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星帝物語  作者: 藤堂 貴之
第8巻 熱砂の太陽国と不屈の誓い

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第80章:砂鉄の嵐、追憶の風

神殿の跡地を支配していた、音のない静寂。それが、ガラスの板に細かいひびが入るような、不吉な震動によって破られた。

大気を激しく削り取る不快なノイズが、外界から壁の隙間をすりぬけて、ゼノリスたちの耳元へと這い寄ってくる。

リィンが風読みの衣を翻し、エメラルド色の風を纏わせた刀の柄を強く握りしめた。

カシムは実体を失うように、音もなく足元の暗い影へと沈み込んでいく。

テオが背負っていた巨大な漆黒の盾を前に構え、腰を低く落として仲間たちの防波堤となった。


「お兄様……」


フィリーネが、ゼノリスの服の袖をそっと引きながら、穏やかに囁いた。

彼女の銀色の長い髪は、不吉に揺れる影の中で、眩しく白銀にきらめいている。

この数年の過酷な歩みの中で、かつて黄金の麦畑でただ泣きじゃくっていた頃の幼さは彼女の瞳から消え失せていた。

セレスティアたちがいないこの場所で、彼女は一人の魔導師として、兄を支えるために白銀の杖を胸に抱きしめ、純白の魔力をいつでも放てるよう、そっと息を整えていた。


ゼノリスは、右手のひらの包帯を無意識に握りしめた。

その包帯の下に隠された、三つ目の星の刻印。

それは今、外界から迫り来る不自然な魔力に共鳴するように、じりじりと熱く疼いていた。

(エレアノール学園長が、第三の楔のありかを知っている……)

預言者ハキームが残したその言葉が、彼の胸の奥で、消えない炭火のように燻り続けている。

自分たちを「鉛」と蔑む世界から守るために旧時計塔に居場所をくれた学園長。

彼女がなぜ、帝国の血筋が受け継ぐペンダントを持ち、第三の楔のありかさえ握っているのか。

自分たちの歩んできたすべての歩みさえも、彼女の描いたシナリオの上だったのだろうか。

信じていたものが足元から崩れ去っていくような疑惑が、ゼノリスの足を鈍らせようとする。

だが、彼は目前に迫る殺気へと意識を戻した。今は、過去を振り返って立ち止まっている場合ではない。


天井の割れ目から差し込み、崩れかけた黒い祭壇を照らしていた一筋の陽光。

それが、見る見るうちに指先から零れ落ちる水のように、真っ黒な影によって塗り潰されていく。

それは、ただの影ではない。目に見えない磁力に引き寄せられた、無数の細かな砂鉄の群れだった。

砂鉄は空中で大きな黒い渦を巻き、太陽の光を吸い込みながら、神殿の隅々をひんやりとした薄暗がりに染め上げていく。

キ、キ、キ……という、金属と金属が激しくこすれ合うような、耳の奥を直接あぶる高いノイズが空間に充満した。


「……待て。地脈の魔力の流れが、急激に一点に向かって収縮している。……上だ!」


ガイルが右目の眼帯を指先で引き上げ、解析の力を解放した。彼の瞳の奥で、無数の青白い数式が走り始め、目前の空間に満ちる異常なエネルギーの正体を暴き出す。

ガイルのその叫びと同時に、黒い砂鉄の渦から、大地の引力を欺くように、一人の男がふわりと廃墟の中央へと降り立ってきた。


男は、ルサルカの伝統的な高貴な刺繍が施された、しかし戦闘で所々が破れた法衣を纏っていた。

彼の手には、先端に浮遊する三つの真鍮(しんちゅう)の環が、磁力の反発によって軸に一切触れることなく、不規則に回転している奇妙な金属の杖が握られていた。

その顔には、敵としての殺気や怒りはなく、ただ、自らの術式がもたらす勝利を確信しているかのような、冷酷で薄気味の悪い笑みが貼り付いていた。


「やあ。待たせたね、星屑の騎士たち」


男は、自らの磁力領域を誇るような、傲慢な目をゼノリスたちに向けた。


「ガルヴァス様が、君たちにずいぶんと手を焼いていると聞いてね。どんな化物かと思って見に来たけれど……なんだ、ただの子供の集まりじゃないか」


「……誰だ、お前は」


ゼノリスは一歩前に出て、黒い剣をゆっくりと引き抜いた。


「お前の相手をしている時間はない。……道を開けてもらおう」

「おやおや、手厳しいね。まだ名乗っていなかったか」


男は肩をすくめ、杖を優雅に掲げた。


「私の名はナディーム。ルサルカの優れた魔導を修め、この都の宰相ザルクに雇われた高貴な魔導士さ。……もっとも、お前たちにとっては、ここでその歩みを終わらせる者の名前になるだろうけれどね」


