第82章:灼熱の都、玉座の涙
地下オアシスの、ひんやりとした風が吹き抜ける石床の上。
若き星屑の騎士たちは、ファティマが広げた古い大理石宮殿の図面を囲んでいた。すでにアズラは奥の部屋の静かなベッドへと運ばれ、穏やかな呼吸を取り戻している。
「時間がない。上空の灼熱檻が暴走を強めている以上、一時も無駄にはできないわ」
ファティマが手首の純銀の輪を小さくシャンと鳴らし、図面の一点を指し示した。
「王宮の最下層へ繋がる地下水路の管理扉です。ここから侵入すれば、ガルヴァスの配下たちに気付かれることなく、ハシム王が幽閉されている玉座の間へと近づけます」
「よし、ルートは分かった」
ゼノリスは、異なる輝きを湛える瞳を進むべき険しい道へと向け、右手の包帯に隠された星の刻印を無意識に握りしめた。
「ガイル、結界の状況はどうだ」
「王宮全体の感知結界は、上空の檻が暴れているせいで魔力波長が絶えず乱れている」
ガイルは眼帯の端を押さえ、地脈地図に素早く指を滑らせた。
「その乱れこそが隙だ。俺の瞳で、結界の強度をことごとく割り出す。カシム、君の影で俺たちの足音と気配を覆い隠してくれ」
「分かっているさ。光と熱が強い地上とは違い、あの大理石の回廊なら、俺の影はどこまでも濃く広がる。影を這わせ、全員の存在を周囲の探知から掻き消してみせるよ」
カシムが不敵に笑い、短剣の柄を指先で弾いた。テオが重厚な黒い盾を背負い直し、テオの獣の耳が風の音を拾うように小さく揺れる。
「僕の盾は、いつでもみんなの前に出せる。何があっても、ハシム王の元まで君たちを守り抜くよ」
「風の道は、私が作る」
リィンが愛刀に手を添え、静かに告げた。
「……風で、みんなの体温を散らす。探知をいなす」
「お兄様、私も準備はすっかり整っています。お兄様の隣で、道を阻む雑音を、この手で塞いでみせます」
フィリーネが白銀の杖を胸に抱き寄せ、澄んだ瞳に揺るぎない決意を灯した。エレナも銀の長剣の柄にそっと手を添え、背筋を真っ直ぐに伸ばして一同を見渡す。
「手筈は決まったわね。ハシム王を救い出し、あの檻を叩き壊すわよ」
エレナの凛とした、しかし確かな闘志を宿した言葉に、若者たちは力強く頷いた。
ファティマの先導で地下水路の狭い暗がりを突き進み、錆びついた鉄格子を音もなくすり抜けると、一同は王宮の地下搬入路へと滑り込んだ。
地上は大気が陽炎に揺れるほどの酷暑であったが、王宮の内部へと足を踏み入れた瞬間、彼らの肌を刺したのは、凍てつくように涼やかな大理石の空気だった。
白き大理石の壁には金糸の装飾が職人の手によって這わされ、ひんやりとした無機質な美しさを放っている。しかし、その豪奢な静寂の奥には、人々の苦しみを吸い上げて太る「天陽の灼熱檻」の、澱んだ魔力回路の鼓動がかすかに響いていた。
「……ここから先は、警備の密度が劇的に跳ね上がります。特に、中央回廊の大きな門を突破するには、どうしても複数の衛兵の目を盗まなければなりません」
ファティマが足を止め、角の陰から前方を見据えて囁いた。そう言うと、彼女は自身が身に纏う砂漠の民特有のきらびやかな踊り子の衣装を整え、手首の純銀の輪にそっと触れた。
「私が表の回廊へ出て、舞を披露します。警備たちの意識を私の一身に引きつけますので、その隙に、皆さんは影に紛れて門をすり抜けてください」
「危険すぎる。もし見つかったら……」
テオが心配そうに耳を伏せるが、ファティマは気高く微笑み、彼を見上げた。
「私はこの国の王の妹です。宮廷での私の行いを、配下たちが表立って咎めることはできません。それに……皆様の歩みに、太陽国の未来が懸かっているのですから」
ファティマはそっと息を整えると、回廊の光の射す場所へと滑るように進み出た。
彼女が細い指先で空気をなぞるようにして踊り始めると、風に揺れる薄い絹の布が美しい弧を描き、手首や足首の純銀の輪がシャン、シャンと、極めて涼しげで美しい音色を奏でた。
