第25話 出井亜寧羅〜スキュラ②
「隠してること…。」
出井亜寧羅の頭に、さっき成木曽に言われた言葉がよぎった。「好きなのは…。」
そうだよ。好きなのは空玲須くん。
だけど、言えないんだ。
言っちゃったら。そして、ダメだったら。
そうか。
この犬たちは、守ってるんだ。わたしの隠してることを。空玲須くんにバレないように、近づいてこないようにしてるんだ…。
空玲須に噛みついていた犬が、その牙を離した。出井亜寧羅の足元に戻り、低く唸る。
出井亜寧羅のスカートの中から、また一匹、犬が実体化した。
「空玲須くん。
ごめん。
わたし、やっぱり言えない。
言えないから、逃げる!」
出井亜寧羅は、くるりときびすを返して、犬たちと共に校舎裏へと走り去った。
追いかけようとする空玲須を、平来が呼び止めた。
「待て。
六匹の犬に、六人食わせる。
昔はそうして切り抜けた。」
「六つ、噛ませればいいってことだな。
ありがとう。
全部、オレが受けるよ。」
空玲須が即答する。
「バカが!
やられるぞ。」
そう言った平来の顔は、なぜだか微笑みで溢れていた。
ヤバい。
空玲須くんは、きっと来ちゃう。
犬たちは、空玲須くんに噛みついちゃって、痛いよね。きっと。
痛いことするなんて、イヤ。だけど、わたしは犬をコントロールできない。
出井亜寧羅は、フェンスの向こうを見下ろした。夕暮れの川。
空玲須くんより、わたしの方が泳げる。川なら、逃げ切れるかも。
出井亜寧羅が、フェンスを乗り越え川岸に立ったとき、空玲須がやっと追いついた。
「出井亜寧羅!
言いたくないことは、言わなくたっていい。オレが何とかするから。
だから、逃げるな。」
出井亜寧羅は空玲須を振り返った。
「ダメ。
わたしが言わないと、多分『怪化』は終わらない。
でも、言わないよ。言えないもん。
だから、ね。」
そう言って、出井亜寧羅は川面へと跳んだ。
「出井亜寧羅!
くそっ!」
慌ててフェンスをよじ登る空玲須。出井亜寧羅を追って、川へ飛び込む。
岸から見るよりも、圧倒的に速い川の流れ。そして、思ったよりも深い。懸命に手で漕ぐが、前に進んでいる感覚はなく、むしろ流れに押されているように感じる。
「これじゃ、出井亜寧羅に届かないッ!」
漕ぐ手に、もがく足に力を込める。
わたし、水の中、平気なんだ。「怪化」のせいかな。
出井亜寧羅は、川の中に沈んだまま、空玲須を見ていた。泳げば逃げられるのに、なぜか見ていた。犬はまた一匹増えていた。
そして。
がむしゃらな空玲須の泳ぎが、出井亜寧羅まで届いた、その時。
犬たちが一斉に空玲須に飛びかかる。両脚に、脇腹に、肩に、腕に、そして、最後の一匹は、空玲須の喉笛に、噛みかかった。
間一髪。
空玲須は犬の頭を片手で掴み、力を込めて引っ張った。出井亜寧羅の身体が、空玲須に引き寄せられる。
「あ…。」
言えない気持ち。だけど、言いたかった。伝えたかった。
そうだ。わたしきっと、待ってた。
こうやって、追い詰められるのを。
そしたら、言えるから。
「ぐぴくぷな。」
多分、「無理するな」って言った。出井亜寧羅には、そう聞こえた。
空玲須は、犬の頭を離して片手で出井亜寧羅の身体を抱きしめた。
「うん。
わたし。無理しない。
無理しないで言うよ。
わたしね…。」
出井亜寧羅の言葉は、水に溶けて空玲須の耳に入っていった。




