第24話 迎え入れる
十年間、
心の奥に眠っていたもの。
Accueillir
ハッと目を覚ます。
夢……
だったのかな。
何気なく左手首を見る。
淡く光る文字が浮かんでいた。
Accueillir
「アクイイール……?」
そっと声に出した、その瞬間。
誕生日にもらった指輪が、小さく光った。
部屋は静かなまま。
何も起こらない。
けれど、その光を見つめているうちに、
胸の奥で、
何かがゆっくりほどけていった。
「ママン……。」
自然と言葉がこぼれる。
その一言と一緒に、
頬を一筋の涙が流れた。
涙は止まらなかった。
十年前。
五歳だったあの日。
母が突然いなくなった。
死ぬという意味が分からなかった。
寂しかった。
でも、
泣けなかった。
隣では父が、
声を枯らして泣いていた。
幼いノエルは、
自分まで泣いてはいけないような気がしていた。
だから、
あの日、
涙は出なかった。
今、
初めて分かった。
母は、
もう帰ってこない。
そして、
それでも、
どこかでつながっている。
涙は、
悲しいから流れるだけではない。
会いたいから流れるのだ。
ノエルは静かに家を出た。
森を歩く。
古木の前へ立つ。
幹の奥。
小さな洞。
絵本を開く。
命の魔法。
昨日まで読めなかった文字が、
淡く光り始める。
Accueillir
その下に、
小さな文字が浮かんでいた。
生まれること。
生きること。
寄り添うこと。
死ぬこと。
そして、
ずっとあること。
ノエルは、
美しい挿絵へ、
そっと指を重ねた。
涙が、
ぽとり。
紙の上へ落ちる。
その瞬間。
ページいっぱいに、
柔らかな光が広がった。
光の中に、
誰かが立っている。
ママン。
優しく微笑んでいる。
ノエルは思わず手を伸ばく。
触れられない。
けれど、
胸の奥だけが、
不思議なくらい温かかった。
光は、
春風のように静かに消えていく。
「ママン……。」
もう一度だけ、
小さくつぶやく。
そして、
ノエルは目を閉じた。
「アクイイール。」
その言葉は、
祈りではなかった。
約束だった。
受け入れること。
生きること。
大切な人を、
心の中で生かし続けること。
その時だった。
一羽の小鳥が、
古木の枝へと舞い降りた。
もう一羽。
また一羽。
気がつくと、
森じゅうの鳥たちが、
静かに枝へ集まっていた。
誰も鳴かない。
ただ、
ノエルのそばにいた。
やがて一斉に羽ばたく。
空高く、
飛び立っていった。
ノエルは、
その姿をいつまでも見送っていた。
それから一年。
ノエルは命の魔法を学びながら、
季節をひとつ巡った。
十六歳。
高校を修了する。
そして、
パリ・サクレー大学
化学系学部への進学が決まった。
調香師への夢が、
少しずつ現実になっていく。
旅立ちの日。
ノエルは最後に、
古木の前へ立った。
「しばらく、お別れだね。」
ポケットから、
小さな顔がひょこりと覗く。
「ぼっちゃま。」
「どこまでも、お供いたします。」
シュルが胸を張る。
ノエルは笑った。
「ありがとう。」
森を見上げる。
「優しい魔法使いになるよ。」
耳を澄ます。
風が、
葉を揺らした。
いつでも帰っておいで。
そう聞こえた気がした。
つづく
優しい魔法使いへの旅は、
まだ始まったばかりです。




