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星帝物語  作者: 藤堂 貴之
第7巻 黒炎の聖都と灰色の聖女

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第60章:狂信の教皇と忍び寄る灰燼

光の聖都の中心、天を突く大聖堂。そのさらに奥深く、教皇のみが立ち入りを許される特別祈祷室は、外界の白亜の美しさとは無縁の、冷え切った静寂に包まれていた。

ステンドグラスから差し込むはずの陽光は分厚い暗幕に遮られ、室内を照らすのは、壁に掛けられた燭台の不気味に揺らめく薄暗い炎だけだ。


「ベネディクト猊下げいか。どうか、どうかお考え直しください!」


張り詰めた空気を破る、悲痛な声が響いた。

大理石の床に膝をつき、必死に訴えかけているのは、教団の古参である老枢機卿だった。

彼の背後には、同じく憂慮の表情を浮かべた数名の良識ある司祭たちが、藁にもすがる思いで控えている。


「最近の異端審問は、あまりにも度を超えています。祈りの時間に少し遅れただけで、あるいは教会の取り立てに苦言を呈しただけで、無実の市民が次々と地下の異端審問所へ送られている。のみならず、彼らは二度と地上へは戻ってこない。街は今、光の教えではなく、底知れぬ恐怖と不信によって支配されております」


老枢機卿の言葉に、教皇ベネディクトはゆっくりと身体を反転させ、彼らを冷たく見下ろした。

金糸で彩られた絢爛な法衣をまとうその姿は威厳に満ちている。だが、落ち窪んだ眼窩の奥には、長年仕えてきた光の神への信仰ではなく、何かに取り憑かれたような、ギラギラとした狂気が宿っていた。


「恐怖、だと? 違うな、枢機卿。あれは『試練』だ」

ベネディクトの声は低く、しかし部屋の隅々まで響く冷酷な圧力を持っていた。

「長きにわたり、我々は光に祈りを捧げてきた。だが、世界はどうだ? 愚かな王たちが領土を争い、病や貧困は一向に消え去らない。光の神は、結局のところ我々を救ってはくれなかったのだ」

「猊下、それは……!」

「真の救済とは、不完全なこの世界を一度白紙に戻し、抗うことすら許されぬ力による新たな秩序を構築することに他ならない。そのためには、中途半端な信仰や慈悲など不要だ。必要なのは、自らの罪を魂に刻み込むほどの血も凍る恐怖と、それをも凌駕する力へのただひれ伏すほかない服従のみ」

ベネディクトは両手を広げ、陶酔したように暗い天井を仰いだ。

「その痛みを乗り越えた者だけが、新世界の住人として救われる。地下へ送られた者たちは、偉大なる新世界の御柱を支える礎となる栄誉を与えられたのだ。喜ばしいことではないか」

「狂っておられる……! それは悪魔の所業です! そのような教え、断じて認めるわけにはまいりません!」

老枢機卿が立ち上がり、声を荒げた。司祭たちもそれに同調し、教皇へ強い非難の目を向ける。


だが、ベネディクトは薄く笑っただけだった。

「光に目が眩み、真実の力を見ようとしない老いぼれどもめ。……ならば、お前たちもその身をもって知るがいい」


教皇が指を鳴らすと、部屋の四隅の影から、灰色の鎧を着た屈強な異端審問官たちが音もなく現れた。彼らの目は感情を欠き、ただ命令を実行する機械のようだった。

「この者たちは、真の教えに背く異端者だ。地下の最下層へ連行しろ。二度と日の光を見せる必要はない」


「な、何を……放せ! ベネディクト! お前は教会を、この国を滅ぼす気か!」

老枢機卿と司祭たちは抗ったが、審問官たちによって無情に拘束され、祈祷室から引きずり出されていった。彼らの叫び声は廊下の奥へ遠ざかり、やがて重々しい扉の音とともに完全に遮断された。


