第31話 女鹿蘭〜アラクネ②
女鹿蘭の部屋のドアは閉じていたが、ドアの隙間からは糸が這い出している。糸はそこら中あちこちに広がり、廊下の天井まで覆っていた。細かく、白い糸。
空玲須は手で糸を払う。ペタペタと手にくっつく。
「蜘蛛の糸…、か。」
こんな大量の糸を吐く蜘蛛がいるはずはない。さっきの平来の話にあった通り、女鹿蘭が「怪化」したのだろう。
空玲須は、ドアノブに手をかけた。糸のせいでペタペタするが、普通に回る。ドアを開け…ようとして、一旦ドアノブから手を離した。
「女鹿蘭?
開けても、いい?」
ドアをノックして、聞いてみた。
「どうしようかな。
…でも、やっぱり。
助けてもらうしか、ないかな。」
女鹿蘭が「助けて」っていうなんて。空玲須は不安になりながら、ドアを開けました。
女鹿蘭の部屋には、縦横に糸が張り巡らされている。部屋の奥には、糸に埋もれる女鹿蘭の上半身が、かろうじて見えていた。
何本もの太い糸が、女鹿蘭から部屋中の壁に向かって伸び、そして、ペタペタする細い糸が太い糸の間に張られている。
「…みっともない。
空玲須に迷惑かけたくなかったんだけど。
自分じゃ抜け出せないの。」
元気のない声で、女鹿蘭がそう言った。
空玲須は、糸を引っ張ってみた。
細い糸はすぐに切れる。太い糸は。
よくみると、太い糸はオレンジの毛糸。それが蜘蛛の糸と絡みついている。少し引いたぐらいでは切れない。
太い糸を強く引いてみた。
「イタタタ…。」
女鹿蘭の声がする。太い糸は女鹿蘭の身体の一部なのかもしれない。
「ごめん。
痛いけど、空玲須だから、我慢するよ。
…そのまま、して。」
「女鹿蘭…。なるべく痛くないように、頑張る。」
空玲須は、今度は壁にくっついている部分を引っ張ってみた。みち、みち、ベリ…。壁紙が剥がれていく音。
女鹿蘭は痛がっていない。そのまま強く引っ張る。糸は、くっついていた壁紙ごと、壁から離れて落ちた。
「コレなら、剥がせる。
痛くないか?待てるか?」
女鹿蘭は、黙ってうなずいた。
細い糸を払いながら、太い糸を一本ずつ壁から剥がしていく。そうして、少しずつ女鹿蘭に近づいていく空玲須。
やがて、手が届くところまで近づいた時。
女鹿蘭の手に、オレンジ色が抱えられているのに気がついた。
「女鹿蘭。助けに来たよ。」
空玲須は、女鹿蘭に手を差し伸べた。
女鹿蘭の目の端に、光るものが見えた。空玲須に手を伸ばして、しかし、その手を引っ込めた。
「わたし、やっぱり。
空玲須に助けてもらう資格、ないな。」
オレンジの毛糸、編みかけのセーターをギュッと抱きしめる女鹿蘭。
「いいから、来い。それ持って。」
女鹿蘭の手を強引に掴んで、空玲須は引っ張った。
「イタタタ、痛い。
もう!
もっと優しくやりなさいよね。」
少しだけ、いつもの女鹿蘭に戻った。
空玲須は、嬉しかった。
「あっ…。」
両腕で、女鹿蘭の身体を抱いて。
ギュッと。優しく引っ張る。
壁にくっついていた残りの糸は、全て剥がれて床に落ちた。
「あれ!?」
女鹿蘭と空玲須は、抱き合ったまま、顔を見合わせた。
…糸が、消えない。「怪化」が終わらない。女鹿蘭は空玲須から離れた。
「多分、コレ。
わたしさ、直すの失敗しちゃって。」
空玲須は女鹿蘭の編みかけのセーターを見た。…何が失敗なのか、さっぱりわからない。
「それを、直せばいいのか?」
「…ほどけないんだよ。」
女鹿蘭は、思った。
コレは、わたしの心だから。
「オレも。
一緒にほどこう。」
空玲須の言葉に、女鹿蘭は下を向いた。




