第73章:砂漠の夢、ちぎれた温もり
緑の葉がこすれ合う音は、どこまでも優しく、幼い耳介をくすぐっていた。
そこは、見渡す限りの乾いた砂が四方の地平線を覆い尽くすアル・ザハブ南方太陽国の、その最果てにぽつりと取り残されたように息づく、小さなオアシスの村だった。周囲を切り立った高い岩壁に守られたその場所は、砂漠の過酷な熱風を遮る天然の防壁となり、地下から静かに湧き出る冷たい清水が、細い溝を這うようにして集落の隅々まで絶えず巡っていた。その水の恵みによって、青々と育った薬草の畑が、大気に穏やかな香りを湛えている。
幼いテオにとって、世界はこの瑞々しい香りが届く、オアシスの境界線の内側にすべて収まっていた。
風が吹くたびに、大好きなハーブの香りが鼻腔をいっぱいに満たす。 土から這い上がる、たっぷりと水分を含んだ湿った泥の匂い。
水路の木製の仕切りを滑り落ちていく、清らかな水のせせらぎ。
獣の血筋に由来する優れた嗅覚と大きな耳は、周囲の穏やかな変化を、まるで絵の具の細かな色合いを識別するように、細部まで敏感に感じ取っていた。
「テオ、そっちの茂みは日当たりが強すぎるから、葉が少し硬くなっているよ。こっちの、木陰に隠れて育った柔らかい苗を摘みなさい」
畑の向こう、緑の葉を揺らしながら声をかけてくれたのは、母だった。 彼女のまとう麻の衣服からは、いつも日差しをいっぱいに浴びて乾燥させた薬草の、甘くて少し苦い、乾いた香りが漂っていた。テオはその匂いを胸いっぱいに吸い込むだけで、お日さまのあたたかな腕に包まれているような、何とも言えない安心感を得ることができた。
「うん、母さん。こっちの葉っぱ、すごく良い匂いがするよ」
幼いテオが小さな手で緑の茎をそっと摘み取ると、すぐ近くで地面を耕していた父が、ふさふさとした逞しい手でテオの頭を優しく撫でてくれた。父の大きな手は、土の温もりとハーブの汁の匂いが染み付いていて、とても暖かかった。
「よく見つけたな、テオ。お前は鼻が良いから、将来はきっと、村で一番の薬草師になれる。大きくなったら、このオアシスをみんなで守っていくんだぞ」
「うん! 僕、お父さんみたいに強くて、お母さんみたいに優しい薬草師になる!」
テオの無邪気な宣言に、両親は顔を見合わせて嬉しそうに目を細めた。
木陰の簡易テントの下、母が石臼でゴリゴリとハーブをすり潰して淹れてくれた、少し苦くて温かい薬草スープを三人で分け合う。お腹の底からじんわりと染み渡る温かさと、家族の優しい笑顔。世界は何の不和もなく、美しく調和していた。
その調和に、さらに鮮やかな彩りをもたらしたのは、村へやってきた旅芸人の一座だった。
ある日の午後、静かだったオアシスに、ガタゴトと車輪を鳴らす色とりどりの幌馬車が何台も入ってきた。見たこともない打楽器の軽快なリズムと、澄んだ笛の音が、静かな村の空気を一瞬にしてお祭りのような賑やかさへと塗り替えていく。
獣人であるテオは、最初、その騒がしさと見慣れない人間に怯え、ハーブ畑の物陰に身を潜めて、長い耳を小さく折り畳んでいた。そこへ、緑の葉をかき分けて、一人の人間の少女が顔を覗かせた。
一座の娘、アズラだった。
「見ぃつけた! そんなところに隠れて、どうしたの?」
アズラの手は、一座が持ってきた甘い果実の匂いがした。彼女はテオのふわふわとした長い耳を不思議そうに見つめると、怪我をさせることのないよう、壊れ物を扱うような手つきでそっと触れた。
「わあ、本当に動くのね。とっても可愛い耳。ねえ、怖がらないで。私、アズラ。あなたのお名前は?」
「……テ、テオ……」
おずおずと答えたテオに、アズラは鈴を転がすような明るい笑い声を上げて、地面に咲いていた白い小花を摘み取った。
「テオね! よろしく。このお花、とっても素敵だから、あなたのお耳に飾ってあげる」
