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星帝物語  作者: 藤堂 貴之
第7巻 黒炎の聖都と灰色の聖女

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第72章:次なる旅路、熱砂の彼方へ(エピローグ)

朝霧が乳白色の薄いベールとなって、白亜の街並みにしっとりとまとわりついていた。

かつては教皇の狂信と死の灰に閉ざされていた聖都の空。いま、その重苦しい雲を吹き飛ばした上空からは、秋の訪れを告げる高い青空がのぞき、眩しい陽光の矢が、瓦礫の山となった大聖堂の跡地へと真っ直ぐに差し込んでいる。大理石の破片に反射した光の粒子が、まるで無数の星のようにきらきらと輝き、張り詰めた大気を和らげていた。


国境へと続く街道の入り口には、旅装を整えた若き戦士たちの姿があった。

かつて彼らの誇りであった銀色の翼が空から消えて以来、その旅路はすべて、自らの足で一歩ずつ大地を踏みしめて進む、地道な徒歩の旅へと移り変わっていた。これから見据える南の地平線もまた、これまでと同様に、ただ一歩ずつ荒野を踏み越えてゆく長い道行となる。

だが、その厳しい現実を前にしても、彼らの表情に暗い影はなかった。

テオは新しく調整された漆黒の盾を背負い、その感触を確かめるように足元の大地を踏みしめていた。

リィンは肩を覆う銀色の羽衣をそっと引き締め、黙って前方を見据えていた。

カシムは荷物を背負い直して不敵に笑っている。

ガイルは新しく手に入れた地脈の地図を懐にしまい、黙って行く手を見据えていた。あの日、西の高原の国に大切な弟を託し、ただ前だけを見て戦うと決めた彼の瞳には、澄み渡る秋空のような、揺るぎない覚悟の光が宿っていた。

そしてエレナは、母から託された銀の長剣を腰に提げ、自らの意志で選んだ新たな仲間たちの隣で、背筋を真っ直ぐに伸ばして立っていた。

ゼノリスは、朝の新鮮な空気を胸いっぱいに吸い込み、隣に立つフィリーネの銀髪が朝露に濡れて輝くのを眩しそうに見つめた。

フィリーネはゼノリスの二の腕をそっと抱き寄せ、その透き通るような青い瞳で、彼らの正面に立つ一人の女性を見つめていた。


セレスティア。

彼女は、崩落した大聖堂の跡地を見下ろすテラスを背にして、街道の入り口に佇むゼノリスたちの正面に、凛として立っていた。

彼女が纏う白い法衣は、朝の光を浴びて神々しいまでの清らかさを放っている。しかし、その瞳には、国の新たな導き手としての覚悟だけでなく、一人の女性としての、胸が締め付けられるような切ない想いが揺らめいていた。


「……本当に行ってしまうのですね」

セレスティアの澄んだ声が、朝の静寂の中に優しく広がっていった。

「ああ、セレスティア。僕たちは、ルシオンの現世への定着を阻むため、次なる楔がある南の国へ向かうよ」

ゼノリスが、揺るぎない覚悟を込めて答えた。


別れの時間は、すぐそこに迫っていた。

仲間たちは、彼女の気高く尊い決意を尊重し、それぞれが短い言葉を交わしていく。

「テオ、お怪我はもう大丈夫ですか? ルカスの新しい薬が、貴方の傷を和らげてくれているといいのだけれど」

「うん、もうすっかり平気だよ。セレスティアがくれたお守りもあるしね。……僕、この盾でみんなを絶対に守り抜くから。君も、この街のみんなを守ってあげてね」

テオが優しく微笑み、大盾を叩いて見せた。

「カシム、ガイル。……お二人のその知恵と影が、これからもゼノリス君の道を照らすことを祈っているわ」

「……フン。お節介な光がいなくなって、俺の影も少しは広々とするぜ。だが、この暗い街を照らすには、そのお前のお節介さがちょうどいい。……しっかりやるんだな」

カシムがそっぽを向きながら、不器用なエールを送る。

「俺の解析データがなくても、バグを起こしたりするなよ、聖女様。……まあ、お前が選んだ答えだ。俺の右目の計算でも、その頑固な決意を覆す答えは出せそうにない」

ガイルが眼帯を直しながらニヤリと笑う。

「リィン、エレナ。……あなたたちの風と、空間を断つ刃が、どうか彼らの進むべき道を切り開きますように」

「……風はいつも共にあるわ。あなたの祈りも、連れて行く」

リィンが小さく頷き、エレナもまた、銀色の長剣の柄に手を添えて深く一礼した。

「私は、母から託されたこの剣で、私が信じた仲間を守る。……貴女がこの国を守るようにね」


そして、フィリーネがセレスティアの前に歩み寄り、その白い手を自らの両手でそっと握りしめた。

「セレスティア。……寂しくなりますけれど、私は貴女が決めたその道を、一人の女性として、心から誇りに思います」

かつて、ゼノリスをめぐる焦りから衝突していた二人の少女。だが、数々の死線を共に潜り抜け、互いの内に秘めた覚悟と譲れない強さを知った今、そこにあるのはライバルとしての反発ではなく、互いの背中を預け合う唯一無二の戦友とものような、深い敬意と信頼だった。

