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星帝物語  作者: 藤堂 貴之
第7巻 黒炎の聖都と灰色の聖女

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第67章:歪んだ祈りの果て

 左右の石壁から噴き出す黒い炎が、彼らの背後を容赦なく塞いでいく。

前方へと続く暗い回廊は、むせ返るような熱気に満ちていた。踏みしめるたびに、足元に積もった灰がカサリと乾いた音を立てる。

先頭を進むゼノリスたちから少し離れ、後方を歩くエレナは自身の足取りがひどく覚束ないのを感じていた。

腰に提げた銀色の長剣が、まるで岩塊のように感じられ、一歩進むごとに彼女の歩みを下へと引っ張る。


自分が長年探してきた父親が、星屑の騎士たちを襲撃した敵『ザガン』かもしれない。

その残酷な可能性が、彼女の胸の奥に暗い波紋を静かに広げていた。長年信じてきた旅の理由が根底から揺らぎ、自分の存在そのものが彼らの敵対者であるかもしれないという恐れ。それが、周囲で渦巻く炎の音さえも彼女の耳から遠ざけていた。

(私は……この剣を、何のために振るえばいいの……)

柄を握る指先からは温度が失われ、微かな震えが止まらない。


 その足音の乱れに、彼女のすぐ後ろから監視するように最後尾を歩いていたカシムが鋭く反応した。

「……おい。そんなに震えてちゃ、足手まといになるだけだぜ」

暗闇に溶け込むような声。カシムの足元では、漆黒の影がいつでも刃となって飛び出せるように、逆立ったまま彼女に向けられている。

「敵の身内かもしれないってのは、とりあえず脇に置いといてやる。だが、迷いのある剣は仲間を危険に晒す。今ここで腹を括れないなら、置いていくぜ」

スラム街で裏切りを嫌というほど味わってきた彼らしい、容赦のない言葉だった。

エレナは反論できず、きつく唇を噛んだ。


「カシム、言い過ぎだよ。……でも、エレナさん。君の剣が迷っているのは確かだ」

テオが巨大な黒盾を背負い直し、困ったように眉を下げながらも、真剣な眼差しを向けた。

「僕たちは、お互いの背中を預け合ってここまで来たんだ。迷いがあるなら、隠さずに教えてほしい」

ガイルもまた、熱を帯びた右目を押さえながら、ため息交じりに振り返る。

「親父の剣がどうとか、そんな過去の話はどうでもいい。俺が見ているのは、今ここにある『あんたの魔力波長』だ。……さっきまで澄んでいた波長が、今はノイズだらけで乱れまくってる。そんな状態じゃ、連携なんて組めないぜ」


仲間たちの警戒と不安の入り混じった視線を浴び、エレナは立ち尽くした。

自分がここにいる資格など、最初からなかったのではないか。

そう思ってうつむきかけた時、静かな足音が近づいてきた。

「……誰も、君を責めているわけじゃない」

ゼノリスだった。彼は歩みを止め、エレナの目の前で真っ直ぐに彼女を見つめた。

黄金と闇の双眸には、一切の疑念も、怒りもなかった。

「君の剣が、僕たちの敵と同じ力を持っているかもしれない。それは、君にとってひどく残酷なことだ。……だけど、君自身はどうなんだ?」

「私、自身……?」

「ああ。君は、その剣を振るって、誰かを不当に傷つけたことがあるか? 誰かを絶望させるために、その力を使ったことがあるか?」


エレナは息を呑んだ。

彼女の脳裏に、これまでの旅の記憶が蘇る。荒野で魔獣に襲われていた商人を助けたこと。関所で理不尽な扱いを受けていた人々を庇ったこと。そして、この迷宮でゼノリスと共に道を切り開いたこと。

「……ないわ。私はただ、自分の信じるもののために、この剣を振るってきた」

エレナの声は、微かに震えていたが、そこには確かな芯があった。

「なら、何も恥じることはない」

ゼノリスは力強く頷いた。

「親が誰だとか、どんな力を持って生まれたかなんて、関係ないんだ。僕たちだって、生まれ持ったもので理不尽な評価を受けてきた。……だからこそわかる。大切なのは、今、君がその手で何を為そうとしているかだ」


