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OMNIBUS SMOKE  作者: gongon


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17/24

第十七煙 PINE MINT

夜の人間は、夜に働く人間のことではない。


暗い場所でしか通じない言葉を知り、それを明るい場所まで持ち帰れる人間のことだ。


一度覚えた言葉は、使わなくなっても忘れない。


「あなたを、店の外へ出すためですよ」


男は、静かに言った。


エンジンの振動だけが、アルファードの床から伝わってくる。


「俺を出して、何がしたいん」


「その前に、名乗ってませんでしたね」


男は背もたれへ身体を預けた。


「ゴトウです」


「名字?」


「どちらでも、好きな方で」


本名かどうかは教えないという意味だった。


俺にとっては、どちらでもよかった。


「ゴトウ。何がしたいん」


「この街を、一つにしたいんです」


「市長選でも出るん?」


「もっと、現実的な話ですよ」


ゴトウは窓の外へ目を向けた。


白い照明。


積み上がったコンテナ。


離れた場所で、シオリたちがこちらを見ている。


「これからは、ヤクザの時代じゃない」


ゴトウが言った。


「看板を掲げ、事務所を構え、全員が一日中悪人でいる。そんな組織は、もう目立ちすぎる」


警察も、銀行も、不動産屋も、昔よりずっとヤクザを見つけるのが上手くなった。


名前が知られれば、家を借りにくい。


口座も作れない。


車一台持つにも、人の名前が必要になる。


大きな看板は、力の証であると同時に、狙う場所を教える印にもなる。


「これからは、半グレやギャングの時代です」


「呼び方変えただけやろ」


「仕組みが違う」


ゴトウの声に、初めて少し熱が入った。


「家も持てる。通帳も、車も持てる。昼間は普通の会社で働く。結婚して、子供を保育園へ迎えに行く人間もいる」


必要なときだけ。


必要な人間だけが集まる。


金を動かす人間。


店へ話を通す人間。


揉め事を収める人間。


そして、どうしても必要になったときだけ、手を汚す人間。


仕事が終われば、それぞれの昼へ戻っていく。


全員が組織の全体を知る必要はない。


自分が巨大な何かの一部だと気づかない人間がいてもいい。


「この地方都市にある裏の組織を、全部一つにまとめる」


ゴトウは言った。


「ヤクザも、半グレも、街の小さなグループも。名前は残していい。上に、一つの巨大なカルテルを作る」


「薬の会社でも始めるん?」


「薬だけじゃない。店も、金も、人も、街で起きる揉め事もです」


表から見れば、今までと変わらない地方都市。


会社員が働き、学生が歩き、夜になれば繁華街に明かりがつく。


だが、その裏で金と人の流れを一つに繋げる。


どこかで問題が起きれば、ゴトウのところへ話が届く。


誰が得をし、誰が損をするかを、この男が決める。


「裏から、この街を支配するつもり?」


「支配という言葉が嫌なら、管理でもいい」


「言い方変えただけやろ」


「言葉は大事ですよ。人は、自分が従っていると思えば反抗する。守られていると思えば、金を払う」


話し方は穏やかだった。


だが、夢を語る人間の目をしていた。


自分なら本当にできると信じている。


だからこそ、失敗したときに何人が巻き込まれるかを考えていない。


「それで、俺に何させたいん」


「足がかりになってほしい」


ゴトウは、俺を真っ直ぐ見た。


「親父さんを説得してください。古い組織が一つ入れば、ほかも動く。手始めに、この街の若い連中を俺の下へ統合したい」


「コーセイらも?」


「生き残った人間は、使えます」


隣で、コーセイの身体がわずかに動いた。


「物みたいに言うなや」


「人を使わずに、組織は作れない」


「俺が親父のところへ頭下げて、お前を紹介するん?」


「頭を下げる必要はありません。息子として話してくれればいい」


「縁切っとる言うたやろ」


「切れていないから、今ここへ来た」


返す言葉が、一瞬遅れた。


俺は、親父の名前を使うつもりで店を出た。


ゴトウの言っていることは間違っていない。


縁を切った人間は、その縁で相手を黙らせようとはしない。


「金は、十分払います」


ゴトウが続けた。


「店を何軒増やしてもいい。看護師を辞めても困らない額を用意する」


「よう調べとるな」


