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星帝物語  作者: 藤堂 貴之
第7巻 黒炎の聖都と灰色の聖女

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第59章:十七の星灯りと第二の楔を求めて

ルサルカを立ち、徒歩での過酷な旅が始まってから、幾日かの夜が過ぎていた。

乾いた風が吹き抜ける荒野のただ中。岩陰に設けたささやかな野営地では、赤々と燃える焚き火の炎が、五人の星屑の騎士たちの顔を静かに照らし出している。

昼間の厳しい日差しとは打って変わり、秋の深まりを告げる夜の空気は肌を刺すように冷たい。だが、身を寄せ合う彼らの間に流れる空気は、どこか穏やかで温かなものだった。


「……はい、お兄様。テオが残してくれた薬草と、道中で摘んだ香草を合わせた特製のスープです。少し苦いかもしれませんが、身体の芯から温まりますよ」

フィリーネが、木製のカップを両手で包み込むようにしてゼノリスへ手渡した。その銀色の髪は焚き火の光を受けて淡い黄金色に輝き、青い瞳には慈しみの光が宿っている。

「ありがとう、フィリー。……テオの知識が、こんなところでも僕たちを支えてくれているんだな」

ゼノリスはカップを受け取り、ゆっくりと口へ運んだ。野性味のある強い苦味の後に、すっと鼻に抜ける清涼感が、歩き通しだった一日の疲労を静かに解きほぐしていく。


「あいつのことだ、今頃は故郷の砂漠で、魔獣相手に派手に泥を被って強くなっているだろうさ。……それに、カシムもリィンも、それぞれ馬鹿みたいに自分を追い込んでるに違いない」

ガイルが自分のカップをあおりながら、ボサボサの茶髪を掻き回して笑った。彼の右目の眼帯の奥では、常に周囲の警戒を怠らず、魔力波長の解析が続いている。だが、仲間を語るその声には、隠しきれない信頼が滲んでいた。


「……ええ。離れていても、彼らの気配がすぐ隣にあるような気がします。そして、ルサルカに残った二人も」

セレスティアが、聖杖を膝に置きながら夜空を見上げた。澄み切った暗闇の中には、数え切れないほどの星々が瞬いている。


「一ヶ月前のことね。ルサルカの造船ドックで、ルカスの生まれた日を祝った時のことを思い出すわ」

イリスが、灰色の修道服の袖から手を出し、焚き火に細い薪をくべながら目を細めた。

「九月九日。……ナディアが市場で買い込んできた大量の魚介を、強引に大きな鍋で煮込んでね。作業用の油の匂いと、濃厚な魚のスープの匂いが混ざり合った、本当に不思議な空間だったわ」


ゼノリスの脳裏にも、あの日の光景が鮮明に蘇る。

設計図と睨み合っていたルカスを無理やり引き剥がし、仲間たちで囲んだ不格好な食卓。

ナディアが陽気に歌い、ルカスが「僕の貴重な時間は、古代技術の解析に捧げられるべきなのに計算が狂う」と文句を言いながらも、その分厚い眼鏡の奥の瞳を隠しきれない喜びで潤ませていた姿。

あれからまだ一ヶ月しか経っていないのに、ずいぶんと遠い昔のことのように感じられた。


「あの時、ルカスは『お前たちの武器や防具の調整は、僕が最高の精度で仕上げるから、無茶だけはするなよ』と何度も言っていたな。……彼の言葉通り、僕たちの装備はあの時から一度も不調を起こしていない」

ゼノリスが、腰に提げた黒い剣の柄をそっと撫でた。


「……そして、今日は十月十日です。お兄様」

フィリーネが、ゼノリスの隣にそっと身を寄せた。

彼女の言葉に、ガイル、セレスティア、イリスの視線が一斉にゼノリスへと向けられる。

「え……?」

「忘れていたの? 今日は、貴方の十七回目の星の巡りよ」

セレスティアが、ふわりと花が咲くように微笑んだ。


ゼノリスは一瞬言葉を失い、それから照れくさそうに頭を掻いた。

これまでの旅と、迫り来る虚無の王ルシオンとの戦いに向けた重圧。日々の歩みを進めることに必死で、自分が生まれた日のことなど、すっかり頭から抜け落ちていたのだ。


「……そうか。僕、十七歳になったんだな」

ゼノリスは、自分の右手のひらをじっと見つめた。

かつては、この身に宿る魔王の破壊衝動と勇者の力が暴走することを恐れ、ただの化け物になるのではないかと怯えていた日々があった。黄金の麦畑の村を出てから、どれほどの泥をすすり、どれほどの傷を負ってきただろうか。

だが今、この手に刻まれた三つ目の星の火傷跡は、忌まわしい呪いではない。仲間を守り抜き、理不尽な世界を正すための調律の光。彼自身が選び取った、熱く確かな意志の証だ。


