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星帝物語  作者: 藤堂 貴之
第8巻 熱砂の太陽国と不屈の誓い

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第78章:盲目の預言者、ハキームの警告

地下オアシスへと続く階段を下りきった先で、若者たちを迎えたのは、地上の焦がすような熱風を一時だけ忘れさせてくれる、潤んだ空気だった。

地の底から湧き出る清水が、さらさらと穏やかな音を立てて砂岩の合間を縫うように流れている。

天井に埋め込まれた不思議な光の石が、柔らかい薄緑色の光を放ち、周囲に群生する砂漠のハーブを照らし出していた。王宮での緊迫した包囲網を脱し、命からがら辿り着いた隠れ家には、地上の乾いた静寂とは異なる、安らぎの湿り気が満ちている。


「……カシム、動かないで。傷口から、まだ魔力の火花が漏れている」


フィリーネが杖の先端をカシムの肩へと向けると、純白の魔力が冷気となって広がり、痛々しく腫れ上がっていた火傷の熱を優しく包み込んでいく。


「カシム、よく耐えたね。はい、これを飲んで。ファティマに分けてもらった清水だよ」


テオが、木製の器をカシムへと差し出した。器の表面には、ひんやりとした清水の結露が白く光っている。


「……恩に着るよ、テオ」


カシムは壁に寄りかかり、差し出された器を両手で受け取った。彼が清水をゆっくりと喉に流し込むと、砂漠の熱風に焼かれていた渇きが、少しずつ解きほぐされていく。

テオは彼を労うように長い耳を小さく揺らし、中央の竈(かまど)へと視線を向けた。


ファティマが、オアシスの清水でひんやりとさせた涼やかなハーブのスープを、木皿に分けて運んできてくれた。

クミンやコリアンダーに似た爽やかな香りが立ち上り、王宮からの脱出で張り詰めていた彼らの身体を、優しくほぐしていった。

 フィリーネがそれを受け取ってカシムたちに手渡すと、その心地よい涼やかさは、かつて学園の旧時計塔に集い、十人で一つの竈を囲んだあの日々の温もりを、そっと呼び覚ますようだった。

ゼノリスは、緑のハーブが揺れる器をじっと見つめ、呼吸を整えた。 隣に座るフィリーネが、そっと彼の袖を握りしめる。彼女の澄んだ瞳には、どんなに過酷な道であっても、兄を支え抜くという揺るぎない覚悟が宿っている。

横たわっていたアズラが、ゆっくりと上体を起こし、かすれた声で微笑みかけた。


「ゼノリス。そんなに険しい顔をしてスープを見つめないで。……私たちは無事に戻れたのだから」


テオが素早く彼女の背中にクッションを当て、その身体を優しく支える。


「アズラ、無理をしないで。君は、ガルヴァスの地下牢でボロボロにされていたんだから」

「わかっているわ、テオ。心配をかけてごめんなさい」


アズラは彼に小さく頷き、それから真剣な眼差しを再びゼノリスへと向けた。


「ゼノリス。貴方が王宮の地下で目撃した、あの不気味にうごめく魔力の流れ……。あれは、この国を蝕むガルヴァスの企ての一部に過ぎないわ」


「……アズラ、君は何か知っているのか。この国を包む、あの不穏な響きの正体を」


ゼノリスが問うと、アズラは深く頷き、乾いた唇を開いた。


「ええ。……かつて私が、ガルヴァスの支配する暗殺組織に潜入し、情報屋として泥の道を歩んでいた頃のことよ。私は情報網のすべて使い、ある盲目の預言者から、一つの奇妙な『預言』を買い取っていたの」


彼女の言葉に、カシムもガイルも耳を澄ませた。


「その預言ではね、かつて帝国が封印した『第三の楔』を解き明かすための、唯一の鍵について語られていたわ」


アズラは、自らの服の襟元をそっと押さえ、言葉を重ねた。


「預言の内容は、こうよ。――『三つ目の星の王の前に、帝国の血を引きし者が受け継ぐ星刻のペンダントがもたらされる時、第三の楔の封印が解かれる』」


「帝国の血を引きし者が受け継ぐ星刻のペンダント……」

フィリーネが、その言葉をなぞるように呟いた。


「帝国の血を引く者が受け継ぐ……。じゃあ、そのペンダントが今どこにあって、誰が持っているのか、お前は知っているのか?」


ガイルが眼帯を直しながら、鋭い眼差しをアズラへ向けた。

アズラは、悔しそうに小さく首を横に振った。


「……わからないわ。私の情報網をもってしても、その首飾りの行方だけは、どうしても突き止めることができなかった。それが現在、世界のどこにあって、誰の手にあるのかは、誰も知らない。ただ、帝国の歴史の闇の中に紛れ込んでしまったとしか……」