アズラは手際よく白い花を編み上げ、テオの耳の根元へと優しく添えた。彼女の指先から伝わる、お日さまのようなあたたかな温もり。
「……似合うかな?」
「ええ、とっても素敵よ! テオは私の、一番の騎士様ね」
そう言って、二人は泥だらけの足を冷たい湧き水に浸し、ただ笑い合っていた。
アズラの一座が滞在した数日間、テオは彼女に、オアシスのあちこちに自生するハーブの効能を一生懸命に教えた。
「あそこにある、細いギザギザの葉っぱはね、『太陽の涙』って言うんだ。葉の裏に細かな白い毛が生えているのが目印だよ。転んで擦りむいた時、これを平らな石の上でトントンって叩いてドロドロに潰すんだ。それを傷口に塗ると、ひんやりとした粘り気のある青い汁が傷の熱を吸い取ってくれて、泣きたくなるような痛みが、嘘みたいにすうっと消えるんだよ」
テオが小さな手足を使って一生懸命に説明すると、アズラはその度に目を丸くして、感心したようにテオの手元を覗き込んでは頭を撫でてくれた。
「テオは物知りね! 私、大きくなったら、世界中を旅して、もっとたくさんの歌をみんなに届けるの。テオも一緒に行くでしょう?」
「うん。僕、もっと強くなって、アズラを守る盾になるよ。絶対に、アズラに痛い思いはさせないんだ」
「ふふ、約束ね、私の騎士様」
いつまでも続くはずの、穏やかな時間の記憶。
だが、その安息に終わりを告げる不穏な影は、静かに、けれど唐突に忍び寄っていた。
始まりは、大気の僅かなきしみだった。
テオの敏感な耳が、地平線の彼方から響く、音階を外した不快な地鳴りをいち早く捉えた。続いて、風に乗って運ばれてきたのは、瑞々しいハーブの香りではない。
鼻を突く機械油の嫌な臭いと、鉄が擦れ合う鈍い音。
「……何か、怖い音が近づいてる」
テオがアズラの手を引っ張り、ハーブの陰に身を潜めた瞬間、オアシスの入り口が、無理やりこじ開けられた。
ガシャン、ガシャンと規則正しく響く足音。それは、八ヵ国連合の役人たちがまとう、黒鉄の鎧が放つ死の旋律だった。
「不法占拠者どもめ! 直ちにこのオアシスを明け渡せ! 抵抗する者は、容赦なく処分する!」
緑の静寂を鋭く引き裂く、乾いた怒号。
テオの親兄弟は、先祖代々守り続けてきたこのオアシスと、薬草の畑を守るため、必死に役人たちに訴えかけた。水がなければ、ハーブがなければ、私たちは生きていけないと。
だが、鉄の鎧に身を包んだ者たちに、聞く耳など持っていなかった。
「邪魔だ。すべて排除しろ」
役人が無慈悲に刃を振り下ろした。
風を裂く音の直後、こぼれ落ちた温かな赤が緑の葉を染め、乾いた砂へと吸い込まれていく。
「母さん! 父さん!」
テオの目の前で、大好きな家族が次々と切り伏せられていく。
かつてオアシスを満たしていた甘い花の香りは、瞬く間に、立ち上る黒煙と草木の焦げる臭いにかき消され、立ち上る熱気で視界が激しく揺らいでいった。
逃げ惑う人々。容赦なく打ち下ろされる灰色の槍。
赤い熱風がオアシスを包み込み、瑞々しかった緑は、次々と黒い煙へと変わっていく。
テオは、ただ古い木の陰に縮こまり、自らの長い耳を必死に塞ぐことしかできなかった。
耳を塞いでも、大好きな人たちの悲鳴が、助けを求める声が、直接頭の中に響き渡る。
全身の細胞が、恐怖で凍りついていた。一歩を踏み出す勇気も、声を上げる力もない。
ただ、自らの無力さに涙を流し、震えることしか選べなかった。
「テオ! テオ、どこなの! 助けて!」
炎の向こうから、アズラの悲鳴が聞こえた。
彼女の手からこぼれ落ちた、白い小花の冠が、泥にまみれて赤黒い炎の中に消えていく。テオは、その炎の向こうへ手を伸ばすことすらできなかった。
(……怖い。動けない。僕には、何もできない……!)