「リーダー。俺からは気の利いた贈り物はねえが……この荒野を安全に抜けるための、解析ルートを明日の朝までに引いておいてやる。……おめでとう」

ガイルが、いつもより少しだけ真面目な声で言った。

「私とセレスティアからは、これを」

イリスが、小さな布の包みをゼノリスに手渡した。

開けてみると、中には丁寧に編み込まれたお守りが入っていた。

「荒野に咲いていた『白夜花』という魔力を帯びた花を乾燥させて、二人で編んだの。……ゼノリス君の心に、常に静かな安らぎが訪れるように、祈りを込めて」

セレスティアが、透き通るような青い瞳でゼノリスを真っ直ぐに見つめる。

「……ありがとう、みんな。本当に……嬉しいよ」

ゼノリスは、そのお守りを大切に懐へとしまった。

「お兄様」

フィリーネが、ゼノリスの右手を両手でそっと包み込んだ。

「お兄様がここまで導いてくれたから、私はこうして、笑って星を見上げることができます。……お兄様のこれからの道も、私が必ず、隣で一緒に照らし続けます。お誕生日、本当におめでとうございます」

彼女の手から伝わる温もりが、ゼノリスの心の一番深い場所を、優しく、力強く満たしていく。

かつて麦畑で交わした約束。「ずっと一緒だ」という誓いが、歳月を重ねるごとに強靭な絆となり、彼を支える不動の土台となっていた。


「……僕は、幸せ者だね。こんな素晴らしい仲間たちに祝ってもらえるなんて」

ゼノリスは夜空を見上げた。 冷たい風が吹き抜ける荒野の夜であっても、彼の内側には、かつてないほどの熱と光が満ち溢れている。

ルカスとナディアが、ルサルカで汗と油にまみれて船を造り上げている。

カシム、リィン、テオが、それぞれの場所で己の限界に挑み、牙を研ぎ澄ませている。

そして今ここにいる五人は、次なる戦いの地へ向かって、自らの足で大地を踏みしめている。

彼らのいる場所は違っても、見上げる星空は一つだ。


「……明日の昼には、荒野を抜ける。その先に見えてくるのは、サンクトゥス聖教国の国境だ」

ゼノリスが、静かに、だが鋼のような響きを持つ声で告げた。

その言葉に、セレスティアとイリスの表情が引き締まる。

「ええ。私たちの故郷であり、そして……腐敗と狂信に沈んだ国」

イリスが灰色の修道服の裾を強く握りしめ、セレスティアがそれに呼応するように深く頷く。

「ルシオンの現世定着を支える第二の楔が、あの国の中枢にある可能性が高いわ。……教会の腐敗が、ルシオンの闇に付け入る隙を与えてしまっているのなら、私たちがそれを止めなければなりません」

「ああ。どんな罠が待ち受けていようと、僕たちなら必ず道を切り拓ける」

ゼノリスは立ち上がり、燃え盛る焚き火の向こう――闇に沈む東の地平線を真っ直ぐに睨み据えた。

「今日という日を、この五人で無事に迎えられたことに感謝しよう。……そして明日からは、再び命を懸けた戦いが始まる。少しでも長く休んで、体力を回復させてくれ」

「了解だ、リーダー。見張りの前半は俺が引き受ける。お前は少しでも長く、その幸せな夢の続きを見ておけよ」

ガイルが不敵に笑い、周囲の空間に解析の魔力を展開し始める。

フィリーネと二人の聖女も、ゼノリスの言葉に頷き、それぞれの毛布を引き寄せた。


十七回目の星灯り。

それは、幼い殻を脱ぎ捨て、世界を背負う若き戦士としての覚悟を新たにする、静かで尊い時間だった。

風の音だけが響く荒野のただ中で、星屑の騎士たちは光の聖都に潜む深き闇との死闘に備え、つかの間の眠りへとついた。



荒野の夜が明け、朝陽が地平線を淡いオレンジ色に染め上げる頃、五人の星屑の騎士たちは再び歩みを進めていた。

冷たい風に背中を押されるようにして歩き続け、太陽が中天に差し掛かった頃、彼らの視界に巨大な石造りの門と、その向こうに広がる街並みが見えてきた。

光の教えを重んじる大陸最大の宗教国家、サンクトゥス聖教国の国境である。


「……着いたわね」

セレスティアが、旅の外套のフードを深く被り直しながら、微かに声を震わせた。

隣を歩くイリスもまた、灰色の修道服のフードを目深に被り、無言で前を見据えている。

没落した聖女の一族の令嬢と、かつて罪を被せられ「灰色の聖女」として追放された少女。

二人にとって、この国は懐かしい故郷であると同時に、決して顔を晒すことのできない危険な場所だった。


国境の門は分厚い鉄で固められ、灰色の鎧をまとった兵士たちが鋭い目を光らせて入国者の検問を行っている。彼らの胸元には、教会の権威を示す十字の紋章が刻まれていた。

ゼノリスが、ルサルカを出る前にナディアが手配してくれた偽造の通行証を提示する。同時に、ガイルが右目の眼帯の下で解析の魔力を密かに展開し、五人の魔力波長を一般の旅人のものへとカモフラージュした。