ゼノリスは仲間たちへと振り返った。

「カシム。ガイル。テオ。リィン。……さっきも言った通りだ。彼女は、この迷宮で僕の背中を守り、迷いなく道を切り開いてくれた。その行動に偽りはなかったはずだ」

その言葉は、暗く熱い回廊の中に、静かな風を吹き込むような響きを持っていた。

ゼノリス自身が、魔王の脈動という恐るべき力を内側に抱えながらも、仲間たちのために剣を振るってきた。その彼が言うからこそ、言葉には嘘のない真実が宿っていた。


リィンが、ふっと息を吐き、愛刀の柄から手を離した。

「……貴方の言う通りね、ゼノリス。彼女の太刀筋に、嘘や淀みはなかった。……風は、その人の本質を隠せないもの」

リィンはエレナの方へ向き直り、かすかに微笑んだ。

「貴女の剣、とても綺麗だったわ。……次も、背中を任せてもいいかしら」

「リィン……」

テオもまた、黒盾をトントンと叩いて見せた。

「僕の盾は、仲間を守るためにあるんだ。君が一緒に戦ってくれるなら、どんな敵の攻撃からも守ってみせるよ」

ガイルは肩をすくめ、右目の眼帯を指で調整する。

「ハッ、リーダーがそこまで言うなら仕方ない。……ノイズだらけの波長で足手まといになるなよ。俺の解析データにしっかりついてこい」

最後に残ったカシムは、しばらく無言でエレナを睨みつけていたが、やがて忌々しげに舌打ちをし、足元で逆立っていた影を床へと戻した。

「……チッ。リーダーの甘さには呆れるぜ。だが、その甘さに救われてきたのも事実だからな。……いいか、あんた。もし裏切るような素振りを見せたら、真っ先に俺の影が喉笛を掻き切るからな」

それは彼なりの、不器用な歓迎の言葉だった。


仲間たちの言葉に、エレナは胸の奥が熱くなるのを感じた。

自分が敵の血を引いているかもしれないという恐れ。これから何のために剣を振るえばいいのかという迷い。

それらをすべて受け入れた上で、今ここにいる自分を仲間として認めてくれる人たちがいる。

失われていた視界の色彩が、少しずつ、鮮やかに戻っていくのを感じた。

「……ありがとう」

エレナは、銀色の長剣の柄を、今度は迷いなく、力強く握りしめた。

「私、もう迷わないわ。この剣は、私が信じたものを守るために振るう。……あなたたちと共に」


エレナの瞳に、再び強い意志の光が戻った。

その変化にゼノリスも頼もしげに頷く。

「行こう。この不気味な熱の出処を突き止め、教皇の狂信を終わらせるんだ」

八人の星屑の騎士たちと、銀色の剣士。 彼らの間にあった緊張のヴェールは完全に払拭され、互いの背中を心の底から預け合える、真の連携が結ばれた。

押し寄せる黒炎の熱気を切り裂きながら、彼らは決戦の地「不死の玉座」へと続く回廊を、再び力強く進み始めたのである。



迷いを振り払ったエレナは、真っ直ぐに前を見据え、石畳を力強く踏みしめていた。

左右の石壁から絶え間なく噴き出す黒い炎は、奥へ進むにつれてその勢いを増し、まるで明確な意志を持つ獣のように彼らの行く手を阻もうと渦を巻いている。むせ返るような熱気が陽炎かげろうのように視界を歪ませ、天井から絶え間なく舞い散る灰が、呼吸を奪おうとまとわりついてくる。

踏みしめるたびに、足元に積もった灰がカサリと乾いた音を立て、焦げたような不快な匂いが鼻腔を激しく突いた。

だが、九人の若き戦士たちの歩みは決して止まらなかった。

先頭を歩くテオが、巨大な黒盾を斜めに構え、迫り来る熱波を左右へと散らしていく。

「熱風が強くなる! 後ろのみんな、僕から離れないで!」

テオの頼もしい声に合わせ、リィンが愛刀から澄んだ風の刃を放ち、周囲に漂う灰の淀みを吹き飛ばす。

「……通り道は確保したわ。ガイル、次はどう?」

「そのまま真っ直ぐだ! 右側の壁から不規則な熱源反応がある。壁から離れて歩け!」

ガイルが熱を帯びた右目を押さえながら、複雑な魔力波長を読み解き、的確なルートを導き出す。

セレスティアとイリスは、祈りの光と幻惑の霧を巧みに重ね合わせ、仲間たちの肌を刺す黒炎の熱を優しく和らげていた。

フィリーネはゼノリスのすぐ後ろで白銀の杖を構え、絶え間なく冷気を放つことで、熱波の威力を中和させていた。

最後尾では、カシムが床に張り付くような影を操り、背後から忍び寄ろうとする熱の揺らぎを切り裂いている。


 エレナは、彼らの洗練された連携の輪に自然と溶け込んでいた。

銀色の長剣の柄を握る手に、もはや迷いはなかった。

(……私は、私の信じたものを守る。この人たちと共に)