ナディームは、杖の先をゼノリスの喉元へ向けて笑った。


「お前たちの『調律』とやらが、私の前でどれほど無力か教えてあげよう。……さあ、始めよう。お前たちの命がどこまで持ち堪えられるか、試させてもらうよ」


「……この国をまもるために、僕はここまで来たんだ。こんな奴の無駄話に付き合っている暇はないよ」


テオが、大盾の持ち手を強く握りしめ、低く唸った。

これ以上、あの美しい場所を汚させはしない。一刻も早くすべてを終わらせて、アズラたちの元へ帰る。テオの瞳には、大切な場所をまもり抜く強い光が宿っていた。


「同感だぜ。ハシム王を救い出すためにも、ここでぐずぐずしているわけにはいかないからな」


カシムが、影の中から短剣の柄を指先で弾いた。

仲間と共にこの国の行く末を繋ぐという、消えることのない熱が彼の瞳には宿っていた。


エレナは銀色の長剣を水平に構え、その周囲で空間が微かに揺らぎ始める。

リィンもまた、風読みの衣を揺らしながら、エメラルド色の風を足元に巻いた。


「……風が、激しく怒っている。……あいつの魔力、不自然で、とても不快」


「ハッ、お前たちのその強気な態度、いつまで持つかな!」


ナディームが杖を大きく振り払うと、天井を覆っていた黒い砂鉄の雲が、一斉に牙を剥いて彼らの頭上へと降り注いできた。

幾多の激戦を潜り抜けてきた彼らの歩みは、力強さを増していた。

だが、ナディームの展開する「磁力領域」が周囲の砂岩をも巻き込んで巨大な壁を形成し、ハキームの廃墟からの退路を隙なく塞いでいく。

逃げ道のない、薄暗い神殿の跡地。

砂鉄の嵐が視界を真っ白に染め上げる中、彼らの生き残りをかけた激しい戦いが、今、始まった。


ガイルが右目の眼帯を押し上げ、赤く輝く解析眼(アナライズ)で上空を睨みつけた。


「……退がれ! 上から来るぞ!」


彼の視界には、大気中の砂鉄を急速に吸い寄せ、巨大な黒雲を形成していく凄まじい流れが、無数の数式となって明滅していた。

頭上の太陽が、一瞬にして遮られる。

遮ったのは、自然の雲ではない。ナディームが指先を動かしたその瞬間、大地の底から引きずり出された何億もの「砂鉄の刃」だった。それらは上空で不気味に渦を巻き、大気を無理やり削り取るような高い金属音を響かせながら、一同へ向かって一気に振り下ろされた。


「盾の防壁、展開! 『黒盾(こくじゅん)の壁』!!」


テオが、地鳴りのような咆哮を上げて前線へ躍り出た。

獣人としての本能を内側から解放し、太くなった両腕の筋肉を鋼鉄のように硬化させる。

身の丈ほどもある漆黒の重盾を石畳に深く突き立て、頭上から雪崩のように押し寄せる砂鉄の嵐を正面から受け止めた。

ガガガガガガガガッ!!

耳を劈(つんざ)くような、金属同士が激しく擦れ合う悍(おぞ)ましい衝撃音が大平原に木霊(こだま)した。


「……ぐ、おぉぉぉッ!」


テオの喉から、押し潰されたような苦悶の悲鳴が漏れた。


ナディームの操る引き合う力が、盾の防護を迂回し、無数の細い針となってテオの身体を側面から執拗に削りにかかっていた。彼の纏う魔法で強化された革製の防具が瞬く間に削り取られ、毛皮の下から赤い鮮血が滲み出して砂を汚していく。


「テオ、無理するな! 影の網、最大展開!」


カシムが足元の黒い砂地に両手をつき、全身の魔力を限界まで絞り出した。 テオの盾を補強するように、彼の足元から傷だらけの皮膚を這い上がった暗い影が、巨大なドーム状の防壁となって重盾の周囲を包み込む。

ガシャガシャと、影の壁が砂鉄の針に削り取られる不快な音が響く。


「……っ、テオ、堪えてくれ! 影が、どんどん薄くなっていく! 奴の引き付ける力、こちらの魔力を細かく分解して喰らい尽くしやがる!」


カシムの額から、大粒の汗が砂の上に滴り落ちる。彼の呼吸は次第に荒くなり、膝がガタガタと震え始めていた。

傷だらけになりながらも、決して盾を引かないテオ。

自らの身を削り、仲間を必死に支えようとするカシム。

二人の意地と友情、そして彼らが流す血の熱さを、ゼノリスは一歩下がった場所で見つめていた。

(……僕は、また)

