第二話 転入生、八重垣桜(やえがき さくら)
翌朝。
八坂優は、目を覚ました瞬間から昨日の自分を恨んでいた。
「……痛い」
右肩が痛い。背中も痛い。腕も痛いし、なぜか太腿まで痛い。
学校へ来ただけでも褒めてほしい。
そんな気持ちで教室の机に突っ伏していると、頭上から呆れた声が降ってきた。
「昨日からそれしか言ってねぇな」
「昨日より痛いんだよ」
顔だけ横へ向けると、亮太が隣の机に腰を預けていた。
昨日、一緒に怪異だらけの家から逃げ帰ってきたとは思えないほど元気そうだ。
「なんでお前は平気なの?」
「鍛え方が違う」
「俺、剣道部」
「じゃあ日頃の行い」
「お前にだけは言われたくねぇ」
「優、大丈夫?」
今度は前の席から、いなりが振り返った。
「肩の傷、結構痛む?」
「傷より身体中が痛い。高校生一人背負って走るって、あんな重いんだな……」
「意識ない人は余計に重いからね」
「次は自分で歩いてもらう」
そう答えたところで、いなりが首を傾げた。
「次がある前提なの?」
「ない。二度とやらない」
即答した。
亮太といなりが顔を見合わせる。
「何だよ」
「いや」
亮太が目を逸らし、いなりも曖昧に笑う。
「別に」
「なんで二人とも信じてないの?」
昨日だって、最初は三万円で簡単な調査をするだけだったのだ。それが気づけば顔のない何かに追い回され、行方不明者を背負って走り、最後には家の壁までぶち抜いている。
あんなもの、一度で十分だ。
優は本気でそう思っていた。
机の上でスマートフォンが震えた。
表示された名前を見た瞬間、優は跳ね起きる。
「赤井!」
「元気じゃん」
「追加料金かもしれない!」
亮太が呆れた顔になる。
「もっと元気じゃん」
肩の痛みも忘れて、優は通話ボタンを押した。
「もしもし!」
『朝からうるさい』
「そっちからかけてきたんだろ!」
『学校だろ。少しは静かにしろ』
「だったら学校にいる時間に電話すんなよ!」
『今ならまだホームルーム前だと思ったんだが』
「そういうところだけ気を遣うなら、昨日もっと俺を気遣って!」
『戻れと言った』
「…………」
正しい。
非常に腹立たしいが、正しい。
優は咳払いを一つして、話題を変えた。
「で? 追加料金?」
『救助加算の申請は出した』
「いくら!?」
『まだ決まっていない』
「なんで!?」
『審査がある』
「昨日の今日だぞ!? 俺、肩怪我してんだけど!」
『それと審査期間に何の関係がある』
「気持ち?」
『切るぞ』
「待って!」
慌てて止めると、電話の向こうから小さなため息が聞こえた。
『金額が決まれば連絡する。それと、昨日保護した高校生だが、今朝意識が戻った』
優の口が止まった。
すぐそばで聞き耳を立てていた亮太も、前の席のいなりも表情を変える。
「……大丈夫なの?」
『衰弱はしているが、命に別状はない。本人から話を聞けるのはもう少し先だろうがな』
「そっか」
昨日の家を思い出す。
狭い物置の中で、膝を抱えるようにして倒れていた少年。もう少し遅かったらどうなっていたのかは、考えたくなかった。
「よかった」
『ああ』
それだけで、肩の痛みが少しだけ報われた気がした。
優は息を吐き、数秒だけ静かになった。
それから、
「じゃあ追加料金、なるべく高めでよろしく」
『お前は余韻というものを知らんのか』
「それとこれとは別だろ!」
『切るぞ』
「だから待てって! だいたいいつ頃――」
通話が切れた。
「切りやがった!」
「朝から元気だな、八坂」
「うわっ!」
真後ろから声がして、優は飛び上がった。
振り返れば、いつの間に来たのか担任が立っている。
「……おはようございます」
「おはよう。スマホはしまえ」
「今切りました」
「誰と話してたんだ」
「赤井」
「誰だ、それ」
「俺の……」
何だろう。
仕事を持ってくる。給料の話をする。危険な場所へ連れていく。助けを求めても、割と助けてくれない。
優は少し考えた末に、
「……上司?」
「なぜ俺に聞く」
「俺にもよく分かんなくて」
「いいから座れ」
「はい」
言われた通りスマートフォンをしまう。
担任が教卓へ向かうのに合わせて、立っていた生徒たちもそれぞれの席へ戻り始めた。
「ホームルームを始める前に一つ。今日は転入生がいる」
その一言で、教室がざわついた。
こんな時期に珍しい。男子かな。女子じゃない?
