第37話 沈んだ庭
風の香りを追いかけて、
ようやく辿り着いた湖。
水面には大きな葉が浮かび、
小さな花が風に揺れていました。
Le jardin englouti
森を抜けると、
大きな湖が広がっていた。
「……わあ」
ノエルは、立ち止まった。
静かな水面。
その上に、
大きな葉がいくつも浮かんでいる。
葉の間からは、
小さな花が咲いていた。
ひとつひとつは、とても小さい。
けれど、いくつもの花が集まって、
ひとつの花のように見える。
風が吹く。
ふわり。
あの香り。
「これだ」
ノエルは、湖へ近づいた。
「さっきの花」
エルネが持っていた、押し花と同じだった。
しゃがみ込み、
そっと香りを吸う。
「すごい……」
乾燥した花とは、まるで違う。
甘い。
でも、甘いだけではない。
少し冷たくて、水の匂いがする。
「これだけ咲いてたら、森の向こうまで匂うね」
「そうじゃろ」
エルネが、湖を見た。
ミュルラスは、地図を広げている。
「ここで合ってるのか?」
「合っておるよ」
「祠はどこだ」
「向こうじゃ」
エルネが、湖の中央を指した。
「……何もないぞ」
「ある」
「どこに」
「行けば分かる」
「じじい」
「ほっほー」
ノエルは、大きな葉を見た。
「これに乗るんだよね?」
「ああ」
エルネが、杖を一本の葉へ向ける。
葉が、
少し沈んだ。
けれど、破れない。
「丈夫じゃぞ」
ノエルが、恐る恐る足を乗せる。
「……おお」
もう片方の足も乗せる。
葉は、
ノエルの身体を支えた。
「乗れた!」
「当たり前じゃ」
ミュルラスも、隣の葉へ乗る。
ずん。
葉が、大きく沈んだ。
「……」
「……」
「ほっほー」
「じじい」
「少し魔法を使えと言ったじゃろ」
ミュルラスが、
身体を少し浮かせる。
葉が、
元へ戻った。
「最初からそう言え」
「言ったわい」
三人は、葉から葉へ渡っていった。
湖の中央へ。
風が吹くたび、
小さな花が揺れる。
ノエルは、
何度も立ち止まって香りを嗅いだ。
その時、
「……あれ?」
水の中に、何かが見えた。
「どうした」
「下」
ミュルラスも、水面を覗き込む。
透明な水の底。
何か、
白いものがある。
「石?」
ノエルが、目を凝らす。
一本。
二本。
規則正しく並んでいる。
「……道?」
水の底に、
石畳があった。
「なんで湖の中に道があるの?」
エルネは、
何も言わない。
さらに進む。
今度は、折れた柱。
その先には、
半分崩れた石の壁。
もっと奥には、階段。
すべて、
水の中。
ノエルは、足を止めた。
「エルネ」
「なんじゃ」
「ここって……」
エルネは、湖を見渡した。
花。
水。
沈んだ石畳。
崩れた柱。
長い間、黙っていた。
そして、
「昔はの」
静かに言った。
「ここに、湖などなかった」
「……え?」
ノエルが、
もう一度水の中を見る。
「じゃあ、これ……」
「庭じゃった」
「庭?」
「ああ」
エルネは、
遠くを見る。
そこには今、水しかない。
「ずいぶん昔のことじゃ」
ミュルラスが、エルネを見る。
「お前、ここに来たことがあるのか」
「あるぞ」
「いつだ」
「さてのう」
「じじい」
「昔じゃよ」
「どのくらい昔だ」
「年寄りに昔のことを聞くでない」
「覚えてるだろ!」
ノエルは、水の底を見ていた。
石畳が、ずっと先へ続いている。
その先、
湖の中央近くに、
屋根のようなものが見えた。
「あれ」
ノエルが指す。
「祠?」
水面から、ほんの少しだけ。
古い石造りの屋根が、顔を出している。
エルネが、それを見る。
「……残っておったか」
その声は、
いつものエルネより、
少しだけ静かだった。
三人は、再び葉の上を進んだ。
*
祠は、
ほとんど水に沈んでいた。
入口らしき場所も、
水の下。
ミュルラスが、腕を組む。
「入れないぞ」
「そうじゃな」
「どうする」
「水をどければよい」
「全部か?」
「全部どけるな」
ノエルが、すぐに言った。
「花もあるんだから」
「……」
ミュルラスは、湖を見る。
「じゃあ、この辺だけか」
「できるの?」
「できる」
「おおおおおお」
ノエルが目を輝かせた。
ミュルラスが、
少し得意そうになる。
「見てろ」
水面へ、手を向ける。
「待て」
エルネが止めた。
「なんだ」
「お主がやると、湖ごと吹き飛びそうじゃ」
「吹き飛ばさん」
「昨日、風を弱くするだけで苦労しておったじゃろ」
「できる!」
「花も全部飛ぶぞ」
「……」
ミュルラスが、ノエルを見る。
ノエルも、ミュルラスを見る。
「……僕も一緒にやろうか?」
「そうだな」
ノエルは、隣へ立った。
二人で、水を見る。
ミュルラスが、手を出す。
ノエルも、その手に触れた。
「少しずつね」
「分かってる」
「本当に?」
「ノエル」
「はいはい」
エルネが、後ろで笑う。
「ほっほー」
二人の魔力が、
静かに水へ触れた。
水面が、
ゆっくりと割れていく。
左右へ、
少しずつ、
少しずつ。
そして、
湖の底から、古い石段が現れた。
一段、
また一段。
長い間、水の下に眠っていた階段。
その先に、
祠の扉があった。
エルネは、
その扉を見つめていた。
「……」
ノエルが振り返る。
「エルネ?」
「なんでもない」
杖をつく。
「行こうかの」
エルネは、
二千年ぶりに、
その石段へ足を下ろした。
à suivre…
かつて庭だった場所は、
今では花の咲く静かな湖に。
水の底に残された石畳と古い祠。
エルネが知る二千年前の景色は、
どんなものだったのでしょう。