ただ恐怖に震え、アズラを見捨てることしかできなかった自分自身への、底知れない自己嫌悪。
アズラを乗せた役人たちの馬車が、乾いた砂煙を上げて去っていくのを、テオはただ涙で霞む瞳で見送るしかなかった。
あの日、オアシスに溢れていた温かな光も、ハーブの香りも、アズラの優しい手の温もりも、すべてが灰となって消え去り―― 自分はただ怯えて、生き延びることしかできなかった。
アズラを救えなかった後悔は、消えない棘となってテオの胸に刺さり、その意識を静かに奪っていく。
はっと息を吸い込んだ瞬間、乾いた砂の粒子が喉の奥をちくちくと刺した。
激しい動悸が、狂った鐘のように胸の裏側を叩き続けている。テオは跳ね起きるように上体を起こし、自らの太い首筋に手を当てた。
肌を濡らす汗は、夜の風に晒されてすぐに熱を失っていく。
大きく見開いた瞳が、彷徨うように周囲の景色を捉えた。
そこには、炎に包まれて崩れ落ちるオアシスの古い木も、耳を引き裂くような略奪者たちの怒号もない。
頭上に広がるのは、夜の帳が静かに下りようとしている、群青色の空だった。
四方を囲むのは、どこまでも平坦で、赤茶けた土とひび割れた岩だけが転がる、アル・ザハブへと続く荒涼とした街道。
「……夢、か」
掠れた声でぽつりと呟き、テオは膝の間に顔を埋めた。
耳の奥では、いまだに幼い日の自分の泣き声と、無慈悲な役人が振り下ろした刃が風を裂く音が、確かな不協和音となって木霊している。どれほど歳月を重ね、身体を鍛え上げようとも、あの日に負った心の傷跡は、眠りにつくたびに鮮明な毒となって彼を責め立てるのだ。
「テオ。……具合はどうだ?」
頭上から、静かで落ち着いた声が降ってきた。
顔を上げると、そこには黒い剣を提げたゼノリスが、心配そうにこちらを覗き込んでいた。
その黄金と闇の双眸は、夕暮れの淡い光を受けて静かに瞬いている。
ゼノリスの隣には、白銀の杖を胸に抱いたフィリーネが寄り添い、少し離れた岩陰では、カシムが黙々とナイフの刃を確かめ、リィンが愛刀に風の加護を纏わせている。ガイルは新しく手に入れた地脈の地図を広げ、エレナは自らの銀の長剣を腰に、周囲の砂丘に不審な気配がないか鋭い視線を配っていた。
徒歩での、長くて地道な道行。
かつて彼らの誇りであった銀色の翼が空から消えて以来、彼らはこうして、お互いの歩幅を合わせ、支え合いながら一歩ずつ大地を踏み締め、過酷な荒野を往く旅を続けている。皆、旅の汚れを衣服に滲ませ、顔には隠しきれない疲労の影があったが、その瞳にある光は誰一人として曇ってはいなかった。
「……うん。大丈夫だよ、ゼノリス。少し、懐かしい夢を見ていただけだから」
テオは無理に作った微笑みを返し、傍らに置いてあった巨大な漆黒の盾へと手を伸ばした。
指先が、その武骨な金属の表面に触れる。過酷な砂漠での修練で、盾の扱い方は以前とは見違えるほどにしなやかになり、相手の魔力を受け流す確かな技術が身についていた。
テオは、ずっしりとした盾を背負い直した。背中に伝わる確かな感触は、自分がもう、あの日のようにただ耳を塞いで怯えるだけの子供ではないと、静かに教えてくれているようだった。
「あまり無理をしないでくださいね、テオ。まだ、この先の気候は身体に障りますから」
フィリーネが、優しく、しかし確かな治癒の温もりを帯びた眼差しを向ける。
「ありがとう、フィリー。……さあ、日が落ちきる前に、今夜のねぐらを決めないとね」
テオが立ち上がると、先頭を歩いていたガイルが振り返り、顎で近くの切り立った岩壁のくぼみを指ししめした。
「あそこの岩陰がいい。風を凌げるし、上空からの感知スキャンも遮れる。……今夜の野営はあそこだ」
ガイルの指示に、全員が静かに頷いた。