うだるような暑さと単調な警備にうんざりしていた衛兵たちは、突如現れた美しき姫君の、華麗で涼やかな舞へと一瞬にして視線を奪われた。彼らの張り詰めていた警戒心が、その流麗な旋律と舞によって、ゆっくりと解きほぐされていく。
「ガイル、今だ!」
ゼノリスが小声で促すと、ガイルは右目の眼帯を指先で持ち上げ、解析の力を解放した。彼の瞳の奥で、無数の青白い数式が走り、警備兵たちの配置と、結界の強度が低下する周期を瞬時に読み解く。
「解析完了だ。……左の柱の陰、次の警備が視線を外すまで、わずか七秒の隙がある。俺の合図に合わせろ。……今だ!」
ガイルの合図と同時に、一同は影から影へと滑るようにして動き出した。
リィンの操る風が、自分たちの纏う体温を霧のように周囲に散らして熱源探知を狂わせ、さらにカシムが床に影を這わせ、全員の足音と気配を徹底的に遮断する。
テオが大きな盾を物陰に滑らせようにして前衛を固め、エレナは周囲の気配に警戒を怠らない。
ファティマが舞うたびに響く澄んだ銀の音色が、若者たちの走るわずかな衣擦れの音を掻き消していった。
彼らは一度も立ち止まることなく、中央回廊の大きな門をくぐり抜け、王宮の最深部へと続く回廊の影へと滑り込んだ。
背後で、衛兵たちの感嘆の声と、ファティマの舞が静かに終わる気配が聞こえた。
彼女が自らの身を挺して稼ぎ出してくれた一瞬の好機を、若者たちは決して無駄にはしなかった。
通路を突き進み、たどり着いたのは、王宮の最深部に位置する、ハシム王が幽閉されている玉座の間。
その行く手を阻むようにそびえ立っていたのは、金糸の装飾が施された、重厚な大理石の二重扉だった。
扉の奥からは、かつてカシムが「裏切り者」と憎んだ王の、重苦しくもどこか寂しげな気配が漂っていた。
ゼノリスは黒い剣の柄に手を添え、ゆっくりと息を吐き出すと、扉の向こうに待ち受ける対峙を見据えた。
行く手を遮る、金糸の細工が施された重厚な仕切り。
カシムがその隙間へと自身の指先から音もなく影を這わせ、内側の閂をそっと外すと、大理石の二重扉は摩擦音を立てることなく滑らかに開いた。
差し込んできたのは、ひんやりとした回廊の空気とは対照的な、肌をじりじりとあぶるような生温かい大気のうねりだった。
「……ハシム王」
カシムの唇から、掠れた声が零れ落ちる。
広大な玉座の間。かつては豊かな大地の果実やハーブの瑞々しい香りに満ちていたはずのその空間は、今や上空の灼熱檻が放つ熱波によって陽炎が立ち上り、息をするだけで喉の奥が乾くような澱んだ空気に支配されていた。
天井に描かれた古い神話の壁画は熱によってひび割れ、床に敷き詰められた白大理石のタイルは、まるで熱せられた鉄板のように周囲の熱を反射している。
その灼熱が支配する空間の最奥、一段高い石の玉座に、一人の悲しき王が力なく腰掛けていた。
金糸で美しく刺繍された豪奢なローブは、今の彼の痩せ細った身体にはひどく不釣り合いで、まるで抜け殻を飾るための飾りのようだった。
白髪は乱れ、顔に刻まれた無数のしわは、この数年間で彼がどれほどの後悔と痛みを独りで抱え込んできたのかを無言で物語っている。
「……カ、シム、なのか?」
ハシム王は、震える細い指先で自身の目を覆うようにしながら、ゆっくりと顔を上げた。
かつてカシムが「国を、そして一族を売り渡した裏切り者」と憎み、決着の瞬間を待ち望み続けてきた、その相手である王。
だが、その落ち窪んだ瞳に宿っていたのは、国を牛耳る支配者の傲慢さなどではなかった。そこにあるのは、底知れぬ哀愁と、大切なものをすべて奪われ尽くした者だけが持つ、抜け殻のような姿だった。
「どうして……どうしてここへ戻ってきたのだ。お前だけは、あの略奪者たちの目の届かない、遠い地で生きていてほしかったのに……」
