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第35話 必歩流帝〜親子

 その夜。

 空玲須(クレス)は、呼び出された店に行きました。

 ご近所の定食屋といった佇まい。昔からやっている老舗感があります。

 ガラガラ…。

 空玲須(クレス)は、恐る恐る引き戸をくぐりました。店の中は、二、三人の男性客と、奥の席に…。

「空玲須(クレス)くん!

 こっち!」

 手を挙げて空玲須(クレス)を呼ぶ人物。白い特攻服にすらりと伸びる腕。必歩流帝(ヒッポリュテー)?

 空玲須(クレス)は呼ばれたテーブルに着きます。

 特攻服を着ていたのは、必歩流帝(ヒッポリュテー)の母でした。よく見れば、特攻服の文字が違います。

「へへ。

 若い頃のやつ。似合う?」

 似合うも何も、見た目にほぼ必歩流帝(ヒッポリュテー)です。似合わないはずがありません。空玲須(クレス)は、うなずきました。

「…。」

 母の横にはスウェット姿の必歩流帝(ヒッポリュテー)が不機嫌そうな顔で座っていました。

「ほら、愛しの彼が来たんだから、もっと嬉しそうにしなさいって。」

「その言い方やめて。

 大体、空玲須(クレス)は…。」

 口論が始まりそうなところに、店員さんが皿を運んできました。

「ほい。ナポリタン大盛り。

 懐かしいね。これ二つも頼むのはあんたぐらいだよ。」

 皿の上のナポリタンは、テーブルにある割り箸立てよりもまだ高く積み上がっています。

しかも、それが二皿。

「空玲須(クレス)くんは、そっちの食べて。

 私と礼愛(レイア)は二人で分けるから。」

 空玲須(クレス)は、目をぱちくりさせました。

「礼愛(レイア)!?」

 必歩流帝(ヒッポリュテー)は、目を逸らします。

「あら?

 もしかして、名前も教えてないの?

 やだわぁ、それで彼女面してるなんて…。」

「してないっ!?」

 必歩流帝(ヒッポリュテー)は、全力否定しながら、割り箸を割りました。

「あら?そうなの。」

 母も割り箸を割ります。そうして。

 みるみる減っていくナポリタンの山。

「くれふくんもたへなよ?」

 口をもごもごさせながら、母が空玲須(クレス)に促します。空玲須(クレス)は、急いで割り箸を割り、ナポリタンを口に入れました。

「うま…。」

 それ以上の言葉は出ません。どんどん口にナポリタンを運ぶ三人。

 あんなにあったナポリタンは、五分も経たず、二皿完食です。


「おっちゃん。あと、いつもの三つ!」

 母は、厨房の奥に呼びかけました。

 必歩流帝(ヒッポリュテー)は、空玲須(クレス)の横で肩をすぼめて小さく座っていました。

「この店、よく来るの?」

 空玲須(クレス)が聞きました。必歩流帝(ヒッポリュテー)が答えます。

「母さんの馴染みだから。

 小学生の頃はよく来てた。」

「そうそう。日本に戻ったら、ここ食べずにはいられない。

 でもね。驚くのは、これから。」

 必歩流帝(ヒッポリュテー)も微笑みます。

「ナポリタンもうまいけど。

 ビビるよ、マジで。」

 

 テーブルに運ばれてきたのは、食堂にはおよそ似つかわしくない、宝石のように煌めくケーキでした。

「これこれ!

 相変わらず、綺麗なケーキ。

 おっちゃん、腕は落ちてないねぇ!」

 母の言葉に、厨房から腕を出して応えるおっちゃん。

「見た目以上だから。

 食ってみ?」

 必歩流帝(ヒッポリュテー)が空玲須(クレス)に言います。空玲須(クレス)は早速フォークを持って…。

 そこで、母に止められました。

「食べる前に、はっきりさせとくことがある。」

 鋭い眼差しで、空玲須(クレス)と必歩流帝(ヒッポリュテー)を見つめる母。

「…本当は、今回こそ礼愛(レイア)を連れて行こうと思ってた。

 でも、やめる。」

 母の目が、優しいまなざしに変わりました。

「理由は、もういいわ。

 大体わかったから。

 でも。」

 必歩流帝(ヒッポリュテー)に緊張が走ります。何か厳しい条件が出そうです。

「学校はちゃんと行きな。

 退学とかになったら、その時は、問答無用で連れていくからね。」

 必歩流帝(ヒッポリュテー)は、少し安心した様子で答えました。

「ははーっ。

 謹んで勉学に励みまする。」

 あ、この前、テレビで見た侍の喋り方…。

 空玲須(クレス)はそう思いましたが、黙っていました。

「さあ、食べましょう。

 空玲須(クレス)くん、礼愛(レイア)も言ってるけど、ビビるよ?」

 三人は、ケーキを口にしました。

 恍惚。

 尊い。

 とろける…。

 空玲須(クレス)にとって。今まで口にしたことのない、天国の味でした。


 必歩流帝(ヒッポリュテー)の母は、翌朝、外国に向けて再び旅立ちました。

「母さん、ありがとう。」

 必歩流帝(ヒッポリュテー)は遠くなる飛行機に向けて、そっとお礼を言いました。

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