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OMNIBUS SMOKE  作者: gongon


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29/31

第二十九煙 GUM CINNAMON

同業者は、店へ入った瞬間に分かる。


普通の客は、最初に席を見る。


次にメニューを見て、店員が来るのを待つ。


同業者は違う。


シーシャ台を見る。


ボウルを見る。


炭の大きさと置き方を見て、棚に並んだフレーバーの銘柄を読む。


店員が何分で炭を替えるのかまで、何気ない顔で数えている。


料理人が、よその店で厨房の音を聞くのと同じなのかもしれない。


ただし、料理人が全員、入店して三秒で露骨に厨房を覗き込むわけではない。


そいつは、扉を開けて三秒でカウンターの中を見た。


二十代半ばくらい。


黒い服。


整った髪。


自分が見られることに慣れている立ち方をしていた。


「一人、いけます?」


「いけるよ」


俺はカウンターの端を示した。


男は座る前に、店内を一周見回した。


「思ったより、小さいっすね」


「初対面で店の悪口言うやつ、珍しいね」


「悪口じゃないっすよ。写真だと、もっと広く見えたんで」


「写真撮るん上手いけんね」


「VIPは?」


「ないよ」


「個室なし?」


「見たら分かるやろ」


男は、少し笑った。


「PERIODで働いてるレオです」


名前は知っていた。


会ったことはない。


同じ街でシーシャ屋をしていれば、ほかの店の名前くらいは耳に入る。


PERIODは、この辺りで一番大きい店だった。


席が多い。


スタッフも多い。


VIPルームまである。


週末には、入れずに帰る客がいるという。


OMNIBUSとは、店の作りも、客の数も違った。


「今日は偵察?」


「勉強っすよ」


「勉強するようには見えんけど」


「俺、こう見えて真面目なんで」


「自分で言う人、初めて見た」


「よく言われます」


褒めてはいなかった。


メニューを渡す。


レオは開かず、カウンターの棚を見た。


「何があります?」


「メニューに書いとるよ」


「おすすめでいいっす」


「甘い、さっぱり、花、スパイス。どれ?」


「店長が一番自信あるやつ」


「俺が自信ある味と、お前が好きな味が同じとは限らんよ」


「じゃあ、何でもいいっす」


「一番困る注文やね」


前にも、誰かへ同じことを言った気がする。


何でもいいと言う客ほど、何でもいいわけではない。


自分の中に答えを持っていて、それを店が当てられるか試している。


「普段、何吸うん?」


「ミックスっすね。単体はあんま吸わないです」


「甘いんは?」


「いけます」


「スパイスは?」


「作る人が上手ければ」


その言葉で、決めた。


「GUM CINNAMONにするよ」


「それ、難しくないっすか」


「作る人が上手ければ、いけるんやろ」


「言いますね」


レオが笑った。


棚からGUMとCINNAMONを取り出した。


ガムの甘さは、輪郭が丸い。


CINNAMONは、量が多ければほかの香りを押し潰す。


甘いだけならぼやける。


刺激だけなら、吸い続けるのがしんどい。


二つが同じ強さで主張すれば、味は喧嘩する。


GUMを中心に、CINNAMONは後ろから残る程度に合わせた。


レオは、俺の手元を隠そうともせず見ていた。


「何グラムっすか」


「数えたやろ」


「見えなかったんで」


「勉強不足やね」


「ボウル、もっと詰めた方が味出ません?」


「出るよ」


「じゃあ、なんでその高さなんすか」


「長く吸える方がええけん」


「最初弱くないっすか」


「最初だけ美味い台、俺は嫌いなんよ」


レオは、へえ、と言った。


納得した声ではなかった。


反論する材料を、一度持ち帰っただけの声だった。


炭を置き、時間を測る。


レオはその間も、店内を見ていた。


壁。


照明。


使っているシーシャ台。


カウンターの中に積んだ伝票。


「ここ、店長一人で回してるんすか」


「基本はね」


「客重なったら無理じゃないです?」


「待ってもらうよ」


「回転、悪くないっすか」


「悪いね」


「売上、作れます?」


「共同経営者みたいなこと聞くね」


「気になっただけっす」


「大きく稼ぐなら、PERIODの方が向いとるよ」


レオは、少しだけ表情を変えた。


「俺、あそこ辞めるんで」


「そうなん」


「驚かないんすか」


「俺の店の従業員やないけんね」


「普通、理由聞くでしょ」


「言いたいん?」


レオは、水を一口飲んだ。


「もう、学ぶことないんすよ」


「すごいね」


「馬鹿にしてます?」


「まだ一台も吸ってないけん、分からん」


俺は吸い出しを始めた。


最初はGUMの甘さが立つ。


少し遅れて、CINNAMONの乾いた刺激が舌と鼻へ残る。


炭を一つ外側へずらした。