前方から、突如として壁の黒炎が大きく盛り上がり、巨大なあごとなってテオの黒盾へと襲いかかってきた。

「くっ……!」

テオが盾で防ぎ止めるが、炎の勢いは凄まじく、その熱が左右へと溢れ出して仲間たちを包み込もうとする。

「させないわ!」

エレナは一歩前に踏み込み、銀色の長剣を迷いなく振り抜いた。

彼女の剣が空間そのものを断ち切り、迫り来る黒炎の軌道を逸らす。炎の顎は空を切って石畳に激突し、乾いた音を立てて霧散した。

「……助かったよ、エレナさん!」

テオが振り返り、ほっとしたように微笑む。

「気にしないで。……このまま進みましょう」

エレナが長剣を構え直して頷くと、ゼノリスも静かに頷いた。

「見事な剣だ。……行こう、この熱の奥に、必ず元凶がいる」

ゼノリスの声は、燃え盛る回廊の中でも不思議と透き通って聞こえた。

彼の右手のひらで脈打つ星の刻印から、静かな白銀の光が漏れ出している。その光は、周囲の黒炎を威圧するのではなく、乱れた波長を静かに調律するように空間を整えていた。

ゼノリスのその落ち着いた佇まいは、仲間たちの心に確かな闘志の火を灯す。

誰もが言葉を交わすことなく、互いの呼吸と足音だけで連携を深め、迫り来る決戦への高揚感を胸の奥で静かに高めていた。


奥へ進むほど、空気はさらに異常な密度を帯びていった。

舞い落ちる灰の量が急激に増し、床に積もった灰が、靴を沈み込ませるほどに厚くなっている。足を踏み出すたびに、燃え尽きた灰が放つ、ひどく悲しい気配が足元から伝わってくる。

「……おい、この先だ。魔力の波長が、先ほどまでとは比較にならないほど跳ね上がっている」

ガイルが右目の眼帯越しに前方を睨みつけ、息を飲んだ。

「ただの炎じゃない。触れるものをすべて灰に変えちまうような、異常な熱だ。……ここからが本陣だぜ」

ガイルの指し示す先。暗い回廊の突き当たりに、両開きの巨大な黒い扉が重々しくそびえ立っていた。

扉の隙間からは、周囲の空気を歪ませるほどの凄まじい熱気と、不気味な黒炎の渦が漏れ出している。

それは、教皇の歪んだ祈りと、灰燼の魔道士ネビュロスの野望が渦巻く最深部への入り口だった。

扉の表面には、禍々しい紋様が刻まれ、内部から発せられる熱によって脈打つように赤黒く光っている。


ゼノリスは、その扉から発せられる強烈な圧力を肌で感じながらも、決して目を逸らさなかった。

彼の中に眠る力が、扉の奥に潜む巨大な闇に呼応し、熱く疼いている。だが、その熱はかつてのように彼を飲み込もうとするものではなく、仲間と共に未来を切り開くための原動力となっていた。


「……この奥に、教皇と『第二の楔』が」

セレスティアが白銀の聖杖を握る手に力を込める。

「ええ。人々の純粋な祈りを利用して、こんなおぞましい力に変えてしまうなんて。……許せないわ」

イリスもまた、静かな怒りを瞳に宿した。

「ああ。……行こう」

ゼノリスは短く頷き、黒い剣に白銀の魔力を静かに纏わせた。

八人の星屑の騎士たちと、迷いを断ち切った銀色の剣士。

彼らは互いの背中を預け合いながら、迫り来る決戦への高揚感と静かな熱を胸に、最深部へと続く重い扉に手をかけた。



テオとゼノリスが力を込めて扉を押し開けると、低く鈍い摩擦音が響き渡った。

扉の向こう側は、先ほどまで彼らの行く手を阻んでいた黒炎と熱風が嘘のように、耳鳴りがするほどの静寂に包まれていた。

天井が見えないほど高い大広間。そこは「不死の玉座」と呼ばれる、大聖堂の最深部だった。


床には、新雪と見間違えるほど分厚く、灰が敷き詰められている。

一歩踏み出すたびに靴が深く沈み込み、カサリ、カサリと乾いた音を立てた。

その灰は、ただの燃えカスではない。異端審問という名目で地下へ送られた市民たちから搾り取られた、祈りと恐怖の残骸だった。息をするだけで細かい粉塵が肺の奥をひりつかせ、不快な澱みが全身にまとわりつく。鼻を突く焦げたような匂いが、ここで行われてきた惨劇を無言で物語っていた。