「……そうか。鍵の正体はわかったけれど、肝心のペンダントがどこにあるかわからないんじゃ、どうしようもないね」

テオが、困ったように長い耳を伏せた。


だが、アズラはそこで諦めるような女(ひと)ではなかった。彼女の瞳には、復讐のためにすべてを捧げてきた者だけが持つ、不敵な光が宿っている。


「でも、そのペンダントの行方と、未だ隠されし『第三の楔』のありかを知る手がかりを持つ人物が、一人だけいるわ」

「……誰だ」

ゼノリスが、黒い剣の柄にそっと手を添え、問うた。


「盲目の預言者、『ハキーム』」


アズラは、その名を忘れるはずがないというように、はっきりと口にした。


「かつて私に、その預言を授けてくれた張本人よ。彼は今、この王都のさらに北西に広がる、過酷な砂漠の廃墟に身を隠している。彼なら、そのペンダントのありかと、第三の楔を開くためのすべての道筋を示してくれるはずよ」


地の底に湧き出る清水のせせらぎが、胸の高鳴りを押し隠すように宿営地に響き渡る。

ゼノリスは、ゆっくりと立ち上がった。右手の刻印から漏れ出す微かな温もりが、彼の進むべき路を、静かに照らし出しているようだった。


「……ハキームの元へ行こう。僕たちが、この砂漠の檻を打ち破るために」

ゼノリスの迷いのない言葉に、若者たちは力強く頷いた。



若者たちは、地下オアシスに流れる清水を水筒に満たし、ファティマが用意してくれた防砂服を身にまとって出発の準備を整えた。

まだ身体を自由に動かせないアズラは、ファティマと共にこの安全な隠れ家に残ることになった。


「無理はしないでね、テオ。……ゼノリスも」

アズラは横たわったまま、出口へと歩み出す友人たちを気遣うように声をかけた。


「ああ。君はここでしっかりと身体を休めてくれ。必ず手がかりを持ち帰る」

ゼノリスは小さく頷いた。


地下オアシスの涼やかな清水のせせらぎに送り出されるようにして、彼らは一歩を踏み出した。


隠れ家を繋ぐ細い階段を登りきると、そこには昼間の強烈な陽光が待ち構えていた。

上空に展開された「天陽の灼熱檻」は、太陽の熱を数倍に跳ね上げて地上へと降り注いでいる。防砂服の分厚い布地を通しても、肌を直接あぶられるような熱気が伝わってきた。


「……これは歩くだけで体力を削られるな。長くは立ち止まっていられない」


ガイルが右目の眼帯を直し、手元の地脈地図を広げた。


「俺が先導する。砂の下に眠る古代の地脈から、熱気の薄いルートを解析して歩くぞ。カシム、上からの熱線を遮れるか?」

「任せとけって。影を少し広げて、日傘代わりにしてやるよ」


カシムは足元の影を頭上へと薄く引き伸ばし、降り注ぐ熱線を遮る幕を作る。

テオは巨大な漆黒の重盾を構え、いつでも周囲の警戒ができるよう重心を低く保っていた。

フィリーネはゼノリスの隣を歩き、白銀の杖をしっかりと握りしめている。

リィンは肩に纏(まと)う銀色の羽衣をたなびかせ、吹き付ける熱風を微かな風でいなしながら、音もなく歩調を合わせていた。

エレナは銀の長剣を腰に、乾いた砂に足をとられながらも、背筋を真っ直ぐに伸ばして進んだ。


行く手を阻む砂丘をいくつも越え、過酷な熱砂を往くこと数時間。

ガイルが足を止め、前方にある巨大な砂のうねりを指し示した。


「……見えてきたぞ。あれが、ハキームのいる廃墟だ」


砂に半ば埋もれた、古代帝国の神殿の成れの果てだ。

崩れ落ちた白大理石の柱が、砂漠の風に削られて無残な姿を晒している。そこは、外界の吹き荒れる熱風が嘘のように、奇妙な静寂に包まれていた。

一歩、神殿の跡地へと足を踏み入れた瞬間、テオが耳をピクリと動かした。


「……変な感じがする。音が、何もないよ」

「ええ。……耳の奥がちりちりと痛むような、不快な魔力の波長が満ちています」

フィリーネが杖を胸に抱き寄せ、周囲を警戒する。


風の音も、熱線の爆ぜる音もない。ただ、三千年の年月がそのまま凍りついたかのような、耳鳴りのする静寂だけがそこにはあった。


「……奥に、誰かいる」

エレナが長剣の柄にそっと手を添え、暗い神殿の入り口を睨み据えた。


ゼノリスが先頭に立ち、瓦礫の隙間を潜り抜けて、薄暗い拝殿の奥へと進む。

そこは、天井の割れ目から一筋の陽光が差し込み、宙を舞う細かな埃を照らし出している場所だった。

その光の帯の向こう、崩れかけた黒い祭壇の前に、一人の老人が静かに佇んでいた。

ボロボロに擦り切れた灰色の防砂布を纏(まと)い、顔の半分を覆うように布を巻いている。その立ち姿からは魔力も殺気も感じられないが、周囲の静寂と同化しているような、異様な存在感を放っていた。