「あなたの店を見れば、分かりますよ」


「何が?」


「あなたはもう、俺が作りたいものを、小さく作っている」


OMNIBUS。


ヤクザも、医者も、詐欺師も、風俗嬢も、教師も、営業マンも来る店。


過去も、職業も、金の稼ぎ方も聞かず、同じ煙を出す。


本来なら交わらない人間が、低いソファへ並んで座る。


「あの店を、この街全体へ広げるんです」


ゴトウは言った。


「あなたなら、人を繋げられる」


「俺は、シーシャ出しよるだけよ」


「それで人が集まるなら、充分でしょう」


「集めた人間に、何かさせたことはない」


「これから覚えればいい」


「嫌よ」


考える時間は、いらなかった。


ゴトウは、少しだけ首を傾けた。


「条件を聞く前に?」


「金額の問題やない」


「なら、何が気に入らないんです」


「やり方」


俺は、ゴトウの目を見た。


「裏の組織やの、カルテルやの、好きにしたらええよ。お前の夢まで止める気はない」


「理解がある」


「でもな。俺一人を店の外へ引きずり出すために、何人不幸にしたんぞ」


二人が病院へ入った。


一人が仲間を刺し、捕まった。


薬を使い続けて、どこにいるか分からない人間もいる。


コーセイの下で疑い合い、殴り合い、逃げる場所をなくした人間もいる。


そして、何も知らないOMNIBUSの客まで危険に晒された。


「俺は、店におる俺で充分やった」


俺は言った。


「お前が勝手に、それじゃ足りん思うたんやろ。俺を、あの人の息子として外へ出すために」


「必要な過程でした」


「人を不幸にするんを過程で片づけるやつに、俺の店も、名前も貸さん」


「大きなものを作るには、犠牲がいる」


「犠牲になる本人へ言うてみろや」


「あなたも、ずいぶん綺麗なことを言うようになった」


ゴトウの手が、ゆっくり動いた。


上着の内側へ入る。


出てきたものを見て、コーセイが息を止めた。


拳銃だった。


黒い銃口が、俺の胸へ向いた。


運転席の男が、ルームミラー越しにこちらを見る。


「綺麗な人間なら、ここで何と言うんでしょうね」


ゴトウが聞いた。


「警察呼ぶんやない?」


「あなたは?」


「撃ってこい」


隣で、コーセイが俺を見た。


「先輩」


「一発で俺が死なんかったら、確実に俺がお前を殺す」


ゴトウの笑顔が消えた。


「俺が死んだら、コーセイが運転手を殺す。そのまま、この車でお前の部下を、できる限り巻き込ませる」


運転手の肩が強張った。


コーセイは何も言わない。


否定もしなかった。


「脅すために向けとるわけやないよな?」


俺は、銃口から目を逸らさなかった。


「撃つ気ないなら下ろせ。撃つ気あるなら、早う撃てや」


数秒だったのか。


もっと長かったのか。


車内から、音が消えた。


前のめりになったコーセイを、俺は片腕でシートへ押さえつけた。


「動くなや」


「でも、先輩」


「お前が動いたら、話し合い終わるやろ」


銃を向けられている人間が言うことではない。


自分でも分かっていた。


最初に声を出したのは、ゴトウだった。


小さく息を漏らす。


それが笑いに変わった。


肩を揺らし、声を抑えられなくなったように笑う。


最後には、車の外にいる人間へも聞こえるほど大きな声になった。


「つくづく、あなたは夜の人間だ!」


高らかに言った。


「何がおもろいんや」


「昼の人間は、銃を向けられたら自分が助かる方法を考える。あなたは、自分が死んだあとの殺し方まで決めた」


「お前が銃出すけんやろ」


「その発想が、もう夜なんですよ」


ゴトウは拳銃を下ろした。


上着の内側へ戻す。


俺は、それを見届けてから、コーセイを押さえていた腕を離した。


「俺、まだ何もしてませんよ」


コーセイが言った。


「しそうな顔しとった」


「先輩に言われた通りにする気でした」


「やけん止めたんよ」


ゴトウが、また声を上げて笑った。


「二人とも、面白い」


「俺は疲れよんの。話終わらせるぞ」


俺は携帯で時間を見た。


安倍に決められた時刻まで、三十分を切っていた。


「今回の件は、ここで手打ち」


「こちらに、何の得が?」


「もう充分取ったやろ。コーセイらも、お前らも、人を失いすぎとる」


ゴトウは黙って聞いた。


「薬は、これ以上流すな」


「それから?」


「コーセイは、今日で半グレを辞める。グループも終わり」


俺は隣を見た。


「それでええな?」


コーセイは、すぐには答えなかった。