空間の中央には、天井を貫くほどの巨大な漆黒の結晶体――『第二の楔』がそびえ立っている。 結晶体は、不気味な青黒い光を脈打たせていた。

その根元からは無数の管が四方八方へと伸び、床に積もった灰の海へと深く潜り込んでいる。管の中を、搾取された魔力がドクドクと不快な音を立てて上へと送られていく。それはルシオンという虚無を現世に定着させるための、巨大なエネルギーへと変換されていた。空間全体が、その拍動に合わせて微かに揺れている。


その楔の真下、豪奢な石の玉座に、一人の老人が深く腰掛けていた。

サンクトゥス聖教国の最高権力者、教皇ベネディクト。

かつては神聖な純白であったはずの法衣は、煤と灰にまみれて薄汚れている。だが、本人はそれに気づく様子すら見せない。落ち窪んだ眼窩の奥にある瞳からは、長年仕えてきた信仰の光が完全に抜け落ち、代わりにギラギラとした狂気の炎が燃え盛っていた。


「……よくぞ辿り着いた、愚かな迷い子たちよ」


教皇の掠れた声が、静寂の空間に響く。

彼はゆっくりと立ち上がり、両腕を大きく広げた。

「見よ、この美しき静寂を。穢れたこの世界は、間もなく白紙へと還る。ルシオン様がもたらす、真なる救済の時だ」


「……救済ですって?」


イリスが前に出ると、彼女の足元で怒りを帯びた幻惑の霧が低く渦を巻いた。

かつて教会の腐敗を正そうとしてこの国を追放された彼女にとって、人々の祈りを踏みにじり、命を奪うこの光景は、到底許容できるものではなかった。

「無実の人々を捕らえ、すべてを灰に変えることの、どこが救済よ」


「ええ。人々は光の教えに救いを求めて祈っていました」


セレスティアもまた、静かな怒りと共に、教皇を見据えた。

「その純粋な祈りを悪用し、このような闇を育てる糧にするなど……決して許されることではありません」


二人の言葉に、教皇は薄く笑った。

「光など、もはや何の意味もない。痛みと恐怖のみが、罪深き魂を浄化し、新たな世界の礎となるのだ。この地下で燃え尽きた者たちは、新世界の御柱を支える尊い役目を与えられたのだよ。……お前たちも、その一部にしてやろう」


教皇の狂信に満ちた言葉に、仲間たちの間に明確な怒りが走った。


ガイルが右目の眼帯の下から、青白い火花を散らす。彼の解析眼は、巨大な楔から流れるおぞましい魔力の波長を捉え、すでに崩すべき綻びを探り始めていた。

「……理解できないね。他人の犠牲の上に成り立つ新世界なんて、ただの砂上の楼閣だ」


最後尾では、カシムが床に張り付くような影を操り、背後からの奇襲に備えて短剣を静かに抜き放つ。

「神聖な教えが聞いて呆れるぜ。やってることは、ただの殺戮じゃないか」


テオは無言のまま、巨大な黒盾を斜めに構えた。盾の表面に刻まれた無数の傷跡が、これまでの死線を越えてきた証であり、仲間を守り抜くという彼自身の決意を示している。


リィンは愛刀の柄に手を添え、足元にエメラルド色の風を巻いた。研ぎ澄まされた剣気が、彼女の周囲の灰を静かに吹き飛ばす。


エレナもまた、銀色の長剣を引き抜き、切っ先を教皇へと向ける。彼女の構えた剣の周囲で、すでに空間が微かに揺らぎ始めていた。


フィリーネは純白の魔力を杖の先端に集め、いつでも回復と防壁を展開できるよう、小さく息を整えた。

「……お兄様」

彼女の青い瞳が、隣に立つゼノリスを見上げる。


ゼノリスは、仲間たちの気配を背中に感じながら、一歩前へ踏み出した。

彼の右手のひらに刻まれた『三つ目の星』の火傷跡が、目の前の巨大な楔から発せられる闇に呼応し、白銀の熱を帯びて激しく脈打つ。

ゼノリスは黒い剣を正眼に構え、その刀身に白銀の閃刃を纏わせた。

純度の高い光が、薄暗い灰の空間を真昼のように照らし出す。その輝きは、教皇が纏う狂気や、第二の楔が放つ圧迫感を真っ向から跳ね返していた。


「……あなたの歪んだ祈りは、ここで終わる」


ゼノリスは短く告げた。

それに応えるように、星屑の騎士たちは、狂信に支配された教皇と巨大な闇の結晶体に向けて、それぞれの武器を構え、一斉に陣形を展開した。

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