↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
PR
58/88

第30話 愛してる


聞こうとしないで、

ただ待ってみる。


魔王は今日も、

耳を澄ませている。


春の風の向こうから、

何かが届くのを。



Je t’aime


あれから数日、

魔王は、毎日練習していた。


朝だったり、

昼だったり、

夜だったり。


窓辺に座っていることもあれば、

二人で歩きながら、突然立ち止まることもあった。


「何かを聞こうとしなくていいんだと思う」


ノエルが言う。


「では、どうする」


「待つ」


「……待つ?」


「うん」


魔王は、

少し納得していない顔をした。


それでも、

素直にノエルの言うことを聞いていた。


*


ある朝。


「聞こえた?」


「鳥」


「それは鳥だね」


「分かっている」


*

昼。


「今は?」


「人が喋っている」


「向こうにいる人たちだよ」


「分かっている」


*


夜。


窓を少し開けると、

春の風が入ってきた。


カーテンが、ゆっくり膨らむ。


ノエルは、

魔王の隣に座った。


「今日は?」


「……」


魔王は、黙っている。


「何か聞こえる?」


「まだだ」


「じゃあ、待とう」


「どのくらい」


「分からない」


「……」


二人で、

耳を澄ませる。


遠くを走る車。


風に揺れる木の葉。


どこかの家で、

窓を閉める音がした。


それから、

しばらくして。


――愛してる。


魔王が、

目を開けた。


「……聞こえた」


ノエルが、振り向く。


「ほんと?」


「ああ」


「なんて?」


魔王は、

聞こえた言葉を、そのまま口にした。


「愛してる」


ノエルが、瞬きをした。


「……」


「なんだ」


「いや」


「どういう意味だ?」


「愛してる?」


「ああ」


ノエルは、

少し考えた。


「好き、より……」


「好きより?」


「好き、を、

もっとぎゅっとした感じかな」


「……ぎゅっと?」


「うん。そんな感じ」


魔王は、

しばらく考えていた。


「分からん」


ノエルは、

魔王を見た。


「いつか、君にも分かるよ」


ふっと、

やさしい顔をした。


魔王は、

もう一度、窓の外を見た。


春の夜。

どこにも、

さっきの声の主は見えない。


「でも」


「なに?」


「お前が聞いていたものを、俺も聞けた」


魔王は、

少しだけ、笑った。


「嬉しい」


ノエルも、笑った。


「よかったね」


「ああ」


魔王は立ち上がった。


「よし」


「なに?」


「ゲームする」


「……もう練習終わり?」


「聞こえたからな」


魔王は、

満足そうに、コントローラーを手に取った。


ノエルは、少し笑って、

自分の机へ戻った。


*


しばらくして。


部屋には、

ゲームの音と、

ノエルがページをめくる音だけが、流れていた。


ノエルは、

写本のノートを開いていた。


子どもの頃から、

少しずつ、書き写してきたもの。


ページをめくる。


水の魔法。

星の魔法。

光の魔法。


読めるようになった文字が、

いつの間にか、ずいぶん増えていた。


もう一枚、

めくる。


ノエルの手が、止まった。


「……あれ」


見覚えのあるページだった。


昔、

古い絵本から、そのまま写したもの。


そこには、

一人の男が描かれている。


長い髪。

大きな目。

やたらと長い睫毛。


子どもの頃の自分なりに、

とても綺麗な人を描いたらしい。


ノエルは、しばらく眺めた。


「……下手だな」


小さく笑う。


その横には、

文字があった。


ずっと、

読めなかった文字。


何度見ても、

意味のない記号にしか見えなかった。


けれど、

今日は違った。


ノエルは、

顔を近づける。


Myrrhas


読める。


なぜだか、

そう読めることが分かった。


ミュルラス。


頭の中で、

音がした。


もう一度、

文字を見る。


ミュルラス。


「……なんだろう」


人の名前だろうか。


背後から、

ゲームの音がした。


「よし!」


魔王の声。


どうやら、

何かを倒したらしい。


ノエルは、

振り返らなかった。


もう一度、

文字を見る。


Myrrhas

ミュルラス。


à suivre…



ひとつは、

ようやく聞こえた言葉。


もうひとつは、

ずっとそこにあった文字。


まだ二人は、

その先を知らない。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。