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第31話 魔界からの客


雨の夜。


いつもと変わらない部屋で、

二人は眠っていた。


けれど、その夜。

窓の向こうから、

思いがけない客がやってくる。



Un visiteur du monde des démons


それから、

ひと月あまりが過ぎた。


季節は進み、

ヴェルサイユには、

雨の夜が増えていた。


その夜も、

窓の外では、激しく雨が降っていた。


ノエルは、

深く眠っていた。


その隣では、

魔王が、ぐうぐう寝ている。


突然。

轟音がした。


雷が、

すぐ近くに、落ちた。


「……っ!」


ノエルは、飛び起きた。


心臓が、大きく鳴っている。


「びっくりした……」


隣を見る。


魔王は、

寝ている。


「……起きないんだ」


そのとき、

窓の向こうに、

何かがいた。


「……え?」


黒い。

大きい。


人ではない。


稲光が、

その姿を、一瞬だけ照らした。


次の瞬間。


ガシャーン!

窓ガラスが、砕けた。


「うわっ!」


雨と風が、

一気に、部屋へ吹き込む。


黒い巨体が、

窓を突き破って、入ってきた。


同時に、

ノエルの隣から、

魔王が消えた。


気づいたときには、

剣の切っ先が、

黒いものの喉元に向けられていた。


「……ラザンか」


魔王が、

剣を下ろす。


「久しぶりだな」


異形のものが、

その場に跪いた。


「魔王様」


低い声が、

部屋に響く。


「ラザンが、参りました」


「……」


ノエルは、

しばらく黙って、

二人を見ていた。


雨が、

吹き込んでいる。


床には、

割れたガラス。


机の上の本が、

雨に濡れていた。


パソコンにも、

水滴が飛んでいる。


「……」


「もう!」


「ちょっと、誰?」


ラザンが、

顔を上げる。


「これ、

どうしてくれるの?」


「……」


「窓!」


ラザンが、

ゆっくり、

割れた窓を見る。


「君もだけど!」


魔王が、

わずかに眉を上げた。


「君の知り合いって、

みんなどうして窓から来るの?」


「……」


「ドアがあるでしょ!」


魔王が、

ため息をついた。


「いちいち怒るな」


指先を、

窓へ向ける。


床に散らばったガラスが、ふわりと浮いた。


破片が集まり、

一瞬で、

元の窓に戻る。


雨の音が、また遠くなった。


「ほら」


「直せるからって、なんでも壊していいわけじゃないからね」


魔王は、

口笛を吹きながら、横を向いた。


ラザンは、

動かなかった。


人間が、

魔王様を、怒鳴った。


しかも、

魔王様が、何も言い返さない。


ラザンは、

ノエルを見た。


「……なに」


怖い。


ものすごく怖い。


ノエルは、

少しだけ、魔王の方へ寄った。


「この怖い人、誰?」


「ラザンだ」


魔王は、平然と言った。


「俺の右腕だ」


「右腕?」


「ああ。俺の次に強い戦士だ」


ノエルは、

もう一度、ラザンを見る。


「……そう」


そして、

少し考えた。


「じゃあ、ちょっと待って」


「何をする」


「お茶入れる」


魔王が、すぐに言った。


「俺は、ミルクに蜂蜜」


「はいはい」


ノエルは、

ベッドから降りた。


そのまま、

キッチンへ向かう。


いつも通りに。


そう見えるように。


けれど、

足が、少し震えていた。


カップを出す。


湯を沸かす。


カモミール。


蜂蜜。


いつものミルク。


手を動かしているうちに、

少しずつ、呼吸が戻ってくる。


魔王。


そうか。


あの人は、

本当に魔王なんだ。


いつも、

ゲームをして、

蜂蜜ミルクを飲んで、

肉を食べたがって、

窓辺で昼寝をしている。


美しい人。


でも、

魔界は、

本当にあるんだな……。


少しだけ、

遠く感じた。


ノエルは、

蜂蜜を、

もう一匙入れた。


*


カップを持って戻ると、

二人は、話をしていた。


「――分かった。すぐに戻ろう」


魔王の声が、聞こえた。


ノエルは、

三つのカップを、テーブルに置いた。


「どうぞ」


ラザンの前には、

カモミールと蜂蜜。


自分にも同じもの。


魔王には、

蜂蜜をたっぷり入れた温かいミルク。


魔王は、

ラザンの前のカップを指した。


「まあ、飲め」


ラザンは、

カップと、

ノエルを見た。


明らかに、

怪しんでいる。


「毒なんか入れてないよ」


ラザンは、

ゆっくりと、一口飲んだ。


「……」


目が、少し開く。


「なんだ、これは」


魔王が、笑った。


「うまいだろう」


ラザンは、カップを見る。


「ノエルの入れる飲み物は、全部うまいんだ」


そう言いながら、

魔王は、

蜂蜜ミルクを飲み干した。


カップを置く。


「ノエル」


「なに?」


「ちょっと、魔界に行ってくる」


「……え?」


「数日で戻る」


魔王が、立ち上がった。


そして、

ノエルの前まで来る。


「じゃあな」


ふわりと、

腕が、背中に回った。


「……」


ノエルは、

動けなかった。


ほんの一瞬。

すぐに、離れる。


「……なに、今の」


「人間同士は、こうやってるだろ」


「いつ?」


「じゃあな、っていうときに」


「……誰に教わったの?」


魔王は、答えなかった。


ラザンが、

さらに驚いた顔で、二人を見ている。


「ではな」


次の瞬間。

二人の姿が、

消えた。


*


部屋が、

静かになった。


雨の音だけが、残っている。


ノエルは、

しばらく、

その場に立っていた。


さっき、

魔王がいた場所を見る。


いない。


ふわっと、

抱きしめられたのは、初めてだった。


ノエルは、

自分の服に、鼻先を近づけた。


微かに、

香りが残っている。


いつもの、

魔王の匂い。


ノエルは、

もう一度、

誰もいない場所を見た。


雨の音が、

少しだけ、

大きくなった。


à suivre…




いつもそこにいた人が、

少しだけ遠く見えた夜。


そして、

いなくなってから残ったのは、

雨の音と、微かな香り。


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