第6話 ミュルラス、新しい魔法を覚える
僕の森。
僕の泉。
僕だけが知っている場所。
今日は、
君に見せてあげる。
Myrrhas découvre une nouvelle magie
外へ出ると、
やっぱり、暑かった。
「……暑い」
「さっきも言っていたな」
「京都の夏を、甘く見てた」
蝉の声が、
頭の上から降ってくる。
ノエルは、
山道を歩いた。
「こっち」
ミュルラスが、
後ろからついてくる。
紫のTシャツ。
寿司。
京都の山。
何度見ても、
不思議な組み合わせだった。
「ここ、子供の頃によく通ったんだ」
細い道を曲がる。
「この辺は、ほとんど人が来ない」
「なぜだ」
「何もないから」
「では、なぜお前は来た」
ノエルは、
少し考えた。
「好きだったから」
それだけ言って、
また歩く。
大きな岩。
木々の隙間から見える空。
小さな獣道。
「あそこ、よく座ってた」
「一人で?」
「うん。シュルもいたけど」
後ろを振り返る。
シュルは、
いつの間にか、
いなくなっていた。
「……また消えた」
「いつものことだろう」
「まあね」
ノエルは、笑った。
もう少し先へ、木陰へ入る。
けれど、暑さは、
なかなか逃げてくれない。
「それでね、この先に泉があるんだ」
「すごく綺麗で――」
「ノエル」
「ん?」
「お前、さっきから遅いぞ」
ノエルは、
足を止めた。
「そう?」
「そうだ」
「ちょっと、暑いだけ」
「顔も赤い」
ミュルラスが、
ノエルの顔を覗き込む。
「大丈夫だよ」
「大丈夫には見えん」
「暑いだけ」
歩き出そうとする。
一歩。
その瞬間。
視界が、
ふっと揺れた。
「あ……」
身体が傾く。
「ノエル!」
腕を掴まれた。
そのまま、
ミュルラスの胸に支えられる。
「ごめん。
ちょっと、立ちくらみ」
「座れ」
「泉、
もうすぐだから」
「座れ」
声が、低かった。
ノエルは、
木陰に座らされた。
ミュルラスが、
額に手を当てる。
「熱いぞ」
「外が暑いから」
「水は?」
「持ってきてない」
「なぜだ」
「だって、
いきなり京都に連れてきたの、君だよ」
「……」
ミュルラスが、黙った。
「泉まで行けば、水があるから」
「どこだ」
「すぐそこ」
ミュルラスは、
ノエルを立たせなかった。
そのまま、
抱き上げた。
「え」
「どっちだ」
「歩けるよ」
「どっちだ」
「……あっち」
ノエルが、
諦めて指をさす。
木々の間を抜ける。
ほどなくして。
光が、水面に落ちていた。
泉。
昔と、ほとんど変わっていない。
「ここ……」
ミュルラスは、
ノエルを木陰に下ろした。
すぐに、泉へ向かう。
冷たい水。
けれど。
器がない。
ミュルラスは、手ですくう。
水が、
指の間から落ちる。
もう一度。
やっぱり、
零れる。
「手でいいよ」
「黙っていろ」
「……はい」
ミュルラスは、泉を見る。
どうすればいい?
ノエルに、水を飲ませたい。
ただ、
それだけだった。
水面へ、
手を伸ばす。
指先が、
触れる。
その時、
水が、揺れた。
「……?」
細い流れが、
水面から持ち上がる。
ミュルラスが、
目を見開いた。
透明な水が、
指先を伝い、掌の上へ、集まっていく。
零れない。
逃げない。
小さな器のように、
そこに留まっている。
「……」
けれど。
ミュルラスは、
それを見ている暇もなかった。
「ノエル」
すぐに、
隣へ戻る。
「飲め」
ノエルの身体を、
片腕で支える。
掌の水を、
そっと口元へ運んだ。
ノエルは、
少しずつ飲んだ。
冷たい水が、
喉を通る。
一口。
もう一口。
「……おいしい」
ミュルラスの顔が、
ようやく少し緩んだ。
「もっと飲め」
「うん」
もう一度、
水を口にする。
そして、
ノエルは、
ふと、その手を見た。
掌の上で、
水が静かに揺れている。
「……君」
「なんだ」
「それ」
ミュルラスも、
自分の手を見る。
「……なんだ?」
「水の魔法」
「何?」
「それ、水の魔法だよ」
二人で、
掌を見る。
透明な水が、
夏の光を映していた。
ミュルラスは、
しばらく黙っていた。
「……俺が?」
「うん」
蝉が、
鳴いている。
泉の水面が、
風に揺れた。
ノエルは、
少し笑った。
「ここね」
「なんだ」
「僕が、初めて水の魔法を覚えた場所」
ミュルラスが、顔を上げた。
「……ここで?」
「うん」
二人のあいだで、
小さな水だけが、
静かに光っていた。
à suivre…
同じ泉で、
同じ水の魔法。
二千年生きた魔王は、
どうやらノエルの後輩になったようです。




