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星帝物語  作者: 藤堂 貴之
第7巻 黒炎の聖都と灰色の聖女

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第61章:『孤月亭』の密約―銀の剣士と迷宮への鍵

 聖都の裏路地にひっそりと佇む安宿『孤月亭』の朝は、ひどく冷え込んでいた。 街の中心にそびえ立つ大聖堂から響く鐘の音は、かつては清らかな音色だったが、今では異端審問官たちの監視の始まりを告げる、冷酷な合図でしかない。

その重い響きを遠くに聞きながら、ゼノリスたち五人は薄暗い一階の食堂で、目立たない円卓を囲んでいた。


ガイルは右目の眼帯を深く引き下げて周囲の魔力波長を探り、セレスティアとイリスは灰色の外套のフードで顔を覆って息を潜めている。フィリーネも白銀の杖を布で包み、ただの旅の少女を装っていた。

卓上に置かれた粗末な黒パンと冷めたスープには、誰も手をつけていない。息の詰まるような沈黙が、彼らの間に満ちていた。

「……駄目だ。大聖堂の周囲は、教会の秘術で何重にも結界が張り巡らされている。俺の『解析眼アナライズ』で夜通し探ってみたが、地下へ通じる入り口や結界の綻びは一切見つけられなかった。光の魔力が蜘蛛くもの糸のように張り巡らされていて、少しでも異質な魔力が触れれば、即座に異端審問官たちへ異常を知らせる警報が鳴る仕組みだ。正面の大きな扉以外、ネズミ一匹通れる隙間がない」

ガイルが声を押し殺し、忌々しげに舌打ちをした。彼の右目は過度な解析の代償で赤く充血しており、これ以上の強行偵察が限界であることを物語っている。

「正面から突破するのは無謀すぎます。街中を巡回している異端審問官の数は、昨夜よりも明らかに増えています。まるで見えない網を少しずつ狭め、私たちがこの街に潜り込んでいることをすでに察知しているかのように……」

セレスティアが、窓の外を横切る灰色の鎧の兵士たちをフードの奥から睨みつけ、静かに首を振る。かつて彼女が愛し、人々の温かな祈りが満ちていた故郷の姿は、もはやどこにもなかった。


「業者を装って入り込む手も考えたけれど、この街の住人は誰もが異端の烙印を恐れきっているわ。昨日から少し探りを入れてみたけれど、誰も大聖堂の地下のことなんて口にしたがらない。かつて使われていた搬入用の地下水路も、すべて分厚い鉄格子で塞がれていた。……無理に聞き出そうとすれば、すぐに審問官へ通報されてしまう」

イリスもまた、冷たい石壁に背を預けながら深く嘆息した。

手詰まりだった。

ルシオンの現世定着を支える第二のくさびは、間違いなく大聖堂の地下深く、死の灰が積もる迷宮の底に眠っている。しかし、そこへ至る道は教皇の容赦のない警備網と強固な結界によって完全に封鎖されていた。

ゼノリスは、右手のひらに刻まれた『三つ目の星』が不快な脈動を打つのを感じ、右手を固く握りしめた。ここからでも、大聖堂の地下深くから渦巻く不気味な魔力の淀みを感じ取ることができる。人々の恐怖と声なき悲鳴を吸い上げる、あの泥のように黒い脈動。それが彼の中の力を刺激し、消えない熱となって脈打っている。


「お兄様、お手が熱を持っています。……少しだけ、冷まさせてください」

フィリーネが、ゼノリスの右手を自らの両手でそっと包み込んだ。彼女の純白の魔力が、火傷の痕にこびりつく不快な熱を静かに和らげていく。その青い瞳には、焦燥に駆られる兄を支え抜くという、揺るぎない覚悟が宿っていた。

「ありがとう、フィリー。……焦っても仕方がない。どれほど強固な結界でも、それを維持するための魔力の流れや、術式を管理している人間が必ずどこかにいるはずだ。今日は街の構造をもう一度足で調べて、その管理の隙を探そう」