かつて黄金の麦畑で、そして原生林の暗闇で、ただ守られるだけで何もできなかったあの日の幼き自分が、脳裏をよぎる。

(みんなが、僕を信じて背中を預けてくれている。……だったら、僕が彼らの『盾』を、これ以上削らせるわけにはいかない)

ゼノリスの胸の奥底で、決して混じり合うはずのない二つの心臓が、狂ったような速度で共鳴(シンクロ)を開始する。世界を救う『勇者』の静寂と、世界を破滅させる『魔王』の底知れぬ衝動。その二つの力が、ひとつの器の中で激しく激突し、白銀の熱量となって彼の全身の血管を駆け巡り始めた。


ゼノリスは、ゆっくりと、しかし確かな足取りで、テオとカシムの前に歩み出た。


「言ったはずだ。お前の相手をしている時間はない。……道を開けろ!」


嵐の轟音を貫き、ゼノリスの声が響き渡った。

その言葉と同時に、彼の右手の包帯が、内側から溢れ出そうとする白銀の魔力に耐えきれず、一瞬にして塵となって舞い散った。

露(あらわ)になったのは、赤黒く爛(ただ)れた火傷の痕。

しかしその中心にある『三つ目の星』の刻印から放たれたのは、これまでのどのような魔法とも、あるいは『調律』の剣技とも異なる、異次元の輝きだった。

ゼノリスは黒い剣を抜き放ち、地を蹴った。

彼は力任せにナディームの嵐を破壊しようとはしなかった。二人が命がけで稼いだ、わずかな隙。そこにある魔力の「淀み」を正確に見極め、白銀の刃で滑るように空間を薙ぎ払った。

キンッ。

澄んだ、硝子を弾くような音が響く。

ゼノリスの放った『白銀の閃刃』は、砂鉄を操る見えざる引力そのものの波長に干渉し、その接続を一時的に両断した。

嵐の威力が衰え、砂鉄の雲がばらばらと地面に落ちる。


「……引くぞ! あそこの岩陰へ!」


ゼノリスの号令のもと、カシムが自らの影でテオの大きな身体を引きずり込み、ナディームの追撃が及ばない黒い砂岩の陰へと、七人は転がるようにして退避した。


黒く焼け焦げたような砂岩の陰は、上空を覆う灼熱の太陽を辛うじて遮ってはいたが、吹き抜ける風は乾ききっており、肺の奥をじりじりと焦がすような熱を帯びていた。


「テオ、動かないで。すぐに傷を塞ぎます」


フィリーネが、膝をついてテオの傍らへと駆け寄った。彼女の持つ白銀の杖の先から、透き通るような純白の光が溢れ出し、傷口へと吸い込まれていく。

テオの纏うプロテクターは砂鉄の嵐によって無残に削り取られ、頑強な褐色の肌から血が滲み出ていた。テオは苦痛に太い眉をひそめながらも、心配そうに見つめるフィリーネに対して、微笑みを浮かべた。


「……ごめんね、フィリーネ。僕がもっと、みんなを守る頑丈な盾になっていればよかったのに。こんなに早く崩されるなんて」


「そんなことありません。テオが防いでくれたあの数秒があったから、私たちはここにいられるのです。……だから、自分を責めないでください」


フィリーネは、優しい眼差しを向け、確かな治癒の魔力を注ぎ込み続けた。

彼女の紡ぐ言葉には、共に死線を越えてきた一人の医療魔導師としての、気高い決意が宿っていた。


テオの呼吸は少しずつ穏やかになり、傷口の血も止まっていった。それを見届けたゼノリスは、岩壁に背を預けて深く息を吐いた。

彼の右手のひらは、先ほどの『白銀の閃刃』の反動によって、剥き出しになった星の刻印から微かに煙を立ち昇らせている。

内側でせめぎ合う二つの相反する衝動――すべてを破壊せんとする魔王の脈動と、すべてを救おうとする勇者の正義。それらが、彼の身体の内側で、今も静かに火花を散らしている。