夕闇が急速に周囲の輪郭を消し去り、辺りが静まり返る中、テオは一歩一歩、乾いた砂利を踏みしめて歩き始めた。
自らの足元を見つめながら、彼の意識は、先ほどまで見ていた悪夢の続き――いや、かつて失われた、甘くて温かな「記憶」へと沈み込んでいっていた。
あのオアシスのハーブ園。
優しかった親兄弟の姿。
そして……あの砂埃にまみれた市場で、いつも自分の手を引いて走ってくれた、旅芸人の一座の少女。
(アズラ……)
その名を心の中で唱えるだけで、胸の奥が、締め付けられるように痛んだ。
彼女は、泣き虫でいつも自分の後ろに隠れてばかりいた自分に、「ほら、しっかり立ちなさいよ!」と怒りながらも、最後には必ず、花の咲くようなまぶしい笑顔を向けてくれた。
彼女の手は、いつも少しだけ荒れていて、けれど触れると、おひさまのような温もりがあった。
だが、あの役人たちの強襲。
すべてが炎と黒煙に包まれ、人々が次々と引き裂かれていったあの地獄の中で、アズラの一座もまた、容赦のない暴力の巻き添えとなった。
テオは、馬車が去っていくのを泥の中で見送るしかなかった。大切な彼女が、その非情な馬車に乗せられ、引き裂かれて連れ去られていく姿を。
(僕が、もっと強ければ。あの日、あの木の陰から、一歩を踏み出せていれば……)
死んでしまった……そうテオは思い込んでいる。
あんなか弱い彼女が、あの非道な役人たちの手の中で、今日まで生き延びられているはずがない。きっと彼女もまた、自分の家族と同じように、あの黒い炎と砂の中に消えてしまったのだと。
(ごめんね、アズラ。君を……守れなかった)
消えない悔恨が、テオの胸の奥で、鋭い棘となって刺さり続けていた。
「テオ。火をおこすのを手伝ってくれ」
カシムの声に、テオははっとして我に返った。
いつの間にか、一行は岩壁のくぼみに到着していた。カシムが器用に石を組み合わせて竈を作り、テオは背負っていた荷物を下ろして、その中に大切に保管していた乾燥ハーブの袋を取り出した。
「今夜は、僕が温かいスープを煎じるよ」
テオは、小さな銅の鍋に水を満たし、自ら摘み取った薬草の葉を丁寧に千切って投げ入れた。
竈の火がパチパチとはぜ、オレンジ色の優しい光が、若き戦士たちの疲れた横顔を照らし出す。
やがて、鍋から立ち上った湯気が、乾いた夜の空気に混ざり始めた。
それは、同じ砂漠を故郷に持つカシムの記憶をそっと呼び覚ますような、あの甘く清々しいハーブの香りだった。
コトコトと小さな音を立てる鍋の周りに、若者たちが集まっていた。
テオが手際よく木皿へとスープを注ぎ、一人ひとりに手渡していく。
「はい、みんな。少し苦いかもしれないけれど、体に良いハーブをたくさん使っているから、ゆっくり飲んでね」
木皿から立ち上る湯気を吸い込むだけで、喉の奥の渇きがすうっと潤っていく。
フィリーネはスープを口に運び、ひやりとした大気に白く染まる吐息を吐きながら、ふっと表情を和らげた。
「温かい……。テオ、とても優しい味がします」
「それはよかった。長旅でみんなの胃腸も疲れているだろうから、あまり刺激が強くないように調合したんだ」
テオはそう言って、嬉しそうに長い耳を揺らした。
ガイルが不敵な笑みを浮かべ、スープを一口すする。
「ハッ、相変わらずお前のお茶やスープは、飲んだ瞬間に体に染み渡るな。俺の頭の中に詰まった膨大な解析データのノイズまで、綺麗に洗い流してくれるようだぜ」
「それは褒めすぎだよ、ガイル」
テオは照れくさそうに頬を掻いた。
カシムは壁際から一歩歩み寄り、自らのスープを受け取ると、静かに口をつけた。
「……毒は入ってないようだな。まあ、お前が作ったものなら安心して胃袋に流し込める」
「もう、カシム。僕の調合に毒なんて混ざるわけがないだろう」
