Prologue 知らないはずの君
Season II、はじまります。
舞台は秋のフランスへ。
少し大人になったノエルと、
名前を知らない、不思議な「君」。
よかったら、ベルサイユの秋をご一緒に。
Toi que je ne devrais pas connaître
パリの秋は、少しずつ深まっていた。
朝の空気は冷たくなり、街路樹にも、黄色い葉が混じりはじめている。
大学にも、ようやく慣れてきた。
ノエルには、お気に入りの場所がある。
図書館の奥。
大きな窓のそばにある、少し古い木の机。
午後になると、高い窓から淡い光が差し込む。
授業が終わると、ノエルはそこで本を読んだり、ノートを広げたりして過ごした。
紙の匂い。
古い木の匂い。
ときどき、誰かがページをめくる音。
静かだった。
ただ、ここ数週間。
ときどき、誰かの視線を感じていた。
本を読んでいるときも。
ノートに何かを書いているときも。
どこかから、じっと見られている。
けれど、ノエルはそれほど気にしていなかった。
その日も、いつもの席で本を読んでいた。
ページをめくる。
秋の光が、白い紙の上をゆっくり移っていく。
「あの……ぼっちゃま。」
胸ポケットから、小さな声がした。
「なに?」
「あの……なんだか、気配を感じるのですが……」
シュルが、ノエルの耳元に囁く。
そのとき。
「気配か。」
すぐそばで、別の声がした。
「それを言うなら、お前だろ?」
近い。
ものすごく近い。
ノエルが声の方を向く。
黒い髪。
白い肌。
長い睫毛。
その奥に、赤と金の混じった瞳。
鼻先が触れそうなところに、知らない男の顔があった。
「ぼっちゃまが……」
シュルが固まる。
「……二人???」
ノエルは答えなかった。
そのまま、目の前の男を見る。
そして、
すん、すん、と鼻を動かした。
男の瞳が、わずかに揺れる。
ノエルはもう一度、静かに息を吸った。
知らない香りではなかった。
ずっと昔から、どこかにあったような。
「この匂い、懐かしい。」
男は何も言わない。
近いまま、二人の視線が重なる。
「僕、ノエル。」
少し間を置く。
「君は?」
男は、わずかに顔を離した。
ノエルをじっと見る。
沈黙。
「……俺は俺だ。」
「そう。」
それ以上、ノエルは聞かなかった。
男の視線が、ノエルの胸元へ落ちる。
小さな耳が、ポケットから覗いていた。
「ところで、こいつはなんだ?」
「え?」
男はシュルを、ひょいと摘み上げた。
「ぼ、ぼっちゃま……!」
シュルが宙にぶら下がる。
男は自分の目の高さまで持ち上げると、珍しいものでも見るように眺めた。
シュルも、男を見ている。
「……。」
「……。」
「あ、シュルだよ。」
ノエルは言った。
「僕の友達。」
「ふーん。」
ぽい。
「わっ……!」
くるり。
くるり。
もう一回転。
シュルは空中で器用に身体を返し、
スタッ。
机の上に着地した。
なぜか最後に、ぴたりとポーズを決める。
ノエルは、もう一度男を見る。
少しだけ、鼻を動かした。
やっぱり。
知っている。
そんな気がする。
けれど、そのときにはもう、男は歩き出していた。
長い黒髪が、秋の光の中で揺れる。
背が高く、すれ違う人より頭ひとつ抜けていた。
窓から差し込む淡い光が、黒い髪の輪郭をなぞっていく。
本を読んでいた学生が、ふと顔を上げた。
「……誰?」
小さな声が落ちる。
その声につられるように、また一人、顔を上げる。
開いたままの本。
止まったペン。
静かな図書館に、かすかな囁きが広がっていく。
男が通り過ぎるたび、いくつもの視線が、その姿を追った。
やがて、黒い背中が扉の向こうへ消える。
ノエルは、しばらくその扉を見ていた。
机の上では、シュルがまだ少し怒っている。
秋の光だけが、
さっきと同じように本の上に落ちていた。
「……誰だっけ。」
知っているはずもないのに。
à suivre…
秋のフランスから、Season IIが始まりました。
ノエルと「君」が、これからどんな時間を過ごすのか。
のんびり見守っていただけたら嬉しいです。
à bientôt.




