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第33話 魔王城


魔王が、

魔王城へ戻りました。


二千年、

ほとんど変わらなかった場所。


けれど、

久しぶりに帰ってみると――。


Le château du Roi Démon


魔界の空は、

今日も暗かった。


黒い雲が、

低く垂れ込めている。


その向こうを、

ときどき、

赤い稲妻が走った。


岩山の頂に、

巨大な城が建っている。


黒い城壁。


いくつもの尖塔。


古い戦いの傷が残る、石の門。


二千年、

ほとんど変わっていない。


魔王は、

玉座に座っていた。


「それで?」


低い声が、

広い謁見の間に響いた。


ラザンが、その前に跪いている。


「西の果てに侵入した軍勢ですが」


「ああ」


「すでに、鎮圧されました」


「……」


魔王は、

ラザンを見た。


「俺は、何のために戻ってきた」


「申し訳ございません」


「三日はかかると言っただろう」


「予想以上に、我が軍が強く」


「知っている」


魔王は、頬杖をついた。


「俺が鍛えた」


「はっ」


「……」


広い謁見の間に、

沈黙が落ちた。


魔王は、

天井を見上げた。


高い。


「……暇になったな」


誰も、

返事をしなかった。


*


久しぶりの夕食は、

大広間に用意された。


長いテーブル。


黒い燭台。

銀の杯。


中央には、

大きな肉の塊が置かれている。


魔王は、

一切れ切った。


口へ運ぶ。

噛む。


「……」


もう一度、噛む。


「硬い」


給仕の魔族が、固まった。


「も、申し訳ございません!」


「前から、こんなに硬かったか?」


「いつも通りでございます」


「……そうか?」


もう一口。


やはり、

硬い。


ノエルなら、

もっと柔らかくする。


時間をかけて煮込んだ、

あの肉。


口に入れると、簡単にほどける。


魔王は、

銀の杯を取った。


赤い酒を飲む。


「……ぬるい」


給仕の顔から、さらに血の気が引いた。


「魔王様は以前より、この温度で――」


「そうだったか?」


「はっ」


魔王は、

杯の中を見た。


なんだか、

中途半端だ。


温かいなら、温かい方がいい。

冷たいなら、冷たい方がいい。


ふと、

白い湯気を思い出した。


ミルク。

蜂蜜を、たっぷり入れたやつ。


「……」


魔王は、肉を見た。


「魚はないのか」


「……魚、でございますか?」


「魚だ」


「ただちにご用意いたします!」


「いや。もういい」


「はっ」


魚も、

悪くなかった。


白い魚に、

バターと、何か酸っぱいものをかけたやつ。


あれは、うまかった。


そういえば。


「甘いものは?」


「……は?」


「甘いものだ」


「蜂蜜ならば、ございます」


「蜂蜜だけ食えと?」


「……」


魔王は、

ため息をついた。


「もういい」


*


食事のあと。


別の部下が、

大きな箱を持ってきた。


「魔王様」


「なんだ」


「ご帰還を祝し、新たなマントを仕立てさせました」


箱が開く。


黒い布に、

銀糸の刺繍。


肩には、

魔獣の毛皮。


留め具には、大きな黒い宝石が嵌められている。


見事なものだった。


魔王は、

羽織った。


「……」


肩に、

ずしりと重さがかかる。


「重い」


「最高位の魔獣の毛皮を――」


「重い」


「……はっ」


魔王は、

すぐに脱いだ。


ベルサイユに置いてきた、

黒いニットを思い出す。


あれは、

軽かった。


*


風呂へ行った。


巨大な扉を開ける。

黒い石造りの浴場。


魔界の地下から湧く湯が、

滝のように、浴槽へ流れ込んでいる。


湯気の向こうに、

反対側の壁が霞んで見えた。


魔王は、

一人で湯に入った。


「……」


広い。


無駄に、

広い。


二十人どころか、

もっと入れる。


もちろん、

誰も入ってこない。


魔王は、

湯の真ん中で腕を組んだ。


声を出してみる。


「おい」


――おい。


――おい。


遠くから、

自分の声が返ってきた。


「……広すぎるだろ」


二千年、

一度もそう思ったことはなかった。


*


寝室も、

広かった。


巨大な天蓋。

黒いカーテン。


彫刻の施された柱。


その中央に、

大きなベッドがある。


魔王は、

真ん中に寝転がった。


「……」


寝返りを打つ。


まだ、

半分以上ある。


反対へ転がる。


「……」


起き上がった。


静かだ。


ゲームがない。


Netflixもない。


漫画もない。


魔法少女ミルキーも、

ベルサイユだ。


魔王は、

ベッドの上で腕を組んだ。


昔、

ここで何をしていた。


「……」


戦っていた。

鍛錬していた。