ベネディクトは忌々しげに舌打ちをした。

「愚か者どもが。私の描く壮大な救済の図面を、理解しようともしない」


「――人間とは、総じてそのようなものですよ。もろく、己の理解を超えた力を拒絶する」


突如、部屋の空気が凍りつくように冷たくなり、周囲の燭台の炎が一斉に黒く変色した。

声のした方角、祭壇の背後の空間が不気味に歪む。そこから、ボロボロの黒いローブで全身を覆った痩身の男が、音もなく宙を滑るようにして姿を現した。


ルシオンが放つ四魔将の一人、灰燼かいじんの魔道士、ネビュロス。

彼が纏うのは、触れたものを燃え尽きるまで消えない死の黒炎。ローブの隙間からは、絶えず黒い灰がパラパラと零れ落ち、大理石の床をジュッと音を立てて焦がしている。


「ネビュロス殿。お出ましでしたか」

教皇は驚くことなく、うやうやしく頭を下げた。一国の最高権力者である教皇が、魔族の幹部に対して臣下の態度を取っているという異常な光景だった。


「反対派の処分、ご苦労。……だが、少し目障りな音が混じり始めている」

ネビュロスは床から数十センチ浮遊したまま、ローブの奥で不気味に赤く光る瞳を教皇へ向けた。


「街に展開している私の灰が、見慣れぬ魔力波長を捉えた。……どうやら、この聖都に招かれざるネズミが入り込んだようだ」


「ネズミ、ですか? 異端審問官の幾重もの監視網を抜けて?」

ベネディクトの眉がピクリと動く。


「おそらく、雷鳴の渓谷で第一の楔を破壊し、ギルダーの地でルシオン様と刃を交えたというあの若造どもだろう。私の『黒炎』と『不死の灰』が守護するこの地下迷宮へ、第二の楔を求めて嗅ぎ回りに来たに違いない」


「なんと……。しかし、ご安心ください。楔が眠る地下迷宮への入り口は、教会の秘術をもって私が厳重に封印しております。たとえ侵入されたとしても、ネビュロス殿の軍勢がいれば、生きて帰ることは不可能でしょう」


ベネディクトが自信気に語ると、ネビュロスは低く、乾いた笑い声を漏らした。

「フフ……。当然だ。彼らが第一の楔を破壊できたのは、たまたま運が良かったに過ぎない。この聖都の地下は、私が集めた死の灰によって、すでに無尽蔵の兵を産み出す『不死の玉座』と化している」


ネビュロスが黒く枯れた指先を軽く振ると、床に落ちていた死の灰が寄り集まり、一瞬にして禍々しい姿をした黒炎の魔獣を形作った。魔獣は声のない咆哮を上げ、すぐに再び灰となって崩れ落ちる。


「地下へ送られた市民が放つ恐怖と絶望、そして命。それらが第二の楔を通じて私の黒炎を際限なく燃え上がらせる。……教皇よ。お前の働きには、ルシオン様も満足しておいでだ」

「それは身に余る光栄。……すべては、ルシオン様による新たなる世界のため」

ベネディクトは深く頭を垂れ、その顔に恍惚とした狂気の笑みを浮かべた。


「ネズミどもが地下へ足を踏み入れるならば、それも一興。我が黒炎で、骨の髄まで焼き尽くし、永遠に彷徨う灰の兵士として生まれ変わらせてやろう」

ネビュロスのローブが不気味に揺れ、室内を焦がす黒炎がさらに激しく燃え上がった。


狂信に沈む教皇と、聖都の地下に巣食う灰燼の脅威。

星屑の騎士たちが挑む第二の楔は、これまでのどの試練よりも深く、死の灰が積もる迷宮の底で彼らを待ち構えていた。



光の聖都の裏路地は、表通りの白亜の美しさとは無縁の、冷たく湿った空気に沈んでいた。 ゼノリスたち五人は、異端審問官の目を逃れ、街の片隅にある古びた安宿の一室に身を潜めていた。隙間風が吹き込む部屋には、粗末な木製のベッドと傷だらけの丸テーブルが置かれているだけだ。ランプの火を絞り、窓の隙間から街の様子をうかがう彼らの顔には、張り詰めた疲労と緊張が滲んでいた。


「……ひどい有様ね。街を歩いている人たちの目に、光がない。誰もが自分の影に怯えるようにして、ただ俯いて歩いているわ」

窓際からそっと身を引き、セレスティアが悲痛な声を漏らした。

彼女の青い瞳には、かつて自分が愛し、祈りを捧げた美しき故郷の姿が、恐怖に塗り潰されていくことへの深い悲しみが宿っていた。

「昔は……違ったのです。この街は、祈りの歌声が絶えず響き、行き交う人々は皆、温かな笑顔を交わしていました。大聖堂のステンドグラスから溢れる光は、本当に神様が見守ってくれているような、優しい温もりに満ちていたのに……」


セレスティアの言葉に、灰色の修道服を纏うイリスが、冷たい壁に背を預けたまま、静かな怒りを込めて応じた。

「ええ。……神への祈りは、本来心を温めるためのもののはずよ。それなのに、今のこの国に響いている祈りの言葉は、審問官の槍から逃れるための、ただの命乞いにしか聞こえない」

