第10話 魔王の誕生日
クリスマスの朝。
二日酔いの魔王に、
新しい「誕生日」ができます。
L’anniversaire du Roi Démon
「いたたた……」
エティエンヌが頭を押さえた。
隣では、
魔王も眉間に皺を寄せている。
朝だった。
昨夜のワインの瓶は片づけられ、
窓から白い光が入っている。
「二人とも」
キッチンから、ノエルの声がした。
「顔洗って、シャワーしてきたら?雑炊作ったよ」
「クリスマスに雑炊……」
エティエンヌは笑いながら、
大きく伸びをした。
「いいねえ」
魔王は複雑な顔をしていた。
――俺が、酒如きで朝まで寝る?
しかも、
知らない家で。
警戒心がなさすぎる。
二千年生きてきて、
こんなことはなかった。
「どうしたの?」
顔を上げると、
ノエルが笑っていた。
「おはよう」
「……おはよう?」
「朝の挨拶だよ」
「おはよう……」
つられて言った。
ノエルがまた笑う。
「シャワーしてきて。パパが二階を使ってるから、下の奥にバスルームあるよ」
「ああ」
「椅子の上に、パパのスウェット置いておくね」
魔王は自分の身体を見下ろした。
昨夜と同じ服だった。
下のバスルームは、
ノエルの部屋にあるものより少し広かった。
それでも、魔王には狭い。
人間は、
なぜこんな小さな場所で身体を洗うのだろう。
けれど、
いい匂いがした。
並んだボトルのひとつを手に取る。
食べてはいけない。
それは、もう知っている。
蓋を開けると、
爽やかな香りがした。
それで身体を洗い、
髪も洗った。
今日は、
人間がするようにドライヤーというものも使ってみる。
温かい風が出る。
長い黒髪を乾かしていく。
「……面倒だな」
しばらく頑張った。
まだ半分も乾いていない。
魔王はドライヤーを止めた。
指先を少し動かす。
長い髪から、
一瞬で水分が消えた。
「最初からこれでよかった」
「À table !」
遠くから、
ノエルの声がした。
今度は分かる。
食卓へ来い、だ。
キッチンへ戻ると、
鶏と卵の温かな匂いがしていた。
テーブルには、
小さな土鍋が置かれている。
蓋を開けると、
白い湯気が上がった。
米。
小さく切った鶏肉。
柔らかな卵。
その上に、
細く切った葱の緑が散っている。
「これはなんだ?」
「雑炊」
「ぞうすい」
「お米を柔らかく煮たもの。今日は鶏と卵」
ノエルが小さな器を差し出した。
「それに、これ少しかけてみて」
茶色い液体だった。
魔王は言われた通り、
ほんの少しかける。
湯気の中に、
爽やかな香りが立った。
「これは?」
「ポン酢」
「ポン酢?」
「日本のおばあちゃんに教えてもらったんだ。この雑炊も」
「日本?」
「あ、パパのお母さんが日本人だから」
ノエルは自分の器にも雑炊をよそう。
「君なら瞬間移動したら、日本もあっという間かな」
魔王は少し考えた。
「あっという間だろうな」
ノエルが笑った。
一口食べる。
昨日の料理とは違った。
華やかな香りはない。
柔らかな米と卵。
鶏の旨み。
出汁の温かさ。
ポン酢の香りが、
そのあとを静かに通り抜けていく。
「……うまい」
身体の中に、
温かいものがゆっくり落ちていく。
どこかで、
この感じを知っている気がした。
ノエルと初めて会った日。
蜂蜜の入った、
温かいミルク。
あのときも、
こんな気持ちになった。
腹が満たされるのとは、
少し違う。
魔王はもう一口、
雑炊を食べた。
「ほらねー。これなんだよー」
ノエルの声がした。
顔を上げる。
ノエルが、魔王の着ているスウェットを指している。
「君が着ると、手も足も出ちゃうだろ?」
横でエティエンヌが笑った。
魔王は袖を見る。
確かに短い。
「君が無理に着るから、僕の服、結構あちこち破れてたりするんだ」
「俺は無理に着ていない」
「無理だよ」
「入ったぞ」
「入った結果、破れたんだよ」
「……」
魔王は黙った。
「だから明日は、君の服を買いに行こう」
「俺の?」
「うん。ちゃんと君の身体に合うやつ」
エティエンヌがコーヒーを飲みながら訊いた。
「魔界には洋服屋ってないの?」
「服屋?」
「ああ。服を買う店」
魔王は考えた。
「知らん」
「知らない?」
「城にはすべて揃っていたからな。服も仕立てられていた。買いに行ったことはない」
「なるほど」
「この間、ノエルと行った……マルシェ?」
「うん」
「あれが初めてだ」
言ってから、
魔王は何かを思い出した。
「待て」
「なに?」
「買い物には、金がいるんだろう?」
「ああ、うん」
「あの財布というものに入っているやつか?」
「そう」
「なら、これでいいのか?」
魔王が手を動かした。
次の瞬間。
ことり。
テーブルの上に、
金色の小さな板が落ちた。
もう一枚。
また一枚。
ノエルが瞬きをする。
「……なに、これ」
「金っぽいやつだ」
エティエンヌが一枚を手に取った。
ずしりと重い。
表と裏を眺める。
「これ……金?」
「そうだ。金だ」
「どこから持ってきたの?」
「東の魔王の宝物部屋に山ほどあった」
「……」
「全部いただいてきた」
「……」
ノエルとエティエンヌが、
同時に魔王を見る。
魔王は平然としている。
しばらくして、
ノエルが金の板を魔王の前へ戻した。
「いや。これはいいよ」
「なぜだ?」
「僕がプレゼントする」
「プレゼント?」
「ああ」
ノエルは少し考えてから言った。
「誕生日、忘れたって言ってただろ?」
「そうだな」
「じゃあ、今日を誕生日にすればいい」
魔王がノエルを見る。
「今日?」
「うん」
「勝手に決めていいのか?」
「いいんじゃない?」
ノエルは笑った。
「だから、誕生日プレゼント」
魔王はしばらく黙っていた。
「……貢物ということか?」
「うーん」
ノエルは首を傾げる。
「ちょっと違うかな」
「何が違う?」
「プレゼントは……」
少し考える。
「大事な人に、心を込めて渡すものだから」
魔王は黙って聞いている。
「だから、僕の気持ちかな」
大事な人。
心を込めて。
僕の気持ち。
言葉の意味は分かる。
ひとつずつなら、
どれも難しい言葉ではない。
けれど、
それを自分に向けられると、
急に意味が分からなくなった。
魔王は何も言わず、
ノエルを見ていた。
à suivre…
「プレゼント」という言葉を、
初めて知りました。
まだ、その意味はよく分からないようです。
次のお話では、
実際にひとつ、受け取ります。