ゼノリスの静かな指示に、仲間たちは頷いた。

「ええ。私も結界の魔力波長を外から探ってみます。少しでも揺らぎがあれば、そこから突破口を開けるかもしれません」

フィリーネが力強く答えた、その時だった。


カラン、と『孤月亭』の古びたドアベルが鳴り、一人の客が足を踏み入れた。

重苦しく、誰もが俯いて食事をとっているこの食堂において、その客の足音は異質なほど軽やかで、一歩一歩に迷いがなかった。ゼノリスの視線が自然とそちらへ向く。

現れたのは、若き戦士たちと同年代か、少し年上に見える女性の剣士だった。

赤みがかった栗色の髪を後ろで無造作に束ね、使い込まれた革の軽鎧を身にまとっている。彼女の腰には、派手な装飾の一切ない、実戦で磨き抜かれた銀色の長剣が提げられていた。

彼女の瞳は、異端審問官の影に怯えるこの街の市民たちとは違い、真っ直ぐに前を見据え、鋭い意志の光を宿している。


彼女は食堂内をぐるりと見渡し、なぜか迷うことなくゼノリスたちのテーブルへと歩み寄ってきた。

ガイルが微かに身を固くし、右目の眼帯の下で解析の魔力を練り上げる。

(……おい、ゼノリス。あの女の腰の剣、ただの鋼じゃないぞ。周囲の空間の波長を断ち切るような特異な魔力が、微かに漏れ出ている。気をつけろ、あれは厄介だ)

ガイルの小さな囁きに、イリスとセレスティアも外套の下で身構える気配がした。


「……相席、いいかしら? 他の席は、どうにも空気が重くてね」

女性剣士は、若き戦士たちの警戒を意に介する様子もなく、気さくな笑みを浮かべて空いている椅子を指差した。


「……構わないけれど、僕たちもただの旅人だ。面白い話はできないよ」

ゼノリスが平静を装って答えると、彼女は「ありがとう」と微笑み、しなやかな動作で席についた。

「私の名前はエレナ。ただの、人探しをしている剣士よ」

「僕はゼノだ。こっちは妹のフィリー。他の三人も、一緒に旅をしている仲間だ」

ゼノリスは咄嗟に偽名を使い、仲間たちを軽く手で示した。

エレナは注文した温かいお茶を受け取ると、ふう、と息を吹きかけ、それからゼノリスの顔をじっと見つめた。

その視線は、ただの旅人に向けられるものではなかった。剣士特有の、相手の重心や呼吸、隠し持った魔力の質を測るような、鋭く、それでいて押し付けがましくない観察眼。

彼女は言葉を探るように、カップをテーブルに置いた。


「……ゼノ、ね。いい名前だけれど、貴方たち、ただの旅人にしてはずいぶんと『刃』が研ぎ澄まされているわね。それに、その灰色の外套の方たち……姿勢の良さが、どう見ても長旅の汚れに似合っていないわ」

エレナの言葉に、テーブルの空気が一瞬にして凍りついた。

ガイルが短剣の柄に指をかけ、フィリーネがゼノリスの袖をそっと握りながら、いつでも魔法を展開できるよう杖の芯を捉える。

「……何が言いたいんだ」

ゼノリスが声を一段低くすると、エレナは両手を軽く上げて敵意がないことを示した。


「警戒しないで。私は異端審問官の犬じゃないわ。むしろ、彼らのやり方には虫酸むしずが走っている側よ。……私が貴方たちに声をかけたのは、貴方たちが『下』を向いていたから」

「下……?」

「そう。この街に来た旅人は、大抵あの馬鹿でかい大聖堂の尖塔を見上げるわ。でも、貴方たちの視線は、ずっと大聖堂の『地下』を探っているように見えた。……違うかしら?」


