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第1話 ホットミルクと君


秋の雨が、一日降っていました。


ノエルが家へ帰ると、

木の下に、誰かがいます。


そんな雨の夕方のお話です。



Le lait chaud et toi



秋の雨が、一日降っていた。


ベルサイユの石畳は濡れ、

街路樹の葉が、歩道に張りついている。


講義を終えた頃には、もう夕方の光が薄くなっていた。


ノエルは傘を閉じた。

古い門扉に、細かな雨粒が残っている。


その向こう。

家の前にある大きな木の下に、誰かがいた。


黒い服。

長い黒髪。

雨に濡れて、

髪の先から水が落ちている。


「……君?」


男が顔を上げた。


赤と金の瞳。


この前の男だ。


「何してるの?」


「雨だ。」


「うん。雨だね。」


ノエルはしばらく男を見た。

肩も、髪も、すっかり濡れている。


「大丈夫?」


「何がだ。」


「そんなに濡れてたら、風邪ひくよ。」


「風邪?」


「うん。」


男は雨の中で、少し首をかしげた。


ノエルは傘を持ち直した。


「とりあえず、うちに来る?」


「……。」


「温かいシャワー、浴びた方がいいよ。」


「シャワー?」


「うん。」


男は少し考えてから、木の下を離れた。

そのまま、ノエルについてきた。


玄関の古いタイルに、水滴がひとつずつ落ちていく。


ノエルは棚から、大きな白いタオルを出した。


「はい。これで拭いて。」


男は受け取らず、タオルを見た。


「なぜ?」


「濡れてるから。」


「そうか。」


受け取る。


しばらく眺めてから、長い黒髪の上に乗せた。


ノエルはバスルームの扉を開ける。


「こっち。」


男が中を覗く。


白いタイル。

小さな鏡。

ガラスで仕切られたシャワーブース。


「狭いな。」


「お風呂だからね。」


「ここはなんだ?」


「シャワー。」


「これが?」


「うん。」


ノエルは蛇口に手をかけた。


「こっちがお湯。こっちが水。」


水音が白いタイルに響く。

男は、流れ落ちる湯をじっと見ている。


「じゃあ、終わったら呼んで。」


ノエルは扉を閉めた。


しばらくして。


ガタン。


ノエルは本から顔を上げた。


少しして、


ガタッ。


何かが落ちる音。


……大丈夫かな。


今度は、


ドン。


ノエルは本を閉じた。


「君?」


返事がない。


バスルームへ向かう。


「大丈夫?」


「これはなんだ。」


「え?」


扉を少し開ける。


床まで、きれいにびしょ濡れだった。


「……。」


どうやったら、こうなるんだろう。


男は一本のボトルを手にしていた。


「いい匂いがする。」


「シャンプーだよ。」


「シャンプー。」


男はもう一度、ボトルの匂いを嗅いだ。


「でも、まずい。」


ノエルは男を見る。


「……食べたの?」


「少し。」


「それ、食べないで。」


「なぜだ。」


「髪を洗うものだから。」


男は手の中のボトルを見る。


「食べ物ではないのか。」


「うん。」


「紛らわしいな。」


「そうかな。」


ノエルは扉を閉めた。


なんとかシャワーは終わった。

ノエルは白いバスローブを渡した。


少しして、男が出てくる。

濡れた黒髪が、白い布の上に落ちていた。


窓の外では、まだ雨が降っている。

部屋にはもう、夕方の薄い光しか残っていなかった。


「髪、乾かす?」


「乾かす?」


「うん。」


ノエルは濡れた服を拾った。


「服も乾燥機に入れておくね。」


「乾かすのか。」


「そう。」


男が人差し指を向ける。


ふわりと、空気が動いた。


次の瞬間。

濡れていた服から、水気が消えた。


ノエルは服に触れた。

乾いている。


「すごいね。」


もう一度触る。


「乾燥機、いらないね。」


「乾燥機?」


「これ。」


ノエルが指を差す。

男は白い箱を見る。


「この箱が?」


「うん。ここに入れたら乾く。」


「どれくらいだ。」


「二時間くらいかな。」


男はしばらく乾燥機を見た。


「遅いな。」


「君と比べたらね。」


「ふーん。」


興味を失ったのか、男はそのままソファへ行った。

そして、当然のように座った。


ノエルは少し見ていたが、


まあ、いいか。

と思った。


「何か温かいもの飲む?」


男が顔を上げる。

何を言われたのか分からないような顔をしている。


「ちょっと待ってて。」


ノエルはキッチンへ行った。


小鍋で牛乳を温める。

蜂蜜を、たっぷり。

スプーンを回すと、金色が白の中へゆっくり溶けていった。


カップを二つ持って戻る。


男は、さっきと同じ場所に座っていた。


「はい。」


男はカップを受け取った。


まず、匂いを嗅ぐ。

それから、慎重に一口。


赤と金の瞳が、少しだけ大きくなる。


「……なんだ、これは。」


もう一口。


そして、

ごく、ごく、と飲んだ。


「え。」


そのまま全部飲み干した。


空になったカップを、ノエルへ差し出す。


「もっとくれ。」


ノエルは笑った。


「ホットミルク、一気に飲む人、初めて見た。」


男は答えなかった。

ただ、笑っているノエルを見ていた。


「……なに?」


「お前のその顔。」


「僕?」


男は、空になったカップを見る。


「これみたいだな。」


「僕がホットミルク?」


ノエルはまた笑った。


男は、その顔をじっと見ていた。


「そういえば。」


ノエルは空のカップを受け取った。


「僕の名前、ノエル。」


「知ってる。」


「そっか。」


窓の外では、雨が少し弱くなっていた。


「君は?」


男はノエルを見る。


少しの沈黙。


「俺は俺だ。」


「ああ、そうだった。」


ノエルは頷いた。


それから、少し笑う。


「じゃあ、君だね。」


à suivre…



シャンプーは食べ物ではありません。


でも、蜂蜜たっぷりのホットミルクは、

気に入ったようです。


名前はまだないので、

しばらく「君」と呼ぶことにします。


à bientôt.

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