「ハシム王。俺は、お前からそんな心配をされたくて戻ってきたわけじゃない。……あの裏切りの理由を聞きに来たんだ」
カシムは一歩、また一歩と、熱を帯びた大理石の床を踏みしめて前へ進み出た。
彼の足元からは、自身の意志に呼応するようにして、黒く濃密な影が生き物のように這い出し、周囲の陽炎を吸い込むようにして床一面へと広がっていく。
短剣を握る彼の指先は、怒りと、目の前のあまりに変わり果てた王の姿への動揺から、微かに震えていた。
「なぜだ。なぜ、お前は一族を切り捨てた。あのガルヴァスのような略奪者の言いなりになり、民の生きるための水を奪ってまで、その汚れた玉座にしがみつき続けたんだ! お前の誇りは、あの砂漠の太陽の下に捨てちまったのか!」
カシムの絞り出すような絶叫が、広い玉座の間に虚しく響き渡る。
ゼノリス、フィリーネ、テオ、ガイル、エレナ、リィンたち仲間は、カシムの背中を無言で見守りながら、いつでも彼の盾となるべく武器に手を添えて警戒を続けていた。
ハシム王はカシムの怒声を正面から受け止め、ただ苦しげに瞳を閉じた。
彼の手が、自身の胸元にある、スルタンの正統なる証である金の紋章を、痛みを堪えるように強く握りしめる。
「……お前の言う通りだ、カシム。私は、一族を切り捨てた。民から供物を集め、水路の鍵を渡し、あの男の指図のままに、この都を渇きに喘がせてきた。……すべては、この私が下した決断だ。お前の手で、裏切り者の首を撥ねるがいい」」
ハシム王はゆっくりと首を差し出し、一切の弁明を拒むようにして、静かに両目を閉じた。
「ハシムッ!」
カシムが怒りで顔を歪め、短剣を握り直して一歩を踏み込もうとした。
その刹那、王の傍らに深く頭を垂れて控えていた、痩せ細った老従者が、王の前に身を投げるようにしてひざまずき、涙ながらに声を張り上げた。
「お待ちください、カシム様! 王を……王をこれ以上、悪く言わないでください!」
「よせ、バシール!」
ハシム王が厳しく制するが、白髪の老従者は、床に額を擦りつけるようにして絶叫を続けた。
「いいえ、王よ、今回ばかりは黙っていられません! ──カシム様、もしあの時、王が首を横に振っていたら、あのガルヴァスは直ちに上空の『天陽の灼熱檻』を最大出力で暴走させ、この都を、そして砂漠に生きるすべての民を一瞬にして灰に変えていたのです!」
「な……っ」
カシムの動きが、凍りついたようにピタリと止まった。
「あの狂戦士は、王にあまりにも非道な選択を迫りました。従うか、それともすべての民の灯火をここで消し去るか、と。……ファティマ様たちが、砂漠の隅で泥を啜りながらも、かろうじて生き延びることができたのはなぜだと思いますか。王がすべての泥を被り、奴の要求を呑み込み続けることで、かろうじて奴の引き金を引く手を引き留めていたからです!」
老従者は、すっかり血の気を失った両手を震わせながら、懇願するようにカシムを見つめた。
「王は、一国の長でありながら一人の略奪者に屈したご自身を、今日まで片時も許さず、責め続けてこられました。ですが、他に道がなかったのです。民のともしびを、ファティマ様を、そして皆様のように若い星の芽をまもるためには、裏切り者として生き長らえることしか、王にはできなかったのです……!」
「……バシール、もうよい」
ハシム王の掠れた声が、静かに老従者の言葉を遮った。
王の頬を、熱いしずくが伝い落ち、熱せられた石畳に触れて一瞬で消え去った。
彼が独りで背負い続けてきた、このおぞましい暗闇の果て。
誰にも打ち明けることができず、ただ裏切り者として憎まれながら、大切な人々をまもるための盾であり続けようとした男の、悲痛な、しかし揺るぎない覚悟を秘めた沈黙だった。
王は、すべての怒りを受け入れるように、再び静かに目を閉じた。