「ありがとう、フィリーネ。……貴女にそう言ってもらえると、私の心も、とても温かくなるわ。……ゼノリスのことを、よろしくね」

「ええ。私の命に代えても、お兄様の隣は守り抜きます」

フィリーネは優しく微笑んで手を離し、そっと後ろへと下がった。


周囲の仲間たちも、二人の別れを静かに見守るように、ボロボロになった荷馬車の影へと少しだけ距離を置いて背を向けた。

朝霧が流れるテラスの上。残されたのは、ゼノリスとセレスティア、二人だけの空間だった。

「……ゼノリス君」

セレスティアが、一歩、また一歩とゼノリスの目の前へと歩み寄った。

彼女が動くたびに、白い法衣がさらさらと擦れる音が、朝の澄んだ空気をかすかに震わせる。

「セレスティア。……君のおかげで、僕は何度も自分を繋ぎ止めることができた。本当に、感謝しているよ」

「……感謝なんて、言わないで。私は、ただ、貴方の力になりたかった。……貴方が暗闇の中で震えているなら、私がその闇を照らすたった一つのランプになりたいって……あの日、そう決めたから」

彼女の大きな青い瞳から、ぽろぽろと大粒の涙が零れ落ち、朝の光に照らされて、どんな宝石よりも美しく輝いた。

「私はここに残り、この国の導き手となります。でも……それは、聖女としての義務なんかじゃない。貴方が、みんなが命を懸けて繋いでくれたこの国の人々を、私は私の意志で守りたいの」

