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星帝物語  作者: 藤堂 貴之
第6巻 星屑の帰還と蒼刃の守護者

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第57章:純白の魔法と見えざる蒼刃

 広場に響き渡ったナディアの悲痛な叫びは、冷たい風に掻き消されることなく、星屑の騎士たちの胸に重い痛みを残していた。

彼らの旅の拠点であり、共に死線を越えてきた『エトワール号』の装甲は無惨にえぐられ、動力部からは黒い煙が立ち上っている。

その惨状を前に、最前線で身体を張り続けたカシム、リィン、テオは、膝をつき、荒い息を吐いていた。彼らの全力を込めた攻撃は敵に届かず、ただ悔しさだけが彼らの手足を重く縛り付けている。

「……ふふっ。いい眺めね。翼をもがれて、地に墜ちていく姿って……本当にたまらないわ」

上空で紫黒のドレスを翻す魔将ヴィオラは、赤い唇を歪め、広場に広がる惨状を美酒でも味わうかのように見下ろしていた。彼女の指先からは、人々の理性を溶かす『甘美な悪夢』――血の霧が、ねっとりとした空気と共に絶え間なく降り注いでいる。


 ゼノリスは、右手のひらに刻まれた三つ目の星の火傷跡を強く握り込んだ。熱を帯びる刻印から白銀の魔力を呼び起こし、黒い剣を構えて一歩前に出ようとした。

だが、その足は進まなかった。

彼の前に、すっと差し出された白い腕があったからだ。

「――お兄様。ここは、私にお任せください」

振り返ることもなく、透き通るような声が静かに響いた。

フィリーネだった。

彼女は、白銀の杖を両手でしっかりと握りしめ、ゼノリスとヴィオラの間に立ちはだかっていた。風に揺れる銀色の長い髪が、薄暗い血の霧の中で一筋の光のように輝いている。


「フィリー……」

ゼノリスは驚きに目を見開いた。これまでの戦いにおいて、彼女は常に後方から治癒や支援の魔法で仲間を支える役割を担ってきた。自ら最前線へ進み出ることは、ほとんどない。

「お兄様は、皆さんと一緒に下がっていてください。……今のヴィオラの魔法から皆を守れるのは、お兄様の白銀の魔力だけです。背後の防衛をお願いします」

フィリーネの横顔には、共に厳しい修練を重ね、地下の暗闇や極寒の地を乗り越えてきた、一人の気高き戦士としての揺るぎない覚悟があった。

ゼノリスは、青い瞳に宿る決して退かない意志を読み取り、彼女が肩を並べて戦う頼もしい仲間なのだと確信した。

「……分かった。背後は僕が守る。任せたぞ! フィリー」

「はい!」

フィリーネは力強く答え、真っ直ぐに上空のヴィオラを見据えた。

「あら? 小娘が一人で前に出てくるなんて。私の魔法の前で、数秒でも立っていられるかしら」

ヴィオラは嘲笑を浮かべ、細い指先を弾いた。

周囲に漂っていた血の霧が急激に凝縮され、何十本もの鋭い真っ赤な刃となって形作られる。それは先ほどエトワール号の装甲を容易く貫いた、空間を切り裂く凶刃だ。

「その綺麗な白い肌を、真っ赤に染め上げてあげるわ!」

 ヴィオラが腕を振り下ろすと同時に、血の刃が雨あられとフィリーネへ向けて殺到した。


 フィリーネは逃げなかった。

彼女は静かに目を閉じ、白銀の杖の石突きを石畳にコツンと打ち据えた。

「――光よ」

彼女の足元から、純白の魔力が波紋となって広がった。それは、星の種として彼女の血に流れる、生命を芽吹かせ、濁りを祓う力そのもの。

純白の光の波は、迫り来る真紅の刃に真っ向から衝突した。

ジューッ、という嫌な音を立てて、ヴィオラの放った血の魔力が白煙を上げて蒸発していく。心をむしばむ甘い霧も、光に触れた端から浄化され、広場の空気が本来の冷たさを取り戻していく。

「なっ……私の魔法が、溶かされている……?」

ヴィオラの余裕に満ちた顔に、初めて驚愕の色が走った。

「お兄様と、私の大切な仲間たちを傷つける者は……私が許しません」

フィリーネの青い瞳が、鋭くヴィオラを射抜く。

彼女は杖を振り上げ、自らの内にある強大な魔力を惜しみなく解放した。

石畳が激しい音を立ててひび割れ、そこから魔力で編み込まれた黄金の茨が幾重にも束となって隆起する。茨は巨大な鞭のように宙を舞い、残っていた血の刃を次々と空中で絡め取った。

