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星帝物語  作者: 藤堂 貴之
第7巻 黒炎の聖都と灰色の聖女

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第66章:三つの星屑と交差する疑念

通路を完全に塞いでいた分厚い氷の壁から、耳障りなひび割れの音が響き始めた。

氷の奥で燃える黒い炎が、フィリーネの冷気を強引に溶かし出している。足元の石畳には水たまりが広がり、立ち込める白い水蒸気が、息をするのも苦しいほどの熱を帯びて通路を覆い尽くしていく。

その白いもやを切り裂くようにして、獣の形をした灰の塊が、低い唸り声を上げて再び姿を現した。


「……もう、杖に込める魔力が残っていないわ」

セレスティアが石の床に膝をつき、肩を大きく上下させている。その青い瞳に宿っていた光は、小さく揺らいで今にも消えかかっていた。イリスもまた、灰色の修道服の袖を痛いほどに握りしめ、荒い呼吸を繰り返している。彼女の額からは大粒の汗が流れ落ち、迷宮の淀んだ空気が肺を焼くように苦しかった。

フィリーネは冷たい床に手をつき、立ち上がることすらできない。先ほどの極小の範囲に留めた強力な氷結魔法で魔力を使い果たし、指先から力が抜け落ちている。それでも彼女は、仲間をかばうように、少しでも前へ出ようと身を乗り出していた。

ガイルは武器を失い、熱を持つ右目を押さえて壁にもたれかかっているのがやっとだった。酷使した解析眼が悲鳴を上げ、視界が青白く点滅している。

灰の獣が、黒い炎を撒き散らしながら飛びかかってくる。肌が焼けるような熱風が吹き付け、四人は思わず目を閉じた。


その時だった。

通路の横にある厚い石壁が、腹の底に響くような凄まじい音を立てて内側から弾け飛んだ。砕け散る岩の破片と粉塵を真っ二つに切り裂き、巨大な黒い盾が飛び込んでくる。

 盾を構えたその背中はフィリーネたちの前に立ち塞がり、獣の黒い炎と突進を真正面から受け止めた。

激突の衝撃に耐え抜くと、力強く盾を押し返し、獣を石壁へと弾き飛ばす。

「間に合った!」


「テオ……!」

ガイルが目を見張る。

土煙の中から現れたテオの体つきは、以前よりも一回り大きくなっていた。引き締まった腕の筋肉が、彼が過酷な砂漠で自らを鍛え直してきた日々を物語っている。単なる力押しではなく、相手の魔力の流れを読み取り、最小限の動きで最大限の威力を発揮する、しなやかで力強い動きだった。獣人の耳をピンと立て、彼は仲間たちを庇うように立ち塞がった。

「みんな、怪我はないかい! 少し遅くなってごめんよ!」


壁に叩きつけられた灰の獣が、再び立ち上がろうと身をよじり、関節の隙間から黒い炎を噴き出そうとする。

だが、その炎が形を成す前に、淀んだ迷宮の通路を、どこまでも澄んだ風が吹き抜けた。


「風よ、道を拓け」

リィンが、音もなく獣の背後に降り立っていた

彼女が愛刀を振るうと、目に見えないほど細く、鋭いエメラルド色の風の刃が放たれる。

風の刃は獣の胴体を真っ二つに切り裂き、そのまま背後の石壁に深い亀裂を刻み込んだ。

ドロモス中央山岳王国の連峰で荒れ狂う風と向き合い、自らを研ぎ澄ませて放った『秘剣・疾風』。それは風を纏う段階を越えて風と同化し、目に見えないほど鋭く速い一撃となっていた。無駄な動きは一切なく、剣を振るう音さえも風に溶けて消えていた。

獣の上半身が崩れ落ち、断面から黒い炎が漏れ出す。それでも獣は、周囲の灰を吸い寄せて再生しようと蠢いていた。


「遅いぜ。……影に沈め」

獣の足元の影が、漆黒の泥のように渦を巻いた。

影の中から音もなく飛び出したカシムが、両手に握った短剣を獣の胸元にある黒炎の核へと正確に突き立てた。

北の荒野で鍛え上げられた彼の影が短剣からどろりと溢れ出し、核で燃える黒い炎を覆い尽くして呑み込んでいく。炎を完全に失い、ただの灰の砂となった獣は、石畳に崩れ落ちた。

