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星帝物語  作者: 藤堂 貴之
第6巻 星屑の帰還と蒼刃の守護者

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第48章:静かなる死の海域

「全員、甲板に伏せろッ!!」

ガイルの喉が裂けんばかりの絶叫が、夜のとばりが完全に下りた空に響き渡った。

その直後だった。――音は、なかった。

砲弾が飛来する風切り音も、空気を焦がす爆発音も、魔力が弾ける光の閃きさえも、そこには一切存在しなかった。

ただ、エトワール号の右舷側……遥か北の夜空から音もなく引かれた不可視の凶弾が、船の強固な魔導装甲を、熱したナイフで薄い紙を切り裂くように無音で貫通したのだ。

ルカスが古代の設計図から組み上げた自慢の防護結界が、一瞬の抵抗すら見せずにガラスのように砕け散る。そして、メインマストのすぐ脇の甲板が、目に見えない巨大な獣に食い千切られたかのように、ごっそりと消失した。

数秒遅れて、真空状態が弾けるような凄まじい衝撃波が甲板を吹き荒れた。

「きゃああっ!」

「ぐおっ!?」

吹き飛ぶ木片と猛烈な風圧に煽られ、星屑の騎士たちの体が甲板に叩きつけられる。

「フィリー!」

ゼノリスは咄嗟にフィリーネの体を抱き寄せ、その身を庇うように床に伏せた。彼らを覆うように、テオが漆黒の大盾を構えて覆い被さる。

「な、なんだ!? 今の攻撃は! どこから撃ってきた!?」

テオが盾の隙間から、暗闇の空を睨みつける。

「違う……! 飛んできたのは鉄の砲弾なんかじゃねえ。極限まで練り上げられた、見えない『魔力の凶弾』だ!」

ガイルが右目を押さえ、眼帯の下から溢れる青白い火花に顔を歪めた。

「北のヴェルンド王国の方角……距離は数百キロも離れてる! そんな彼方から、ピンポイントで俺たちを狙い撃ってきやがったんだ!」

「数百キロ先からだって!? 馬鹿な、そんなの魔法の射程距離の常識を外れすぎているわ!」

ナディアが操舵輪にしがみつきながら悲鳴のような声を上げる。

だが、その常識外れの事態が、現実に彼らを死の淵へと追い詰めていた。


 同じ頃、遥か北の地。一年中黒煙と雪に覆われたヴェルンド王国の王城の尖塔で、『漂白の狙撃手』アッシュは、自身の背丈ほどもある長大な魔導狙撃銃のスコープを静かに覗き込んでいた。彼の虚ろな瞳には、数百キロ先の夜空を飛ぶエトワール号の姿が、鮮明な熱源として映し出されている。

「……一発目、外れ。風の干渉、修正」

抑揚のない声で機械的につぶやくと、アッシュは再び引き金に指をかけた。

彼が扱うこの狙撃銃は、魔石の力ではなく、術者自身の「生命力」と「感情」を弾丸の推進力へと変換する、古代の呪われた兵器だ。連合の非道な実験によって感情を根こそぎ奪われた彼は、自らの寿命を削り、魂の残滓ざんしを弾丸に込めることで、このあり得ない超長距離狙撃を可能にしていた。

「……二発目。装填ロード

アッシュの雪のように白い髪が夜風に揺れ、彼の心臓の鼓動が一つ、重く削り取られる。そして、音もなく二発目の凶弾が、暗黒の銃口から撃ち放たれた。


「次が来るぞ!! 左に舵を切れ、ナディア!!」

ガイルの絶叫がエトワール号の甲板に響く。

「左舵いっぱいッ!」

ナディアが黄金の羅針盤の光を頼りに、全体重をかけて操舵輪を回す。エトワール号の銀色の帆が風を激しく孕み、船体がきしむ音を立てて急激に左へと傾いた。

直後、彼らが先ほどまでいた空間を、再び不可視の魔力弾が通過した。

船体の左舷の装甲が紙一重で抉られ、手すりが消し飛んで木片が宙を舞う。

「ヒィッ……! 音がしないから、避けるタイミングが全然掴めないわ!」

「ルカス、防壁の再構築は!?」

ゼノリスが叫ぶ。

「無理だ! 僕の組んだ防壁の波長が、完全に無視されている! あの狙撃は、魔力をぶつけているんじゃない。空間の座標を直接穿うがち抜くような、理不尽な呪いの一撃だ!」