だが、その熱は、かつてのように彼を恐怖で支配するものではなかった。

 彼の、揺るぎない決意を秘めた瞳は、進むべき険しい道を見据え、若き導き手としての光を放っていた。


「……手強いな、ナディームは。磁力で盾の後ろに回り込んで、嫌らしい搦(から)め手を使いやがる」


ガイルが、眼帯の奥の右目を押さえながら、悔しげに舌打ちをした。


「だが、奴の力の波形には、必ずどこかに揺らぎがある。ルカスとの連携で、次はその隙を必ず見つけ出す」


ルカスの開発した魔導通信機にそっと指先を触れ、ガイルは次なる反撃の計算を頭の中で巡らせていた。


その緊迫した空気から少し離れた岩陰で、エレナは一人、腰に提げた銀色の長剣の柄にそっと手を添えていた。

彼女の指先が、装飾の一切ない、実戦で磨き抜かれた剣の表面を滑る。


(……私は、何のためにこの剣を振るっているのだろう)


周囲で傷つき、それでも互いを信じて立ち上がろうとする仲間たちの熱を、彼女は静かに肌で感じていた。それに比べ、自らの手にある銀の刃は、あまりにも温度を欠いてひんやりとしているように感じられた。


彼女の脳裏に、遙か遠い、幼き日の記憶が鮮烈に蘇る。

あれは、雪の降る前の、ひどく風の鋭い日のことだった。

まだ幼かった彼女は、街の裏山で、狂暴な魔獣の群れに囲まれていた。逃げ場を失い、冷たい地面にへたり込んで、唯々(ただただ)震えることしかできなかった彼女の前に、突如として現れたのが、全身を古びた銀色の甲冑で包んだ、顔の見えない魔騎士だった。

騎士は一言も発しなかった。ただ、彼女の前に悠然と立ち塞がると、背負っていた大剣を静かに引き抜いた。

その瞬間、世界からあらゆる音が消失した。

騎士が剣を真横に一閃した直後、魔獣たちの巨大な肉体が――いや、彼らが立っていた周囲の空間そのものが、音もなく真っ二つに切り離された。

空間の座標そのものを物理的に切断し、存在そのものを無に還すような、異次元の太刀筋。

魔獣たちは自らが斬られたことすら理解できぬまま、サラサラと砂のように崩れ落ちて消えていった。

去り際、騎士が彼女の足元に投げ残していったのが、今、彼女の腰にあるこの銀色の長剣だった。


『……強くなれ。自らの意志で、自らの路を切り拓くために』


兜の奥から響いた、鉄のようにずっしりとした声。

エレナはその圧倒的な背中を追い、あの騎士のように気高く、何者にも屈しない強さを手に入れたいと願って、今日まで必死に剣を握り続け、磨き抜いてきたのだ。


(私は、あの人に追いつけているのだろうか。……この剣で、みんなを守るだけの強さが、私には……)


エレナが自らの胸に問いかけた、その時だった。


「――グルルルル……」


岩陰の隙間、乳白色の砂煙の向こうから、不気味な低い唸り声が響いた。


「……チッ、もう嗅ぎつけてきやがった!」


カシムが短剣を構えて影を這わせようとするが、先ほどの魔力消費が激しく、影の壁の立ち上がりが遅い。テオはまだ動けず、ゼノリスも先ほどの調律の反動が右手の刻印をじりじりと灼(や)き、出遅れる。

砂壁を蹴って現れたのは、ナディームの砂鉄を全身に纏い、その瞳に赤黒い狂気の光を宿した、三体の巨大な魔獣だった。彼らの牙と爪は砂鉄の刃となって研ぎ澄まされ、逃げ場のない黒い砂岩の陰へと、容赦なくその巨体を躍らせてきた。


仲間たちに迫る牙の前に、エレナは言葉よりも先に身体を動かしていた。弾かれたように飛び出し、腰の長剣へと手を伸ばす。


「ハァッ!」


峻烈な気合とともに、銀の刃が円を描いて夜気を切り裂き、迫りくる魔獣の牙を鋭く弾き飛ばす。

間髪入れずに魔獣の強固な砂鉄の爪が迫るが、エレナは長年の修練に裏打ちされたしなやかな体術でそれを紙一重でかわし、魔獣の喉元をめがけて剣を鋭く突き出した。

キィン、と硬質な高い音が響き、長剣が砂鉄の装甲を突き破る。


「ギャンッ!」


一体の魔獣が悲鳴を上げて後退するが、残る二体がさらに彼女を挟み込むようにして飛びかかってくる。

エレナはひるまない。彼女は足元の砂地を強く踏みしめ、自らの長剣にすべての魔力を集中させた。

あの日の騎士が見せた、空間を斬る技。それをこの手で再現し、仲間を守り抜くのだという強い意志が、彼女の瞳に青い炎を灯す。


(届け……! 私の剣よ、空間を切り拓け!)


エレナが長剣を真横に一閃した、その瞬間。

キィィィィィン……!