完全に動かなくなった灰の山を見下ろし、カシムが短剣をくるりと回して鞘に収める。


「カシム! リィンも!」

フィリーネが顔を上げ、弾んだ声を上げる。

土煙が晴れた通路に、三人の姿があった。

テオは呼吸を乱すことなく黒い盾を背負い直し、カシムはニヤリと笑う。リィンは風を纏った愛刀を静かに鞘に収めた。


「……お前ら、いいタイミングで来やがって」

ガイルが、壁に背を預けたまま安堵の笑みをこぼした。張り詰めていた全身の力が抜け、彼は大きく息を吐き出した。

「へへっ。ルカスからみんなの通信が途絶えたって緊急連絡を受けて、急いで戻ってきたんだ。ナディアの羅針盤の導きでここまで来たけど、迷宮の壁が動いてたみたいだから、僕の盾でぶち抜いてやったよ」 テオが自慢げに胸を張り、フィリーネの元へ駆け寄って手を貸す。

「テオ、お前のその盾の扱い……ただ力任せに弾いたんじゃないな。敵の魔力の流れを完全に読み切って、力を逸らしていた」

ガイルが右目をおさえながら言うと、テオは照れくさそうに笑った。

「うん。故郷の砂漠で、盾の硬さだけじゃなく、相手の力を受け流す練習をしてきたんだ。これなら、どんな攻撃でも仲間を守り切れると思って」

「リィンの風も、以前よりずっと鋭く、無駄がなくなっているわ。まるで風そのものと同化した、目に見えない刃だったわ……」

セレスティアが感心したように言うと、リィンは静かに頷いた。

「ドロモスの連峰で、荒れ狂う風と向き合ってきたの。風に逆らうのではなく、風と同化することで、より速く、より鋭い刃を放てるようになったわ」

「カシムの影も、信じられないくらい濃くなってる。あの黒炎の光を完全に呑み込むなんて」

イリスの言葉に、カシムは短剣を回しながら得意げに笑う。

「北の荒野の、光の届かない場所で影を限界まで濃縮してきたからな。これくらいできなきゃ、お前らの背中は守れないだろ。……ガイル、お前らしくないボロボロの顔だな」

カシムが軽口を叩きながら、ガイルに手を差し伸べる。

「うるせえ。……でも、助かった」

ガイルはその手を掴み、立ち上がった。


セレスティアとイリスも、深く息を吐いて胸をなでおろした。

「三人とも、見違えるようにたくましくなったわね。私たちのピンチに、こうして駆けつけてくれるなんて」

「ええ。とても頼もしいわ。まるで別人のような身のこなしだったもの」

リィンは小さく頷き、周囲を見渡した。

「……ゼノリスはいないのね。彼とはぐれたの?」


リィンの問いに、ガイルが表情を引き締めた。

「ああ。迷宮の罠で壁が閉まって、ゼノリスと……案内役の女剣士と分断されたんだ。あいつらのことだから、自力で最深部へ向かっているはずだ」

ガイルの言葉に、カシムが眉をひそめた。

「案内役の女剣士? そんな奴がいつの間に仲間に加わったんだ」

「宿屋で偶然会ったんだ。大聖堂の地下への入り口を知っているって言うから、道案内を頼んだ。エレナっていう名前だ」

ガイルが何気なく答えた瞬間、カシム、リィン、テオの三人の顔色がサッと変わった。


「……エレナ、だと?」

カシムの低い声に、通路の空気がわずかに張り詰めた。

テオが大きな盾を置き、真剣な表情でガイルを見る。

「ガイル、その女剣士、どんな武器を持っていた? 装飾のない銀色の長剣じゃなかったか?」

「ああ、そうだったが……なんでお前らがそんなこと知ってるんだ?」

ガイルが不思議そうに首を傾げる。

リィンが静かに前に出て、言葉を継いだ。

「私たちがそれぞれの修練地へ向かう途中、ある情報を手に入れたの。……八ヵ国連合の監視網を潜り抜け、たった一人で各地を渡り歩いている謎の女剣士がいるって」

「その女剣士の名前が、エレナだ。……そして、その女が操る剣技は、空間を切り裂く特異なものらしい。各地の関所を無理やり突破していて、どんな強固な魔導扉も、鍵を壊すんじゃなくて空間ごと切り裂いて通り抜けてるって噂だ」