「……よくぞ来た、星屑の騎士たちよ」


老人が、乾いた砂が擦れ合うような低い声で、静かに語りかけた。

その目は固く閉じられており、光を失った「盲目の預言者」ハキームその人であった。


ハキームが語りかけたその声は、乾いた砂が擦れ合うように掠れていた。廃墟のしんと静まり返った空気の中に、穏やかな余韻となって広がっていく。

ハキームが、光を失った両眼をゆっくりとゼノリスへと向けていた。その立ち姿からは魔力も殺気も感じられないが、異様な存在感を放っていた。

ゼノリスは、自らの呼吸を整えながら一歩前へ進み出た。


「ハキーム……アズラからあなたのことを聞いた。僕たちの行くべき道を指し示してくれると」


老人は、ゼノリスの言葉にすぐには答えない。彼の視線は、ゼノリスの白い包帯で厳重に隠された右手へと注がれる。


「お前のその右手……包帯の奥で、アル・ザハブの不調和音がせめぎ合っているな。上空の檻がもたらす激しい熱と、地底で肥大する太陽結晶魔石。……熱を吸い上げ連動する二つの歪んだ脈動が、お前の右手の刻印を激しく疼かせているのが、私には視える」


ハキームは目が見えないはずだったが、その言葉には、すべてを見通しているかのような確信が宿っていた。ゼノリスの右手の刻印が、彼の言葉に呼応するように、じわりと熱を帯びる。包帯の奥でパチリと小さな魔力の火花が散り、皮膚をあぶるような痛みが走るが、ゼノリスは表情を変えずに耐えた。自分のなかの二つの脈動が、この国の渇きに共鳴している。


「……それだけではない」


ハキームの顔が、今度はゼノリスの隣に立つフィリーネ、そしてエレナへと向けられた。


「お前たちの内側からも、それぞれ異なる因縁の響きが聞こえてくる。……銀髪の少女よ、お前の内にある清らかなる光。それはかつて帝国が求めた、理を編み直すための調べ。そして、長剣を提げた剣士よ、お前の背負う刃から伝わる、空間を切り裂くような厳しい鉄の残響。……いずれも、三千年前の帝国が遺した、呪縛の血脈の共鳴だ」


エレナは思わず息を呑んだ。 彼女が腰に携えている銀の長剣は、幼い頃に魔獣の脅威から自分を救い出してくれた、甲冑の騎士が残していったものだ。あの騎士が放った、空間そのものを切り裂く不思議な力。その残響が、なぜ今もこの長剣に宿っているのか。そして、初めて会ったはずのこの老人が、なぜその隠された剣の秘密を、見抜くことができたのか。彼女の胸に、底知れない驚きと不気味な予感が沸き起こっていた。

フィリーネもまた、白銀の杖を胸元で強く抱きしめ、老人の言葉をじっと聞き入っていた。

「ハキーム。アズラは、君がかつて口にした預言を教えてくれた。かつて帝国が封印した『第三の楔』を解き明かすための、唯一の鍵について語られたという預言を。……その鍵と、第三の楔はどこにあるんだ?」


ゼノリスの問いに、ハキームは深い溜息(ためいき)をついた。


「第三の楔を解く鍵は、お前たちが進むべき道の先にある。だが、その扉を開けば、さらなる大いなる闇が目覚める。あの小さな首飾り……それこそが、帝国が忘却の聖域に隠し、かつてあの学園の主が受け継いだ星刻のペンダント。高貴な血を引きし者がそれを持つ時、初めて宿命の楔がその口を開く。……だが、よく覚えておくがいい。そのペンダントが放つ輝きは、世界をあるべき姿に調律する光であると同時に、世界のすべてを無に還すための、最初の引鉄(ひきがね)でもあるのだ。その第三の楔は、このアル・ザハブにはない。それが世界のどこに眠っているのか……その真実を知る人物。それは、すべての始まりの地、学園都市のエレアノールだ」


