第9話 ゼフ、リラン
今日は、
夢の続きを少しだけ思い出します。
Zef, Rilan
甘い香りが漂っていた。
夜になると、
いっそう濃くなる香り。
チューベローズだった。
ノエルは、その甘い香りの中を歩いていた。
花の向こうに、誰かが立っている。
とてもきれいな人だった。
あの本に描かれていた青年。
青年は何も言わない。
ただ、優しく微笑んでいる。
やがて、風が吹いた。
花が揺れる。
香りが空へ溶けていく。
そして、青年の声が聞こえた。
「ゼフ。」
少し間を置いて、
「リラン。」
その声は、風に乗って遠くへ消えていく。
ノエルは、花の香りに包まれながら、ふわりと空へ浮かんだ。
「ママン、見て。」
「僕、飛んでるよ。」
気持ちよかった。
風はやさしく、ノエルを運んでいく。
遠くで、誰かの声が聞こえた。
「……に会いたい。」
誰のことだろう。
耳を澄ます。
すると、
かた、かた、かた、かた。
ひぐらしの鳴き声だった。
蜂蜜たっぷりのクレープの香りがした。
朝だった。
夢を見ていた。
でも、もうほとんど思い出せない。
一階へ降りると、今日はマイさんがお休みで、父がクレープを焼いていた。
「パパ、おはよう。」
「おはよう。牛乳出してくれる?」
「うん。」
ノエルは、父のコップにも氷を入れた。
父は、焼きたてのクレープに、ヨーグルトとバナナをのせてくれる。
「ノエル。」
「パパと旅行に行くか?」
「え?」
思わず手が止まった。
本が読めなくなる。
「もうすぐ学校も始まるし。」
そう言って、バナナをひとくちかじる。
父は笑った。
「仕事のパーティーで東京へ行くんだ。」
「どこへ?」
「東京。」
少し考えてから、ノエルは首を振った。
「お留守番がいい。」
「マイさんに泊まれるか聞いてみようか。」
「うん。」
パパとの旅行は、
行きたい。
でも、
今は行けない。
優しい魔法使いになる準備がある。
「ノエル。」
「ん?」
「最近、裏山によく行ってるだろ。」
どきりとした。
「今日は少し時間が取れそうだから。」
「パパも一緒に行っていいか?」
まずい。
秘密基地は、まだ誰にも知られたくない。
どうしよう。
そう思った、その時だった。
ふわり。
風が吹く。
窓がかたん、と鳴った。
カーテンが大きく揺れる。
父は窓の外を見て、
「今日は風が強いな。」
「また今度にしようか。」
「……うん。」
ノエルは、ほっと胸をなで下ろした。
でも、
どうして今、急に風が吹いたんだろう。
父は食器を片付け、仕事部屋へ戻っていった。
風……
そうだ。
夢を見た。
空を飛んでいた。
気持ちよかった。
誰かが、何かを囁いていた。
なんだっけ。
「ゼ……」
急いで二階へ駆け上がる。
ノートを開いた。
読める。
ゼフ。
ここまでは読める。
でも、その先が読めない。
「ゼフ……」
「ゼフ、ララン?」
違う。
「ゼフ、レラン?」
首をかしげる。
その時だった。
甘い香りが漂ってきた。
チューベローズ。
そうだ。
夢の中でも、この香りがしていた。
あのきれいなお兄さん。
やさしい声。
「ゼフ、リラン。」
ふわり。
前髪が揺れた。
ノートを見る。
今まで読めなかった文字が、静かに読めるようになっていた。
ページの絵が、淡く光る。
その下に、小さな文字が浮かび上がる。
風と話す魔法。
「風と……話す?」
その瞬間。
窓の外で、
木々が一斉に揺れた。
つづく
また、
風の声を聞きに来てください。