カシムの短剣が、力なく下ろされた。
彼を突き動かしていた憎しみの火は、王が背負っていたあまりにも重く、孤独な責任の前に、静かに、しかし残さずかき消されていった。
カシムはゆっくりと短剣を鞘に収めると、玉座の階段を一段ずつ登り、ハシム王の前に歩み寄った。
「……バカ野郎」
カシムの声からそれまでの刺々しさが消え、かすかに震えていた。
彼は、王の痩せ細った、しわだらけの手を、両手でしっかりと包み込むようにして握りしめた。
「どうして……どうして全部一人で抱え込んじまったんだ。一族が、民が、お前をどれだけ憎んでいたか……そんなこと、お前が一番よく知っていたはずだろ」
「憎まれて当然だ。私は……すでに多くの民の明日を奪い、残された者の未来さえ奪おうとしたのだから」
「奪われてなんかねえよ。俺たちは生きている。ファティマも、アズラも、そしてこの国の人々も、みんな泥を啜りながら、今日まで生き延びてきた」
カシムは真っ直ぐにハシム王の疲れ果てた瞳を見つめ、力強く頷いた。
「俺は、お前を殺すために戻ってきたんじゃない。……この国を、そしてお前がその魂を削ってまもり抜いてくれたみんなを、今度こそ俺たちの手でまもるために戻ってきたんだ。カシム・スルタンは、もう、お前を一人で戦わせやしない」
「カシム……。お前は、本当に強く、立派になったな」
ハシム王の目から、溢れるほどの涙が零れ落ち、今度はカシムの手の甲を温かく濡らした。
長すぎた孤独な戦い。裏切り者という枷に縛られ続けた王の心が、一族の若者が差し伸べた、その手の温もりによって、今、ようやく解きほぐされていく。
失われていた一族の絆が、この灼熱の玉座の間で、静かに、しかし揺るぎない熱を持って再び結ばれた瞬間だった。
だが──その和解の余韻は、あまりにも唐突に、そして無慈悲に引き裂かれることとなる。
ズゥゥゥゥン……!!
地獄の底から響くような不吉な震動とともに、空間全体が大きく軋み、玉座の間のガラス天井が衝撃波によって粉々に砕け散った。
降り注ぐ無数のガラスの破片が、赤い熱風を浴びてキラキラと輝きながら、彼らの頭上へと容赦なく降り注ぐ。
テオが即座に大盾を掲げ、ゼノリスが刃で破片を弾き飛ばしたが、その身体をすさまじい重圧が襲った。
「――が、あッ……!?」
テオが膝をつき、フィリーネが悲鳴を上げてその場にへばりつく。
床の大理石に、目に見えない巨大な鉄の杭が打ち込まれたかのように、空間の質量が数十倍へと膨れ上がり、全員の身体を石畳へと強制的に縫い付けようとしていた。
息を吸い込むことすら困難なほどの、肺を圧する、逃れようのない重圧。
砕け散ったガラスの天窓。その赤い熱風が渦巻く空から、音もなく、巨大な影がゆっくりと降下してきた。
纏うのは、不気味に赤黒く光る結晶の残光。
その手に握られた、巨大な戦斧。
「……探したぞ、帝国の血を引きし『星の種』よ」
地鳴りのような声が玉座の間に響き渡る。
そこに立っていたのは、かつてギルダーの街を重力魔法で蹂躙した、四魔将の一人――狂戦士ガルヴァス。
その漆黒の鎧の胸元には、不気味に赤黒く明滅する結晶「カオス・コア」が、ドクンドクンと不快な鼓動を刻んでいた。
降臨した狂戦士ガルヴァスは、ただ一人、フィリーネだけを見据えていた。
その胸元の結晶が怪しく輝きを増し、周囲の空間をさらに重苦しく歪めていく。
「下がれ、フィリー!」
ゼノリスは声を張り上げ、彼女を自身の背後へと庇うように立ちはだかった。
右手の星の刻印が、目の前の異質な輝きに激しく共鳴し、焼けるような熱を帯びていく。
彼は黒い剣を抜き放ち、白銀の魔力を刀身へと注ぎ込もうとした。
相反する衝動を調和させ、空間の法則を断ち切る『白銀の閃刃』。しかし、その光が刃に宿ろうとした瞬間、ガルヴァスの胸元の結晶が、狂ったような速度で自鳴し始めた。
キィィィィン……!