兵士は疑り深い目でゼノリスたちを睨みつけたが、通行証と波長に異常がないことを確認すると、無言で顎をしゃくり、通行を許可した。


 重い鉄格子を抜けると、ほどなくして、彼らは聖教国の中枢――光の聖都へと足を踏み入れた。そこは、彼らがこれまで見てきたどの都市とも違う、荘厳で冷ややかな美しさを持つ街だった。

足元には塵一つない白い石畳が整然と敷き詰められ、建物の壁面には神聖な祈りの紋様が隙間なく彫り込まれている。街の中央には、天を突くような巨大な大聖堂の尖塔がそびえ立ち、色鮮やかなステンドグラスを通した陽光が、街の至る所に幾何学的な光の模様を落としていた。


「綺麗な街ですね……。でも、なんだか空気がひんやりとしています」

フィリーネが、ゼノリスの腕にそっと身を寄せながら周囲を見渡した。

彼女の言葉通り、街の美しさとは裏腹に、そこを行き交う人々の姿には生気がなかった。

誰もがうつむき加減で歩き、立ち止まって談笑する者も、店先で声を張り上げる商人もいない。ただ靴音だけが、不気味なほど規則正しく石畳に響いている。


「……無理もないわ。今のこの国では、少しでも『教え』から外れた者は、異端として容赦なく罰せられるのだから」

セレスティアが、フードの奥で唇を噛み締めながら呟いた。


その時、前方の広場から、怒声と女性の悲鳴が鋭く響き渡った。

ゼノリスたちが建物の陰から様子を窺うと、広場の中央で、灰色の鎧を着た数人の異端審問官が、年端もゆかない子供を抱えた母親を乱暴に地面へ引き倒していた。

「お許しください! この子はただ、お腹を空かせて……!」

「黙れ! 聖なる祈りの時間に供物を盗むなど、神への明らかな冒涜だ。異端の烙印を押し、異端審問所へ送れ!」

審問官が冷酷に言い放ち、手にした槍の柄で母親を打ち据えようと腕を振り上げる。


ゼノリスの黄金と闇の瞳に怒りが宿り、彼は反射的に腰の剣の柄に手をかけた。

だが、その手をイリスが静かに、しかし力強く押さえた。

「……待って、ゼノリス。ここで騒ぎを起こせば、教皇の耳に入り、街全体の警備が強化されてしまうわ。私たちの目的は、第二の楔を見つけ出すことよ。……それに、あれを」

イリスの視線の先、広場のあちこちや建物の屋根の上に、身を潜めるようにして市民を監視している審問官たちの姿があった。その数は異常なほど多く、街全体が息の詰まるような監視の網に縛られていることが一目でわかった。


ガイルが右目の眼帯を少しだけ持ち上げ、忌々しげに舌打ちをする。

「……ひどい魔力の淀みだ。街中に張り巡らされた監視の網だけじゃない。人々の恐怖と絶望が、この街の地下に向かって吸い込まれているような、嫌な気配がするぜ。ギルダーの地下で見た、あの魔力抽出の気配にそっくりだ」


「恐怖を吸い込んでいる……?」

ゼノリスの脳裏に、かつてギルダー商業公国で見た、人々の命を燃料として使い潰す巨大な大魔導炉の光景が蘇った。

「教皇は、この街の民を力で押さえつけ、その恐怖を何か別の目的のために利用しているのか……。教会の腐敗が、ルシオンの闇に付け入る隙を与えてしまっているのなら、僕たちがそれを止めなければ」


「ええ。ルシオンの現世定着を支える第二の楔は、おそらくこの国の中枢に隠されている。……私たちの故郷がこれ以上、ルシオンの闇に利用される前に、必ず見つけ出さなければならないわ」

セレスティアが、悲痛な思いを押し殺して力強く頷いた。


ゼノリスは、目の前で助けを求める母親を助けに行けない己の無力さに歯軋りしながら、剣の柄から手を離した。

ここで感情のままに動けば、すべてが水泡に帰す。第二の楔を破壊し、この国を根底から覆う闇を断ち切らなければ、真の救いは訪れないのだ。

母親と子供が審問官たちに引きずられていくのを、五人は暗い路地裏から無言で見送るしかなかった。


「……目立たない宿を探そう。まずは情報収集だ。教皇の動向と、第二の楔の在り処を突き止める」

ゼノリスの静かな指示に、仲間たちは深く頷いた。


光の聖都の裏路地を、五人の星屑の騎士たちは息を潜めて進む。

神聖な祈りの言葉が空々しく響く美しい街並みの裏側で、彼らは聖都に潜む深き闇のよどみを、その肌で確かに感じ取っていた。

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