そんな声があちこちから飛ぶ。
「女子かな」
隣から亮太が囁いた。
「知らん」
「可愛かったら?」
「知らん」
「興味なさすぎだろ」
「俺は今、追加料金がいくらになるかで頭がいっぱいなんだよ」
「色気より金か」
「お前も四十七億九千万背負ってから言え」
「絶対嫌だ」
「だろ?」
「そこで勝ち誇るなよ」
担任が教室の扉へ顔を向けた。
「入っていいぞ」
扉が開き、一人の女子生徒が入ってきた。
黒に近い濃い茶色の髪が、歩くたびに背中でさらりと揺れる。癖のない長い髪に、同じ色の瞳。背はそれほど高くなく、制服に包まれた身体もほっそりとしている。
儚い、というのとは少し違う。
穏やかな顔立ちと柔らかな表情のせいか、どことなく繊細そうな印象を受ける少女だった。
教卓の横まで来ると、担任に促されてクラスの方へ向き、軽く頭を下げる。
「八重垣桜です。よろしくお願いします」
短い自己紹介に、教室から拍手が起こった。
「可愛いじゃん」
隣で亮太が小声を漏らす。
「よかったな」
優が適当に返すと、亮太が眉を寄せた。
「なんで俺のことみたいに言うんだよ」
「さっきから気にしてただろ」
「お前は気にならないの?」
「俺には今、四十七億九千万の――」
「八坂」
担任の声が飛んできた。
「今、ものすごく誤解されそうなことを言おうとしなかったか?」
「違います! 借金です! 女じゃなくて借金!」
教室に笑いが起こった。
前の席では、いなりまで肩を震わせている。
「いなり! 笑ってないで助けろ!」
「ごめん。今のは無理」
「友達だろ!」
「八坂、朝からうるさい」
「はい……」
優は大人しく口を閉じた。
「八重垣は窓側の後ろから二番目だ。分からないことがあれば、周りに聞いてくれ」
「はい」
桜は指定された席へ向かい、椅子を引いて座った。
転入生が来れば、多少騒がしくなるのはいつものことだ。休み時間になったら話しかけようと相談している女子もいれば、どこの学校から来たのかと早速気にしている者もいる。
優も少しくらいは気になった。
ただ、それよりも今は重大な問題があった。
「なあ、亮太」
「ん?」
「今日の一時間目って何?」
「英語」
「英語か……」
「小テストあるぞ」
「…………は?」
優の動きが止まった。
「小テスト?」
「昨日言ってたじゃん」
「いつ!?」
「朝」
「昨日の朝!?」
「そう」
「昨日の朝に今日の小テストの話されても覚えてるわけないだろ!」
「普通は覚えてるんだよ」
「俺は昨日、放課後に命懸けだったんだぞ!?」
「小テストの予定が消える理由にはならねぇだろ」
「怪異に追いかけられた翌日に英単語書かせる学校ってどうなの!?」
「多分、全国の学校がそうだと思うよ」
いなりが静かに現実を突きつける。
優は慌てて英語の教科書を引っ張り出した。
「範囲どこ!?」
「三十二ページから」
亮太が答えるなり、優は椅子ごと距離を詰めた。
「見せて!」
「嫌だよ」
「いなり!」
「自分で勉強しようね」
「薄情者!」
ホームルーム開始まで残り数分。
転入生の存在は、優の頭から綺麗に消えた。
* * *
「終わった……」
一時間目の終了を告げるチャイムが鳴ると同時に、優は机に突っ伏した。
「三問は書けた」
亮太が呆れたように聞き返す。
「十問中?」
「三問も、だ」
「前向きだなぁ」
「人間、前を向いて生きないとな」
「昨日まで借金見て絶望してた奴が言うと重みが違うね」
いなりの言葉に、優は机に頬をつけたまま睨む。
「うるさい」
回収されていく答案を、優は未練なく見送った。どうせ返ってくる頃には赤いものがたくさん増えている。
顔を上げると、教室の後ろでは、さっそく何人かの女子が桜の席を囲んでいた。
