第18話 勇者と踊り子
魔王城へ戻った二人。
東への旅を前に、
ミュルラスは古い知人の話を始めます。
Le héros et la danseuse
再び、
魔王城。
ミュルラスとノエルは、
塔の図書室にいた。
大きな机が、
するすると広がる。
その上へ、
魔界の地図を、
いっぱいに広げた。
「東の果てか」
ミュルラスは、
地図の端を見つめている。
そこから先は、
何も、描かれていない。
ノエルも、
隣から覗き込んだ。
「ねえ」
「なんだ」
「長老さんとは、
昔からの知り合いなの?」
「そうだな」
「手をかざしてたのは……」
ノエルは、
自分の額の前へ手をやってみる。
「何か、光みたいなものが出てたように見えたけど――」
「お帰りなさいませ。魔王様」
「わっ」
いつの間にか、
少し離れたところに、
ラザンが跪いていた。
「ラザンか」
ミュルラスが、振り返る。
「何かあったか?」
「いえ。お戻りの気配がございましたので」
「そうか」
少し考えて、
「ザーロの実を搾ったものを、
二人分、持ってきてくれ」
「ははっ」
ラザンが、姿を消した。
そして、
少しして、机の上に、
二つのグラスが置かれた。
「……」
ノエルは、それを見る。
大きい。
ものすごく、大きい。
ビールジョッキみたいな、
巨大なグラス。
中には、
赤い液体が入っている。
「これは?」
「まあ、飲め」
ノエルは、
顔を近づける。
すん。
爽やかな香り。
でも、
嗅いだことのない匂い。
「いい匂い」
グラスを持とうとする。
「……」
持ち上がらない。
もう一度。
「……重い」
ミュルラスを見る。
「これ、重くて持てない」
「そうなのか?」
「君は持てるの?」
ミュルラスが、
片手で持ち上げた。
「……」
軽々。
「持てる」
「うん。見れば分かる」
ノエルは、
空間へ手を入れた。
「あ」
取り出したのは、
キャンプ用のカップ。
「これ、持ってきてた」
「貸せ」
ミュルラスが、
ザーロの汁を注いでくれる。
ノエルは、一口。
「……!」
苦い。
爽やかな香りから、
想像していなかった味。
ゴーヤみたい。
「苦い」
「もう一口、飲んでみろ」
「ほんと?」
もう一口。
「……あれ?」
苦味が、少し消えた。
その奥から、
レモンのような、爽やかな酸味。
「味、変わった」
「そうだろ」
ミュルラスは、
蜂蜜の瓶を取り出した。
そして、
巨大なグラスへ、どぼどぼ入れる。
「そんなに?」
「うまいぞ」
「ほんとかな……」
「お前も、入れてみろ」
ノエルは、
自分のカップへ。
少しだけ、混ぜる。
飲む。
「あ」
今度は、
ちゃんと、蜂蜜レモン。
「美味しい……」
「だろ?」
ミュルラスが、
得意そうに笑う。
「前に戻ってきた時にな」
「うん」
「こっちの蜂蜜を入れたら、最悪だった」
「最悪だったんだ」
「ああ」
ミュルラスは、
巨大なグラスを片手に持ったまま、
ごくごく飲んでいる。
「だから、
人間界の蜂蜜なら、うまくなるんじゃないかと思ってた」
「それで、持ってきたんだ」
「ああ」
ノエルも、もう一口飲む。
「この実、ザーロっていうの?」
「ああ」
ミュルラスが、
地図へ視線を戻した。
「これを最初にくれたのが、ネイラムだ」
「長老さん?」
「ああ」
ノエルは、
カップを置いた。
「ネイラムは、もともと東の国の魔術師だった」
「東……」
地図を見る。
「これから行く方?」
「そうだ」
ミュルラスは、
しばらく地図を見ていた。
「昔は、あの辺りにも国がいくつかあった」
「昔?」
「ああ」
少し、
間があった。
「俺も、いろいろ戦っていた頃だ」
ノエルは、
黙って聞く。
「一度だけ」
ミュルラスが言った。
「大きな傷を負ったことがある」
「君が?」
「ああ」
それは、
ノエルには、少し意外だった。
「東の国を攻めていた時だ」
「……」
「傷を負って、木陰で休んでいた」
ミュルラスは、
なんでもないことのように話す。
「そこへ、ネイラムが来た」
「敵だったんでしょ?」
「ああ」
「それなのに?」
「治癒魔法を、かけてきた」
「……」
「変なやつだろ」
ミュルラスは、
ザーロを飲む。
「だが」
グラスを置いた。
「俺の側近が、それを見た」
ノエルは、
ミュルラスを見る。
「魔王に何をする、と」
「……」
「ネイラムへ、呪いをかけた」
ノエルの表情が、変わる。
「俺が、魔法の起動を止めた」
「間に合った?」
「全部は、止められなかった」
ミュルラスの声は、
変わらない。
「側近は、その場で殺した」
「……」
「ネイラムは、生き残った」
少しだけ、
間。
「だが、目を失った」
ノエルは、
さっき会った、老人を思い出す。
目のない顔。
大きな耳。
深い緑のローブ。
そして、
ミュルラスの手のひら。
「だから、あの魔法を?」
「ああ」
「目を、見えるようにしてるの?」
「一時的にな」
「……」
「その後、俺の城の近くに土地をやった」
「それが、ヴァルネト?」
「ああ」
ミュルラスは、
またザーロを飲む。
「こいつも、ネイラムが持ってきた」
赤い液体が、