ルカスがコンソールの前で血相を変え、震える指でキーボードを叩きながら絶望的な報告を上げる。機械技師として、彼が古代の設計図から組み上げた自信作の結界が、紙切れのようにすり抜けられた事実は、これまでにない恐怖を彼に突きつけていた。


 その報告に、風が吹き荒れる甲板の空気が凍りついた。敵は姿を見せない。大砲の爆音も、魔力の閃光もない。

ただ、放たれる一撃には、自らを犠牲にしてでも標的を確実に仕留めようとする、異常なまでの執念と削られた命の重みが込められていた。

ゼノリスは、右手のひらに刻まれた『三つ目の星』の火傷跡が、先ほどよりもさらに強い、不気味な熱を帯びるのを感じた。心臓を直接冷たい手で握り潰されるような「死の接近」の予兆。

「……また来る! ガイル、軌道は!」

ゼノリスの叫びに、ガイルが右目の眼帯の下から血を流さんばかりに青白い火花を散らし、北の暗闇を睨み据える。極限まで酷使された彼の『解析眼アナライズ』は、数百キロ先の虚空から迫り来る不可視の殺意を必死に数値化しようとしていた。

「くそっ、今度は二連射だ! しかも軌道がブレてやがる、避ける隙間がねえ!」

(……このまま防戦一方では、船が持たない。海に落ちれば全滅だ)

「ナディア、右舷を下げて! 船体を傾けるんだ!」

ゼノリスの指示に、ナディアが黄金の羅針盤から目を離し、悲鳴を上げながら全体重をかけて操舵輪を回した。風をはらんでいた銀色の帆が強引に絞られ、エトワール号の巨大な船体が木材の悲鳴を上げて右側へと急激に傾く。

その直後だった。

再び、世界から一切の音が消え失せた。

船体が大きく傾いたことで生じたわずかな空間のズレを縫うように、不可視の凶弾が二発、彼らの頭上を無音で通過したのだ。

一発目は、メインマストを支えていた太いワイヤー群を熱したナイフのように切断し、二発目は、彼らの頭上に張られていた銀色の帆の一部を、見えない巨大なあごで噛み千切ったかのようにごっそりと消し去った。


数秒遅れてやってきた凄まじい真空の衝撃波が、船上の空気を暴風となって掻き乱す。

「うおぉぉッ!」

甲板が大きく傾き、バランスを崩した船からルカスとガイルが海へ放り出されそうになる。そこへ、テオが弾かれたように飛び込み、漆黒の大盾を甲板に深く突き立ててストッパーの代わりとし、強靭きょうじんな腕で二人の襟首を強引に引き留めた。

「音が無いってのは、こんなに気味が悪いのかよ……! いつどこから来るか分からねえなんて、これじゃあただの的当てじゃねえか!」

テオが盾の陰で歯を食いしばりながらうめく。彼が誇る防御力も、どこから撃たれるか分からない無音の凶弾の前では、全く無力に等しかった。


 一方、遥か北の地。一年中黒煙に覆われたヴェルンド王国の尖塔。

『漂白の狙撃手』アッシュは、自身の口の端から黒い血がひとすじ流れ落ちていることにも気づかないまま、虚ろな瞳でスコープを覗き続けていた。

「……三発目、四発目、軌道ズレ。……目標、回避行動を継続中」

抑揚のない声で機械的につぶやくと、彼は再び長大な魔導狙撃銃のボルトを引いた。  引き金を引くたびに、彼自身の命が弾丸の推進力として削り取られていく。常人であれば、一度撃っただけで全身の血管が破裂し、ショック死するほどの激痛と喪失感。だが、八ヵ国連合によって感情を根こそぎ奪われたアッシュの精神には、その苦痛すらも「次弾を装填するための作業工程」の一部としてしか認識されていなかった。