膝の上で、両手を強く握っている。


自分が連れてきた人間。


守れなかった人間。


まだ、病院にいる人間。


全部を置いて、自分だけ逃げるように感じているのだろう。


「辞めるんは、逃げることやないぞ」


俺は言った。


「続けても、もう誰も守れん」


コーセイは目を閉じた。


一度、深く息を吐く。


「はい」


目を開けた。


「今日で、辞めます」


ゴトウが、コーセイを見た。


「元いた人間は?」


「お前らは、これ以上手を出さん。無理に引き入れるんもなし。向こうから来ても、今回のことで脅して使うな」


「随分、こちらへ不利な条件ですね」


「潰したかったグループはなくなる。充分やろ」


しばらく考えたあと、ゴトウは頷いた。


「いいでしょう」


「俺は、お前に手を貸さん」


「邪魔は?」


「せんよ。俺の店と客へ手を出さん限りは」


「親父さんにも?」


「何も言わん。お前が自分で話せ」


「会わせては?」


「やり方が気に食わん言うたやろ」


「残念です」


残念そうには見えなかった。


断られることまで楽しんでいる顔だった。


「最後に、店のこと」


俺が言うと、ゴトウは少し身を乗り出した。


「OMNIBUSへは来てもええ。お前も、シオリも、コーセイも」


「随分、寛大ですね」


「客ならね」


武器を持ち込まない。


揉め事を持ち込まない。


店の外で何者でも、扉を入れば客になる。


もし、違うグループの人間同士が店で鉢合わせても、互いに見て見ぬふりをする。


「乗合バスで、知らん人間が隣に座ったようなもんよ」


俺は言った。


「降りる場所が違っても、乗っとる間は喧嘩せんやろ」


「それで、OMNIBUSですか」


「今気づいたん?」


ゴトウが笑った。


「中立地帯を作るつもりですか」


「シーシャ屋をするだけよ」


「同じことかもしれませんよ」


「違う。俺は煙しか出さん」


ゴトウは、右手を差し出した。


俺は見たが、握らなかった。


「言葉でええやろ」


「信用がない」


「銃向けた相手に言う?」


ゴトウは手を引いた。


「分かりました。今回の件は手打ち。コーセイ君のグループには、これ以上手を出さない。OMNIBUSの中では、全員が客」


「薬も」


「これ以上は流しません」


「なら、終わり」


安倍との約束まで、二十二分。


帰る時間を考えれば、もう余裕はなかった。


「店まで送って」


俺が言うと、運転手が初めて振り返った。


「俺がですか」


「ほかに誰がおるん」


「自分で帰れや」


「さっき、俺が死んだら最初に殺される役やったの、忘れたん?」


運転手の顔が引きつった。


「OMNIBUSまで。遠回りも、変な場所へ寄るんもなし。何かしたら、今度はお前から話するけんね」


「脅しとるんか」


「お願いしよる」


「どこがや」


「最後だけ」


ゴトウが、また笑った。


「送って差し上げろ」


そう言って、アルファードを降りた。


シオリが近づき、ゴトウの隣へ立つ。


スライドドアが閉まり始める。


ゴトウは、遠ざかる俺の顔を見ながら鼻を鳴らした。


「いけすかんガキだ」


「聞こえとるぞ」


閉まりかけたドアの向こうで、ゴトウが笑う。


「なまじ実力もあるだけに、油断ならん」


「早う帰れや、おっさん」


「俺は諦めませんよ!」


最後の言葉だけ、大きな声で追いかけてきた。


ドアが閉まる。


アルファードは、ゴトウとシオリをコンテナパークへ残して走り出した。


コーセイは、しばらく黙っていた。


街の明かりが近づいてきた頃、ようやく口を開いた。


「先輩」


「何?」


「俺、ほんまに辞められますかね」


「もう辞めたやろ」


「そんな簡単なもんですか」


「簡単やないけん、先に言葉にするんよ」


「俺が連れてきたやつらは?」


「一緒に辞めたいなら辞めたらええ。残りたい言うても、お前のグループはもうない」


「恨まれますね」


「生きとったら、そのうち文句も言いに来るやろ」


「先輩は、簡単に言いますね」


「簡単に言わんと、難しいことばっかりになるけん」


携帯が震えた。


安倍からだった。


――あと八分。


俺は運転手の肩を軽く叩いた。


「間に合う?」


「信号次第じゃ」


「赤は止まってよ。事故ったら余計遅なるけん」


「急げ言うたり、止まれ言うたり、どっちなんぞ」


「安全に急いで」


「無茶言うなや」


運転手が初めて、半グレではなく普通の運転手みたいな愚痴を言った。


