第3話 ミュルラス Lv.1
好きなものを、
ひとつずつ。
「いいな」が増えて、
少しずつ、
自分になっていく。
Myrrhas — Niveau 1
朝から、
ミュルラスは、
ものすごく機嫌がよかった。
窓辺には、
Tシャツが二枚。
黒。
白。
昨日買ったばかりのものが、
きちんと、
ハンガーに掛けられている。
そして本人は、
三枚目を着ていた。
紫。
胸元には、
小さな寿司が並んでいる。
サーモン。
マグロ。
エビ。
「……」
ノエルは、
コーヒーを飲みながら、
その紫を見た。
昨日。
あのあと、二人はそのまま、
駅前のスーパーへ行った。
紳士服のコーナーには、
Tシャツが並んでいた。
ミュルラスが着られるサイズとなると、
選択肢は、それほど多くなかった。
それでも。
黒。
白。
紺。
グレー。
紫。
無地もあれば、
柄のあるものもある。
ミュルラスは、
その前で、しばらく動かなかった。
「……どうしたの?」
「多いな」
「そう?」
「どれを着てもいいのか?」
「いいよ」
「好きなの選んで」
「好きなものを?」
「うん」
ミュルラスは、
もう一度、Tシャツを見た。
妙に、真剣だった。
やがて、
黒を取った。
少し考えて、
ノエルの持つ籠へ入れる。
次は、
白。
それも、
籠に入った。
そして。
三枚目で、ずいぶん迷った。
何枚か見比べて。
戻して。
また取って。
最後に、
一枚を籠へ入れた。
紫だった。
胸元には、
小さな寿司が並んでいる。
「……それ?」
「ああ」
「それがいいの?」
「ああ」
即答だった。
ミュルラスは、
もう一度、並んだ服を見た。
そして、
ぽつりと言った。
「人間界は、すごいな」
「何が?」
「なんでも、選べる」
ノエルは、
籠の中を見た。
黒。
白。
そして、
紫の寿司。
「……そうだね」
ノエルは、
目の前の紫に、視線を戻した。
どうやら、
三枚の中で、
一番気に入ったらしい。
「どうだ」
とうとう、
本人から聞いてきた。
「……何が?」
「これだ」
ミュルラスは、
胸を指した。
寿司だった。
「似合ってるよ」
「そうか」
嬉しそうだった。
ノエルは、
コーヒーを飲み終えると、
机に向かった。
試験は、
まだ終わっていない。
パソコンを立ち上げ、
資料を開く。
背後では、
何やら、がさがさと音がしていた。
振り返らなくても、
分かる。
昨日から、
何度も眺めていた、
新しいドラゴンクエスト。
どうやら、
とうとう開けるらしい。
包装を剥がす音。
ケースを開く音。
しばらくして、
聞き慣れた音楽が流れ始めた。
ノエルは、
そのまま画面に目を戻した。
数式を追う。
一行。
もう一行。
その頃。
ソファでは、
ミュルラスが、
コントローラーを握っていた。
新しい世界。
新しい冒険。
そして、
画面に文字が現れる。
――名前を入力してください。
いつもなら、
迷わない。
魔王。
ミュルラスは、
最初の文字を入れようとして、
止まった。
「……」
少し、
考える。
それから一文字ずつ、
入れていった。
ミュルラス。
決定。
小さな音がして、
新しい物語が始まった。
ノエルは、
何も知らずに、机に向かっていた。
しばらくして、
背後から、ゲームの声が聞こえた。
『ミュルラス、探しに行こう!』
「……え?」
ノエルの指が、
キーボードの上で止まった。
振り返る。
ソファには、
紫の寿司Tシャツ。
その向こうに、
ゲームの画面。
そして、
画面の中に、小さく表示された名前。
ミュルラス Lv.1
「……」
ノエルは、
しばらくそれを見た。
「名前」
「ん?」
「ミュルラスにしたの?」
「ああ」
ミュルラスは、
画面を見たまま答えた。
それだけだった。
ノエルも、
それ以上は聞かなかった。
再び、
机へ向く。
背後では、
冒険が続いている。
『こっちだよ、ミュルラス!』
また、
名前が呼ばれた。
ノエルは、
少しだけ、笑った。
そして、
勉強に戻った。
à suivre…
黒でも、白でも。
紫の寿司でも。
自分で選んだものなら、
それでいい。
そして今日、
もうひとつ。
ミュルラス、Lv.1。