報告を聞いていた。

また戦った。


寝た。

起きた。

また戦った。


魔王は、

しばらく考えた。


「……何が楽しかったんだ?」


答えは、

出なかった。


*


翌日。


魔王は、

魔界で一番いい酒を

持ってこさせた。


黒い瓶から、

銀の杯へ注がれる。


魔王は、

一口飲んだ。


「……」


悪くない。


もう一口。


「……なんかなあ」


ふと、

パリで飲んだ酒を思い出した。


ノエルの父親が、

開けてくれた、

ずいぶん古いワイン。


エティエンヌが、

嬉しそうに

いろいろ説明していた。


魔王は、

半分くらいしか

聞いていなかった。


けれど、

味は覚えている。


香りも。


「……」


魔王は、

杯を置いた。


魔界の酒とは、

こんなものだっただろうか。


*


食堂を出る。


長い廊下を歩きながら、

魔王は、ふと思った。


そうだ。

魔界へ戻ったのだ。


「ラザン」


「はっ」


「武器庫へ行くぞ」


「はっ」


久しぶりに、

武器でも見るか。


*


重い扉が開いた。


鉄。

革。

油。

古い魔力。


懐かしい匂いがした。


壁には、

無数の武器が並んでいる。


剣。

槍。

斧。

弓。


魔王は、

少しだけ機嫌を直した。


ゆっくり、中へ入る。


「これは?」


一本の剣を指した。


「黒龍の鱗を鍛え、魔界の鉄と合わせた剣でございます」


「ほう」


魔王は、

手に取った。


黒い刀身。

刃の奥を、

赤い魔力が走る。


軽く振る。


ヴン。


低い音が、

武器庫の奥まで響いた。


「さすがでございます」


ラザンが、満足そうに頷いた。


「魔王様によくお似合いです」


「そうか?」


もう一度、

剣を見る。


悪くない。

刃もいい。


魔力の通りも、申し分ない。


昔なら、

すぐに試しただろう。


岩でも、

魔獣でも、

何でもいい。


斬ってみれば、性能が分かる。


魔王は、

剣を構えた。


そのとき。


――危ないから、そんなの持つのやめてよ。


「……」


ふっ。

笑った。


ラザンが、目を瞬いた。


「魔王様?」


「いや」


ノエルなら、

きっと言う。


ここにあるものを見せても、

たぶん、

喜ばない。


黒龍の鱗だと言っても、

魔界に一本しかないと言っても、

興味もないだろう。


それどころか、


「危ない」


で終わる。


魔王は、

黒い剣を眺めた。


強い。

よく斬れる。


おそらく、

素晴らしい武器なのだろう。


「……」


だが、

今は戦いもない。


「重いだけだな」


「……は?」


魔王は、

剣を元へ戻した。


「戻るぞ」


「はっ」


ラザンが、

少し残念そうな顔をした。


重い扉が、

背後で閉じた。


魔王は、

廊下を歩いた。


二千年間、

何度も入った武器庫だった。


昔は、

新しい武器を見るだけで、

何時間でも過ごせた。


「……」


なんかなあ。


何が、

というわけではない。


*


その夜。


魔王は、

古い塔へ向かった。


螺旋階段を、一人で上る。


最上階には、

古い魔術書が眠っている。


埃の匂い。


石の壁。

高い本棚。


ここは、

変わっていなかった。


魔王は、

一冊の本を抜いた。


頁をめくる。


「……」


そういえば。


自分は、

これを調べるために、

人間界へ行ったのだった。


名前。

自分の名前。


ずっと昔に、

忘れてしまった名前。


魔王は、

頁をめくる手を止めた。


「……」


ふと、

声がした気がした。


――君。


顔を上げる。


誰もいない。


――君?


魔王は、

本を持ったまま、

しばらく、

そこに立っていた。


「……君、か」


自分の名前は、

分からない。


けれど。


ノエルは、

いつも、そう呼ぶ。


魔王は、

本を閉じた。


「……まあ」


本棚へ戻す。


「別に、君でいいか」


窓の外では、

赤い稲妻が、遠くの空を走った。


魔王は、

古い塔を出た。


長い廊下を歩く。


広い城。

忠実な部下。


武器もある。

食事もある。

酒もある。


風呂も、

寝る場所もある。


二千年間、

何不自由なく暮らしてきた。

はずだった。


「……」


なんかなあ。


何が、

というわけではない。


魔王は、

足を止めた。


「ラザン」


「はっ」


「帰るぞ」


ラザンが、

少しだけ首を傾げた。


「……どちらへ?」


「ベルサイユ」


魔王は、

当たり前のように言った。


à suivre…




何も変わっていない。


城も、

食事も、

部下たちも。


変わったものがあるとしたら、

たぶん。


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