もう少し待てば、二つの味が馴染む。


レオの前へ置いた。


「GUM CINNAMON」


レオは自分のマウスピースを付け、長く吸った。


白い煙を吐く。


二口目。


三口目。


すぐには感想を言わなかった。


同業者が黙って吸うときは、不味いか、悔しいかのどちらかだ。


「どう?」


「普通に美味いっす」


「普通に、いらんかったね」


「でも俺なら、もうちょいCINNAMON上げます」


「そう」


「あと、熱も入れる」


「お前の台なら、好きにしたらええよ」


「これ、俺の台じゃないんすか」


「俺が作った、お前の注文ね」


「同じでしょ」


「違うよ」


レオは、意味が分からないという顔をした。


扉のベルが鳴った。


入ってきたのは、美緒だった。


「一人?」


俺が聞くと、店内を見回した。


「あとからシナが来るかもしれん」


「かもしれん?」


「連絡つかんのよ」


一瞬だけ、レオの指が止まった。


気づくほど大きな動きではなかった。


俺はそのとき、見逃した。


「シーシャ、先に出しとく?」


「うん。GRAPEFRUIT MINT」


「いつものね」


美緒はカウンターの反対側へ座った。


レオとは一席空いている。


「知り合い?」


俺が聞くと、二人とも首を振った。


「PERIODのスタッフさん」


「ああ、あの大きい店」


美緒はそれだけ言った。


以前なら、元ホストのいる店と聞いただけで、もう少し顔を強張らせたかもしれない。


今は、メニューへ目を落とすだけだった。


レオが吸っているGUM CINNAMONの香りが、カウンターへ広がる。


「それ、何ですか」


美緒が聞いた。


「GUM CINNAMONっす」


「甘い?」


「甘いですけど、俺ならもっとスパイス出しますね」


「これ以上、辛くなるん?」


「辛いっていうか、輪郭っす」


美緒は、よく分からない顔で俺を見た。


「私のは、辛くせんといてね」


「GRAPEFRUIT MINTは辛くならんよ」


「この人、何でも足しそうやけん」


「俺、作らんから大丈夫」


レオが笑った。


「作りましょうか」


「ええよ。いつものが吸いたいけん」


美緒は軽く断った。


悪意はなかった。


レオの笑顔が、ほんの少し固くなった。


自分の腕を見せる機会を断られたように感じたのかもしれない。


俺はGRAPEFRUITとMINTを用意した。


美緒が最初にOMNIBUSへ来た頃から吸っている味。


酸味のあとに、冷たさが抜ける。


配分も、熱の入れ方も、前と大きくは変えていない。


毎回同じ味を出すことは、毎回新しい味を作るより地味だった。


けれど、客が「いつもの」と言えるのは、前と同じ場所へ帰れるからだ。


「店長」


レオが呼んだ。


「何?」


「炭、もう一個ください」


「まだいらんよ」


「俺、強い方が好きなんで」


「味薄い?」


「いや、もっと出せるなって」


「今で出とるよ」


「俺が客なんで、俺に合わせてくださいよ」


さっきまで、作る側の理屈を話していた男が、急に客の顔をした。


俺は炭を一つ持ち、レオの台へ追加した。


「外側から動かさんといて」


「分かってますって」


炭を置いてから、GRAPEFRUIT MINTへ戻った。


数分後、甘いガムの香りより、CINNAMONの刺激が強くなった。


レオは炭を中央へ寄せていた。


「触らんといて言うたやろ」


「こっちの方が出るんで」


「出た?」


レオは吸った。


吐いた煙は濃い。


その直後、小さく咳をした。


「ちょっと強いっすね」


「そらね」


俺は炭を外し、熱を逃がした。


「もったいないな」


「何がです?」


「自分で美味かった台、途中で壊したけん」


「俺は、もっといけると思ったんすよ」


「お前の舌が、まだ美味い言うとる間に止めたらよかったね」


「でも、もっと美味くなったかもしれないじゃないですか」


「なったかもしれんね」


「じゃあ」


「ならんかったけど」


レオは黙った。


俺は焦げかけた表面を整え、炭の数を減らした。


一度入りすぎた熱は、すぐには抜けない。


人間もシーシャも、攻めるより戻す方が時間がかかる。


美緒へGRAPEFRUIT MINTを出した。


一口吸った美緒が、頷く。


「うん。いつもの」


派手な感想ではなかった。


それでも、その一言でよかった。


レオが、美緒の台を見た。


「それ、俺が作ったらもっと美味くできますよ」


美緒はホースを持ったまま首を傾げた。


「でも、私はこれが好きなんやけど」


「吸ったら分かりますって」


「吸わんでも、今ので分かっとるよ」


レオは、また黙った。


俺はグラスへ水を注いだ。


「レオ」


「はい」


「お前のシーシャ、美味いんやろね」


「吸ったことないじゃないですか」


「自分でそこまで言えるんやけん、たぶん美味いよ」


「馬鹿にしてます?」


「しよらん」


俺は、美緒の前にあるシーシャを指した。


「でも店は、お前が一番美味いって証明する場所やないよ」