「……五発目。命脈、変換」

アッシュの雪のように白い髪が夜風に揺れ、彼の心臓の鼓動がまた一つ、重く削り取られる。そして、音もなく次なる凶弾が、暗黒の銃口から撃ち放たれた。


「……また来るぞ!!」

エトワール号の甲板で、ガイルの空気を引き裂くような切迫した叫びが響いた。

「今度はどっちだ!?」

「わからねえ! 弾が速すぎる上に、軌道が不規則に曲がってやがる!」

ガイルが解析眼を押さえながら苦悶の表情を浮かべる。敵は距離の遠さを補うため、弾道に予測不能な変化を加え始めているのだ。

ゼノリスは甲板に伏せながら、北の暗闇を真っ直ぐに睨み据えた。

彼らの向かう西の空には、第一のくさびを守護する荒れ狂う雷雲が待ち受け、そして北からは、命を削って放たれる不可視の凶弾が次々と襲いかかる。


見えない死神との、息の詰まるようなサスペンス戦。

防ぐ手立ても避ける余裕もない圧倒的な死の恐怖に晒されながらも、若き星屑たちは決して絶望に膝を屈することはなかった。フィリーネが白銀の杖を握りしめ、セレスティアとイリスが祈りの防壁を展開する隙を窺い、リィンが愛刀の柄に手を添えて研ぎ澄まされた集中力を保っている。

「……ガイル。飛んでくる弾そのものの軌道じゃなく、撃ってくる直前の『空間の歪み』は読めないか?」

ゼノリスが、強風の中で低く鋭い声で問う。

「無茶言うな! 相手は何百キロも先だぞ! そんなもん、嵐の中で針の穴を通すより難しいぜ!」

「さっきから、刻印が焼けるように熱いんだ。敵の攻撃には、間違いなく術者自身の『命』が込められている。……あれだけ重い呪いなら、放たれる瞬間に、必ずこの空のどこかに『予兆』があるはずだ」

ゼノリスの言葉に、ガイルはハッと息を呑み、再び右目の眼帯の下で青白い火花を散らした。彼の解析眼のフォーカスが、弾丸そのものから、空間全体を満たす魔力の波長へと切り替わる。

「……カシム」

今度は、ゼノリスが影の中に潜む情報屋に声をかける。

「……俺の影で、この巨大な船全体を覆うのは無理だぜ。すぐに削り取られちまう」

「全体じゃなくていい。弾が来る『一瞬』だけ、ピンポイントで防護壁を作れるか?」

「……タイミングと、着弾点が正確に分かればな」

カシムが短剣を握り直し、鋭い瞳で北の空を睨む。

「ゼノリス、羅針盤が……!」

操舵輪を握りしめていたナディアが、驚いたように声を上げた。

「さっきから、北の空から嫌な気配がするたびに、羅針盤の針が一瞬だけ不自然な震え方をしてるわ。……これ、もしかして敵の『殺意』の方角を正確に指してるんじゃないかしら」

 その言葉に、ゼノリスの黄金と闇の瞳に鋭い光が宿った。

ガイルの解析眼による空間予測、カシムの影魔法による一瞬の防壁、そしてナディアの羅針盤による殺意の探知。

それぞれ単独では防ぎきれない不可視の超長距離狙撃も、彼らの力を結集すれば、見えない死角を完全に補い合うことができる。

「……来るぞ! ガイル、ナディア、カシム! 準備しろ!」

ゼノリスは黒い剣を抜き放ち、夜風が吹き荒れる甲板に力強く立ち上がった。

不可視の死神に対する、若き星屑たちの反撃の糸口が、今、静かに結ばれようとしていた。

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