「八重垣さんって、どこから来たの?」
「部活とか決めてる?」
「桜って呼んでもいい?」
一気に質問され、桜は少し困ったように笑う。
「えっと、一つずつでもいい?」
「あ、ごめん!」
「じゃあまず前の学校!」
「私も部活聞きたい!」
今度は桜も笑った。
「結局、一つずつじゃないね」
柔らかな言い方だったからか、周りの女子たちもつられて笑う。
「人気だなぁ」
桜の席を眺めながら、亮太が感心したように言った。
「転入生だしな」
優は頬杖をついたまま答える。
「お前、ほんと興味ねぇな」
「あるよ」
「お?」
亮太が食いついた。
優は真剣な顔で、答案が回収されていった方向を見る。
「俺の小テスト、書けた三問のうち何問合ってると思う?」
「そっちかよ!」
「二問くらいじゃない?」
いなりが筆箱を片づけながら答えた。
優は勢いよく顔を上げる。
「なんで一問もう間違ってる前提なの?」
「三問とも自信あるの?」
「ない」
「じゃあ妥当だと思う」
「いなりが最近冷たい!」
「はいはい。次、化学室だよ」
「話逸らした!」
いなりは相手にせず、教科書と筆箱を持って立ち上がった。
教室のあちこちでも、次の授業へ向かう準備が始まっている。
「八重垣さん、次は移動だよ。一緒に行こ」
「あ、ありがとう」
さっきまで桜と話していた女子が声をかけ、桜も席を立つ。
「ほら、優も行くぞ」
亮太が優の右肩を叩いた。
「痛っ!」
「あ」
「『あ』じゃねぇ! そこ怪我してるって知ってるだろ!」
「悪い悪い」
「笑いながら言うな!」
先に教室を出ようとしていたいなりが振り返る。
「早くしないと置いてくよ」
「待て! こいつ殴ってから行く!」
「怪我人が元気だなぁ」
「誰のせいだ!」
逃げる亮太を追って、優も教室を飛び出した。
* * *
昼休みになっても、優の身体は相変わらず痛かった。
朝より悪化している気さえする。
それでも腹は減る。
購買で手に入れた焼きそばパンの袋を開けようとして、右肩に響いた痛みに顔をしかめた、そのときだった。
「八坂くん」
「ん?」
名前を呼ばれて振り向く。
そこに立っていた少女の顔と、朝聞いた名前が一致するまでに、二秒ほどかかった。
「あ。転入生」
「八重垣です」
「そう、それ」
答えた途端、桜が少しだけ首を傾げた。
「もしかして、もう名前忘れてた?」
「忘れてない。出てくるのにちょっと時間かかっただけ」
「それを普通は忘れてたって言うんじゃないかな」
柔らかな声で指摘され、優は焼きそばパンを持ったまま黙る。
「……ごめん」
「謝るんだ」
「悪いときは謝るよ、俺だって」
「朝から先生には何回も怒られてたから、あまり謝らない人なのかと思ってた」
「見てたの!?」
「同じ教室にいたからね」
「初対面の印象最悪じゃん……」
「大丈夫」
「ほんと?」
「まだ決めてないから」
「それ大丈夫!?」
桜がくすりと笑った。
朝に見たときは、もっと大人しい子なのかと思っていた。
どうやら、言うことはちゃんと言うらしい。
「それで、俺になんか用?」
「あ、うん」
桜の声が少し真面目になる。
「肩、大丈夫?」
「肩?」
「朝、怪我してるって言ってたでしょう。それに、さっき菅原くんに叩かれたときも痛そうだったから」
「ああ、これか」
優は右肩を軽く回してみた。
案の定、痛い。
「大丈夫。痛いけど」
「それは大丈夫って言うのかな」
「動くから大丈夫」
「……八坂くんの『大丈夫』は、あまり信用しない方がよさそうだね」
「初対面で信用失った!?」
「怪我してるのに元気に菅原くんを追いかけてたし」
「あれは亮太が悪い」
「殴るって言ってなかった?」
「言った」
「八坂くんも悪くない?」
「…………」
言い返せない。
桜はそんな優を見て、また少し笑った。