「じゃあ、何をする場所なんすか」


「客が、自分の美味いを吸って帰る場所」


「客は分かってないこともあるでしょ」


「あるね」


「だったら、教えた方がいいじゃないですか」


「聞かれたら教えたらええ。嫌や言われたら、そこで終わりよ」


「それじゃ上手くならないっすよ」


「誰が?」


レオは答えなかった。


客が上手くなる必要はない。


客は、シーシャ職人になるために店へ来るわけではない。


好きな味を吸い、話したいことを話し、帰りたいときに帰る。


そのために金を払う。


「PERIODのオーナー、優しいんすよ」


レオが言った。


「怒らんの?」


「注意はします。でも最後は、俺の好きにさせてくれる」


「優しいね」


「だから、俺が辞めるって言ったら、給料とかシフトとか色々出してきて」


「心配なんやろ」


「そういうの、重いんすよ」


「そうやね」


俺は、少しだけ牧田という男へ同情した。


会ったことは何度かある。


話したことは、ほとんどない。


昼は整体師をしていると聞いた。


柔らかく喋り、誰に対しても頭を下げる男だった。


レオのような人間へ、最後まで手を伸ばし続ける姿は想像できた。


「でも、お前が聞かんけん、条件変えて言い続けよんやない?」


「俺のせいってことですか」


「誰のせいか決めに来たん?」


「違いますけど」


「ほんなら、辞めたらええやん」


レオが俺を見た。


牧田なら、たぶん言わない言葉だった。


俺も、誰にでも言うわけではない。


辞めたあとに困る人間もいる。


止めなければ、本当に沈む人間もいる。


だがレオは、自分で泳げると思って水へ入ろうとしている。


溺れるかもしれないからと、陸へ縛る理由はなかった。


「辞めて、自分の店したらええ」


「簡単に言いますね」


「簡単やないよ。家賃払って、仕入れして、掃除して、客が来ん日も開ける。美味い台作っても、誰にも注文されん夜もある」


「分かってます」


「分かってない顔しとるけど、やったら分かるよ」


「失敗すると思ってるんすか」


「すると思う」


「はっきり言いますね」


「俺もしたけん」


レオが、初めて反論しなかった。


失敗しない人間だけが店を持てるなら、街から店はなくなる。


失敗して、金を減らし、客に謝り、次の日も炭へ火をつける。


店主になるというのは、たぶん、その繰り返しだった。


「それでもやりたいなら、やったらええよ」


「止めないんすね」


「俺に止める理由ないけんね」


「牧田さんと、全然違いますね」


「向こうの方が、ええ人なんやろ」


「自分で言います?」


「よく言われる」


今度は、レオが声を出して笑った。


美緒は俺たちの話へ興味を失い、携帯でシナへ連絡していた。


返事は来ていないようだった。


レオのGUM CINNAMONは、少しずつ味を戻した。


完全には戻らない。


CINNAMONの刺激が強く残り、最初にあったGUMの丸い甘さは薄くなっていた。


レオは、それでも最後まで吸った。


会計のとき、財布を出しながら店内をもう一度見た。


「スタッフ、募集してないんすか」


「してないよ」


「俺が入りたいって言ったら?」


「断る」


答えると、レオは眉を寄せた。


「俺のシーシャ、吸ってないでしょ」


「美味いかどうかの話やないけん」


「じゃあ、何ですか」


「客の嫌を聞けん人は、うちでは台作らせんよ」


「一回会っただけで決めるんすか」


「一回会っただけの店に、雇ってもらおうとしよるん誰よ」


レオは言葉に詰まった。


「客なら、また来てええよ」


「何で客ならいいんすか」


「客の嫌は、俺が聞けるけん」


レオは、しばらく俺を見た。


怒って帰ると思った。


だが、財布から代金を出し、カウンターへ置いた。


「ごちそうさまでした」


初めて、客らしい言葉を言った。


「また来ます」


「今度、お前の台吸わせてや」


「絶対、今日のより美味いの作りますよ」


「俺の美味い、聞いてから作ってね」


レオは笑わなかった。


それでも、否定もしなかった。


扉が閉まる。


「あの人、面倒くさいね」


美緒が言った。


「若いけんね」


「店長、二つしか変わらんくらいやない?」


「俺は生まれたときから大人やったよ」


「そういうとこ、あの人と似とるよ」


「どこが」


「自分のこと、よう分かっとると思っとるとこ」


痛いところを押された。


俺は返事をせず、レオが使った台を下げた。


GUM CINNAMON。


最初は、誰もが知っているような甘さがある。


その後ろに、自分だけは違うと思いたい刺激が残る。


甘さだけでは物足りない。


刺激を足しすぎれば、最初に好きだった味まで分からなくなる。


レオがPERIODを辞めるまで、あと三週間。


このときの俺は、あいつがもう一度OMNIBUSへ来ると思っていた。


次に会う場所まで、この店になるとは限らなかった。

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