グラスの中で揺れる。
「東の国の、ザーロ」
「どんな実なの?」
「汁を飲むと、
心身の傷が癒える」
「へえ」
「それから」
ミュルラスが、
ノエルを見る。
「新しい試練に耐える力を、
与えると言われている」
「……そんなにすごいの?」
「ああ。だから貴重だ」
「ヴァルネトでは、育たないの?」
「育たん」
ミュルラスが、
地図の東を指す。
「東の絶壁にしか、実らない」
「絶壁?」
「ああ」
「じゃあ、どうやって採るの?」
「魔術だ」
「……」
「ネイラムに、採りに行かせている」
「……え?」
「なんだ」
「長老さんに?」
「ああ」
「どうして?」
「呪いを抑える魔法を、
かけてやっているだろ」
「うん」
「その代わりだ」
「……」
ノエルは、
ミュルラスを見る。
本人は。
当然の取引のような顔をしている。
数百年。
ノエルは、
何も言わなかった。
ただ、
ザーロを、もう一口飲んだ。
甘酸っぱい。
「さて」
ミュルラスが、
地図を見る。
「少し進んだら、瞬間移動で戻る」
「うん」
「これを繰り返すしかないな」
「ねえ」
「なんだ」
「途中でキャンプすればいいんじゃない?」
「……」
ミュルラスが、
こちらを見る。
「まあ、そうだな」
「僕、キャンプ道具持ってきたよ」
「だが」
ミュルラスは、
少し考える。
「勇者は、宿屋に泊まるからな」
「……」
「う、うん……」
何か、
すごく、わくわくしている。
戻った方が、
絶対に楽だと思う。
お風呂もある。
ベッドもある。
冷たいコーラもある。
でも。
ミュルラスの顔を見る。
「……まあ、いっか」
「なんだ?」
「なんでもない」
仕方ない。
付き合おう。
「じゃあ、
万が一のためのもの、
ちゃんとポケットに入れとかないとね」
「ああ」
ノエルは、
荷物のことを考える。
水。
食べ物。
着替え。
薬。
その時、
机の上に、絵本が置かれているのに気づいた。
「……」
ミュルラスが、
いつの間にか出していたらしい。
ノエルは、
何気なく手を伸ばした。
「あれ?」
少し、光っている。
胸元を見る。
ペンダントも、
淡く、光っていた。
「ねえ」
「なんだ」
「これ」
ノエルは、
ペンダントを摘まむ。
それから。
ミュルラスの右手を見る。
黒い指輪。
「やっぱり、
君の指輪と、なんか似てるよね」
「そうか?」
「うん。なんとなくだけど」
ノエルは、
絵本を開いた。
ぱら。
ぱら。
ページを、
めくっていく。
そして、最後。
「……あれ?」
「どうした」
「ここ」
最後のページ。
その向こうに、何か。
「もう一枚?」
いや、違う。
「こんなの、前にあったっけ……」
指先で、
そっと触れる。
すると、かすかな音。
開いた。
「……」
ページではなかった。
裏表紙の、内側。
そこには。
美しい装飾が、描かれていた。
そして、中央に、
浅い、楕円形の窪み。
「……なに、これ」
ノエルは、
指先で触れる。
その時、背後から、
ぴー。
ぴー。
ぷー。
たらたら。
つーつるつー。
「……?」
ノエルは、振り返った。
「……なにしてるの?」
いつの間にか、
ミュルラスは、ゲームを設置していた。
モニターまで。
そして、
ドラクエを、始めている。
「ミュルラス」
「なんだ」
「電気は?」
「これだ」
コンセントの先。
何か小さなランプのようなものが、光っている。
「……」
魔法。
たぶん、
もう、驚かない。
「急に、どうしたの?」
ミュルラスは、
画面を見たまま答える。
「東の果て、という言葉でな」
「うん」
「ふと思い出した」
「何を?」
「やり残したダンジョンがある」
「……」
「確か、東の方だったはずだ」
「……」
これから、
本当に。未開の東へ、
行こうとしている。
その本人が、
今、ゲームの中でも、東へ向かっている。
ノエルは、
少し笑った。
本物の魔王が。
勇者になっている。
「そうだ」
ノエルも、
空間へ手を入れた。
充電器。
「これ、持ってきたけど」
コンセントを見る。
「……入らなそうだな」
「俺が、なんとかしてやる」
「ほんと?」
「ああ」
ミュルラスは、
画面から目を離さない。
ノエルは、
隣に座った。
地図を見る。
まだ何も描かれていない、東の先。
それから。
画面の中を走っている、小さな勇者。
「ねえ」
「なんだ」
「君が勇者なら、僕は何かな」
少し考えて。
「あ。僕、踊り子がいいな」
「踊り子?」
ミュルラスが、
画面から目を離した。
そして、
「ああ……」
何かを、思い出したような顔。
「そうだ。あの時……」
「うん」
ノエルは、
少し笑った。
ミュルラスも、
ふっと笑う。
「まあ」
もう一度、
画面を見る。
「ノエルが踊り子なら、悪くないな」
「でしょ?」
ノエルは、
もう一度、地図を見る。
何もない場所。
これから、
そこへ行く。
勇者と、踊り子。
なんだか、
少しだけ、
冒険が、楽しみになった。
à suivre…
地図の向こうには、まだ知らない世界。
魔王は勇者に。
ノエルは踊り子に。
どうやら、少し変わった冒険になりそうです。




