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第3話 マルシェで、決闘?


林檎と洋梨と、

初めてのマルシェ。


Un duel au marché


十一月の朝。


雨は上がっていた。


濡れた石畳に、

薄い光が落ちている。


ノエルと彼は、

ベルサイユ旧市街の広場を歩いていた。


土曜日のマルシェ。


白いテントの下に、

野菜や果物が並んでいる。


赤い林檎。

洋梨。


茸。

長いポワロー。

籠に盛られた栗。


白い紙に包まれるチーズ。


どこかで、

焼きたてのパンの匂いがする。


朝の広場には、

人の声が重なっていた。


「これはなんだ。」


「林檎。」


「リンゴ。」


彼はひとつ、

手に取った。


しばらく眺める。


「小さいな。」


「そう?」


「俺のところのは、もっとでかい。」


「どのくらい?」


彼は両手を広げた。


「これくらいだ。」


「……大きいね。」


林檎を戻す。


隣へ行く。


「これは?」


「洋梨。」


「ヨウナシ。」


彼は顔を近づけ、

匂いを嗅いだ。


「匂いが弱いな。」


「君のところのは?」


「夜になると匂う。」


「夜だけ?」


「そうだ。」


「へえ。」


ノエルも、

洋梨の香りを嗅いでみた。


その隣には、

茶色い茸が並んでいた。


彼が足を止める。


「これは?」


「茸。」


「キノコ。」


じっと見る。


「動かないのか。」


「動かないよ。」


「逃げない?」


「逃げない。」


「噛まない?」


ノエルも、

茸を見る。


「……噛まないよ。」


「そうか。」


少し、

残念そうだった。


「君のところの茸、逃げるの?」


「逃げる。」


「噛む?」


「捕まえると噛む。」


「大変だね。」


「だから踏む。」


「……踏むんだ。」


少し歩いた。


また、

赤い林檎が並んでいる。


彼が指を差す。


「これは?」


ノエルは振り返った。


「……さっきも聞いたよ。」


「忘れた。」


「そっか。」


ノエルは、

赤い実をひとつ手に取った。


「林檎。」


「リンゴ。」


ノエルはそのまま、

鼻先へ近づける。


彼が見る。


「何をしている。」


「匂いを見てる。」


「匂いは見えないだろう。」


「そうなんだけどね。」


ノエルは香りを確かめ、

元の場所に戻した。



どん。


肩に、

誰かがぶつかった。


「気をつけろ!」


「あ、ごめんなさい。」


ノエルは男を見た。


男は舌打ちをして、

人混みの中へ歩いていく。


「おい。」


低い声がした。


男の足が止まる。


「……なんだ?」


一歩、

踏み出そうとする。


動かない。


「なんだ、これ!」


彼はゆっくり、

男へ近づいた。


「今、こいつから何か取っただろう。」


「は?」


ノエルが顔を上げる。


「僕?」


「ポケットを見ろ。」


「ポケット?」


手を入れる。


「……あ。」


反対側も探す。


「財布がない。」


「知らねえよ。」


彼が、一度だけ瞬きをした。


男の足が、

ふっと動くようになった。


二、三歩、

後ずさる。


その手が、

ポケットへ入った。


小さな折りたたみナイフ。


刃が開く。


朝の光が、

白く滑った。


彼は、

その刃を見る。


「……。」


赤と金の瞳が、

少しだけ明るくなった。


「俺に決闘を申し込むのか。」


「え?」


ノエルは彼を見る。


「違うと思う。」


「刃を向けたぞ。」


「それはそうなんだけど……」


彼が片手を伸ばした。


何もない空間が、

わずかに揺れる。


長い剣。


「……え。」


ノエルの目が、

剣の先まで動く。


誰かが足を止めた。


林檎を選んでいた手も、

止まる。


パンの紙袋を抱えた人が、

振り返った。


「……撮影?」


「映画じゃない?」


小さな声。


スマートフォンが、

ひとつ上がる。


また、ひとつ。


彼は剣を構えた。


「魔法は使わん。」


「いやいやいやいや。」


ノエルは、

慌てて二人の間に入った。


両手を広げる。


「君、だめ。」


「なぜだ。」


「だめだから。」


「決闘だぞ。」


「決闘じゃないよ。」


男が苛立ったように、

ノエルを睨んだ。


「どけ!」


拳が上がる。


ぱし。


彼の手が、

その拳を掴んだ。


そのまま、

くるりと腕を返す。


「いたたたたたた!」


男の身体が傾く。

その肘が、

店先のカゴに触れた。


ぽと。


林檎がひとつ、

石畳へ落ちた。


一瞬、

広場が静かになる。


ぱち。


誰かが、

一度だけ手を叩いた。


ぱち、ぱち。


今度は、

別の場所から。


やがて、

小さな拍手が広がって行った。


彼は男の腕を掴んだまま、

顔を上げた。


「……?」


「君。」


ノエルが、

彼の袖を引いた。


「もう離してあげて。」


「なぜだ。」


「痛そうだから。」


彼は男を見る。


手を離した。


男は腕を押さえ、

そのまま人混みへ逃げようとした。


すると、


上着のポケットが、

もぞ、と動いた。


革の財布が、

ふわりと浮かぶ。


「……あ。」


人々の頭の上を越えて、

ノエルの方へ飛んでくる。


目の前で、


ぽと。


「わっ。」


両手で受け止めた。


自分の財布だった。


男が走り出す。


彼も一歩、

踏み出した。


「待て。」


「君。」


ノエルが呼ぶ。


彼が振り返る。


「もういいよ。」


「なぜだ。」


ノエルは、

手の中の財布を見せた。


「戻ってきたから。」


彼は、

遠ざかる男を見る。


少しの沈黙。


「……そうか。」


それ以上、

追わなかった。


ノエルは財布をしまった。


それから、

彼の手を見る。


「……あれ?」


「なんだ。」


「さっきの剣。」


「剣?」


もう、

何もない。


代わりに。


彼の手には、

ノエルの麻の買い物袋があった。


「いつの間に……。」


彼は、

そのまま歩き出した。


二人は、マルシェを回った。


「お前。」


「なに?」


「弱いし、隙だらけだな。」


「そうかな。」


「気をつけろ。」


ノエルは、

少しだけ立ち止まった。


人混みの中を、

黒い背中が歩いていく。


その手には、

林檎と野菜の入った袋。


「ありがとう、君。」


彼は振り返らなかった。


ノエルは、

そのあとを追った。


パンの匂い。

果物の甘い香り。


雨上がりの石畳には、

少しずつ陽が差し始めていた。


どこかで、噴水の音がする。


ノエルは、ふと耳を澄ませた。


水の音。

人々の話し声。

遠くで鳴る鐘。


そのあいだを、

やわらかな風が通り抜けていく。


ほんの一瞬、

ずっと遠くの風まで、

一緒に吹いた気がした。



「おい。」


「なに?」


「これはなんだ。」


見ると、彼が店先を指していた。


「あれは――」


ノエルは笑った。


十一月の淡い光の中を、


二人は、

ひとつづつ名前を言いながら、

歩いていった。


à suivre…




とりあえず、

決闘にはなりませんでした。

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