第10話 星と呼ぶもの
月が二つ。
星は、
数えきれないほど。
魔界の夜は、
少しだけ、
不思議です。
Ce qu’on appelle les étoiles
月が、
二つある。
しかも。
一つは、
満ちていく月。
もう一つは、
欠けていく月。
同じ夜空に、二つ。
「ねえ、月が二つある!」
「ああ。そうだな」
「そうだな、じゃなくて」
ノエルは、
窓から身を乗り出す。
「昔からなの?」
「まあ、そうだな」
ミュルラスにとっては、
珍しくもないらしい。
ノエルは、
もう一度、空を見上げた。
「星の量も、すごいね」
「星?」
「うん。
ほら、こんなに輝いてる」
ミュルラスも、
空を見る。
「ああ。
あれを人間は、星というのか」
「ここでは、なんていうの?」
「死だ」
「え?」
「あれは、死んだものの魂だ」
「……そうなんだ」
ノエルは、
もう一度、空を見上げた。
無数の光が、瞬いている。
死んだあと、
あんなふうに、空で光るんだ。
なんだ。
魔界って、
けっこうロマンチックなんだな。
「ところで」
ノエルは、
窓の縁に触れた。
「この窓枠も、すごく綺麗だね」
細かな線が、
幾重にも重なっている。
蔓のようにも。
文字のようにも。
見たことのない模様。
「魔界にも、彫刻家っているの?」
「彫刻家?」
「そう。石とか木とかに、
いろいろ彫ったり、作ったりする人」
ミュルラスは、
少し考える。
「……意味が分からん」
「じゃあ、
この窓枠、誰が作ったの?」
「俺だ」
「ええええええ?」
思わず、大きな声が出た。
「君が?」
「ああ」
「どうやって?」
「そうだな」
ミュルラスは、
窓を見る。
「ノエルは、
この窓枠を変えるなら、
どんなのにしたいんだ?」
「変えなくていいけど……」
ノエルも、窓を見る。
二つの月。
無数の光。
「そうだなあ」
少し考える。
「月を見るのに、
ちょっと座れたらいいかな」
「分かった」
「え?」
ミュルラスが、
窓枠へ指先を向ける。
次の瞬間。
石のようなものが、音もなく動き始めた。
形を変え、
広がり、
やがて、一人が、ゆったり腰掛けられるほどの場所ができた。
「……」
そして、
その台座に、文字が浮かび上がる。
ノエル。
「ええええええええ?」
ノエルは、
台座とミュルラスを交互に見る。
「それも、魔法なの?」
「ああ」
「……すごい」
恐る恐る、座ってみる。
ちょうどいい。
そこから、
二つの月が見えた。
ノエルは、
ミュルラスを見る。
「すごいね、君」
笑う。
「こんなこと、できるんだね」
「……」
ミュルラスが、
自分の腹を見る。
「どうしたの?」
「お前、なんか魔法をかけたか?」
「え?」
「腹のあたりが、熱いぞ」
「……?」
ノエルも、
ミュルラスのお腹を見る。
「何もしてないよ」
「本当か?」
「あ」
少し考える。
「でも、
ありがとうって、思った」
「ありがとう?」
「うん。
その気持ちは、送ったかも」
ミュルラスは、
しばらく考えた。
「ありがとうの魔法か」
「そんな魔法、あるのかな」
「悪くない」
ミュルラスは、
ノエルの顔を見る。
その笑顔を見て、
ふと、思い出した。
初めて会った日。
差し出された、
甘い蜂蜜ミルク。
「ちょっと待ってろ」
「え?」
消えた。
「……え?」
本当に、消えた。
けれど、
すぐに、戻ってきた。
両手に、
カップを持って。
「ど、どこ行ってたの?」
「これ」
一つを、
ノエルに差し出す。
湯気。
甘い香り。
「……蜂蜜ミルク」
「そうだ」
「作ってきたの?」
「ああ」
ミュルラスは、
自分のカップを口へ運ぶ。
「お前のところの、
ミルクと蜂蜜だぞ」
「魔界には、
ミルクも蜂蜜もないの?」
「ある」
一口。
「だが、
とにかくひどい」
「ひどい?」
「よくあんなものを、飲んでいたと思う」
もう一口。
「全部、破壊したくなる」
「ええええ。
そんなことで破壊しないでよ」
ノエルが笑う。
そして、
気づいた。
「……あれ?」
隣に、
もう一つ。
台座ができていた。
いつの間にか、
ミュルラスが、そこに座っている。
二つの月を背にして、
蜂蜜ミルクを、おいしそうに飲んでいる。
「……」
長い、
黒い睫毛。
月の光が、
その先に触れている。
綺麗だ。
そう思った時には。
ノエルの指が、動いていた。
そっと、
睫毛に、触れる。
「?」
ミュルラスが、
こちらを見る。
「……」
急に、
胸が鳴った。
「……」
どうしよう。
そう思った、その時。
「ま、魔王様……」
「!」
「も、申し訳ありません。
おくつろぎのところを……」
ラザンが、
立っていた。
顔を、思いきり横へ向けて。
「何か用か?」
ミュルラスは、
いたって普通だった。
ノエルは、
カップを両手で持った。
助かった。
「実は、その……」
ラザンが、
言いにくそうにする。
「ズーズルが、ちょっと……」
「ああ。
ズーズルか」
ミュルラスは、
蜂蜜ミルクを飲む。
「いつものあれか?」
「はい」
「放っておけ」
「しかし――」
「いつでも勝負してやると、言っておけ」
「はっ!」
ラザンは、
音もなく消えた。
ノエルは、
しばらく、ラザンがいた場所を見る。
「……どうしたの?」
「大したことはない」
「ズーズルって?」
「さっき、右端にいたやつだ」
「あの人?」
「ああ」
ミュルラスは、
またミルクを飲む。
「苛立つと、
すぐにいろんなものを破壊する」
「……」
「まあ、仲間もだ」
「仲間も!?」
「ラザンが抑えるだろう」
「……」
なんか、
魔界も、大変なんだな。
「でも、なんで怒ってるの?」
「俺が帰ってきたからだろ」
「君が?」
「ああ」
少しの間。
「ズーズルは、前の魔王の息子だからな」
「……前の魔王?」
「俺が倒した」
「え?」
「決闘して、俺が勝った」
ミュルラスは、
なんでもないことのように言った。
「それで、俺が魔王になった」
「……そうなの?」
「ああ」
ノエルは、黙った。
人を食べる。
仲間を壊す。
決闘。
魔王。
さっきまで、
二つの月が、綺麗だと思っていた。
蜂蜜ミルクを飲んで、
笑っていたのに。
もしかして、
魔界って、思っていたより、
ずっと恐ろしいところなのでは。
「ノエル」
「ん?」
ミュルラスが、
こちらを見ていた。
「大丈夫だ」
「……」
「お前には、俺がいる」
そう言って、
また、蜂蜜ミルクを飲む。
「……」
ノエルは、
その横顔を見る。
ふと、
カップに、目が止まった。
「あ」
「なんだ」
「それ」
「ん?」
陶器市で買った、お揃いのカップ。
「こっちに、
持ってきたんだ」
「ああ」
それだけ言って、
ミュルラスは、また飲んだ。
知らない魔界で、
人を食べる話や、魔王を倒した話を聞きながら、
ミュルラスと、二つの月を見ている。
ノエルは、
カップを口元へ運んだ。
蜂蜜。
ミルク。
知らない夜の空気。
そこに、
新しい匂いがした。
à suivre…
二つの月。
蜂蜜ミルク。
お揃いのカップ。
魔界に来ても、
いつもの二人です。