彼女の言葉は、熱を帯びてゼノリスの胸を強く打った。

「……だけど、ゼノリス君。私、今日だけは、この法衣に託された役目を忘れて、一人の女性として、貴方にわがままを言ってもいいかしら」

「セレスティア……?」

ゼノリスが戸惑うように目を細めた、その瞬間。


セレスティアは吸い込まれるような動作で彼に近づき、無防備に両腕を彼の逞しい首筋へと回した。

そして、彼の手を、言葉を、すべての思考を奪い去るようにして、ゼノリスの唇に、静かに、しかし熱情を押し殺した口づけを重ねた。


時が完全に止まったかのような、不自然なほどの静寂がテラスを支配した。

朝の空気が、二人の重なり合う唇の間で、かすかに熱を帯びていく。

ゼノリスの全身が、硬直した。


頬に触れる彼女の涙のひんやりとした感触と、そこから伝わってくる、彼女がこれまで胸の奥底にひた隠しにしてきた、狂おしいほどの愛おしさと、切ない想いのすべて。

それは、力でねじ伏せるいかなる支配よりも強く、そしてどんな魔法よりも激しく、ゼノリスの魂の奥底を揺さぶった。

彼を繋ぎ止めていた数々の枷が、彼女の温かな体温の中で、キラキラと輝く穏やかな光の粒子となって、朝霧の中へと消えていく。


ゆっくりと唇が離れたとき、セレスティアは頬を真っ赤に染めながらも、凛とした瞳でゼノリスを真っ直ぐに見つめ返した。

「……いつか、私が私の気持ちに、もっと正直に生きられる日が来ることを信じています。おめでとうございます。貴方はいつまでも、私の一番の騎士様です」

それは、未来への誓いであり、彼女が自らにかけた、決して消えることのない不滅の約束だった。

セレスティアはそのまま、風のように軽やかな足取りで振り返り、誰の言葉も待たずに、大聖堂の跡地へと続く階段を駆け下りていった。


残されたゼノリスは、呆然と立ち尽くしたまま、自分の唇に右手をそっと当てた。

そこには、彼女の涙の跡と、切ないほどに温かな体温の名残が、かすかに残っていた。


「……お兄様」

すぐ隣に滑り込んできたフィリーネが、ゼノリスの腕を握りしめる力を、痛いほどに強めた。

「…… 聖女様に、先を越されてしまいましたね」

彼女の声は、低く、そして熱を帯びていた。

「ですが、覚悟してくださいね。私の愛は、あの方のように清らかなだけで終わるつもりはありませんから。私はどこまでも、お兄様と共に歩みます」

ゼノリスは、頬に残るセレスティアの余韻と、二の腕を強く抱きしめるフィリーネの激しい感情に挟まれ、言葉を失いながらも、深く息を吸い込んだ。

「……ああ。行こう、みんな」

ゼノリスは、懐にあるセレスティアのお守りを確かめ、黒い剣を背負い直した。


セレスティアとの切ない別れを終え、七人が国境を越えて街道へと踏み出し、熱砂の彼方へと歩みを進め始めた時のことだった。

聖都の堅牢な城門を背に、七人が国境を越えて街道へと踏み出し、熱砂の彼方へと歩みを進め始めてから、しばらくの時が流れていた。

周囲には遮るもののない乾いた大地が広がり、時折吹き抜ける風が土埃を舞い上げるだけで、往来する旅人の姿はほとんどない。先頭を行くガイルが地脈の地図を片手に歩幅を進め、その隣ではテオが周囲を警戒し、ゼノリスの腕にフィリーネが寄り添っている。カシムとリィンもそれぞれの距離を保ちながら、黙々と歩みを進めていた。

その隊列の最後尾を歩いていたエレナは、ふと足を止めた。

――ドクン、と。

突然、胸の奥深くで、心臓が不自然なほど大きく跳ね上がった。それは緊張でも、歩き疲れたからでもない。ただ、自らの魂の最も深い場所が、目に見えない糸で手繰り寄せられるような、切ないほどの懐かしさに満ちた感覚だった。

――誰かいる。

姿は見えず、風が吹き抜ける音しか聞こえないはずなのに、自分と同じ血を引く者が、すぐ近くで息づいているような確かな感覚。まだ見ぬ、けれど決して忘れてはならない大切な存在が、今、自分のすぐ隣を通り過ぎていった――そんな、血脈の共鳴としか呼べない不思議な衝動が、彼女を突き動かした。


「……っ!」

エレナは息を呑み、勢いよく振り返った。

だが、背後にはただ、風に揺れる枯れ草と、地平線まで続く一本の街道が伸びているだけだった。人影などどこにもない。

「エレナ? どうかしたのかい」

異変に気づいたゼノリスが立ち止まり、心配そうに声をかける。

エレナは、激しく脈打つ自らの胸元を片手で押さえ、誰もいないはずの街道をじっと見つめた。

「……ううん。なんでもないわ。少し、風の音が耳に障っただけ」

彼女は首を横に振って歩き出したが、胸の奥の不思議な震えは、いつまでも消えずに残っていた。

姿は見えない。だが、自らのルーツに深く関わる誰かが、すぐ近くで見ている――そんな胸騒ぎが、彼女の心に深く刻み込まれていた。



アル・ザハブ南方太陽国。その、熱砂に囲まれたオアシスの都において、太陽が地平線の彼方へと没し、乾いた夜風が砂塵を巻き上げる頃、一本の暗い裏路地を、必死に駆け抜ける影があった。

その影の正体は、砂漠の裏社会で生きる情報屋の女性、アズラだった。

彼女の額からは大粒の汗が流れ落ち、旅装の裾を砂に汚しながら、何度も背後を振り返っていた。 誰も追ってきてはいない。耳に届くのは、遠くの市場から風に乗って響く喧騒と、自身の荒い呼吸の音だけだ。

だが、彼女の全身の細胞が、逃げ場のない破滅の予感を捉えていた。大気が異様にきしみ、一歩足を進めるごとに、目に見えないおもりを両足に括り付けられたかのような、奇妙な息苦しさが彼女を支配していく。

――逃げなければ。

彼女がすがるようにして、路地の先に見えた、薄暗い灯火が漏れる一軒の酒場の扉を押し開けた。

ガラガラと音を立てて開いた扉の先。酒場の中は、砂漠の荒くれ者たちの笑い声や、酒杯の触れ合う音で満ちているはずだった。しかし、アズラが足を踏み入れた店内は、静寂に塗り潰されていた。

テーブル席の一番奥、椅子を二つきしませて腰を下ろしている、山のように巨大な男がいた。その身の丈は三メートルに迫り、頑強な体躯を黒い外套に包んでいる。男の傍らには、彼の背丈ほどもある、赤黒い魔力を湛えた巨大な戦斧が、静かに立てかけられていた。

ガルヴァス。四魔将の一人が、大戦斧を携え、そこに静座していた。

彼がゆっくりと目を開け、アズラを視線の先へ捉えた瞬間、酒場全体の重力が、音を立てて跳ね上がった。

「……待ちわびたぞ、ネズミよ」

男の低い咆哮が響き、アズラはその場に膝をつき、呼吸を奪われて這いつくばった。

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