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第25話 午後のカフェ


魔王が、

朝からずっと見ていたもの。


今日は、

少しだけ休憩です。



Le café de l’après-midi


朝から、

魔王が、妙に落ち着かなかった。


窓の外を見て、

ソファに座って、

また立ち上がる。


そして、

スマートフォンを見る。


数日前、

ノエルが使っていなかったものを、一台貸した。


連絡が取れた方が便利だから、

というだけだったのだが、

魔王は、ずいぶん気に入ったらしい。


「ノエル」


「なに?」


ノエルは、

パソコンから、顔を上げた。


「今日は、出かけるのか?」


「今日は大学行かないよ」


「そうか」


「課題、仕上げないといけないから」


「そうか」


魔王は、またスマートフォンを見る。


ノエルは、

しばらく待った。


「……どうしたの?」


「いや」


魔王は、

少し考えてから、言った。


「休憩しないか」


ノエルは、少し首を傾げた。


「僕、まだ始めたばかりだよ?」


「少しくらいいいだろう」


「うーん……」


「近くに、カフェがある」


「カフェ?」


魔王が、

スマートフォンを、ノエルの前へ差し出した。


画面いっぱいに、

飴色の林檎。


その上で、

白いアイスクリームが、溶けている。


ノエルは、

画面と、魔王を見比べた。


「これ、食べたいの?」


「ああ」


「行ってくれば?」


魔王が、黙った。


「……?」


「一人では、勝手が分からん」


「カフェの?」


「ああ」


「普通に入ればいいんだよ」


「だから、その普通が分からん」


「ああ……」


それは、

そうかもしれない。


「それで、朝からずっと見てたの?」


「うまそうだろう」


ノエルは、

もう一度、画面を見た。


「……うまそうだね」


「だろう」


魔王の顔が、少し明るくなる。


「行かないか?」


「……まあ、いいか。」


魔王は、

すぐに立ち上がった。


「行くぞ」


「ちょっと待って」


「なんだ」


「僕、まだ着替えてない」


「早くしろ」


ノエルは笑った。


「はいはい」


*


カフェは、

家から歩いて、それほど遠くなかった。


古い石造りの建物の、一階。


大きな窓から、

春の光が、店の中へ入っている。


二人は、

窓際の席に座った。


魔王は、

メニューを開く前から、決まっていた。


しばらくして、

テーブルの上に、甘い匂いが広がった。


魔王の前には、

温かなタルト・タタン。

飴色の林檎の上で、

バニラアイスが、ゆっくり溶けている。


ノエルは、

フォンダンショコラ。

そっと、フォークを入れると、

中から、

温かなチョコレートが、

とろりと流れ出した。


魔王が、

林檎を一口、食べる。


「……うまい」


「よかったね」


「これは、かなりうまい」


「朝から待った甲斐があったね」


魔王は、

聞いているのかいないのか、

もう一口、林檎を食べた。


ノエルも、

フォンダンショコラを、口に運ぶ。


濃いチョコレートのあとに、

カフェオレを飲んだ。


ふと、

視線を感じた。


魔王が、

ノエルの皿を見ている。


「なに?」


「それも、うまそうだな」


「おいしいよ」


「一口くれ」


「……」


ノエルは、

フォンダンショコラを、少し切った。


「はい」


そのまま、

魔王の口元へ差し出す。


「あーん」


魔王は、

何のためらいもなく、口を開けた。


ぱく。


「……うまい」


「でしょ」


ノエルは、

今度は、魔王の皿を見る。


「じゃあ、その林檎ちょうだい」


フォークを伸ばす。

大きな林檎を、

ひと切れ、そのまま刺した。


「おい、待て」


「なに?」


「でかいぞ、それ」


「これぐらい、いいでしょ?」


「よくない」


魔王が、

ノエルのフォークから、林檎を取った。


小さく切る。


「ほら」


「あ――」


ぱく。


ノエルの口に、放り込んだ。


「……」


甘い。

バターと、

焦がした砂糖。


その奥に、

林檎の酸味が、少しだけ残っている。


ノエルが、

林檎を噛んだ。


しゃく。



――ひとくち、ちょうだい。



ノエルの動きが、止まった。


同時に、

魔王の手も、止まった。


二人は、

顔を上げた。


「……今」


ノエルが言った。


「ああ」


「聞こえた?」


「ああ」


ノエルは、

魔王を見つめた。


「君にも?」


「聞こえたと言っているだろう」


店の中を見る。


近くの席では、

客が話をしている。


店員が、

カウンターの向こうで、カップを並べている。


誰も、

こちらを見ていない。


ノエルは、

ゆっくり、耳を澄ませた。


カップの音。

人の声。

外を走る車。


その奥から、

また、

声がした。



――もう、食べたでしょう。


女の声。


――もうひとくち。


幼い声。


――仕方ないわね。


少しだけ、

笑っている。


――小さいのよ。


しゃく。


林檎を噛む音がした。



ノエルは、

目の前の、タルト・タタンを見る。


魔王も、

同じものを見ていた。


「……林檎」


ノエルが言った。


「ああ」


また、

声がする。


けれど、

今度は遠い。



――ほら。


――ありがとう。



それきり、

聞こえなくなった。


店の中には、

いつもの音だけが、残った。


ノエルは、

しばらく黙っていた。


「……今の、なんだったんだろう」


「知らん」


魔王も、

珍しく、少し考えている。


「君にも、本当に聞こえたんだよね」


「ああ」


「今まで、聞こえなかったのに」


「そうだな」


ノエルは、

カフェオレを、一口飲んだ。


「なんでだろう」


「俺に聞くな」


「不思議だね」


「そうだな」


魔王は、

残っているタルト・タタンを、見た。


「……もう、食っていいか?」


ノエルは、

少し笑って頷いた。


魔王は、

また林檎を食べ始めた。


ノエルは、

なんとなく、スマートフォンを取り出した。


現在地を見る。

見慣れた、ヴェルサイユの地図。


ふと、

昨日見ていた古い地図を、思い出した。


画面を切り替える。

現在地と、

古い地図を、重ねてみる。


「……あれ」


「なんだ」


ノエルは、

指先で、画面を拡大した。


今いるカフェ。

その辺りに、

古い地図では、違うものが描かれている。


「ここ……」


「何がある」


「今は、何もないけど」


ノエルは、

画面を見つめた。


「昔、墓地があったみたい」


魔王の手が、止まった。


「墓地?」


「うん」


二人は、

なんとなく、窓の外を見た。


春の光。

古い石の道。


買い物袋を持って歩いていく人。


窓辺の花。


魔王が、

残っていた林檎を口に入れた。


しゃく。


ノエルは、

もう一度だけ、窓の外を見た。


さっきの声は、

もう聞こえなかった。


à suivre…



ひとくちの林檎。


その音に重なるように、

どこかから声が聞こえた。


今度は、

魔王にも。


そして、

二人が座るカフェのあたりには、

かつて墓地があったようです。


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