「学園長が……?」


フィリーネの唇から、驚愕(きょうがく)の声が漏れた。

彼女の脳裏に、かつて学園の旧時計塔で、優しく微笑みながら「進みなさい」と自分たちを送り出してくれた学園長先生の姿が思い浮かぶ。

お兄様を追って、まだ幼い自分が学園への入学を求めたとき、特例としてそれを認め、お兄様と同じ時計塔という温かい居場所をくれた恩人。――それが、世界を無に還す引き金になり得る「星刻のペンダント」を最初から彼女が隠し持ち、楔のありかさえ握っていたという。


(あの時計塔は、お兄様と私を愛して守るための避難所(シェルター)なんかじゃなく、いつか世界の楔を解き明かさせるために、二人を都合よく閉じ込めておくための『美しい鳥籠(とりかご)』だったの……?)

温かかったはずの思い出が、急激に色あせ、冷え込んでいくような悪寒が彼女を襲った。


ゼノリスもまた、息を呑んだ。

自分たちを温かく見守り、陰ながら支援してくれたはずのエレアノール学園長。彼女がなぜ、帝国の血筋が受け継ぐペンダントを持ち、第三の楔のありかを知っているのか。自分たちの歩んできたすべての旅路さえも、彼女の描いたシナリオの上だったのだろうか。

信じていた絶対の土台が足元から音を立てて崩れ去っていくような、強烈な疑惑が、彼らの間に広がっていく。

「信じられない……。学園長先生が、なぜそんな秘密を……」


テオが、今にも泣き出しそうな声を漏らす。その優しい瞳には、かつて時計塔でハーブのスープを分け合い、お互いの傷を癒やし合った、あの穏やかな記憶が踏みにじられたことへの動揺がはっきりと滲んでいた。


「ハッ、俺たちの過去も現在地も、最初からあの学園長にすべて見透かされ、泳がされていたってわけか。情報を生業(なりわい)にする身として、これほど不覚で格好の悪いことはねえな」


カシムが、壁の影に深く潜みながら、自嘲(じちょう)気味に口角を上げた。だが、その短剣を握りしめる指先は、かつてないほどに強く強張っている。


「……学園長が僕たちをあの時計塔に囲っていたのは、保護するためなんかじゃなく、いつかこの楔を解き明かさせるための、都合の良い飼い殺しだったっていうのか……!?」


ガイルが地脈の地図を破れんばかりに強く握りしめた。

彼の右目の眼帯の奥で、激しい怒りと焦燥を伴った魔力が不規則に明滅する。

物事の本質や嘘、隠されたシステムをすべて暴くはずの、自慢の『解析(アナライズ)』の力。幼い頃にその力のせいで家を焼かれ、大人たちの身勝手な都合に徹底的に利用されてきた彼だからこそ、誰よりも他人を信じるのが怖かった。ゼノリスたちと出会い、あの温かい時計塔で、学園長の厚意をようやく「本物の救い」として信じようと心を開き始めていたのだ。それなのに、最も信じた大人の裏の意図を何一つ解析できず、結局またしても大人たちの都合の良い操り人形として飼い慣らされていた――。 己の眼に対する激しい悔しさと、最も信じた人に裏切られた絶望が、彼を狂わんばかりの怒りへと突き動かしていた。


「まだ、本当に学園長先生に裏切られていたと決まったわけじゃない」


ゼノリスは、自分の中で暴れようとする魔王の衝動を静かに抑えながら、仲間たちに告げた。最も傷つき、怒っている仲間の心を誰よりも理解しているからこそ、その声には、揺るぎない芯が通っていた。


「……だけど、もしハキームの言葉が本当なら、僕たちが自分たちの意志で選んで進んできたはずのこの旅路すら、最初からあの学園へと戻るように仕組まれていたのかもしれない。……だったら、運命から逃げるのはやめよう。僕たちの始まりの場所へ戻って、自分たちの目で、すべての真実を確かめるんだ」


ハキームはそれ以上、語ろうとはしなかった。彼は再び周囲の静寂と同化するように、防砂布のなかに顔を沈めていく。


その時だった。しんと静まり返っていた廃墟の空気が、不意に、ビリビリと肌を刺すような微震を帯びた。

風の音すらない神殿の跡地。だというのに、外界から、大気を烈(はげ)しく削り取るような「不協和音」が伝わってきた。


「……何か、来る」


リィンが呟き、風読みの衣を翻して刀の柄に手をかけた。

カシムも瞬時に足元の影に溶け込み、テオは漆黒の大盾を前に構えて重心を低く沈める。


外界から迫り来るのは、大気を震わせ、すべてを呑み込もうとする禍々しい殺気。――過酷な闘争の火蓋が、今、切られようとしていた。

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