「でも、思ってたより元気そうでよかった」
「心配してくれたの?」
「怪我してる人がいたら、それくらいはするよ」
「八重垣、いい奴だな」
「今ので?」
「亮太なんか怪我してるところ叩いてきたんだぞ」
「それと比べられるのは、ちょっと複雑かな」
「なんで?」
「基準が低そうだから」
「確かに」
「納得するんだ」
今度は二人とも笑った。
「そういえば八重垣、昼飯は?」
「これから。朝、話してた子たちと食べる約束してるの」
「ああ、じゃあ引き止めたら悪いな」
「私から話しかけたんだけど」
「あ、そっか」
「八坂くん、ちょっと変わってるね」
「今日会ったばっかりの奴に言われたくないんだけど」
「じゃあ明日ならいい?」
「そういう問題じゃない!」
また桜が笑う。
「じゃあ、私は行くね」
「おう」
「あ、そうだ」
友人たちのところへ戻りかけた桜が、ふと足を止めた。
「もう一つだけ聞いてもいい?」
「ん?」
「朝から何度か言ってた、四十七億九千万って……本当に借金なの?」
「本当」
優が即答すると、桜は黙った。
ほんの数秒。
「……その顔やめて」
「ごめん。思ってたより本当だったから」
「俺もできれば嘘であってほしい」
「元は四十八億だけどな」
少し離れた席から亮太が口を挟んだ。
「増やすな!」
「増やしてねぇよ。一千万返したから、今が四十七億九千万なんだろ」
「あ、そっか」
反射的に怒鳴った優は、計算してから肩を落とした。
「そうだった……」
「自分の借金だろ」
「四十何億ってなったら、もう一千万くらい誤差なんだよ!」
「一千万を誤差って言う高校生、初めて見た」
桜が真顔で言う。
「俺だって言いたくて言ってるんじゃない!」
「ちなみに二年かけて返した額な」
「亮太、余計な情報を追加するな」
「二年で一千万……」
桜が少し考え、なんとも言えない顔になる。
「八重垣。その顔やめて」
「何も言ってないよ」
「言わなくても分かるんだよ!」
「いや、でも実際すごいよ」
いなりが昼食を手にこちらへやってきた。
「高校生が二年で一千万返したんだから」
「だろ!?」
ようやく味方が現れたと、優は勢いよく振り返る。
「残りが四十七億九千万なだけで」
「いなりぃ!」
「事実だよ」
桜がとうとう吹き出した。
「ごめん……笑っちゃ駄目なんだろうけど」
「いいよ。最近、俺もたまに笑えてくるから」
「それ大丈夫?」
「大丈夫じゃない」
「そこはちゃんと分かるんだね」
「借金に関してはな!」
優は焼きそばパンにかじりついた。
話しているだけで残高を思い出してしまった。せっかくの昼飯が少ししょっぱく感じる。
そんな優を見ながら、桜はまだ少し不思議そうにしていた。
「でも……どうしたらそんな金額になるの?」
「ん?」
「四十八億でしょう? 普通に生活してたら、まずできないよね」
「できたら困る」
「八坂くんにはできたんだよね?」
「できちゃったんだよ……」
「何したの?」
「……いろいろ」
「いろいろで四十八億になる?」
「なった」
「すごいいろいろだね」
「俺もそう思う」
優は遠い目をした。
あの一日だけは、できることなら人生から切り取って金額ごと消してしまいたい。
「誰かに騙されたとか?」
「違う違う」
「じゃあ、誰かの借金を代わりに払ってる?」
「それも違う。俺が壊したから払ってるだけ」
「……壊した?」
桜が目を瞬く。
「うん」
「四十八億円分?」
「うん」
「八坂くんが?」
「……うん」
答えるたびに心が痛い。
肩より痛い。
「何を壊したの?」
「聞かないで」
「余計気になるんだけど」
「俺も思い出したくないんだよ! 金額的な意味で!」
「八重垣さん」
いなりが苦笑する。
