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星帝物語  作者: 藤堂 貴之
第6巻 星屑の帰還と蒼刃の守護者

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第49章:影の防衛線と航海士の目

夜風が吹き荒れるエトワール号の甲板。北の暗黒から放たれる不可視の凶弾に対し、若き星屑たちはついに反撃の陣形を敷いた。

「……ナディア、羅針盤の針に集中してくれ。敵の『殺意』が向く方角と、それが極まる瞬間だけを教えてほしい」

ゼノリスの静かで鋭い声に、ナディアは大きく頷いた。彼女は操舵輪から片手を離し、もう一方の手で『黄金の羅針盤』を胸元に高く掲げる。

ルサルカの海運と祭祀さいしを司ってきた星詠みの一族に伝わるその魔導具は、物理的な距離を越え、空間に漂う運命の糸や魔力の奔流を正確に読み取る力を持っている。

「任せて。……さっきまでは嵐の中で羅針盤を読もうとしていたから見えなかったけど、敵の命が込められた殺意だけに焦点を絞れば、必ず波長を捉えられるわ」

ナディアの青い瞳が、羅針盤の盤面を滑るように動く。針は不規則に震えていたが、やがて一定のリズムを刻み始めた。

「……来るわ! 北北東、仰角三十度。……着弾まで、あと十秒!」

ナディアの叫びが甲板に響いた。

その情報を受け取ったガイルが、右目の眼帯の下で解析眼アナライズを極限まで酷使する。彼の視界には、何百キロも先から迫り来る不可視の魔力弾そのものではなく、弾が通過する直前に生じる「空間の魔力的な歪み」が、青白い数値の羅列として浮かび上がっていた。

「ナディアの言う通りだ……空間が悲鳴を上げてやがる! 着弾座標特定、右舷前方、甲板から二メートルの高さだ!」

「カシム!」

ゼノリスの号令に、影の中に潜んでいた情報屋が動いた。

「わかってるぜ! 船全体を覆うのは無理でも、ピンポイントなら……俺の影は、どこまでも濃く、硬くなる!」

カシムが両手を甲板に叩きつける。

ガイルが指定した右舷前方の空中に、足元の影が蛇のように這い上がり、直径一メートルほどの漆黒の『盾』を形成した。それは過酷な裏社会の死線を潜り抜ける中で練り上げられた、光さえも沈み込ませるほどに濃く、分厚い影の壁だ。

その直後だった。

音のない衝撃が、カシムの影の盾に真正面から激突した。

「ぐあぁっ……!」

カシムが苦悶の声を上げる。極限まで圧縮されたアッシュの凶弾は、術者の命そのものを削り出した呪いだ。漆黒の影の盾が、ガラスがひび割れるようにミシミシと悲鳴を上げ、表面から黒い霧となって削り取られていく。

だが、貫通はしなかった。

カシムの盾は凶弾の威力を殺しきれなかったものの、その軌道をほんのわずかに上へと逸らしたのだ。

「……そこだッ!」

影を突き破り、軌道を乱されて姿を現した歪な魔力の塊。その直上に、ゼノリスが躍り出た。

彼は白銀の魔力を纏わせた黒い剣を、夜空に向かって鋭く振り抜く。

キィィィンッ!

澄み切った金属音が夜の海に響き渡る。

ゼノリスの刃が、アッシュの放った命の弾丸を的確に弾き飛ばしたのだ。弾かれた魔力弾はエトワール号のメインマストの遥か上空を通過し、遠くの海面で音もなく炸裂して巨大な水柱を上げた。

「……やった! 防いだぞ!」

テオが盾の陰から歓声を上げる。

「ハッ、見たか! 俺たちの連携に死角はねえ!」

ガイルが痛む右目を押さえながらも、誇らしげに口角を上げた。


 一方、遥か北のヴェルンド王国の尖塔。スコープを覗き込んでいた『漂白の狙撃手』アッシュの虚ろな瞳が、ほんのわずかに見開かれた。

「……六発目、迎撃された。……魔力弾の軌道干渉、および切断を確認」

アッシュの口から、感情の欠落した報告が漏れる。

これまで、彼の狙撃を防いだ者はいなかった。彼の放つ弾丸は魔力ではなく「命の残滓」であり、通常の魔法障壁では防げないからだ。それを、遥か彼方の星屑たちは、見えざる連携によって弾き落としたのだ。

アッシュは、自身の口元から流れ落ちる黒い血を無造作に手の甲で拭った。

彼の肉体は、度重なる命脈の変換により、すでに深刻なダメージを負い始めている。全身の血管が焼き切れるような痛みが彼を襲っているはずだが、連合に感情を殺された彼には、それを「痛み」として処理する機能が残されていなかった。