かつて教会の腐敗を正そうとして異端の罪を被せられ、この街を追放されたイリスにとって、変わり果てた故郷の姿は、自身の過去の傷を容赦なくえぐり出すものだった。彼女が追放されたあの日から、聖教国の闇はさらに深く、街全体を喰い尽くすまでに成長してしまったのだ。


「……無理もないさ」

丸テーブルに広げた簡素な市街図に視線を落とし、ガイルが右目の眼帯の下から青白い火花を散らした。

「俺の『解析眼アナライズ』が、さっきから不気味な魔力の流れを捉え続けている。……この街中に渦巻く声なき悲鳴、それに微弱な生命力が、すべて街の中心……あの大聖堂の真下へ向かって、蟻地獄のように吸い込まれているんだ」


「大聖堂の、地下へ……? お兄様、これってギルダー商業公国で見た、あの大魔導炉のシステムとよく似ています」

フィリーネが白銀の杖を胸に抱き、不安げにゼノリスを見上げた。

「……でも、もっとたちが悪いわ。あっちは機械的に魔力を抽出していたと聞いたけれど、ここは人々の感情そのものを、何かの『餌』にしているような、ひどく淀んだ気配がするの」

イリスが、自身の幻惑魔法を応用して周囲の魔力残滓を探りながら付け加える。


「恐怖を餌にして、何かを育てている……。それが、ルシオンの現世定着を支える『第二の楔』ということか」

ゼノリスは、テーブルの地図の中央、大聖堂が描かれた位置を強く指差した。

彼の中に眠る力が、地下深くで渦巻く巨大な闇の波長に呼応し、右手の火傷の痕が微かな熱を帯びている。第一の楔があった雷鳴の渓谷とは違う、冷たく、そして執念深い虚無の気配。

「教皇は、この街の地下にその『楔』を隠し、自らの民を恐怖で支配してまで、力を得ようとしている。……放っておけば、この街の住人は心を壊され、抜け殻になるまで命を吸い尽くされてしまうだろう」


ゼノリスの低く押し殺した声に、セレスティアが両手を胸の前で強く組み、毅然とした声で言い放った。

「そのような行い、許せません! この街は、私たちが生まれ育った大切な場所です。人々の祈りを踏みにじり、ルシオンの闇にこの国を売り渡すような事態を、私たちが見過ごすわけにはいきません」

彼女の言葉には、聖女としての責務ではなく、この国を心から愛する一人の人間としての、純粋で気高い決意が込められていた。


イリスもまた、セレスティアの言葉に静かに頷き、その灰色の瞳に鋭い光を宿した。

「ええ。私がこの国を追放されたあの日、私は無力だった。でも、今は違う。……私たちの手で、この街を覆う狂信の闇を晴らしましょう」


二人の故郷を想う強い覚悟に、ゼノリスは深く頷いた。

「ああ。必ず止める。……でも、大聖堂の地下へ通じる道は、おそらく厳重に封鎖されているはずだ。ガイル、入り口の目星はついているか?」

ゼノリスの問いに、ガイルは眉をひそめ、忌々しげに舌打ちをした。

「それが厄介なんだ。大聖堂の周囲は、分厚い教会の秘術で結界が張られていて、俺の目でも内部の構造までは読み切れない。……どこかから結界の綻びを探すか、地下の迷宮構造に詳しい協力者を見つけないと、正面から突っ込むのは危険すぎるぜ」


「協力者……。今のこの怯えきった街で、教会に反旗を翻すような情報を持っている人がいるでしょうか」

フィリーネが心配そうに首を傾げる。

「探すしかない。僕たちは明日、再び街へ出て情報を集めよう。大聖堂へ出入りしている業者や、地下への道を知る者がいないか、身分を偽って当たるんだ」

ゼノリスの指示に、四人は静かに頷いた。


窓の外では、光の聖都の夜が深く沈み込もうとしていた。神聖なる大聖堂の鐘の音が街中に響き渡るが、それは人々に安らぎをもたらすものではなく、新たな監視の始まりを告げる合図のように聞こえた。

「お兄様、どうかご無理をなさいませんよう。明日からの調べ物も、私がしっかりとお支えしますから」

フィリーネが、ゼノリスの傍らに寄り添い、その袖を軽く握りしめた。

「ありがとう、フィリー。……休める時に、少しでも休んでおいてくれ。明日は危険な動きになる」


ゼノリスはランプの灯りを落とし、闇に沈んだ部屋の中で、見えない大聖堂の方角を真っ直ぐに睨み据えた。

故郷を憂う仲間たちの悲しみを、必ず希望へと変える。その誓いを胸に、若き戦士たちは、狂信に支配された聖都の静かなる夜を耐え忍んでいた。

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