第2話 スカーフ
今日は、
ノエルが秘密基地へ案内してくれます。
Le foulard
秘密基地のことは、しばらく誰にも言わなかった。
でも、ママンには見せてあげようと思った。
ノエルは部屋の引き出しを開けた。
いちばん奥に、小さく畳んだスカーフが入っている。
淡い色の、薄いスカーフだった。
ノエルはそれを両手で持ち上げた。
まだ少しだけ、ママンの匂いがする。
お店には、たくさんのスカーフが並んでいた。
花が咲いているもの。
鳥が飛んでいるもの。
遠い国のお話みたいなもの。
ノエルが選んだのは、光に透かすと、夜が来る前の空みたいに色が変わるスカーフだった。
家に帰って渡すと、ママンは大きく目を見開いた。
「なんて素敵なの!」
そう言って、ノエルを抱きしめた。
右の頬。
左の頬。
もう一度、右の頬。
三回、音を立ててビズをした。
それから、すぐにスカーフを首に巻いた。
鏡の前で少し首を傾げて、
「どう?」
と笑った。
翌朝も、ママンはそのスカーフを巻いて出かけた。
それが、ノエルが見た最後の姿だった。
ノエルはスカーフを首に巻いた。
少し長かった。
歩くたびに、後ろでふわりと揺れる。
ママンも、こうして歩いていた。
パパには見せられなかった。
パパはまだ、ママンのものを見ることができない。
パリの家も、そのままだった。
ベルサイユにあるママンのアトリエも、そのままだった。
香水の瓶も。
机の上の紙も。
椅子に掛けられた白い上着も。
全部、ママンが帰ってくるのを待っている。
けれど、パパとノエルは日本へ来た。
遠い京都の山の中へ。
ノエルは誰にも見つからないように、そっと家を出た。
外は、とても暑かった。
夏の日差しが、頭の上からまっすぐ降りてくる。
少し歩いただけで、額から汗が流れた。
坂道を駆けるたび、
スカーフの端が鼻先をかすめた。
まだ、ママンの匂いがした。
森へ入ると、空気が変わった。
少しだけ、息がしやすくなった。
それでも暑かった。
葉は重たそうに垂れ、
湿った土からは濃い匂いが立ち上っている。
苔。
樹液。
濡れた石。
落ち葉。
ノエルは、すん、と息を吸った。
夏の森は、
森の汗の匂いがした。
ノエルは古木の前に着いた。
「ママン」
小さく呼んだ。
返事はない。
それでも、ノエルはスカーフをそっと押さえた。
「ここだよ」
古木の穴へ入る。
「ここが、僕の秘密の部屋。」
ノエルは呟いて、
首に巻いたスカーフに、少しだけ顔を寄せた。
昨日見つけた本は、同じ場所にあった。
古木の内側に埋まるようにして、静かに置かれている。
ノエルは本の前に座った。
「これ、見つけたんだ」
ママンに話すように言った。
「まだ、読めないけど」
表紙に手を置く。
少し、ひんやりしていた。
外の夏は、
ここまで届かなかった。
首元のスカーフが、ふわりと揺れた。
ノエルは顔を上げた。
誰もいない。
木の葉の音も聞こえない。
ふわりと、知らない匂いがした。
古い木。
雨の降る前の夜。
そして、どこか遠い場所で燃えている火。
ノエルは息を止めた。
ママンの匂いではない。
森の匂いでもない。
昨日は、ここにこんな匂いはなかった。
ノエルは本を見つめた。
閉じたままの表紙の下で、
何かが小さく息をした。
つづく
また、
森の奥でお会いしましょう。