「その辺にしてあげた方がいいかも。優、本気でへこむから」
「ご、ごめん」
「いや、いいよ。知らなきゃ気になるよな」
優は残った焼きそばパンを口に放り込んだ。
これで話は終わり。
そう思ったらしい亮太も、自分の昼食へ戻りかける。
けれど桜は、少しだけ考えてから口を開いた。
「それって……全部、八坂くんが悪かったの?」
「ん?」
「だって四十八億って、さすがに……」
「ああ」
何を聞かれたのか分かって、優は頷いた。
「まあ、俺が壊したから」
「でも、あれは優だけのせいってわけでも――」
「いいって」
亮太が何気なく挟んだ言葉を、優は途中で止めた。
声を荒らげたわけではない。
ただ、それ以上は必要ないと思った。
「俺が力の加減できなかったんだから、俺のだろ」
桜が黙った。
優にとっては、それだけの話だった。
もっと上手くやれたんじゃないかとは、何度も思った。
けれど、壊したのは自分だ。
だから払う。
四十八億という金額にだけは、今でもまったく納得していないけれど。
「……後悔してる?」
桜が聞いた。
「してるよ」
今度も答えはすぐに出た。
「めちゃくちゃしてる。毎日してる。なんなら朝起きるたびにしてる」
「そんなに?」
「四十八億だぞ!?」
「うん。それはそうだね」
「だろ!?」
桜が少し考える。
「じゃあ、もう一回同じことが起きたら?」
「え?」
「今度はやらない?」
優は焼きそばパンの空袋を丸めながら考えた。
「…………」
少し長く考えた。
「……いや」
「うん」
「今度はもうちょっと上手くやる」
桜が瞬いた。
「やらない、じゃないんだ」
「だって、やらなきゃいけない状況だったら仕方ないだろ」
「でも、また借金になるかもしれないよ?」
「それは絶対嫌だ」
「絶対なんだ」
「次は四億くらいに抑える」
「十分すごい金額だよ」
「じゃあ四千万」
「まだ高いね」
「四百万」
「値切るものなの?」
「じゃあいくらならいいんだよ!」
「私に聞かれても困るよ」
桜が笑う。
優もつられて笑いかけて――右肩に響いて顔をしかめた。
「痛っ」
「ほら。やっぱり大丈夫じゃない」
「笑ったら肩に響いただけ!」
「それを大丈夫じゃないって言うんだと思う」
「八重垣、意外とうるさいな」
「心配してるんだけどな」
「……それはありがとうございます」
「どういたしまして」
ちょうどそのとき、桜を待っていた女子から名前を呼ばれた。
「あ、ごめん。今行く!」
返事をしてから、桜が優たちへ向き直る。
「じゃあ、またあとで」
「おう」
「今度は名前、すぐ出てくる?」
「八重垣」
「よくできました」
「馬鹿にしてる?」
「褒めてるよ」
「絶対ちょっと馬鹿にしてるだろ!」
桜は答えず、楽しそうに笑って友人たちの方へ戻っていった。
その背中を見送ってから、優は空になったパンの袋を丸める。
「……結構しゃべったな」
「お前がな」
亮太に言われ、優は首を傾げた。
「そう?」
「そうだよ」
「まあ、話しやすかったし」
それだけ言って、優は残っていた飲み物に手を伸ばした。
亮太もそれ以上は何も言わなかった。
ただ、いなりだけが少し離れた桜の方を見てから、優へ視線を戻す。
「優」
「ん?」
「さっきの話だけど」
「借金?」
「うん。別に全部、自分のせいにしなくてもいいと思うよ」
「してないって」
優はストローを咥えたまま答えた。
「壊したのが俺だから、俺が払ってるだけ」
「……そう」
「それよりさ」
「うん?」
「一千万返すのに二年だろ?」
「うん」
「残り四十七億九千万だろ?」
「うん」
優は指を折って計算しようとした。
途中でやめた。
「……俺、何歳まで働けばいいの?」
「計算しない方が幸せだと思う」
「いなりぃぃぃ……!」