エレナの鋭い指摘に、ガイルが舌打ちをした。

「……あんた、何者だ。俺たちの目的を知ってどうする気だ」

「だから、人探しをしていると言ったでしょう? 私の探している人も、おそらくあの地下の深い場所にいる。……でも、大聖堂の結界は厚く、一人で侵入するのは骨が折れる。そこで、利害が一致しそうな腕利きの仲間を探していたの」

エレナはお茶を一口飲み、静かにゼノリスを見据えた。

「貴方たち、大聖堂の地下迷宮へ通じる道を探しているのでしょう? ……もし私の人探しに協力してくれるなら、結界を抜けて地下へ入る『秘密の入り口』を、教えてあげてもいいわよ」


ゼノリスは、目の前の女性剣士――エレナの提案に、静かに息を呑んだ。

彼女の腰にある銀色の剣。そこから放たれる微かな魔力の気配は、不思議なほどに澄んでおり、嘘をついているようには見えなかった。何より、彼女の瞳には、自分の探す相手を必ず見つけ出すという、嘘偽りのない強い意志が灯っている。

光の聖都の安宿『孤月亭』で交差した、謎の剣士との邂逅。

星屑の騎士たちは、教皇が支配する大聖堂の地下、そして第二の楔へと続く、予期せぬ道標を手に入れようとしていた。



「……わかった。君のその提案、乗らせてもらうよ」

ゼノリスは真っ直ぐにエレナの瞳を見返し、静かな、しかし決して揺るぐことのない声で頷いた。

その一言で、円卓を囲む仲間たちの間に、静かな覚悟が満ちた。

ガイルは腕を組み、右目の眼帯の下で微かに青白い魔力の火花を散らしてニヤリと口角を上げる。フィリーネは白銀の杖を胸に抱き寄せ、その透き通るような青い瞳に、兄をどこまでも支え抜くという気高い光を灯した。セレスティアとイリスもまた、かつての故郷を狂信の檻から解き放つため、灰色の外套の下で静かに、けれど熱く息を吸い込んだ。


エレナは、誰一人としてひるむことのない彼らの姿に、張り詰めていた表情をわずかに緩め、微かに唇を綻ばせた。

「交渉成立ね。……でも、案内する前に一つだけ、どうしても伝えておかなければならないことがあるわ」

彼女の表情が再びスッと引き締まり、声のトーンが一段と低く沈んだ。

「あなたたち、大聖堂の地下に何が待ち受けているか、本当にわかっているの?」

「……強固な結界と、異端審問官たちの厳重な警備網でしょう?」

イリスが、かつて自身を追放した教会の腐敗したシステムを思い出しながら問い返す。しかし、エレナはわずかに目を伏せ、ゆっくりと首を横に振った。

「それだけなら、ただの人間相手の戦いで済むわ。でも、現実はもっとおぞましい。……教皇ベネディクトは、とうの昔に光への信仰を捨てたのよ。彼は自らの狂信と欲望の果てに、悪魔と結託した。……灰燼かいじんの魔道士、ネビュロスとね」


その忌まわしい名を聞いた瞬間、ゼノリスたち五人の表情が強張こわばった。

忘却の祭壇――次元の底が開き、圧倒的な虚無の王ルシオンと共に現れた四魔将の姿が、記憶の奥底からまざまざと蘇る。全身をボロボロの黒いローブで覆い、音もなく宙に浮遊していた痩身の男。彼の周囲を漂う禍々しい黒い炎は、触れたものを燃え尽きるまで決して消えることはない。さらに恐ろしいのは、燃やした灰を固めて「不死の魔獣」として創り出し、無限の軍勢として操る能力だった。

あの時の底知れぬ死の気配、息をするだけで肺が焼け焦げるようなあの日の記憶に、ゼノリスは小さく身震いした。

「教皇はネビュロスに、大聖堂の地下迷宮を完全に明け渡したわ。そこには、あなたたちが探しているルシオンの現世定着を支える『第二の楔』がある。そして、迷宮は今、ネビュロスが生み出した不死の魔獣の軍勢でひしめいている。……彼らは痛みを感じず、倒しても何度でも灰から蘇るわ」

