えると、月乃はぱっと表情を明るくした。


「じゃあ、今度おすすめの本を持ってくるね!」

「ふふ。楽しみにしてる」

「最初なら、難しい資料より読みやすいものがいいかなぁ。あ、でも、こっちの本も面白いし……」


 月乃は棚に並んだ背表紙を見比べながら、真剣に悩み始めた。


「月乃ちゃんって、普段は静かなのに、好きなことの話になるとすごく楽しそうだね」

「えっ、そうかな?」

「うん。聞いてる私まで楽しくなっちゃう」

「……えへへ。ちょっと恥ずかしいな」


 月乃は照れくさそうに笑った。

 桜もつられて笑みをこぼす。


「そういえば、月乃ちゃんは古代史部なんだよね?」

「うん。今は文化祭に向けて展示の準備をしてるところ」

「文化祭?」

「そう。まだ少し先だけど、調べることが多いから早めに準備してるんだ」


 月乃は抱えていた本の一冊を取り出した。


「今回は、学園の歴史を紹介する展示を考えてるの。今の校舎ができる前の写真とか、昔の授業の様子とか」

「昔の学校の写真も残ってるんだね」

「うん。瑞穂学園って、今はすごく広いけど、昔はもっと小さかったんだよ」

「そうなんだ」

「建物も何度か建て替えられてるんだけど、一部はまだ残ってるの」

「へえ。知らなかった」

「旧校舎って呼ばれてるんだ。今はあんまり使われてないけど、古い資料室があるから、私たちも時々調べ物に行くよ」

「月乃ちゃんたちには、宝物がいっぱいありそうな場所だね」

「そうなの!」


 月乃は大きく頷いた。


「昔の教室も残ってるし、古い机や棚もあってね。ああいう場所って、歩いてるだけで楽しいんだよ」

「ふふ。月乃ちゃん、本当に好きなんだね」

「うん! あ、そうだ。今度、旧校舎の資料室も整理する予定なんだ」

「そうなの?」

「文化祭に使えそうなものがないか、探してみようって話になってて。まだ全部は調べられてないから、何が出てくるか楽しみなんだ」


「何か面白いものが見つかるといいね」

「うん!」


 月乃は嬉しそうに頷いた。


 そのあとも二人は、図書館の利用方法やおすすめの本について話しながら館内を回った。

 月乃の説明はときどき思わぬ方向へ脱線したが、桜にとってはそれも楽しかった。


 気づけば、思っていたよりも時間が経っていた。


「あっ、そろそろ部室に行かないと」


 月乃が時計を確かめた。


「ごめんね、長く付き合わせちゃった」

「ううん、私が案内するって言ったんだし。それに楽しかったよ」

「私も。ありがとう」


 月乃は少し考えてから、桜に尋ねた。


「ねえ、桜ちゃん。もしよかったら、今度古代史部にも遊びに来ない?」

「いいの?」

「もちろん! 見学だけでも大歓迎だよ」

「じゃあ、今度お邪魔しようかな」

「やった!」


 月乃は嬉しそうに笑った。


「じゃあ、また明日ね!」

「うん。また明日」


 二人は図書館の入口で別れた。

 月乃は資料を抱えて部室へ向かい、桜は校門へ続く道を歩き始める。


 夕方の校内には、まだ部活動を続ける生徒たちの声が響いていた。


 転入してから、まだほんの少ししか経っていない。


 それでも、話せる相手が増え、知らなかった場所を知り、毎日少しずつ新しい発見がある。


 桜は鞄を持ち直し、穏やかな気持ちで帰路についた。


     ◇



「ただいまー」


 月乃が古代史部の部室に入ると、いつもの賑やかな声が迎えてくれた。


「おかえり、月乃!」

「資料、借りられた?」

「うん。頼まれてた本、全部あったよ」

「助かったー! こっちの年代がどうしても分からなくてさ」


 部室の中央には大きな机があり、その上には古い写真や資料のコピー、ノートが所狭しと広げられていた。


 壁には学園の古い見取り図や、文化祭の展示案をまとめた紙が貼られている。


 月乃は借りてきた本を机に置き、空いている椅子へ腰を下ろした。


「今日はどこまで進んだの?」

「昔の校舎の写真を整理してたところ。ほら、これ見て」


 隣の部員が一枚の写真を差し出した。


 そこには、現在の瑞穂学園とはずいぶん違う、こぢんまりとした校舎が写っていた。


「わあ、懐かしい感じ! これ、いつ頃の?」

「たぶん昭和の初め頃。でも、裏に日付が書いてなくて」

「じゃあ、建物の形から調べてみようか。改修された年が分かれば、ある程度絞れると思う」

「それだ!」


 月乃は早速、借りてきた資料集を開いた。


 隣の部員も椅子を寄せ、二人でページをめくり始める。


「あ、この窓の形、写真と似てない?」

「本当だ。でも屋根が違うね」

「じゃあ、改修前かな?」

「うーん……もう少し古い資料も見てみよう」


 そんなふうに話していると、部室の奥から突然、明るい声が上がった。


「あっ! ねえねえ、ちょっと来て!」

「どうしたの?」

「なんか面白そうなの発見したよー!」

「えっ、何々!?」


 月乃はぱっと顔を輝かせた。


「見せて見せて!」


 椅子から立ち上がった月乃につられ、ほかの部員たちも次々と集まっていく。


「ちょっと待って、私も見る!」

「押さないでよー!」

「何があったの?」

「だから、こっち来てって!」


 笑い声が重なり、部室は一段と賑やかになった。

 今日も古代史部は、いつもどおり楽しそうだった。

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