第27話 魔王、耳を澄ます
鳥の声。
車の音。
近所の犬。
魔王は今日も、
耳を澄ませています。
Le Roi Démon tend l’oreille
その日の夜。
ノエルは、写本のノートを開いていた。
向かいでは、
魔王が腕を組んで、じっとシュルを見ている。
「耳を澄ませる魔法?」
シュルの耳が、ぴくりと動いた。
「うん」
「昔の声が聞こえるんだ」
「それで、名前を呼ぶと景色が見える」
魔王が付け加える。
シュルは、二人を交互に見た。
「魔王ぼっちゃまにも、見えたのですか?」
「ああ。少しだけな」
「それは興味深いですね」
「で、どうやる」
「わたくしに聞かれましても」
「護持者だろう」
「護持者は、世界中の魔法を知っている者ではございません」
魔王が、眉を寄せる。
シュルの尻尾が、ゆらりと揺れた。
「ただ」
「なんだ」
「ノエルぼっちゃまは、その声を聞こうとしているのですか?」
ノエルは、少し考えた。
「……たぶん、違う」
「では?」
「聞こえてきたら、聞いてる」
「なるほど」
シュルは、魔王を見る。
「魔王ぼっちゃま」
「なんだ」
「聞こうとしすぎなのでは?」
「……」
「顔が怖いです」
「顔は関係ないだろう」
ノエルが、少し笑った。
*
次の日。
ノエルが大学から帰ると、
魔王が、窓辺に座っていた。
珍しく、ゲームもしていない。
「何してるの?」
「聞いている」
「……何を?」
「分からん。だから聞いている」
ノエルは、鞄を置いた。
「何か聞こえた?」
「鳥」
「うん」
「車」
「うん」
「さっき、犬もいた」
「全部、普通に聞こえるやつだね」
「分かっている」
魔王は、窓の外を睨んだ。
「睨まない方がいいんじゃない?」
「睨んでない」
*
その翌日は、
夕食のあとだった。
魔王が、突然、
「静かにしろ」
と言った。
ノエルは、カップを置く。
「聞こえた?」
「……」
魔王が、耳を澄ませる。
ノエルも、黙った。
遠くで、
鐘が鳴っている。
「鐘?」
「ああ」
「それも今の音だね」
「分かっている」
「難しいね」
「明日は聞こえる」
「そういうものかな」
「聞こえる」
ずいぶん、自信がある。
*
けれど、
その次の日も、
魔王に聞こえたのは、
鳥と、
車と、
近所の犬だった。
それでも、
やめなかった。
ノエルには、
その方が少し不思議だった。
魔王なら、
できないことなど、すぐに別の方法でどうにかしそうなのに。
今回は、
ただ、
耳を澄ませている。
*
数日後。
ノエルは、
机の上に、二つの地図を広げていた。
この前のカフェの周辺。
古い地図と、今の地図。
「何を見ている」
魔王が、隣から覗き込む。
「この前の墓地」
「あの声が聞こえたところか」
「うん」
ノエルは、指先で地図を辿った。
「昔の墓地は、もうなくなってる」
「知っている」
「でも、移された先があるみたい」
魔王が、地図を見る。
「ここか」
「うん」
しばらく、
二人で地図を見ていた。
「行ってみようかな」
「いつだ」
「え?」
「いつ行く」
「明日でもいいけど」
「俺も行く」
ノエルが、顔を上げた。
「来るの?」
「当然だ」
ノエルは少し首を傾げた。
「そうなの?」
魔王は、少し考えた。
「聞く」
ノエルは、笑った。
「まだ諦めてないんだ」
「当たり前だ」
*
翌日の午後。
二人は、家を出た。
空は明るく、
春の風が、街路樹の若い葉を揺らしている。
魔王は、
いつもより、少し静かだった。
「耳、澄ませてる?」
「ああ」
「何か聞こえる?」
「お前の足音」
「それは聞こえるよ」
「……分かっている」
道を曲がる。
街の音が、少し遠くなった。
古い石の壁が、続いている。
その先に、
墓地の門が見えた。
ノエルは、足を緩める。
「あそこみたい」
返事がない。
「……君?」
見ると、
魔王が、立ち止まっていた。
さっきまでとは違う顔で、
門の向こうを、見ている。
「どうしたの?」
魔王は、答えなかった。
春の風が、
二人の間を、通り抜ける。
やがて、
低い声で言った。
「……何かいる」
ノエルも、
墓地の奥を見た。
木々が、静かに揺れている。
まだ、
何も聞こえなかった。
à suivre…
何日聞いても、
聞こえるのは、
今ここにある音ばかり。
それでも魔王は、
諦めませんでした。
そして、
墓地の門の前で。
「……何かいる」




