第17話 東の果て
交易村ヴァルネトの長老、ネイラム。
古い絵本を携えて、
二人は長老の館を訪ねます。
Aux confins de l’Est
交易村ヴァルネトは、
魔王の訪問で、大変な騒ぎになっていた。
今日は、
好きなだけ飲み食いしてよい。
しかも。
代金は、魔王が払う。
通りのあちこちから、
歓声が聞こえている。
そんな中。
ミュルラスとノエルは、
長老の館へ向かっていた。
*
館の前には、
すでに何人かの魔人が立っていた。
その中央に、
一人の老人。
美しい、
深い緑のローブ。
大きな耳。
そして。
目が、なかった。
「魔王様。よう、お越しくださいました」
老人が、
深く頭を下げる。
「久しぶりだな。ネイラム」
ミュルラスが、
老人の前へ立った。
そして、
その額の上に、
手のひらをかざす。
「もったいのうございます。魔王様」
ノエルは、
じっと見ていた。
ミュルラスの手のひらから、
何か、ごく微かなものが流れている。
「どうだ?」
ネイラムが、
ゆっくり顔を上げた。
「はい」
穏やかに、微笑む。
「よう見えまする」
「そうか」
「ささ。どうぞ、中へ」
*
通されたのは、
質素で、清潔な部屋だった。
大きな木の椅子が、いくつか、
中央には、低い机。
外の賑わいが、
少し遠く聞こえる。
ミュルラスが、座る。
ノエルも、その隣へ。
ネイラムは、
しばらく、ノエルを見ていた。
「人間のお方かな」
「ノエルだ」
ミュルラスが、答える。
「人間界で、ともに住んでおる」
「……」
ノエルは、
ミュルラスを見る。
ともに住んでいる。
まあ、
間違っては、いない。
「初めまして。ノエルです」
微笑む。
ネイラムも、
穏やかに頭を下げた。
「これは、ご丁寧に」
そして、
もう一度、ノエルを見る。
「良い粒子じゃ」
「粒子?」
「人にしては、なかなかの魔力をお持ちですな」
ネイラムが、微笑む。
「魔王様が、おそばに置かれるのも分かりまする」
その視線が、
ふと、ノエルの胸元で止まった。
「……それは」
「?」
ペンダント。
先ほど、
ミュルラスがノエルの首へ掛けたもの。
ネイラムは、
それを見る。
そして、
ミュルラスの右手。
黒い指輪を見る。
「……」
しばらく、
何も言わない。
やがて、
「そうですか」
もう一度、
「そうですか」
小さく、頷いた。
ノエルは、
ミュルラスを見る。
ミュルラスも、
よく分からない顔をしている。
「それで」
ネイラムが、二人を見る。
「本日は、いかがなされました?」
「ああ」
ミュルラスが、
空間へ手を入れる。
一冊の本が、現れた。
あの、
古い絵本。
「これなんだが」
机の上へ置く。
「ノエルが、人間界で見つけた」
ネイラムの表情が、変わった。
「読めるか?」
「……ほう」
ネイラムが、
本へ手を伸ばす。
「拝見させてくださいませ」
ゆっくり、
ページをめくる。
一枚。
また、
一枚。
静かな時間が、流れる。
その間、
ノエルの胸元のペンダントが、
淡く光っていた。
ミュルラスの指輪も。
そして、
机の上の本も。
まるで、
三つが、互いを知っているように。
淡い光を、
返している。
やがて、
ネイラムが、顔を上げた。
「申し訳ございません」
本を、静かに閉じる。
「私には、読めませぬ」
「そうか」
「ただ……」
「なんだ」
ネイラムが、
少し考える。
「あのお方ならば」
「誰だ?」
「古の賢者と、呼ばれるお方でございます」
「古の賢者?」
「あのお方であれば、
あるいは、この文字を読めるかと」
ミュルラスが、
少し身を乗り出した。
「そいつは、どこにおる?」
「東の果て」
ネイラムが、
静かに答える。
