第35話 「寂しい」という言葉
三日ぶりの夜。
いつものソファ。
いつもの漫画。
いつもの蜂蜜ミルク。
魔王には、
ひとつだけ、
少し分かるようになった言葉がありました。
Ce sentiment de manque
食器を洗い終えると、
ノエルは、
自分の飲み物を持って、ソファへ戻った。
魔王は、
蜂蜜ミルクを飲みながら、
『魔法少女ミルキー』を読んでいた。
三日間、
ベルサイユに置きっぱなしだった四巻。
ノエルは、
隣に座った。
しばらく、
何も話さなかった。
ページをめくる音。
窓の外を走る、
車の音。
カップが、
小さく鳴る。
「ノエル」
「なに?」
魔王は、
漫画を開いたまま、言った。
「四巻に」
「うん」
「レイがいなくなって、
ミルキーが、寂しいと言うところがあるだろう」
「ああ」
「あれが、
少し分かった」
ノエルは、
魔王を見る。
魔王は、
蜂蜜ミルクを一口飲んだ。
「城に戻ったら、
ラザンもいた」
「うん」
「部下もいた」
「うん」
「城も、
いつもと同じだった」
「うん」
「なのに」
魔王は、
少し考えた。
「なんかなあ、と思った」
ノエルは、
魔王を見た。
「なんかなあ?」
「ああ」
少しだけ、
間があった。
「……そっか」
魔王は、
ノエルをじっと見た。
「……」
ノエルも、
何も言わなかった。
魔王は、
また漫画に目を戻した。
ノエルは、
自分のカップに口をつけた。
ページをめくる音がする。
ふいに、
魔王の手が止まった。
「……これだ」
「なに?」
魔王は、
漫画を指した。
「たぶん、
これだった」
ノエルが、
その頁を見る。
「寂しい?」
「ああ」
魔王は、
しばらく、漫画を見ていた。
それから、
ごく普通の声で言った。
「俺は、
お前と離れるのが、寂しい」
少し間を置く。
「……かもしれない」
ノエルは、
何も言わなかった。
魔王を見る。
魔王も、
ノエルを見る。
「……」
「……」
ノエルは、
突然、立ち上がった。
「ちょっと待って」
「なんだ」
冷蔵庫を開ける。
中から、
皿を取り出した。
「これ、食べる?」
「食べる」
「即答だね」
ノエルは、
コロッケを温めた。
皿にのせて、
魔王の前へ置く。
魔王は、
フォークで割った。
さく。
中から、
白いクリームがとろりと出てくる。
一口食べる。
「うまい」
「でしょ」
「なんだ、これ」
もう一口。
「魚か?」
「カニ」
「カニ?」
「うん」
ノエルは、
スマートフォンを出した。
写真を探す。
マルシェで買った、
一匹の蟹。
画面を、
魔王に向けた。
「これ」
魔王の目が、
大きくなった。
「うおおおお」
「……」
「お前、
これと戦ったのか?」
「戦ってないよ」
「では、どうやって倒した」
「買ったときには、もう倒されてた」
「そうか」
少し、
残念そうだった。
「これを茹でて」
ノエルは、
画面を指した。
「脚を全部外して、
一本ずつ、身をほぐしたの」
「全部?」
「うん」
「それから?」
「玉ねぎを炒めて、
ホワイトソースを作って、
カニを混ぜて、
冷やして、
衣をつけて、揚げた」
魔王は、
手元のコロッケを見る。
「これ、
そんなに大変なのか」
「わりとね」
魔王は、
もう一口食べた。
「お前」
「なに?」
「こんなうまいもの、
一人で作って、食べていたのか」
「うん」
「ずるいなあ」
ノエルは、
少し笑った。
「でも、
作りすぎたんだよ」
「だから、残っていたのか」
「うん」
魔王は、
コロッケを食べる。
ノエルは、
その姿を見ていた。
「……たぶん」
魔王が、
顔を上げる。
ノエルは、
少し考えた。
「僕は、
君と早く、
一緒にご飯が食べたかったんだと思う」
魔王は、
ノエルを見た。
「……」
ノエルも、
そのまま見ていた。
ほんの少し、
静かな時間があった。
魔王は、
手元の皿を見た。
「……これ」
「うん?」
「もう一個あるか?」
ノエルが、笑った。
「あるよ」
「食べる」
「はいはい」
ノエルは、
冷蔵庫へ向かった。
「あと二個ある」
「全部食べる」
「僕も食べるよ」
「お前は、もう食っただろう」
「僕が作ったんだけど」
「俺は三日間、食っていない」
「そういう問題?」
「そういう問題だ」
ノエルは、
皿を持って、戻ってきた。
「じゃあ、一個ずつ」
「……仕方ない」
ノエルは、
少し笑った。
コロッケを、
一口食べた。
二人で食べると、
やっぱり、
こっちの方がおいしい気がした。
à suivre…
知らなかった気持ちに、
ひとつ、言葉がつきました。
もうひとりは、
まだ、そこまで言葉にしません。
ただ、
一緒に食べる方がおいしい。
今は、それくらい。