カシムの言葉に、セレスティアとイリスが顔を見合わせた。

「空間を切り裂く……それって、まさか」

フィリーネがはっと息を呑む。

「ザガンと同じ力……?」

通路の空気が、急激に緊張感を帯び始めた。四魔将の一人であるザガン。かつて学園の戦いで彼らの危機を救ってくれた謎の存在だが、敵であることに変わりはない。 

「あいつ、敵の幹部かもしれない女と一緒にいるってことか!?」

ガイルが声を荒げる。

「彼女の狙いが、何なのかはわからない。だけど、もし彼女がザガンの関係者だとしたら、ただの道案内で終わるはずがないわ」

リィンが愛刀の柄に手を添え、険しい表情を見せる。

「急ごう。僕たちも最深部へ向かわないと。ゼノリスが一人で抱え込んでしまう前に」

テオが大盾を構え直し、通路の奥を見据える。


合流の喜びも束の間、星屑の騎士たちは新たな疑念と危機感を胸に、迷宮のさらに深い場所へと足を踏み出していった。



灰の積もる冷たい回廊を、七人の星屑の騎士たちは慎重に、だが確かな足取りで進んでいた。分断されたリーダーの安否、そして彼と共にいるかもしれない「敵の幹部の関係者」という疑念。それが、合流への期待を薄い緊張のヴェールで覆い隠している。

カシムが足元から漆黒の影を這わせ、前方の気配を探る。ガイルは熱を帯びた右目を押さえながらも、周囲の複雑な魔力波長を絶えず読み取っていた。テオが巨大な黒盾を構え、いつでも仲間の前に出られるよう重心を沈めている。


やがて、回廊が大きく広がり、崩れかけた巨大な石柱が並ぶ広間へと出た。

「……前方から、足音が二つ来るぞ」

カシムが低く囁き、手にした短剣の柄を強く握る。リィンも静かに愛刀に手を添え、風の魔力を纏わせた。

灰の霧が薄れ、アーチ状の門の向こうから二つの影が姿を現す。

「……みんな、無事か!」

響いたのは、彼らが待ち望んでいた声だった。

灰の霧を切り裂くようにして姿を現したのは、黒い剣を握りしめたゼノリスだ。身体にはいくつもの擦り傷と灰がこびりついていたが、黄金と闇の瞳は真っ直ぐな光を放っていた。