「岩山の洞窟に、
ここ数百年は、おられるかと」
「東の果てか」
ミュルラスが、
空間へ手を入れた。
大きな地図。
机の上へ、広げる。
いや、
地図が大きすぎる。
ミュルラスが、
机へ指を向けた。
するすると。
机が、広がっていく。
ノエルは、
黙って見ていた。
もう、
これくらいでは、
驚かなくなってきた。
「東の果て……」
ミュルラスが、地図を辿る。
「この辺りか?」
「そうですな」
ネイラムが、地図を見る。
「ただ」
指先が、地図の端で止まる。
「この地図には、まだない場所がございます」
「ない?」
ノエルが、
覗き込む。
地図は、そこで途切れている。
「ここでは、お示しすることができませぬ」
「そうか」
ミュルラスが、
地図の端を指す。
「ただ、方角としては、この先なのだな」
「左様でございます」
「なら」
ミュルラスは、
少し手前へ指を戻した。
「ここまでは、行ったことがある」
「でしたら」
ネイラムが、頷く。
「まず、東の荒地まで、瞬間移動なされるのがよろしいでしょう」
「その先は?」
「進むしか、ございませぬな」
「そうか」
ノエルは、
地図の端を見る。
その先には、
何も、描かれていない。
「ネイラム」
「はい」
「ほかに、知っていることはあるか?」
「そうですな……」
ネイラムが、地図を見る。
「こちらは、魔法地図でございますか?」
「ああ」
「でしたら」
ネイラムが、微笑む。
「進めば、地図もまた、広がってまいります」
「へえ」
ノエルが、
地図を見る。
「歩いたところが、地図になるんだ」
「左様でございます」
そして。
ネイラムの声が、
少し低くなる。
「東は、未開の地」
「……」
「魔族でさえ、なかなか住めぬ場所でございます」
「そんなに?」
「水も、食べ物も、
ほとんどございませぬ」
ノエルは、
地図の先を見る。
何もない、
白い場所。
「こまめに、地図をご覧になられることです」
ネイラムは、
ミュルラスを見る。
「そして、無理をなさらず」
少し間を置く。
「城へ戻りながら、進まれるのがよろしいかと」
「分かった」
ミュルラスが、
地図を閉じる。
「ネイラム」
「はい」
「ここしばらく、
会いに来られず、すまなかった」
「……」
ネイラムが、
微笑んだ。
ミュルラスは、
もう一度、
老人の額へ、手のひらをかざす。
淡いものが、
流れていく。
「もったいない、お言葉でございます」
ネイラムが、
静かに目を閉じる。
「魔王様の魔法は、
数百年、持ちますゆえ」
「そうか」
「むしろ」
少し、笑った。
「以前より、よう見えるようになっております」
「なら、よい」
ミュルラスが、
手を下ろす。
その時、
「魔王様」
ネイラムの声が、変わった。
「なんだ」
「最近」
少し、間があった。
「よからぬ噂も、耳にいたします」
ミュルラスは、
黙っている。
「ズーズルに、動きがあるとか」
「……そうか」
「ネイラム」
「はい」
「何かあれば、知らせよ」
「……」
「渡してある、あれを鳴らせ」
ネイラムが、
深く頭を下げた。
「ありがとうございます。魔王様」
ミュルラスが、
立ち上がる。
「では、一度戻るか」
ノエルも、立った。
「ネイラム」
ミュルラスが、老人を見る。
「また来る」
「はい」
ネイラムが、微笑む。
「魔王様も、ご武運を」
そして、ノエルを見る。
「ノエル様も」
「ありがとう」
ノエルが、
微笑んだ。
その時、
ミュルラスの手が、
ノエルの手首を、そっと掴んだ。
「あ」
目の前が、
暗くなった。
à suivre…
地図に描かれていない場所。
その先にいるという、
古の賢者。
二人の旅は、
いよいよ東へ。