小賢こざかしい真似を! 刈り取ってやる!」

ヴィオラが両手からさらに無数の血の刃を形成し、茨を切り裂こうとする。

だが、フィリーネの追撃はそれを上回る速さだった。

「凍てつけ――!」

黄金の茨の表面から、冷気が急激に噴出した。絡め取られていた血の刃は瞬く間に白く凍りつき、パキィンという澄んだ音と共に、細かい氷の塵となって虚空に砕け散った。

冷気はそのままヴィオラへと向かって伸びていき、彼女の周囲に展開されていた血の障壁の表面にまで氷の結晶を付着させていく。

「くっ……! この私が、こんな小娘に押し込まれているというの……!?」

ヴィオラは舌打ちをし、顔を怒りに歪めた。彼女は血の霧でさらに防御を固めようとするが、フィリーネの放つ純白の光は、その霧を押し返すように広がり続けている。

「……すげえな。あのフィリーネが、魔将を力で押し込んでる」

後方で膝をついていたテオが、信じられないというように呟いた。

「ええ。彼女はもう、迷いなく真っ直ぐに前を向いているわ」

リィンもまた、吹き抜ける清浄な風を感じながら目を細めた。

「リーダー、後ろの避難誘導は俺たちも手伝うぜ。お前はフィリーネから目を離すなよ」

カシムが影の中から立ち上がり、ゼノリスに声をかける。

「ああ。頼む」

ゼノリスは白銀の閃刃を維持したまま、周囲の空間から微かな殺意の揺らぎさえも見逃さぬよう、防衛に徹していた。


 フィリーネは立ち止まらなかった。

日々の厳しい修練で培った魔力制御が、彼女の動きから一切の無駄を省いていた。

氷槍アイス・ランス!」

杖の先から放たれた無数の氷の槍が、ヴィオラの血の障壁に容赦なく突き刺さる。防壁が軋む高い音が鳴り響き、ヴィオラはたまらず上空から後退を余儀なくされた。

「ふざけないでよ! 四魔将であるこの私が、こんなところで遅れをとるはずがないわ!」

余裕を失った魔将の叫びが、氷と光の交差する広場に響く。


 ヴィオラは狂乱し、自身の周囲の血の霧を巨大な渦に変えてフィリーネを飲み込もうと放った。だが、フィリーネはそれを避けることなく、純白のドームを展開して真正面から受け止めた。

「あなたの魔法には、もう屈しません!」

ドームが血の渦を跳ね返し、光の波がヴィオラの頬を掠める。

広場を支配していた赤黒い霧は、今や純白の光に退けられ、空には青空が顔を覗かせ始めていた。

追いつめられたヴィオラの顔には、深い焦燥が刻まれている。

純白の魔法と鮮血の刃の激突は、決着の時へ向けてさらにその激しさを増していった。



純白のドームが真紅の渦を完全に弾き飛ばした。

空に広がっていた赤黒い霧が散り、高原の青空が顔を覗かせる。

ヴィオラは顔を青ざめさせ、上空から後退した。彼女の中にあるのは、見下していた相手に敗北することへの恐怖と屈辱だった。

「私が……こんな小娘に押し込まれるなど! ルシオン様のために、貴方たちをここで終わらせるのよ!」

ヴィオラは残るすべての魔力を振り絞り、自身を囲むように分厚い血の防壁を形成した。それは彼女の焦りを象徴するように、どす黒く脈打っている。


フィリーネは杖を真っ直ぐに突き出した。

純白の光が防壁に衝突し、激しい火花が散る。ヴィオラが命を削って張った壁は厚く、フィリーネの魔法を寸前で食い止めていた。

後方で背後を守るゼノリスは、その拮抗を見つめていた。彼が剣を握り直した、その刹那だった。


ヴィオラの分厚い防壁の中央に、不可視の斬撃が走った。

空間そのものを切り裂く剣技。何もない虚空に生じた刃が、ヴィオラの防壁の中心を正確に両断したのだ。

防壁に致命的な亀裂が走る。

(今のは……?)

ゼノリスの黄金と闇の瞳が、周囲を鋭く探る。これまでの死闘でも、決定的な危機に陥るたびに、見えない刃が自分たちを救ってくれていた。視界の端、崩れかけた建物の屋根の陰。そこに、銀色の甲冑を纏った騎士の姿が見えた。敵であるはずの蒼刃の魔騎士ザガンが、見えざる支援を行っている。