OMNIBUSの前へ着いたとき、携帯のタイマーは残り十九秒だった。


俺とコーセイが車を降りる。


「ありがとう」


運転手へ言うと、睨まれた。


「二度と乗せんぞ」


「次は客で来てや」


返事を待たず、俺とコーセイは階段へ走った。


臨時休業の札が、扉に掛かったままだった。


二階まで駆け上がる。


扉を叩くより先に、安倍が内側から鍵を開けた。


俺とコーセイが店へ入ったとき、携帯のタイマーは残り三秒だった。


「三秒前だ」


「間に合ったやろ」


「一時間半以内に戻ることと、残り三秒で戻ることは同じではない」


「時間は守っとるよ」


「お前と待ち合わせはしたくない」


安倍が鍵を閉めると同時に、タイマーが鳴った。


三人の男は、同じソファへ座っていた。


テーブルには、安倍が出したらしいペットボトルの茶と、使い終えた救急用品が置かれている。


腕を痛めていた男には、簡単な固定がされていた。


「何があった」


安倍が聞いた。


俺は、最初から話した。


コーセイたちと相手のグループが、最初は仲間だったこと。


シンナーを売ったのは、コーセイ側の人間だったこと。


八人に囲まれたこと。


シオリと再会したこと。


ゴトウが作ろうとしている巨大なカルテル。


そして、アルファードの中で決めた手打ちの条件。


「拳銃の話が抜けている」


コーセイが言った。


「今から言おうと思いよった」


安倍が、ゆっくり俺を見た。


「向けられたのか」


「うん」


「撃たれたのか」


「撃たれとったら、こんな元気に帰ってこんやろ」


「そういう意味で聞いていない」


安倍は目を閉じ、眉間を押さえた。


「警察へ連絡する」


「今回のことは、もう終わったよ」


「終わったかどうかを、お前一人で決めるな」


「一人やない。コーセイもおった」


「数に入れていい人間か?」


「ひどくないですか」


コーセイが小さく言った。


安倍は答えなかった。


正しい反応だった。


コーセイは、ソファに座る三人の前へ立った。


「話があります」


三人が顔を上げる。


「俺らのグループは、今日で終わりです」


誰も、すぐには話さなかった。


怒るかと思った。


責任を取れと、コーセイへ掴みかかる人間がいるかもしれない。


だが、最初に聞こえたのは、長い息だった。


一番若い男が、身体の力を抜く。


「終わって、ええんですか」


「終わらせる。俺も、もう辞める」


「俺らは?」


「好きにしてええ。ただ、俺の名前はもう使えん」


「向こうは?」


「手は出さんと約束させた」


三人の顔に、安心と不安が同時に浮かんだ。


明日から普通の人間になれると言われても、何をすればいいかは分からない。


普通という場所には、入口も受付もない。


それでも、追われない夜が一つできれば、考える時間は持てる。


「病院へ行く人は、朝になったら行け」


俺は言った。


「警察へ話すことがある人は話せ。辞めるんと、なかったことにするんは違うけんね」


四人とも、黙って頷いた。


俺はカウンターへ戻った。


身体から力が抜ける。


「疲れたぁ」


自分の声が、店の中へ長く伸びた。


「今日は帰って寝ろ」


安倍が言った。


「一本だけ」


「誰の注文だ」


「俺の」


棚からPINEとMINTを取り出した。


明るい甘さのPINE。


あとから冷たさを残すMINT。


ミントが前へ出すぎないように合わせ、ボウルへ詰める。


炭を外側へ置き、ゆっくり熱を入れた。


数分蒸らし、状態を確かめるために吸う。


ボトルが低く鳴った。


パインの甘い香りが広がり、そのあとからミントが熱を冷ました。


俺は、白い煙を長く吐いた。


「生き返る?」


安倍が聞いた。


「ちょっとだけ」


ソファにいたコーセイが、こちらを見ていた。


「先輩」


「何?」


「一口、ええですか」


俺は新しいマウスピースを一本取り出した。


「客として?」


コーセイは、少しだけ笑った。


「はい。客として」


ホースを渡す。


コーセイは、BAKU NIGHTSを吸った夜より上手に、ゆっくり煙を吸った。


PINE MINT。


パインの甘さを吐き終える頃、ミントの冷たさが残る。


半グレでも、頭でもない。


その夜、コーセイがOMNIBUSへ持ち帰った肩書きは、客だけだった。

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