耳障りな高周波が玉座の間に響き渡る。
ゼノリスが放とうとした白銀の光は、その不規則な振動に波長をかき消され、形を保つことすらできずに霧散してしまった。
「なっ……魔力が、消えた……!?」
「無駄だ。我がカオス・コアが奏でる不協和音は、あらゆる魔導の調律を拒絶する。お前たちの青臭い術式など、塵に等しい」
ガルヴァスは、巨大な戦斧をゆっくりと持ち上げた。
彼が武器を構えた瞬間、玉座の間の空間に、凄まじい重圧がのしかかった
「――が、あぁッ……!?」
カシムが膝をつき、両手で床を支えながら吐き捨てるように呻いた。
リィンもまた、風読みの衣を翻して抗おうとしたが、その場に縫い付けられたように身動きが取れなくなる。
ガイルは疼く右目を押さえ、床に這いつくばりながら、息絶え絶えに数式を絞り出そうとしていた。
立っていることすら困難なほどの重圧が、全員の身体を石畳へとへばりつけようとしていた。呼吸をすることすら、肺が押し潰されるような苦しさを伴った。
「……お兄様、身体が……」
フィリーネの顔から血の気が失せ、彼女の華奢な身体が重圧に耐えかねて崩れ落ちそうになる。
ゼノリスは歯を食いしばり、彼女の腕を掴んだが、彼自身も足元が激しくきしみ、一歩を踏み出すことすら叶わなかった。
「案ずるな、星の種よ。お前の無限の魔力は、ルシオン様のために残さず吸い尽くしてやる。……だが、そこに群がる有象無象の虫けらどもは、ここで跡形もなく圧殺してくれよう」
ガルヴァスは、冷酷な光を瞳に宿し、巨大な戦斧を両手で天高く掲げた。
その漆黒の刃の周囲で、大気が引き絞られるように歪んでいく。
「消え失せろ、路傍の石ころども。……『天陽の重圧』!」
大気を押し潰すほどの衝撃波を伴った戦斧が、フィリーネたちの頭上へ向けて一気に振り下ろされた。
(駄目だ……防ぎきれない……!)
奥歯を噛み締めるゼノリスの顔が、焦りと悔しさで激しく歪む。
だがその時、彼らの前に躍り出た巨大な背中があった。
「――おおおおおおおッ!!」
地鳴りのような、獣の咆哮が玉座の間に響き渡った。
テオだった。
彼の瞳が黄金色の光を帯びて輝き、全身の筋肉がまるで別の生き物のように脈動し始める。
獣人としての本能の解放――『獣化』。
丸太のように太くなった両腕で、彼は自身の身の丈ほどもある漆黒の重盾を、頭上へと真っ向から掲げた。
「俺の仲間に、指一本触れさせやしねぇぞ!!」
ズドォォォォォンッ!!!
玉座の間全体が、今にも崩れ落ちんばかりに激しく揺動した。
ガルヴァスの放った必殺の戦斧と、テオが己を賭して掲げた漆黒の重盾が、正面から真っ向激突した。
凄まじい金属音が周囲の空気をプラズマ化させ、激しい衝撃波が、床に敷き詰められた白大理石をクモの巣状に粉々に砕き散らす。
火花が夜空の星屑のように激しく撒き散らされ、吹き荒れる突風が、玉座の間のすべてを吹き飛ばそうとうねり狂った。
「ぐ, おぉぉぉッ……!」
テオの腕の骨が悲鳴を上げ、皮膚から滝のような汗と鮮血が滲み出して石畳を汚す。
二トンを超える鉄塊の落下衝撃と、カオス・コアが放つ重圧が、彼の身体にのしかかっていた。
それでも、テオは一ミリたりとも後退しなかった。
彼の背中には、かつてオアシスで立ち尽くしていた気弱な少年の面影は、もうどこにもない。
仲間を守り抜くという、鋼鉄よりも頑強な決意。それは、学園の時計塔で、忘却の監獄で、精度を高めた数々の修羅場で彼らと共に磨き抜いてきた、彼自身の誇りそのものだった。
「ほう……。虫ケラにしては、少しばかり頑強な盾を持っているようだな」
ガルヴァスが、興味深そうに目を細めてさらに力を込める。
「ヘッ……。これくらい, 平気さ……!」
テオは血の滲む口元を不敵に歪め、さらに力強く石畳を踏みしめた。
その逞しい背中は、傷だらけになりながら這いつくばる仲間たちにとって、これ以上ないほど頼もしい、防壁としてそこに立ちはだかっていた。
「テオ……!」
ゼノリスが、彼の名前を叫ぶ。
「リーダー、みんな……! ここは僕が食い止める! だから……奴の不協和音を、今度こそ調律してくれ!」
テオの魂の叫びに呼応するように――ゼノリスが握りしめる黒い剣の刀身に、ふたたび、峻烈な白銀の輝きが宿る。