エレナの言葉に、フィリーネは震える声で呟いた。

「不死の魔獣……。では、街で異端審問官が市民を次々と地下へ送っているのは……」

「ええ。教皇は、自らの民を異端として捕らえ、逃げ場のない恐怖で支配している。地下へ送られた人々の苦痛や悲鳴、そして命そのものを魔力として抽出し、『第二の楔』を通じてネビュロスの黒炎を際限なく燃え上がらせるための『糧』にしているのよ」

エレナは、吐き気を催すような真実を淡々と、しかし強い憎悪を込めて語った。

「教皇は自らの狂信ゆえに、けがれた世界を白紙に戻すというルシオンの力に魅入られてしまった。……このまま楔を放置すれば、魔獣の軍勢は地上へと溢れ出し、街の人々は一人残らず黒炎に焼かれて、永遠に彷徨う灰の兵士にされてしまうわ」


ゼノリスは、右手のひらに刻まれた『三つ目の星』の火傷跡から伝わる、微かな熱を確かめた。ルシオンの闇に呼応するように、彼の中に眠る力が静かに、だが激しく脈打っている。

ネビュロスの黒炎と、終わりのない不死の軍勢。そして、自らの民を犠牲にしてまで新たな秩序を望む教皇の狂信。これから向かう大聖堂の地下迷宮の闇を思い、彼らは無言で頷き合った。

(……ギルダーで見たのと同じだ。人々の命をただの燃料として使い潰す、おぞましいシステム。この国は、光の教えという美しい仮面を被っている分、さらにタチが悪い)

ゼノリスは奥歯を強く噛み締め、黒い剣の柄を握る手に力を込めた。

「教えてくれてありがとう、エレナ。……でも、僕たちは行く。この街の悲鳴を、これ以上放っておくわけにはいかないから」

その迷いのない、澄み切った黄金と闇の双眸に見つめられ、エレナは一瞬だけ驚いたように目を見張った。そして、どこか安堵したような、満足げな笑みを浮かべて立ち上がった。

「……いい覚悟ね。あなたたちの目を見れば、それが本気だってわかるわ。なら、急ぎましょう。教皇の狂気が、この街を完全に喰い尽くす前に。……秘密の入り口は、街の裏側を流れる古い水路を抜けた先よ」


若者たちは席を立ち、『孤月亭』を後にした。

宿の外に出ると、光の聖都の裏路地は、刺すような秋の冷気に包まれていた。

彼らの頭上では、街の中心にそびえ立つ大聖堂の鐘が、どこかゆがんだ音で鳴り響いている。本来ならば人々に安らぎをもたらすはずのその音色は、街を監視する異端審問官の気配と重なり、大聖堂の地下に潜む死の気配を告げていた。

通りには人影はなく、建物の窓にはすべて固く板が打ち付けられている。誰もが息を潜め、自分たちが次の『糧』に選ばれないよう、ただ恐怖に震えながら朝を待っているのだ。

「……足元に気をつけて。この辺りも、すでに教会の感知網が張られているわ」

エレナが先頭に立ち、腰に提げた装飾のない長剣に手を添えながら、迷いのない足取りで裏路地の暗がりを進んでいく。彼女の背中からは、ただの旅人とは到底思えない、周囲の空間から切り離されたような特異な剣気が微かに漏れ出ていた。

ガイルが右目で周囲の魔力波長を警戒し、セレスティアとイリスが祈るように互いの気配を隠す幻惑の霧を展開する。フィリーネもゼノリスの背中をしっかりと追い、いつでも魔法を放てるよう杖を握りしめていた。

冷たい石畳を踏みしめながら、ゼノリスは前を見据えた。

聖都の地下深く、燃え盛る黒炎とそこに囚われた無数の命。

そして、この忌まわしい狂信の闇を打ち払うため、星屑の騎士たちは謎の女剣士という新たな道標と共に、迷宮の入り口へと進んでいった。

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