「お兄様!」

フィリーネが安堵の声を上げ、弾かれたように駆け寄る。セレスティアとイリスも深く息を吐き、テオが「よかった、ゼノリス!」と顔を綻ばせた。

 ゼノリスもまた、テオ、カシム、リィンの三人がこの場所にいることに驚き、そして頼もしそうに微笑んだ。

「お前たち……よく戻ってきてくれた」

「ルカスから緊急の知らせをもらって、みんなで駆けつけたんだ。間に合って本当によかったよ、ゼノリス」

テオが黒盾を叩きながら、力強く頷く。


だが、再会の和やかな空気は、長くは続かなかった。

ガイル、カシム、リィンの三人の視線は、ゼノリスの無事を喜ぶよりも早く、彼のすぐ背後から静かに歩み出てきた「もう一つの影」に釘付けになっていた。

赤みがかった栗色の髪を束ねた、見知らぬ女剣士。

「ゼノリス。……後ろの女は、誰だ」

カシムが低く、刺すような声で問う。その足元から、漆黒の影が刃のように逆立ち始めた。

「彼女はエレナだ。教会の罠で分断された後、一緒に戦ってくれた。彼女が道を切り開いてくれなかったら、僕はここまで辿り着けなかったかもしれない」

ゼノリスは仲間たちの警戒を解こうと、エレナを少し前へ促した。

エレナは小さく会釈をし、静かな声で告げた。

「ゼノの仲間たちね。無事でよかったわ」


しかし、仲間たちの警戒は解けなかった。

ガイルは右目の眼帯を指で押し上げ、青白い解析の光をエレナへと向けた。彼の瞳が、エレナの腰に提げられた装飾のない銀色の長剣を捉えた瞬間、その表情が険しく歪む。

「……おい、ゼノリス。そいつから離れろ」

ガイルの言葉に、リィンもまた風の魔力を纏わせた愛刀の柄を強く握りしめた。

「どうしたんだ、ガイル、リィン。彼女は敵じゃない!」

「ルカスから緊急連絡があった時、一緒に送られてきた情報がある。『どこにも属さず、たった一人で各地を渡り歩いている謎の女剣士がいる』ってな」

ガイルはエレナから視線を外さずに言葉を紡ぐ。

「……あんたのことだな」

「ええ、そうよ。私はただ、人探しをしているだけだから」

エレナは動じることなく、淡々と答えた。

「その探している相手ってのは……誰だ?」

ガイルの問いに、エレナはわずかに眉をひそめた。

「私が探しているのは、私と母を置いていった父親よ。この剣は彼が残したもの。これを持っていれば、いつか必ず巡り会えると言われて、旅をしているの」


その言葉を聞いた瞬間、ガイルの右目が激しくスパークした。

「……親父の剣、だと?」

ガイルは忌々しげに舌打ちをし、ゼノリスを睨みつけた。

「ゼノリス。俺の右目は、そいつの剣から漏れ出ている魔力の波長に見覚えがある。……学園で俺たちを襲撃した、ザガンと同じ波長だ」

「ザガンと同じ力……?」

セレスティアが息を呑み、イリスが信じられないというように目を見開く。


「ザガン? 何のことよ。私はそんな名前は知らないわ」

エレナは困惑したように顔をしかめる。だが、カシムから放たれる殺気はすでに頂点に達していた。

「知らねえだと? じゃあ、その剣技で空間を切り裂いてみせろよ! 俺たちを襲った奴と同じ見えない斬撃を放っておいて、無関係なわけがねえだろ!」

「……っ!」

エレナは、カシムの言葉に息を呑んだ。自分が長年探してきた父親の残した剣が、彼らの敵と同じ力を持っているという残酷な可能性に直面し、彼女の瞳が激しく揺れ動く。

「だんまりってことは図星か。お前、そいつの身内かよ!」

カシムの足元から漆黒の影が巨大な刃となって隆起し、エレナへと襲いかかろうとする。

「待ってくれ、カシム!」

ゼノリスが、黒い剣を構えてカシムの影の刃を弾き落とした。

「ゼノリス! その人が何者であれ、魔将の血を引いているなら危険すぎるよ! ここまで案内したのも、僕たちを地下の奥深くへ誘い込む罠かもしれない!」


テオも巨大な黒盾を構え、いつでも前に出られるように身を沈める。

「違う! 彼女は本当に何も知らなかったんだ! もし罠なら、僕と二人きりになった時にいくらでも僕を攻撃できたはずだ!」

ゼノリスは両手を広げ、仲間たちとエレナの間に立ち塞がった。

「誰の血を引いているかなんて関係ない。血筋がどうであれ、彼女自身の剣はとても澄んでいた。……僕は彼女を信じる」

ゼノリスの迷いのない言葉に触れ、カシムは忌々しげに舌打ちをし、隆起させていた影を渋々床へと戻した。ガイルもまた、右目の魔力をわずかに弱める。テオも盾を少しだけ下げた。

エレナは、自分を庇って立つゼノリスの背中を見つめていた。

彼女の腰にある銀色の剣。ずっと追い求めてきた父親が、彼らの言う『魔将』なのかもしれないという残酷な可能性。それが、彼女の視界からあらゆる色彩を奪い去っていた。

「……私の父が、魔将……」

エレナが震える手で剣の柄を握りしめようとした、その時だった。

ズズズズズズ……! 迷宮を揺るがすような、腹の底に響く激しい地鳴りが起こった。

周囲の石壁から不気味な黒い炎が噴き出し、空気の温度が一気に急上昇する。立ち込めていた分厚い灰の霧が渦を巻いて吹き飛び、ぽっかりと暗い回廊が姿を現した。背後も左右も熱を持った黒炎に塞がれ、もはや彼らには、唯一開かれたその道へと進むしか選択肢は残されていなかった。

「……ネビュロスの黒炎だ」

ゼノリスが黒い剣を構え直し、前方の闇を睨み据えた。

「……話は後だ。今は、この道を進んであの黒炎を終わらせるのが先だ」

ゼノリスの言葉に、仲間たちも武器を構え直す。エレナもまた、複雑な思いを胸の奥へ押し込め、銀色の長剣を強く握りしめた。

教皇の狂信と、灰燼の魔道士が待つ奥底。

星屑の騎士たちは、互いの背中を預け合いながら、決戦の地「不死の玉座」へ続く道へと足を踏み入れたのである。

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