テオが膨れ面を見せると、周囲にささやかな笑い声が広がった。過酷な荒野を往く旅の途上で、このスープを囲む時間だけは、彼らにとって他にはない、安らぎのひとときだった。
エレナもまた、温かな木皿を両手で包み込みながら、静かに喉を潤している。リィンは何も言わずに、ただその温もりを慈しむように目を閉じていた。
やがて夜が更け、満天の星々が天空で静かに瞬き始める頃、一人、また一人と静かな寝息を立て始めた。
竈の火が小さくなり、赤い残り火が時折パチリと小さくはぜるだけの、静寂が宿営地を包み込む。
テオは一人、残り火を見つめながら、ぽつんと座っていた。
その大きな背中は、夜の暗闇の中で、どこか小さく、寂しげに丸まっている。
カサリ、と砂利を踏む微かな音がした。
顔を上げると、そこには黒い剣を傍らに置いたゼノリスが、静かな足取りで歩み寄ってくるところだった。
「テオ。……隣、いいかい?」
「ゼノリス。……うん、もちろん」
ゼノリスはテオの隣に腰を下ろし、小さくなりゆく炎に視線を向けた。
テオは自分の大きな膝を抱え込み、ふさふさとした長い耳を伏せている。その瞳には、残り火の揺らめくオレンジ色の光が、寂しげに反射していた。
「……目覚めた時のこと、本当は、みんなに心配をかけたくなくて、大丈夫って言ったんだ」
テオが掠れた声で、静かに語り始めた。
「でも……目を閉じるたびに、あの日の黒煙と、焼き払われたハーブの焦げた匂いが、どうしても鼻の奥に蘇ってきちゃうんだ。そして……あの子の姿が」
「……あの子、とは?」
ゼノリスが穏やかな声で問いかけると、テオの肩が微かに震えた。
「アズラ、っていうんだ。……旅芸人の一座の、僕の大切な友達。あの子はね、僕が泣いてばかりいると、いつも怒るんだ。『テオ、しっかりしなさい!』って。……でも、僕の手を引くあの子の手は、おひさまみたいに温かかった。それなのに、あの日……僕はただ、古い木の陰で耳を塞ぐことしかできなかった」
テオの拳に、ぎゅっと力がこもる。
「アズラを乗せた馬車が、乾いた砂煙の向こうへ去っていくのを、僕はただ見送るしかなかったんだ。あの日、オアシスに溢れていた温かな光も、ハーブの香りも、アズラの優しい手の温もりも、すべてが灰となって消え去り――僕はただ怯えて、生き延びることしかできなかった。……あの子は死んでしまった。あんなに優しい子が……。きっと、僕の家族と同じように、あの暗い煙の中に消えてしまったんだ」
テオの瞳から、一筋の涙がこぼれ落ち、乾いた砂の上へと静かに吸い込まれていった。
「ごめんね、アズラ……。家族も、君も、誰も救えなかった後悔は、消えない棘となって僕の胸に刺さったままで、あの日からずっと消えてくれないんだ」
テオの胸の奥深くに突き刺さっている痛み。その傷を、彼はこの数年間、ずっと独りで抱え込んできたのだ。
「……テオ」
ゼノリスは、言葉を紡ぎ出す代わりに、そっとテオの逞しくなった肩に手を置いた。
その手のひらから、言葉にならない、しかし確かな信頼と温もりが伝わっていく。
「……生きていてほしかった。もう一度だけでいいから、あの子の元気な声が聞きたかったな……」
テオの悲痛な独白が、夜風に吹かれて、荒野の虚空へと消えていく。
ゼノリスはただ無言で、その肩を抱き寄せ、テオの抱える悲しみを受け止めていた。
(アズラ……)
心の中でその面影をそっと抱きしめ、テオはゆっくりと目を閉じた。
いつかこの不協和音に満ちた世界を調律し、大切な人々の笑顔を守り抜く。その誓いは、残り火の熱と共に、若き戦士たちの魂の奥底で、決して消えることのない不滅の種火となって燃え続けていくのだった。
夜空に浮かぶ無数の星々が、過酷な荒野を往く旅人たちを、ただ優しく、そして静かに見守っていた。