理由は分からない。だが、今はこの隙を突くしかない。

「いけ、フィリー!」

ゼノリスの叫びに呼応し、フィリーネはさらに一歩を踏み出した。

「これで、終わりにします!」

彼女の杖から放たれた魔法が、ザガンが切り開いた亀裂へと殺到した。

内側へと侵入した光の奔流が、ヴィオラの魔力構造を崩壊させる。

「あ……ああ……!」

ヴィオラがかすれた声を漏らす。彼女の血の防壁が、音を立てて砕け散った。

眩い光が、広場全体を照らし出した。

光はヴィオラの身体を飲み込み、彼女が纏っていた血の魔力を浄化していく。

「ルシオン……様……」

光の中で、ヴィオラの身体は力なく崩れ落ちた。彼女の意識は深い闇へと沈み、広場を支配していた魔力は消え去った。


戦いが終わり、高原の風が吹き抜ける。

ゼノリスは周囲の安全を確認し、黒い剣を鞘に収めた。

フィリーネは杖を下ろし、荒い息を吐いた。

「……フィリー。よくやったね」

ゼノリスが声をかけると、フィリーネは振り返り、安堵の笑みを浮かべた。

「お兄様が背後を守ってくれたから、前だけを見て戦えました」


広場の隅では、セトが倒れたガイルの身体を必死に支えていた。

ガイルはヴィオラの凶刃から弟を庇って深い傷を負っていたが、フィリーネやイリスの治癒魔法による応急処置で、命の危機は脱していた。

「……兄さん。僕、思い出したよ。あの夜のこと」

セトの瞳から、大粒の涙が零れ落ちる。記憶喪失だった彼が、死の恐怖と兄の姿を前にして、失われていた過去を取り戻したのだ。

燃え落ちるタペストリー、煙が充満する廊下、そして暗い崖の縁で離れてしまった手。

「……無事で、よかった。本当に」

ガイルは痛みに顔を歪めながらも、震える手で弟の涙に濡れた頬を拭った。あの日、深い闇の中へ消えていった小さな身体を、今度こそこの腕に抱きしめることができたのだ。


ゼノリスは建物の屋根の陰を静かに見上げた。

そこにはもう、銀色の甲冑の姿はなかった。

ザガンは愛用の大剣を鞘に収め、深い兜の奥から戦場を見つめていた。彼の使う魔法特性は『空間切断』。魔力ごと空間そのものを斬り裂く剣術の使い手である。

彼がかつて初代魔王の右腕であったこと。そして、ゼノリスの中に真の主君の魂を見出していることを知る者は、敵にも味方にもいない。まだ不完全な状態の真の主君が殺されるのを防ぐため、彼は絶妙なタイミングで空間を斬り裂き、ゼノリスたちの危機を救ってきたのだ。あの見えざる刃が勝利への道を切り開いてくれたことは事実だった。ザガンは静かに身を翻し、空間の裂け目へと消えていった。

「ゼノリス! フィリーネ!」

広場の端から、カシム、リィン、テオ、そしてナディアやセレスティアたちが駆け寄ってくる。

彼らの顔は泥や煤に汚れていたが、ヴィオラが倒れたことを確認し、その瞳には勝利の安堵が浮かんでいた。

「やったな。あの化け物を、ついに倒したんだ」

テオが漆黒の大盾を下ろし、大きく息を吐き出す。


だが、彼らが振り返った先には、ヴィオラの猛攻を浴びて地に堕ちた『エトワール号』の姿があった。ナディアは言葉を失い、呆然とその残骸を見つめている。

かつて学園の地下でルカスたちが修復し、数々の空を駆け抜けてきた銀色の船体は無惨にひしゃげ、魔導機関からは黒い煙が上がっている。誰の目にも、それが修復困難なほどの深刻なダメージを負っていることは明らかだった。

前衛で身を挺して戦っていたカシムやテオ、リィンも、言葉を失ってその残骸を見つめている。

「俺たちが前で食い止めていれば……」

カシムは唇を噛み、テオは俯き、リィンは手を震わせていた。もし自分たちがもっと強ければ、船を失わずに済んだのではないか。その思いが、彼らの心を暗く沈ませる。


高原の風が、焼け焦げた船の残骸を撫でていく。

帰るべき場所であり、彼らの旅の象徴であった船を失った喪失感が、一行を包み込む。

しかし、ゼノリスは地に堕ちたエトワール号を見つめ、静かに言った。

「船は、飛ぶ力を失った。でも、僕たちの旅が終わったわけじゃない」

その言葉に、仲間たちが顔を上げる。

「ルシオンという真の脅威はまだ健在だ。ここから先は、自分たちの足で歩くしかない。第二の楔がある次の目的地、サンクトゥス聖教国へ」

ゼノリスの瞳には、どんな困難があっても歩みを止めないという揺るぎない覚悟が宿っていた。

その決意に呼応するように、フィリーネが力強く頷き、セレスティアたちも前を見据える。

血の霧を払い、強敵を退けた若き戦士たち。だが、彼らの前に広がるのは、これまで以上に過酷な大地を這う旅路だった。

カシム、リィン、テオの三人の瞳には、ルシオンとの決戦に備え、さらなる修練を積まなければならないという焦燥と決意が燃えている。

次なる戦いへの決意を胸に秘め、星屑の騎士たちは再び歩み出そうとしていた。

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