耳を劈(つんざ)くような澄んだ、しかし圧倒的な冷徹さを孕んだ音が、峡谷の風を貫いて響き渡った。

エレナの放った刃の軌道に重なるようにして、空間そのものが軋(きし)み声を上げて歪んだ。

次の瞬間、襲いかかっていた魔獣たちの巨体が、空中でピタリと静止した。

いや、静止したのではない。彼らの身体が、彼らが跳んできた周囲の空間そのものが、一瞬にして音もなく「ズレた」のだ。ただ、空間という一枚の紙が、見えない巨大な刃によって真っ二つに切り裂かれ、上下の座標が合わなくなってしまったかのような現象。


「……え?」


テオが呆然と声を漏らす。

魔獣たちは自らが斬られたことすら理解できないまま、上半身を滑らせて地面へと崩れ落ちていった。彼らの強固な肉体は、切断面からサラサラと黒い砂へと崩れ落ち、そのまま風に流されて消えていく。あとに残されたのは、空間が切断された瞬間の、研ぎ澄まされた風の音だけだった。


ゼノリスは、その消えゆく魔力の軌跡を見つめ、ハッと息を呑んだ。


(……今の、太刀筋……)


ゼノリスは、消えゆく大気の裂け目を見つめ、ハッと息を呑んだ。


(……ザガン、なのか……?)


かつて何度も自分たちを救った、あの空間を斬り裂く刃。そこには、切り裂かれた大気の後に残る凪だけがあった。


しかし、次の瞬間、エレナが弾かれたようにその気配を追って駆け出していた。


「……そこに、いるの……? お願い、答えて……!」


言葉にならない焦燥。彼女の青い瞳は、かつて自分を救ってくれた「あの背中」を今度こそ自らの手で掴み取ろうと、激しく揺れていた。

エレナは、嵐の晴れかけた砂丘の向こう、立ち並ぶ黒い岩肌の影を、狂ったように視線で走らせた。


「どこ……どこにいるの……!」


じっと立ち尽くして待つことなど、今の彼女にはできなかった。彼女は砂を蹴り、周囲の岩陰や砂丘の上を、必死に索敵した。かつての憧れの背中が、自らのすぐ近くにいるという震えるような確信。だが、それが見つからないことへのもどかしさが、彼女の呼吸を荒くさせていた。


しかし、その切実な追憶を力ずくで踏みにじるように、頭上の空がぐにゃりと歪んだ。

上空を覆い尽くす、魔導士ナディームの操る「黒い砂鉄の雲」。嵐が去ったわけではない。むしろ、砂鉄の粒子は、確実に熱を帯びて彼らを包囲しつつあった。


「ふふ……。今の一撃は、私の計算にない不協和音(ノイズ)だったね」


砂嵐の向こうから、ナディームの飄々(ひょうひょう)とした声が、大気を伝って響いてきた。奴は、すぐ近くにいる。姿を現さぬまま、蜘蛛の巣を張るようにして、ゼノリスたちをじわじわと追い詰めているのだ。


「だが、この天陽の灼熱檻から逃れるルートは存在しない。……さあ、次の計算を始めようか」


ジリジリと、周囲の砂鉄が再び不気味な脈動を始め、肺を圧するような重圧が彼らの身体を拘束していく。


「ちぃっ……! とことん嫌らしい搦(から)め手を使いやがる」


ガイルが、眼帯の奥の右目を押さえながら、悔しげに舌打ちをした。


「……ガイル、大丈夫ですか?」


フィリーネがテオの治療を続けながら、不安げにガイルに声をかける。


「ああ。だが、奴の力の波形には、必ずどこかに揺らぎがあるはずだ」


ガイルは、懐からルカスが開発した通信デバイスを取り出し、その起動スイッチを親指で強く押し込んだ。デバイスのインジケーターが、激しい砂鉄のノイズを弾くようにして、青白い光を放ち始める。


「ルカス、聞こえるか。地上のクソみたいな嵐のせいで、波長がめちゃくちゃだ」


『……いつ壊れてもおかしくない限界まで回してるよ。ジャミング(電波妨害)は僕が引き受ける。ガイル、お前の「解析眼(アナライズ)」で、奴の磁力の波形を丸裸にしてやれ!』


通信機越しに、かつての時計塔の相棒であるルカスの熱い声が響いた。


「ああ、任せとけ。……ゼノリス、エレナ! 奴は近くにいる。少しだけ時間を稼いでくれ。俺が波形を暴いてやる!」


ガイルの右目の奥で、青白い演算の光が爆発的に明滅を開始した。

見えざるナディームの次なる嵐を前に、彼らの反撃が始まろうとしていた。

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