「……目標、依然として健在。……命令は、確実な排除」

アッシュは、冷たい鉄のボルトを再び引いた。

彼の胸の奥で、かすかに、本当に微かにだが、理解不能な「疑問」が生まれていた。なぜ彼らは、これほどまでの恐怖にさらされながら、的確に反撃してくるのか。

だが、その疑問はすぐに「任務遂行」というプログラムに塗り潰される。

「……七発目、八発目。二重装填」

アッシュの白い髪が夜風に激しく揺れ、彼自身の命がさらに大きく削り取られる。

そして、暗黒の銃口から、今度は二発の不可視の凶弾が、わずかな時間差を置いて撃ち放たれた。

「……また来るわ! 今度は二つ……いえ、時間差で連続して来る!」

エトワール号の甲板で、ナディアが羅針盤を握りしめながら鋭く警告した。

「座標は!?」

「一つ目はさっきと同じ右舷前方! 二つ目は……船体中央、マストの根元よ!」

「くそっ、カシム! 二箇所同時に影を展開できるか!?」

ガイルの問いに、カシムは額から脂汗を流しながら歯を食いしばった。

「……一つ目の威力で、俺の影もかなり削られてる。二箇所同時の最高密度は……持たないかもしれないぜ!」

「なら、一つ目は僕とテオで防ぐ! カシムはマストの根元、船の心臓部を守ってくれ!」

ゼノリスが素早く指示を飛ばす。

防戦一方だった彼らは、もはや見えない死神の恐怖に縮こまっているだけではない。

ガイル、ナディア、カシムの連携によって作られた「見えざる防衛線」を基点とし、若き星屑たちは、北の暗闇から迫る理不尽な死と、真っ向から渡り合おうとしていた。



 北の夜空から、音も光もなく迫り来る二発の凶弾。

ナディアが羅針盤で捉えた『殺意の波長』と、ガイルの解析眼が数値化した『空間の歪み』。その二つの情報がピタリと重なった瞬間、エトワール号の甲板で迎撃の陣が展開された。

「一発目、右舷前方! 来るぞ!」

「オォォォッ!」

ガイルの叫びに呼応し、テオが獣の咆哮を上げて漆黒の大盾を構えた。獣人としての本能を部分的に解放し、丸太のような両腕の筋肉を鋼のように硬化させる。

その巨大な盾の裏側に、ゼノリスが滑り込んだ。黒い剣に白銀の魔力を纏わせ、テオの構えを支えるように刃を添える。

直後、無音の衝撃がテオの盾に真正面から激突した。

「ぐ、ぅぅぅッ!」

テオの強靭な腕が軋み、足元の木材がメリメリとひび割れる。限界まで圧縮された凶弾の威力は、ただの硬さだけで受け止めきれるものではない。盾の表面から黒い火花が散り、重い呪いがテオの体力を根こそぎ奪おうと這い上がってくる。

「テオ、耐えろ! 軌道を逸らす!」

ゼノリスは盾の傾きに沿って、白銀の閃刃を滑らせた。彼の魔力が、呪いの凶弾にまとわりつく不規則な波長に割り込み、その威力のベクトルを強引に上空へと捻じ曲げる。

キィィィンッ! という甲高い摩擦音と共に、一発目の凶弾は船体から大きく外れ、夜の海へと吸い込まれていった。

「二発目! マストの根元だ!」

休む間もなく、ガイルが右目から青白い魔力光を散らしながら叫ぶ。

「任せなッ!」

船の心臓部であるマストの前に立ち塞がったカシムが、両手を甲板に叩きつける。

彼の足元から這い上がった影が、巨大で分厚い闇の壁となってマストを覆い隠した。時間差で迫った二発目の凶弾が、その漆黒の闇に突き刺さる。

「がはっ……!」

カシムが血を吐き、膝を折る。影の防壁がガラスのようにひび割れ、表面から黒い霧となって削り取られていく。アッシュの放つ『命』の質量が、彼が限界まで振り絞った影の壁ごと、その身体を容赦なく押し潰そうとしていた。

「……こんなところで、終わらせてたまるかよ!」

カシムは歯を食いしばり、消えかかる影の密度を気力だけで維持した。

影の壁は完全に貫通される寸前で凶弾の威力を殺しきり、弾かれた魔力弾は甲板の一部を大きくえぐり飛ばしたものの、マストという致命的な損傷だけは間一髪で免れた。

「……防いだ。二発とも、防ぎきったぞ!」

テオが盾を下ろし、荒い息を吐きながら叫んだ。


 遥か北の尖塔。スコープを覗くアッシュの白い髪が、冷たい夜風に揺れていた。

「……七発目、八発目、迎撃を確認。……目標の損壊率、規定値に達せず」

彼は口元から流れる黒い血を拭うこともせず、感情の抜け落ちた声で事実だけを口にした。

彼の内側で、再びあの理解不能な『疑問』が微かに波立つ。なぜ彼らは、見えないはずの自分の弾を的確に防ぎ、連携を保ち続けているのか。

「……思考ノイズ、消去。……九発目。装填」

アッシュは再び冷たいボルトを引き、自らの命を薬室へと送り込む。

だが、彼がスコープ越しに捉えたエトワール号の進路の先には、これまでの暗い夜空とは異質な、荒れ狂う分厚い雲の壁が立ちはだかっていた。


「みんな、前を見て! 『雷鳴の渓谷』よ!」

操舵輪を握るナディアが、羅針盤から顔を上げて前方を指差した。

西の海域。彼らの第一の目的地であるその場所は、一年中途切れることのない重苦しい黒雲に覆われ、空と海を繋ぐように無数の雷が降り注いでいた。

「ナディア! 船の速度を落とすな、あの雷雲の中に突っ込むんだ!」

ゼノリスが、えぐられた甲板から立ち上がりながら指示を飛ばす。

「本気!? あんな嵐の中に船ごと入れば、雷の的にされるわよ!」

「ルカスが施した『避雷の魔導装甲』を信じるんだ! それに、あの凄まじい雷の魔力場の中なら、敵の狙撃も軌道がブレて届かなくなるはずだ!」

ガイルが痛む右目を押さえながら、ゼノリスの言葉に同意した。

「……分かったわ。船長キャプテンの命令なら、地獄の底まで付き合ってあげる!」

ナディアが操舵輪を限界まで回し、エトワール号は銀色の帆を大きく広げて、轟音を立てる雷雲の壁へと迷いなく突入していった。

紫電がひらめき、鼓膜を打つ雷鳴が世界を支配する。

音も光もない静かな処刑場から、荒れ狂う大自然の猛威の中へ。

若き星屑たちは、見えざる死神の包囲網を自分たちの絆で打ち破り、ついに第一のくさびが眠る過酷な死地へとその足を踏み入れたのである。

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