第13話 魔王がいる日常
新しい年。
ベルサイユへ戻ると、
また、いつもの毎日が始まります。
ただひとつ。
その「いつもの」には、
もう魔王がいます。
Le quotidien avec le Roi Démon
新しい年を迎えてすぐ、
ノエルと魔王はベルサイユへ戻った。
休暇が終われば、大学は容赦がない。
課題。
レポート。
そして、もうすぐ始まる試験。
ノエルは朝からノートPCに向かい、
講義資料やPDFを開いては閉じ、
必要な本を棚から引っぱり出していた。
机の上には、読みかけの本が何冊か。
飲みかけのカフェオレ。
画面には、いくつものタブが開いたままになっている。
その一方で、
魔王の生活は、ずいぶん人間らしくなっていた。
パリで買った黒いニットと、
チャコールのパンツは、
すっかり家での格好になった。
外へ出るときは、
エティエンヌにもらったダウンジャケット。
いつの間にか、
ノエルとお揃いのニット帽も被るようになった。
最初は、
「なぜ頭にこれを被る」
と言っていたくせに、
今では何も言わずに被っている。
白いスニーカーも、
すっかり足に馴染んでいた。
最近では、
食器を片づけるようになった。
洗濯もする。
掃除機も使える。
一度だけ、
「これでは遅い」
と言って、
部屋中の埃を魔法で一か所に集めたことがある。
ものすごい勢いで集まった埃は、
途中から小さな竜巻のようになった。
「二度とやらないで」
ノエルに言われ、
「なぜだ。早いだろう」
と不満そうにしていたが、
それ以来、掃除機を使っている。
暇になると、漫画を読む。
最近はNetflixというものも覚えた。
人間の物語というものが、思いのほか気に入ったらしい。
一度見始めると、驚くほど集中する。
時々、
「なぜここで戦わない」
「そういう話じゃないから」
「こいつは敵ではないのか」
「違うよ」
「では、なぜ睨んでいる」
「……知らない」
そんな会話をする。
その日も、
ノエルは朝からずっと勉強していた。
気がつけば、窓の外はもう暗い。
冬のベルサイユは、日が暮れるのが早い。
窓の向こうに、街の灯りが静かに浮かんでいる。
魔王はソファに座り、漫画を読んでいた。
ノエルはPCの画面を見たまま、
小さく息を吐く。
「……終わらない」
返事はない。
聞こえていないのかもしれない。
次の資料を開こうとしたとき、
画面の隅に赤い表示が出た。
バッテリー残量、三パーセント。
「あ」
ノエルは机の下を見た。
充電ケーブルがない。
鞄の中も探す。
ない。
少し考えて、ようやく思い出した。
大学だ。
「……最悪」
「どうした」
漫画の向こうから、ようやく声がした。
「充電器、大学に忘れた」
「取りに行けばいい」
「今から?」
外は暗い。
寒い。
今日はもう、一歩も外へ出たくなかった。
「明日でいい」
ノエルはPCを閉じた。
机の上を少し片づけようと、積んでいた本を動かす。
その下から、一冊のノートが出てきた。
「あ……」
手が止まった。
ずいぶん、
開いていなかった。
子どもの頃から、
少しずつ書き写してきたノート。
京都の古木の中にある、あの不思議な絵本の写本。
ノエルは手に取った。
表紙を撫でる。
そして、久しぶりにページを開いた。
「ぼっちゃま」
声がした。
ノエルは顔を上げる。
机のそばに、見慣れた姿が立っていた。
「シュル」
「お久しぶりでございます」
「久しぶり」
シュルの耳が、ぴくりと動いた。
「わたくしは、ずっとおりましたが」
「え?」
「ずっと、ぼっちゃまのおそばに」
「……そうなの?」
「はい」
少しだけ、声が冷たい。
ノエルは笑った。
「ごめん」
「何がでございましょう」
明らかに機嫌が悪い。
シュルは、開かれたノートへ視線を落とした。
「ところで、ぼっちゃま」
「なに?」
「最後に魔法のお稽古をなさったのは、いつでございましょう」
ノエルは黙った。
いつだろう。
ベルサイユへ来て、大学が始まった。
それから、魔王に出会った。
雨の夜があった。
マルシェへ行った。
クリスマスもあった。
いろいろなことがありすぎて、
魔法の練習をすっかり忘れていた。
「……いつだっけ」
シュルの耳が、もう一度ぴくりと動いた。
そのとき。
「魔法?」
ソファから声がした。
ノエルとシュルが振り返る。
魔王が、漫画から顔を上げていた。
「お前、魔法を使えるのか?」
à suivre....
掃除機を使い、
漫画を読み、
いつの間にか、すっかり家に馴染んでいます。
そしてノエルは、
ずいぶん大事なことを忘れていたようです。




