19話 テラン、テーラ
今日は、
真っ暗なところから始まります。
Le murmure de la terre
「ここは……?」
辺りは真っ暗だった。
シュルの姿も見えない。
「修練の庭、かな。」
立ち上がろうとして、両手を地面につく。
「あれ?」
柔らかい。
砂……?
いや。
土だ。
湿った土の感触が、指の間に入り込む。
いつもより匂いが濃い。
草でもない。
木でもない。
もっと深い。
雨上がりの山を掘り返したような匂いだった。
「何も見えないな……。」
ノエルは、小さく息を吸う。
「イフ、リラン。」
火を呼ぶ言葉を、そっと囁く。
ぽっ。
指先ほどの小さな火が灯る。
以前のような大きな炎ではない。
やさしく、静かに揺れている。
その明かりで周囲を照らした瞬間。
「えっ……。」
ノエルは思わず息をのんだ。
周りは、すべて土だった。
自分が立っている場所だけ、少し広く空洞になっている。
まるで、地面の中に、小さな部屋が掘られているようだった。
「土の中……?」
灯火を高く掲げる。
どこまでも土。
天井も。
壁も。
足元も。
全部、大地だった。
「そういえば……。」
ノエルは、学校で読んだ本を思い出す。
「土の中に町を作って暮らしていた人たちがいたな。」
「すごいなぁ。」
不思議と怖くはなかった。
むしろ。
少し、わくわくした。
「ということは……。」
灯火をそっと消す。
辺りは再び静かな闇に包まれた。
ノエルは目を閉じる。
耳を澄ます。
土の中だからだろうか。
風の音も。
鳥の声も。
何も聞こえない。
聞こえるのは、自分の呼吸だけだった。
「どうしようかな。」
少し考えてから、目を開ける。
「イフ、リラン。」
ぽっ。
小さな灯火が、もう一度あたりを照らした。
ノエルはしゃがみ込む。
そして。
目の前の土を、指でそっと掘り始めた。
「そうだ。」
「お城を作ろう。」
この間、レゴで作った城を思い出しながら、土を積み上げていく。
さらさらと崩れる土。
「うーん……。」
ノエルは少し考える。
「シャル、シャラン。」
小さく囁く。
両手のひらに、少しだけ水が集まった。
その水を土に混ぜる。
指先で丁寧にこねる。
今度は、ほどよくまとまった。
「できそう。」
塔を作り。
壁を作り。
小さな門を作る。
夢中になって手を動かしていると、
いつの間にか時間を忘れていた。
塔の上へ、小さな窓を作ろうとした。
けれど。
「うーん……。」
柔らかすぎる。
指を離すたびに、窓が少しずつ崩れてしまう。
「もう少しかたい方がいいのかな。」
ノエルは考える。
しばらく黙って城を眺めたあと、ふっと笑った。
「そうだ。」
「ゼフ、リラン。」
ほんの小さく囁く。
どこからともなく、やさしい風が吹いた。
その風は、塔の周りをゆっくりと回りながら、土の表面を少しずつ乾かしていく。
「あ。」
「いい感じ。」
今度は窓が崩れない。
屋根も。
塔も。
きれいな形になっていく。
ノエルは夢中になった。
土があって。
水があって。
風が吹く。
気づけば、小さなお城が完成していた。
塔が二つ。
小さな門。
窓も並んでいる。
「できた。」
思わず笑顔になる。
その時だった。
どこからか。
かすかな声が聞こえた。
テラン……。
ノエルは顔を上げる。
テーラ……。
今度は、もっと近い。
「どこ?」
辺りを見回しても、誰もいない。
耳を澄ます。
風ではない。
水でもない。
土の奥から、
まるで大地そのものが、
静かに囁いているようだった。
テラン……。
テーラ……。
「テラン……。」
ノエルも、小さく真似をする。
「テーラ。」
その瞬間。
足元が、ふわりと光に包まれた。
景色がゆっくりと溶けていく。
気づくと。
古木の前に立っていた。
「お帰りなさいませ。」
聞き慣れた声がする。
見上げると。
シュルが、
小さなお城の塔の上に腰掛けて、
にこにこと手を振っていた。
「あれ?」
ノエルは目を丸くする。
「お城……。」
修練の庭で作ったはずのお城が、古木の前にちょこんと置かれていた。
「これ、持って帰れたの?」
シュルは胸を張る。
「ええ。」
「ぼっちゃまの、あまりにも見事なお城でしたので。」
「僭越ながら、ちょちょいっと運ばせていただきました。」
ノエルは思わず吹き出した。
「ありがとう。」
「大切にするね。」
そして、すぐに絵本を開く。
さっきまで読めなかった文字が、淡い光を放っていた。
「テラン、テーラ。」
静かに唱える。
文字が、ゆっくりと言葉へ変わる。
テラン、テーラ。
大地の魔法。
支えるもの。
育むもの。
すべての命は、大地に抱かれて生きている。
ノエルは、その一文を何度も読み返した。
「支える……。」
小さく呟く。
そして。
古木の前で、もう一度唱えてみた。
「テラン、テーラ。」
ぽこん。
目の前の土が、ほんの少しだけ盛り上がった。
「やっぱり。」
ノエルは苦笑する。
「まだ、これくらいか。」
その横で、シュルが静かに一礼した。
「魔法は、一日では育ちません。」
「ぼっちゃま。」
「これからが、本当の修行でございます。」
ノエルは頷いた。
「うん。」
「よろしくね、シュル。」
「こちらこそ。」
シュルは嬉しそうに微笑む。
その足元では、
小さな土の城が、
夕暮れの光を浴びていた。
つづく
小さなお城は、
ちゃんと持って帰れました。




