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第2話 石の匂いの朝


雨の夜が明けて、

ノエルの部屋に、まだ「君」がいます。


今朝は、コーヒーから。



Le matin au parfum de pierre


朝。


ノエルは、夢を見ていた。

久しぶりに、あの古木の前にいる。


木漏れ日が、古い本の上に落ちている。


ノエルは、ゆっくりとページをめくった。


見たことのないページ。

細かな文字が、隙間なく並んでいる。


「……読めない。」


顔を近づける。

一文字ずつ、目で追ってみる。


やっぱり、分からない。


「うーん……。」


そのとき。

耳元で、何かが囁いた。


ノエルは顔を上げる。


「……?」


なんだろう。

新しい魔法?


耳を澄ます。

遠くから、声がする。


——おい。


「……オイ?」


もう一度、耳を澄ませる。


——おい。

——おい。


「オイ、オイ……?」


なんの魔法だろう。

ノエルが、さらに耳を澄ませたとき。


「おい。」


今度は、ものすごく近かった。


目を開ける。


黒い髪。

長い睫毛。

赤と金の瞳。


鼻先が触れそうなところから、

昨日の男がノエルを覗き込んでいた。


「……え?」


「起きたか。」


「ええええ?」


ノエルは勢いよく起き上がった。


ごちん。


「いたっ!」


「痛い!」


二人同時に、額を押さえる。


「なんでそんな近くにいるの?」


「起きないからだ。」


「だからって……」


ノエルは額をさする。

男も、同じところを押さえている。


目が合った。


「……。」


「……。」


どちらからともなく、笑った。


そうだ。

昨日。

ホットミルクを作った。

蜂蜜をたっぷり入れた。


一杯。

二杯。

三杯。


結局、五杯。


そのあと、二人とも眠ってしまったらしい。


男はまだ、白いバスローブを着ていた。

大きな身体には、少し丈が足りない。

あくびをしながら、窓の外を見ている。


十一月の朝。

窓ガラスの向こうには、薄い雲が広がっていた。


「コーヒー淹れるよ。」


男が振り返る。


「なんだ、それ。」


ノエルは答えず、キッチンへ向かった。


コーヒー豆を、ミルに入れる。


ハンドルを回す。


こり。

こり。


乾いた音が、朝の部屋に響く。


男が、すぐそばまで来ていた。


「それはなんだ。」


「コーヒーミル。」


「こーひーみる。」


「そう。コーヒー豆を挽くんだ。」


「これを?」


「うん。」


こり。

こり。


男は、回るハンドルをじっと見ている。

そして、人差し指を向けた。


くる。

くるくるくるくるくる。


ミルのハンドルが、ものすごい速さで回り始めた。


「……。」


ぴたり。


「終わったぞ。」


ノエルはミルを見る。


「……ありがとう。」


ペーパーフィルターをセットする。


挽いた豆を入れ、湯をゆっくり注いだ。

ふわりと、香りが立ち上がる。


男が鼻を動かす。


「いい匂いだな。」


「でしょ。」


さらに湯を注ぐ。


男は、じっと見ている。


「石の匂いがする。」


ノエルの手が止まった。


「石?」


「うん。」


もう一度、男は香りを嗅いだ。


「雨のあとの石。」


「へえ。」


ノエルも、少しだけ香りを嗅いでみる。

そう言われると、そんな気もする。


二つのカップに注いで、ひとつを男へ渡した。


「はい。コーヒー。」


「これが、石の匂いの飲み物か。」


「たぶん普通の人は、そう呼ばないけどね。」


男は一口飲んだ。


「……。」


顔をしかめる。

もう一口。


「やっぱり石だな。」


少し考える。


「いや。」


また飲む。


「苔かもしれない。」


「……。」


ノエルは、自分のコーヒーを飲んだ。


「ちょっと待って。」


男のカップを受け取る。


温めたミルク。

それから、蜂蜜をたっぷり。

スプーンで混ぜる。


白いミルクの中へ、蜂蜜がゆっくり溶けていく。


「はい。」


もう一度、男へ渡す。


一口。


「……。」


もう一口。


「なかなかいいな。」


「ほんと?」


「石がやわらかくなった。」


ノエルは笑った。


二杯目は、いらなかったらしい。


いつの間にか、男は昨日の黒い服に着替えていた。


窓から、朝の光が入ってくる。

ノエルはカップを片づけながら言った。


「僕、これから市場に買い物に行くけど。」


男が見る。


「行く?」


「それはどこだ。」


「近くだよ。今日は土曜日だから、マルシェが出るんだ。」


「マルシェ。」


「新鮮な野菜とか、お肉とか。パンとか、いろいろ買える。」


「ふーん。」


ノエルは上着を着た。

麻の袋を持って、扉へ向かう。


ふと振り返る。


男は、窓辺に立っていた。

窓を開ける。


「……そっちから行くの?」


「そうだ。」


「扉から出てもいいんだよ。」


男はノエルを見る。


「いい。俺はこっちで。」


そう言って、

窓から飛び降りた。


「え。」


ノエルは慌てて窓へ駆け寄る。


五階。

下を覗く。


もう、黒い姿はどこにもなかった。


「……大丈夫かな。」


開いた窓から、十一月の風が入ってくる。


空は淡く、秋はもう、冬へ向かっていた。


ノエルは、なんだか少し笑った。


そんな季節に、

変な君が、やってきた。


à suivre…



石の匂いのコーヒーは、

蜂蜜とミルクで、少しやわらかくなりました。


そして次は、土曜日のマルシェへ。


à bientôt.


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